人はそう簡単に変わらない。 すべてを変える必要もない
自分は変わったという錯覚に陥る人たち
Diamond online 香山リカの「ほどほど論」のススメ
【第26回】2012年4月16日 香山リカ [精神科医、立教大学現代心理学部教授]
■自分は変わったという錯覚に陥る人たち
ある会合でこんな話を聞いたことがあります。
「研修やワークショップなどで人に教えるときは、あらかじめ何が得られるかを参加者に明らかにし、帰るときにあなたはこう変わっていますと伝えなさい」
研修やワークショップに参加するような人は、ほんの一部の例外を除いて、自分を変えたいと思っている人、今後成長していくために自分は変わらなければならないと切実に思っている人が大半です。
しかし、たった数時間や1日、長くても数日で人を変えることなど、到底できるとは思えません。
にもかかわらず、会合で主張された「相手を変えよう」という考え方は、参加者の「変わりたい」「変わらなければならない」という心理につけ込みなさいということと同義だと思わざるを得ません。
参加者に、あらかじめ「変わりますよ」と刷り込んでおけば、変わらなければと思っている人は「変われるんだ」と期待して話を聞くものです。そこで話された内容が自分を変えるようなものではなくても、変わったと思い込みたい参加者は、自らすすんで変わったと錯覚してくれるものです。
研修やワークショップの最後に、講師がよくこんなことを言います。
「皆さんは間違いなく変わっていますよ。初めてここに来たときとはまったくの別人になっています。今や、皆さんは他の人にレクチャーできるほどに変わったのです」
こんなことを言われると、参加者は本当に自分が変わったと思い込みます。換言すれば、変わりたいと思っていたからこそ、実際には変わったわけでもないのに変わったと思い込みたいだけなのではないでしょうか。
■人は短時間でガラッと変わることはない
「たった30分で人は変われる」
少し前であれば、こんな物言いに対して多くの人は「怪しい」と感じたものではないでしょうか。しかし、今は短い時間で変わるという主張が説得力をもつようです。
「たったひと言で人は変われる」
「2秒であなたの犬が変わる躾」
二つ目の例で変わるのは人間ではありませんが、短時間で犬を変えたいと考えているのは人間なので、考え方は同じです。
たとえば催眠術のように、「今から三つ手を叩けば、あなたは生まれ変わる」とやられて生まれ変わった気になるのは、その人自身が本当の意味で変化したり成長したりすることとはまったく関係のないことです。
現在ではほとんどやりませんが、対人恐怖を抱える人に催眠療法を施すことで、人前に出る勇気を与えるという治療がありました。これにしても、その場しのぎにすぎないもので、いずれ時がたてば元に戻るのが一般的です。
カウンセリングや精神医療の世界では、患者さんにこう明言します。
「あなたの悩んでいる『眠れない』とか『食事が喉を通らない』など、部分的な悩みについては直すことはできますが、すべての人格を変えることはできません」
まさに「ほどほど」にしか変えられない。ややもすると冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、これが事実であり、誠実に対応するにはこれ以外の言い方がないのです。
「ここへ来たらすべての悩みが解決し、すべての病気が治ります」
こんなことを平気でいう人もいるようですが、これが真実とは思えません。患者さんに変な期待を持たせてしまうのも大きな問題でしょう。患者さんのなかには、大きく変われないと聞いて失望してしまう人もいるかもしれませんが、いい意味でも悪い意味でも、人間はガラッと変わることはないのです。
■1000年経っても変わらない人の本質
『源氏物語』全54帖のうち、第45帖の「椿姫」から第54帖の「夢浮橋」までの10帖は「宇治十帖」と呼ばれています。
この「宇治十帖」は、主人公である光源氏が亡くなったあとの子や孫の代の話で、何人かの男女が登場して、くっついたり離れたりを繰り返す物語です。主として薫中将と匂宮が女性を奪い合うといった話ですが、光源氏という強烈なキャラクターが不在のため、今ひとつメリハリのない話だと理解していました。
ある大学の先生に言われてハッとしました。「宇治十帖」は、現代人に通ずるものがあるというのです。
薫中将や匂宮は、育ちの良い二世、三世のボンボン。女好きだけれども何らかの障害が立ちはだかるとすぐに諦めてしまうという、ガツガツしていない草食系男子。物語には母親の言いなりになるマザコンという存在も登場します。
反対に、女性たちのほうは積極的です。
その象徴は「思う」という言葉が出てくることです。当時の女性は、自分の考えを堂々と表明することはほとんどなく、男性の意のままに動くというのが一般的でした。先生が言うには「思う」という言葉を使って自分の意思を表明するのは、非常に珍しいことだそうです。
本当はAという男性が好きなのに、Bという男性のほうが立場的に安定していると値踏みしたり、好きな相手の気を惹こうとして、好きでもない男性と付き合う女性などは、現代の若い女性とまったく同じ気質です。
人間は、親子や兄弟や男女の間で今と同じようなことで悩み苦しみ、そのことで死ぬだの生きるだのと言い続けてきました。それは1000年経った今でも変わっていないことを思い知らされて、愕然としました。
1000年経っても、人間の本質は変わりません。
それなのに、現代になったからといって人が一瞬で変わるとは思えません。にもかかわらず、現代人は短時間に変わりたがり、それができると錯覚しているのです。
■全面的に変えようとせず マイナーチェンジするだけでいい
新年度を迎えるにあたり、被災地の新聞にはこんな見出しが躍りました。
「さあ新年度、いよいよ復興へ」
3月までは中止されていた制度が4月1日を機に元に戻る。たとえば、3月までは違う場所でやっていた運転免許証の更新を、4月1日から元の場所に戻したそうです。
1月1日からでもなく、3月11日からでもなく、多くのことが4月1日から変わるということに不思議な感覚を覚えました。
もちろん、4月1日をきっかけに使うのは悪いことではありません。1枚ページがめくれた、ちょっと上着を着替えたという程度の感覚であれば構わないと思います。
しかし、そんなことをしたところで被災者の気持ちの持ちようが変わることはないでしょう。なかには元に戻すことで被災者に不利益になることもあると思います。「さあ新年度」という号令によって、すべての面において「変わりなさい」というムードになるのは不自然な感じを受けてしまいます。
当たり前のことですが、変わる部分もあれば変わらない部分もある。この感覚を自然に持っていればいいのではないでしょうか。人格という点で見れば、全面的に変わってしまうことはまったく不自然です。
診察室を訪れる患者さんに短所を尋ねると、多くの人が「人に左右される」「引っ込み思案」だと言います。彼らと話をしていると、こういう性格だから損をしていると言い、会社でもできれば他の人のようにバリバリやりたいと言います。
しかし、その人のチャームポイントは、少しオドオドしている点であり、遠慮しながらおくゆかしく喋る点だと思います。その人が突然人前でペラペラ話すような人になってしまったら、この人の持つ本来の魅力はなくなり、どこにでもいる単なる仕事のできる人になってしまうだけです。
この場合、短所を全面的に変えるのではなく、たとえば会議とかプレゼンのときに少しだけ大きな声を出してみるなどのマイナーチェンジをすればいいだけの話です。ちょっとしたトレーニングでできる単純でテクニカルな話です。
自分を変えようとするあまり、自分の良さまで消してしまうのは非常にもったいないことだと思えてなりません。
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人はそう簡単に変わらない 自分は変わったという錯覚に陥る人たち 「ほどほど論」のススメ
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