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「聾話」の校名残して 

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「聾話」の校名残して 差別負けぬ 思い継ぐ 滋賀県ろうあ協会
 全国で聾学校や養護学校から「特別支援学校」への校名変更が相次ぐ中、滋賀県内では県ろうあ協会などが県教育委員会に「県立聾話(ろうわ)学校」(栗東市)の校名存続を訴えている。全国の公立学校で唯一、「聾学校」ではなく「聾話学校」と名乗る。校名への思いは、先人の「社会からの差別に負けない」という思いの結実でもある。
 「聾話学校」は1928(昭和3)年、口話教育の父と言われる西川吉之助氏(1874〜1940年、同県近江八幡市出身)が設立。西川氏は、3女浜子に聴覚障害があったことから、私財をなげうって国内外で口話教育の研究を重ねた。
 戦前の全国の聴覚障害者の学校は「聾唖学校」の名称が大半。聾は「耳が聞こえないこと」を意味し、唖は「話せないこと」を指す。西川氏は、聾唖学校という校名を「唖者として教育されるために唖者となる」と無言の差別に激怒。「対等でありたい」と手話だけではなく、口話教育の必要性を訴え続けた。浜子の口の中に手を入れ、舌の使い方や喉の震わせ方を教えた逸話もある。
 聾話学校は47(昭和22)年の学校教育法で聾唖学校から聾学校への改名がされても、全国で唯一、校名を貫いた。
 現在は幼稚園ー高等部に93人が在籍。手話教育に熱心に取り組む一方、口や手の動きで言葉を読み解く珍しい口話教育「キュードスピーチ」を導入している。
 「健常者と同じように生きたい」との理念は学校の随所に残り、88年に「聾話学校」としての校歌もつくった。始業式や卒業式で披露され、児童生徒は学校の誇りをもつ。
 県ろうあ協会は5年ほど前から校名存続の要望をしており、昨年11月にも、県教育委員会に出向いた。協会の辻久孝代表は「聾者はどんなに努力を積んでも聞こえるようにはならない。社会で生きていくために多くの困難を乗り越えてきた。それを『特別に支援する学校』とするのは聾者の思いを踏みにじっている」と訴えている。
【取材後記】
 聴覚障害者が通う聾学校で、聾と話の二つの漢字が並ぶことに、「なぜ?」と思ったことが取材の出発点だった。図書館で地域史を調べたり、多くの人に校名の由来を聞いて回ったり。校名に宿る先人の思いにたどりついた時、正直胸を打たれた。
 一方で、特別支援学校という名称。取材を重ねる中で、国が決めた名称に、悔しい思いを抱えている人ともいることを知った。
 言葉のルーツに隠れた人間の思い。きっと、至る所で見つけ出してくれることを待っているだろう。そう思うと、言葉のひとつひとつが、何ともいとおしく感じられる。
 中日新聞2011/2/1付滋賀中日版から

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