再審可否きょう決定 名張毒ぶどう酒事件
2012年5月25日 02時04分
三重県名張市で1961年、農薬入り白ぶどう酒を飲んだ5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で、名古屋高裁は25日午前、奥西勝死刑囚(86)の再審を開始するか否かを決定する。争点は、弁護団が出した新証拠のうち、最高裁が唯一、審理を尽くすよう求めた毒物が、当初の自白通り、農薬「ニッカリンT」だったかどうかだ。
三重県衛生研究所は事件後、現場に残った白ぶどう酒と、市販のぶどう酒にニッカリンTを混ぜた溶液を鑑定した。溶液からはニッカリンT特有の副生成物が出たが、ぶどう酒からは出なかった。明らかな違いだが、当時は「水と反応して消えた」と説明された。
弁護団は今回の再審請求で、「副生成物は2日すぎても消えない」との実験結果を新たに提出。ぶどう酒と溶液の鑑定結果の違いは「事件の毒物がニッカリンTではなかったからだ」と主張した。当時はこの副生成物が出ない農薬もあった。
差し戻し後、高裁は昨年、ニッカリンTを再製造し、最新鋭の機器で鑑定。ニッカリンTに水分を混ぜた溶液から、副生成物が検出された。弁護団の主張を裏付けた形だが、検察側は別の鑑定結果を重視した。
当時、常識的な鑑定手法だったエーテル抽出をすれば、今度は副生成物は検出されなかったからだ。弁護側は「当時と実験の条件が違ったため」と説明するが、検察側は「毒物はニッカリンTだったが、当時の手法では検出されなかった」と主張した。
問題は、ぶどう酒と溶液の2つともエーテル抽出したのか、ということ。当時の鑑定人の公判証言から、「2つともしたと証言している」とする弁護側に対し、検察側は「ぶどう酒はしたが、溶液はしなかったと読み取れる」と説明する。
再審開始か否か。決定を待つ奥西死刑囚の収監は死刑判決後、すでに43年。9年前に胃がんを手術し、今月上旬には肺炎にかかった。24日、面会した支援者によると「いよいよ明日やね」との問い掛けに「うん」とにこやかにうなずいたという。
(中日新聞)
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◆名張毒ぶどう酒事件の人々
◆名張毒ぶどう酒事件 扉は開くか
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◆名張毒ぶどう酒事件 「今さら真犯人を…」住民から不安や怒り2010-04-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
名張毒ぶどう酒事件 惨劇の公民館すでに撤去
4月7日11時44分配信 毎日新聞
集落は田んぼや茶畑に囲まれた静かな山すそにある。「名張毒ぶどう酒事件」から丸49年となる今年3月28日、事件の舞台となった三重県名張市の葛尾地区を訪れた。市中心部から北西に約5キロ。桜並木はまだつぼみのままだった。「あまり思い出したくないね」。事件について、地元の住民は言葉少なだ。現場は当時と一変、外部からの訪問者に惨劇を思い起こさせる痕跡は見当たらなかった。【伊藤一郎】
急な坂道を歩いて上ると目の前にゲートボール場があった。事件現場だった公民館は小高い丘の上にあったが、建物はかなり前に取り壊されたという。
敷地の片隅に大きなムクの老木がそびえ、枝の下に黒い種が落ちていた。「ムクの種は羽子板の羽根の重りになる。この木は、事件の真相を見ていたかもしれないな」。近くにいた地元の区長、福岡芳成さん(61)が話してくれた。
道を挟んで南側の広場の集合墓地に、犠牲者を慰霊する背の高い仏像がまるで多くの墓を見守るように立っている。その仏像の顔の向きと反対側。今は畑となっている場所に、かつて奥西勝死刑囚(84)の家の墓だけがポツンと離れてあった。今は家族の手で別の場所に移されたという。
同じ日に現地を訪れていた奥西死刑囚を支援するグループが、仏像の前に供養の花束を供えた。福岡さんはその様子を遠目に見ながらいらだつように話した。「遺体解剖が行われた場所を踏んでいることも知らないのに、事件の何が分かる」
墓地がある丘の下には以前、奥西死刑囚の家があった。その家から現場までは、歩いて1分足らず。隣には、奥西死刑囚が公民館に運ぶぶどう酒を取りに行った当時の地区会長の家が今もある。数分で歩き回ることのできる範囲内で、日本中を騒がせた事件が起きたとは想像できない。
近所の女性に話を聞いた。「事件の日は毎年、地域で集まって供養していたが、十三回忌でやめてしまった」。別の女性は「事件後は公民館に寄るのも怖かった」という。「忙しいから、そんな話しゃべっちゃおれん」。ある男性は目をそらし問いかけを遮った。記者が来なければ、この日が事件当日だと思い出すこともないのにと感じているようだった。
県境をまたぎ、奈良県側に出ると、視界が広がった。眼下には奥西死刑囚が「農薬の瓶を捨てた」と「自白」した名張川が見えた。
最高裁は5日付の決定で、混入農薬について疑問を示し名古屋高裁に審理を差し戻した。発生から半世紀近く。惨劇の痕跡は消えても、住民たちは事件の記憶をぬぐい去ることはできない。
【ことば】名張毒ぶどう酒事件
61年3月28日、三重県名張市葛尾の公民館で開かれた住民の懇親会で、農薬入りぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が重軽傷を負った。「妻と愛人との三角関係を清算しようとした」と自供した奥西死刑囚(当時35歳)が殺人容疑などで逮捕されたが、起訴直前に全面否認に転じた。1審津地裁は無罪、2審名古屋高裁は逆転死刑、最高裁(72年)で死刑が確定。高裁は第7次再審請求審(05年)で再審開始を決めたが、異議審で取り消した。
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名張毒ぶどう酒事件 「再審決定を」支援者が高検に要請
4月7日11時48分配信 毎日新聞
名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚(84)の第7次再審請求で、審理を名古屋高裁に差し戻した最高裁決定(5日付)を受け、奥西死刑囚の支援者が7日、名古屋高検を訪れ、05年に高裁が一度決定した再審開始に対する検察側の異議申し立てを取り下げて再審決定を確定させるよう要請した。 支援団体「名張毒ぶどう酒事件愛知・奥西勝さんを守る会」のメンバーら約15人が午前10時過ぎに訪問。異議取り下げのほか、▽奥西死刑囚の即時釈放▽捜査の初期段階における重要参考人の供述など未開示証拠の開示−−を盛り込んだ要請書を提出した。
最高裁決定により、高裁の再審開始決定に検察側が異議申し立てをした段階まで審理が差し戻される。このため要請では、差し戻し審に入る前に検察側が異議申し立てを取り下げるよう求めた。
また即時釈放については、足利事件で検察側が職権を発動して無罪確定前の菅家利和さんを釈放したことを引き合いに要望した。【沢田勇】
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「今さら真犯人を…」 「毒ぶどう酒」住民から不安や怒り
中日新聞【三重】2010年4月7日
6日、明らかになった最高裁の名張毒ぶどう酒事件の名古屋高裁への差し戻し決定。事件現場となった名張市葛尾地区の住民からは「犯人は奥西死刑囚で間違いない」との声が上がった一方、「50年近くたって今さら真犯人を調べられるのか」と漏らす住民もいた。
この日、事件現場となった葛尾公民館跡のゲートボール場に人影は見えず、ひっそりと静まりかえっていた。そばにある犠牲者5人の供養塔には、最近手向けられた菊などが飾られていた。
現在の区長、福岡芳成さん(61)は「今、地区では事件の記憶も薄れ静かになっているのに、また騒がしくなる」と話す。3年前に81歳で亡くなった母親の二三子さんが事件でぶどう酒を飲んで一時、重体になり、事件の記憶は消えていない。「今さら調べるといっても関係者は亡くなっているか高齢だ。難しいだろう」と指摘する。
事件発生後、医師として最初に現場に到着し、住民の治療にあたった集落近くの開業医武田優行さん(82)は「長年の服役はかわいそうだが、正直死刑が確定すると思っていた。裁判が何年もずるずると続いており、自分は第三者だが、(死刑か無罪か)どっちかに結論を決めてほしい思いはある」と話した。
「何度裁判をしても同じことだ」。事件当時、懇親会に出席していた男性(70)はテレビで差し戻し決定を知り、怒りをあらわにした。「自白したのだから彼(奥西死刑囚)と確信している」と語気を強めた。
◆支援する会代表「勝つまで健康保ち頑張って」
「獄死するのを待っているとしか思えない」。名張毒ぶどう酒事件で服役中の奥西勝死刑囚を支援してきた市民グループ「名張市奥西勝さんを支援する会」の赤瀬川勝彦代表(63)は6日、最高裁の高裁差し戻し決定に怒りをあらわにした。
再審開始を求め20年にわたり活動してきた赤瀬川さんは今回、最高裁が再審を決定するかどうかの判断を「避けた」と指摘する。これまでに弁護側が科学的な新証拠をたびたび提出してきたことを挙げ「これだけやって差し戻すなんて、批判を受けるのがよほど嫌だったのだろう」と最高裁への不満を語る。
「奥西さんには石にかじりついてでも生きてもらわないと。勝つまでは健康を保って頑張ってほしい」。今後も署名運動や裁判所への要請行動を続ける。(名張毒ぶどう酒事件取材班)
◆名張毒ブドウ酒事件 辛い地元住民「無罪ならやっていない証拠を示して」
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◆名張毒ぶどう酒事件異議審決定 唯一目をひいた記事 2006-12-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題
〈来栖の独白2006/12/27〉
再審決定取り消しにつき、今朝の中日新聞<名古屋版>で唯一目をひいた記事があった。奥西氏逮捕直後に行われた氏の記者会見についての記事だ。この3分間の記者会見が、今回の取り消し理由の一つになった。記事は柳川善郎岐阜県御岳町長の話。柳川さんは、事件当時NHKの記者で、この会見で奥西氏にインタビューした。以下。
「大きな事件を、自分のちょっとした気持ちから・・・。何とお詫び申し上げてよいか分かりません」ぼさぼさの頭、落ち窪んだ目。奥西死刑囚は終始、うつむいたまま、ぽつりぽつりと語った。わずか三分間の短いやりとりだった。1961年4月3日の正午過ぎ、三重県警名張署の宿直室で、異例の容疑者の記者会見が行われた。事件発生から7日目。自白の模様はテレビ中継され、新聞各紙にも載った。「はめられた」。奥西死刑囚は45年経った今も、このインタビューを悔やむ。「警察から『家族を救うために会見して謝罪しろ』と言われ、取調官が書いた文を(暗記して)読んだだけ」と裁判官にあてた手記でも訴えた。
柳川さんは当時、NHKの三重県警担当キャップ。記者クラブの代表取材の一員として、奥西死刑囚の話を聞いた。柳川さんによると、会見は「報道陣が警察に押し込む形で」実現した。その前日、県警幹部が「奥西の妻」犯行説を明らかにしたばかり。一晩で犯人が一転したことに「記者たちはいきり立っていた」という。
待ち構えた容疑者の第一声。「ちょっとした気持ちから・・・」。冒頭の言葉に柳川さんは「真犯人」と直感したという。うなずける。本当の動機はそんなものだろう。単純に困らせてやろうとしたのだ。「うーん」。迫真の受け答えに次の質問が思い浮かばなかった。
ただ、その後の司法判断は無罪から死刑に、そして再審開始決定から取り消しに。この取材を機に、「人は判断を誤る」と、死刑廃止論に傾いた。自身は十年前、暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う被害者になった。それでも、いくら犯人が憎くても、死刑はいけないと思う。柳川さんは、奥西死刑囚に呼びかける。「お互い生きているうちに、もう一度会ってみたい。無実を訴えるなら、今度は目と目を合わせて」
「ちょっとした気持ちで・・・」逮捕後、記者会見で犯行を認めた奥西死刑囚(左)=1961年4月、三重県名張市で
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<2006.12.27中日新聞三重版>
再審取り消しに葛尾・住民は納得
名張毒ぶどう酒事件
名古屋高裁が26日に出した名張毒ぶどう酒事件の再審開始を取り消す決定。いったん開きかけた再審への道は再び閉ざされた。「犯人は奥西勝死刑囚」との思いが強い事件の舞台・名張市葛尾区の住民からは「当たり前」「信じていた」と取り消しの決定を支持する声が聞かれた。一方、地元・名張で奥西死刑囚の救済活動を続けてきた支援者は「司法の原則が守られていない」と怒りをぶちまけた。
「良かったな…」。事件で妹を失った葛尾区の坂峰敏一さん(79)は、名高裁の決定を報じるテレビ画面を見つめ、数回うなずいた。納得の表情を浮かべながら「真相究明を行った検察と、弁護団のいいかげんな理屈のどちらが信頼できるか。裁判官はよく見てくれた」と評価した。
いまだ決着せず、二転三転する裁判に「弁護団はもう言い掛かりを付けるのはやめてほしい。早く決着をつけ、5人を極楽往生させてやりたい」と強い口調で語った。
事件で妻を亡くした奥西楢雄さん(81)は「再審開始取り消しは当初から確信していた。ニッカリンTが凶器でないという(弁護団の)主張がそもそもぼけていたんだ。あれだけ調べたのだから犯人は絶対間違いない。騒いでいるのはあなたたち(報道陣)だけで、事件は解決済みだと思っている」と言い切った。
葛尾区は人口53人、世帯数16戸(12月1日現在)の奈良県との県境に近い山あいの、のどかな集落。事件現場となった葛尾公民館は1987(昭和62)年12月に取り壊されて今はゲートボール場になっており、かつてこの集落で未曾有の大事件が起きた気配はない。
ゲートボール場近くにある犠牲者の女性5人をまつった供養塔だけが、事件があったことを今に伝える。この日も地元住民が名高裁の決定の報告を兼ねて供養塔に花を手向けに来る姿があった。
供養塔に足を運んだ地元の神谷道代さん(64)は名高裁の決定には「ほっとした」と語ったが「裁判の節目のたびに騒がれ、再審開始決定以後は葛尾の人たちを悪者扱いする風潮もあった。45年たっても結論が出ないから苦しい思いをさせられている」と長引く裁判への苦悩を吐露した。
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