3党合意は“小沢切り”への号砲!小沢&鳩山出ていけばスッキリ
ZAKZAK 2012.06.16
民主、自民、公明の3党は15日夜、消費税増税を柱とする「社会保障・税一体改革」関連法案の修正で正式に合意した。これで、消費税率を2014年4月に8%、15年10月に10%へそれぞれ引き上げる法案は成立へ大きく前進した。野田佳彦首相は国会会期末(21日)までの衆院通過を目指しているが、民主党の小沢一郎元代表らは徹底抗戦の構え。3党合意は事実上、「小沢切り捨て」への号砲といえそうだ。
「どうぞ小沢君も鳩山君も反対してください。国会がスッキリしてよいことだ」
民主党の渡部恒三最高顧問は15日、増税法案に批判的な小沢氏や鳩山由紀夫元首相に衆院採決時の造反を促し、挑発した。与党議員が閣法(内閣提出法案)に造反すれば「除名・離党」は避けられない。渡部氏は、小沢、鳩山両氏に「党から出ていけ」と言ったに等しい。
政権交代時のツートップである小沢、鳩山両氏は「増税反対」「国民との約束、マニフェストを守れ」と主張しているが、野田執行部としては「2人が掲げたマニフェスト自体に無理があった。『政権を取れば16・8兆円の財源がすぐ出てくる』といい、選挙用のバラマキ政策を並べたため、財政危機が加速している」という口に出せない本音がある。
3党合意を結ぶことで、増税以外にも、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)や原発再稼働など、与党にいながら野党以上に「反対」を突き付ける小沢氏らと決別する覚悟なのだ。
こうした野田執行部の姿勢を受けて、小沢グループの幹部である東祥三衆院議員は15日、記者団に対し、「(衆院採決では)否決票、当然でしょう」と言い切った。別の幹部も「造反しても追い出せないような数を確保する」と息巻いた。
小沢グループの勢いに、民主党内で「反増税」「野田降ろし」の動きが広がっているように見えるが、実は、そうでもない。小沢氏周辺の数十人は腹を固めているが、期待した中間派への広がりに欠ける。
「3党合意ができた以上、小沢グループと野党反対派が連携しても、法案成立は阻止できない。加えて、週刊文春が報じた『(東日本大震災後、小沢氏は)放射能が怖くて逃げた』という小沢夫人の手紙も影響している。国民を見捨てて放射能から逃げる人物とともに新党を立ち上げたら、選挙戦で猛攻撃される」(民主党関係者)
野田執行部は週明けの18日に一体改革調査会などの合同会議を開き、党内手続きを行う。野田首相はメキシコでの20カ国・地域(G20)首脳会議から帰国する20日に両院議員総会の開催を検討している。
小沢氏らが巻き返す秘策はあるのか。
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一体改革:3党合意 小沢元代表、側近と会談も発言なし
毎日新聞 2012年06月16日 00時57分(最終更新 06月16日 01時23分)
修正協議が最終段階を迎えていた15日午前11時半、民主党の小沢一郎元代表は衆院議員会館に姿をみせ、すぐに岡島一正、川島智太郎両衆院議員ら側近議員と現状を分析した。午後1時の衆院本会議には姿をみせず、午後2時過ぎに国会を離れた。14日は消費増税を「国民への冒とく」と批判したが、この日は発言しなかった。
元代表ら増税反対派は法案の国会会期末までの衆院採決に向けて、自ら乗り出した首相の気迫に押されている。
自民、公明両党が法案賛成に回れば、グループの数の力は意味を失い、少数派に転落する。自民党との連携にかじを切った首相には離党で揺さぶる「脅し」も効かない。グループ幹部の一人も「自分たちが多数を握り、党をグリップする展望がみえない」と漏らす。首相の「覚悟」を見誤ったことが、戦略の破綻につながった。
グループ幹部の東祥三衆院議員は15日、記者団に修正合意について「民主党と自民党の談合で、政権政党になった根っこの部分を捨てることを意味する。(採決反対は)当然だ」と強調した。
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<来栖の独白2012/6/16 Sat. >
今度負けたら、何度目の負けになるのだろう。今度の負けは、最後だ。政治家としての終焉を意味する。
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◆「それでも小沢は有罪判決」/増税大連立へ大陰謀が進行中/大メディアもピタリと歩調を合わせている 2012-03-12 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
[永田町深層海流]いつから日本は「恐怖政治」の国となったのか
週刊ポスト[2012年3月23日号]発売日:2012年3月12日
「被告人・小沢一郎、有罪」。その裁判官の一言を心待ちにしている者たちの”切ない願い”がひしひしと伝わってくる。国家も国民もそっちのけの「小沢政局」の醜悪は、滅びゆく老大国の汚れた晩節なのか、それとも利権を貪ってきた権力者たちの断末魔なのか。1か月後に迫る小沢判決と、それを待たずに剣ヶ峰に登った与野党談合政局が、それを明らかにする。
小沢の罪状は「官僚国家反逆罪」
こんな奇妙な国会審議は、人生のなかでも、もう目にする機会はないだろう。
震災復興も原発事故の処理も遅々として進まず、消費税増税に年金改悪、果ては原発再稼働と、国民の生命と財産、国家の行く末を左右する重要課題が目白押しだというのに、与党と野党は一体何を論じているか。
直前に密会で“ネタ合わせ”をした八百長党首討論(2月29日)では、野田佳彦・首相から水を向けた。
「一緒に消費税を引き上げるために努力しようじゃありませんか」
野党党首の谷垣禎一・自民党総裁は、「討論」どころか二つ返事でOKだ。
「その通り。間違いない」
そしてこう続ける。
「小沢(一郎・元民主党代表)さんは倒閣も示唆している。説得できるのか。党内をきちっと掌握されて、方向性を定められるのを固唾を呑んで見守っている」
何の「方向性」だか。要するに「小沢を切れ」が主眼で、それなら国民が大反対している増税の共犯になってもいいというのだ。数日後には自民党内きっての増税派で「小沢嫌い」の急先鋒でもある野田毅・党税調会長が、「小沢元代表は総理と違うことをいっている。まとめきれるのか」と念を押す。
もっとわかりやすいのは茂木敏充・政調会長で、「一番は、増税反対派に出て行ってもらうことです」と、直接的に「小沢を切れ」と要求した。
刑事被告人で党員資格停止中の小沢一郎という1人の政治家の存在が、なぜ増税や社会保障改革以上に政治の重大事になるのか。もっといえば、小沢氏の何を恐れて与野党が総力を挙げて排除しようとしているのか。不真面目な国会もここに極まれりだ。
多くの政治家が「改革」を口にする。小沢氏はその具体的な方法論の一つとして、「総予算を組み替えればカネはある」と繰り返し語ってきた。これが日本社会を根底から変える破壊力を持つ改革であることを与野党の政治家は知っているが、それは霞が関と政治家の既得権を奪うことになるから絶対に認められないのである。逆に増税は、政官の利権を拡大する。
国の一般会計と特別会計を合わせた総予算は約229兆円(2012年度予算案)。地方の一般歳出(約67兆円)を合わせると、日本のGDP(約500兆円)の半分に達する。要するに、日本は官公需に大きく依存している「半共産主義経済」である。それを支配しているのが、予算編成権を持つ財務省だ。
小沢氏のいう総予算の組み替えとは、自民党の長期政権下で官僚が既得権化してきた予算をバッサリ削り、その財源で新しい国家の仕組みを作るマニフェストを実行することだ。既得権派がこぞって増税を推進し、マニフェスト潰しに躍起になり、そして「小沢一郎を切れ」とシュプレヒコールを上げることは、実は一つの糸でつながっている。
ならばもっと小沢氏に支持が集まってもよいはずだが、そうはならない。前述のように、日本の社会では役人だけではなく、多くの企業とサラリーマンが官公需に依存している。予算組み替えは、国を再生させ、公平・公正な社会を作る改革にはなるが、それを望まない既得権派は、永田町や霞が関だけに巣食っているわけではない。
菅政権も野田政権も、総選挙では小沢氏が掲げたマニフェストを絶賛し、既得権派の頂点にいる官僚たちを「シロアリ」(野田氏)と呼んで国民の喝采を浴びた。が、権力の座に就くと、すぐにシロアリたちの軍門に下った。民主党の有力政治家のなかでは、小沢氏だけが「統治機構の改革」と「総予算の組み替え」の旗を降ろしていない。
日本の現代政治や官僚制度の研究家として知られるアムステルダム大学教授のカレル・ヴァン・ウルフレン氏は、著書『誰が小沢一郎を殺すのか?』(角川書店刊)の中で、検察、霞が関、メディアが一体となって長年にわたって小沢氏を「人物破壊」し、世界的にも類を見ないやり方で1人の政治家の政治的抹殺を図ってきたと指摘した。同氏は今の日本政治を改めてこう分析する。
「与野党が国会で『小沢氏を切れ』と云い合う光景は世界的に見ても議会のあり方として尋常ではない。まるで小沢氏が国家への反逆や国民の虐殺を行った罪人であるかのような扱いです。私は日本のマスコミの幹部にも友人が多いが、彼らも小沢氏が有罪か無罪かより、司法が小沢氏を政治的活動に復帰させないようにできるかどうかに関心がある。それはつまり、小沢氏に無罪判決が出て政治の一線に戻ってくれば、日本政治は大きく変わる可能性があるということの裏返しでもあるのです」
秘書のための寮を建てる土地を「契約した年に収支報告するか」「所有権移転した年に報告するか」というだけの問題で2年間も司法に縛られている小沢氏の本当の“罪”は、「官僚国家への反逆罪」だったのだ。
有罪なら「座敷牢」だが・・・
小沢氏の公判は3月19日に結審し、4月26日にも判決が出る。
野田首相と谷垣禎一総裁の密会(2月25日)を官邸側がリークすると、岡田克也副総理、前原誠司民主党政調会長らがこれ見よがしに自民党幹部と相次いで会談した。「極秘」といいながら会談をすぐ漏らすのは、既得権派がそれを既成事実化したいからである。「スクープ」「速報」と騒ぐ記者クラブ・メディアは、その工作の協力者だ。
自民党から「小沢を切れ」と言わせ、野田首相の方は、「51対49でも党で決めたら、しっかり野党と協議する」と応じて、「小沢切り」をも既成事実にしようと焦るのは、彼らが既定路線と考えていた小沢氏の有罪判決が、必ずしも期待通りにいかない可能性を感じ始めたからに他ならない。
野田首相、谷垣氏はともに財務大臣を経験し、野田毅自民党税調会長は大蔵官僚出身であり、茂木氏も元金融担当大臣で財務省の覚えがめでたい。これらのメンバーが主導する「尋常ではない国会審議」の裏で財務省が動いていることは隠しようがない。
もう一人、増税と小沢切りの立役者とされるのが、やはり大蔵官僚出身で「財務省の政界代理人」の立場にある藤井裕久元財務相だ。藤井氏を直撃した。
---あなたが党首会談を仲介した?
藤井「そうではないが、総理には、『与野党の財政再建派が心を一つにしてやるように』といつも言っている」
---民自が組めば小沢氏ら増税反対派は必要がないという考えか。
藤井「小沢さんのことについては、私は何も言いませんよ。ただ、総理は先日、『51対49でも(法案提出を)やる』といった。その言葉が大きな意味を持つことは間違いありません」
「小沢無罪」の観測が強まるにつれ、民主党内では小沢支持派が急速に力を増している。
自民党や公明党は消費増税の協議入りの条件として、小沢切りに加えて民主党の公約である最低保障年金創設の撤回を要求し、野田首相や岡田副総理はそれを飲む構えだが、一体改革を推進する立場の党社会保障・税の抜本改革調査会の幹部さえ、「最低保障年金は民主党の1丁目1番地の公約だ。それを捨てて消費税だけ上げる法案は部門会議も絶対通らない」と強硬姿勢を取る構えだ。
反増税派議員は野田発言を逆手に取り、「総理は法案の閣議決定前に両院議員総会で採決を取ると言った。そこで否決すれば法案提出できない」と勢いを増す。
野田氏や藤井氏は、小沢氏という”シロアリ政権の癌”をピンポイントで取り除くつもりだったが、既に小沢氏が大きく増殖していることから、”全摘出”に方針を切り替え、後遺症が大きくても仕方ない、その時は野党から新しい血を輸血して延命しようと決めたのだろう。
まだ4月の公判で小沢氏が無罪になる確証があるわけではない。有罪判決であれば、小沢氏が控訴しても「座敷牢」状態において置けばいい。それを見極める余裕さえなくなっているということは、財務省や野田執行部、自民党は相当追い詰められている。
「野田総理が増税法案の採決に突っ込み、党内の3分の2が反対に回っても、残る増税賛成派が衆院100人程度まとまれば、自民や公明の賛成で法案は成立する計算だ。
その上で総理が解散・総選挙を打てば、民主党は大敗するが、特に執行部が支援しない小沢グループの議員は大半が落選する。選挙後に自民と民主が小沢抜きで連立を組んで第2の保守合同に向かう」(自民党の町村派幹部)
これが新しい”治療方針”というわけだ。
「日本は大新聞が民主主義の敵」
大メディアもピタリと歩調を合わせている。
小沢公判で検察の調書でっち上げが発覚し、地裁が証拠採用を却下して以来、表面的には新聞・テレビはそれまでの「小沢有罪論」を捨て、検察捜査批判へ路線転換したように見えた。朝日新聞はじめ、慌てて小沢氏にインタビューを申し込み、手打ちを急いだことも滑稽だった。
それがここへきて、また軌道修正し始めたから、彼らが誰の”指示”で報道しているのか、わかりやすい。「やらせ党首討論」翌日、朝日と読売の社説は足並みを揃えて小沢切りを煽った。
〈首相は、民主党の小沢一郎元代表グループや国民新党の亀井代表が公然と唱える増税反対・慎重論を抑え込むことが大切である〉(読売)
〈法案提出までには、小沢氏ら民主党内の増税反対論者との激突は避けられないだろう。だが、首相がまずそれを突破するしか展望は開けない〉(朝日)
もう一つ忘れてはならないのは、この大メディアの動きは、まだ「小沢有罪」の可能性が十分に残されている証拠だということだ。
それは昨年9月に一審判決が出た小沢氏の元秘書の公判とそっくりの展開だ。東京地裁は検察側が有力な証拠としていた調書の大部分を「威迫と利益誘導があった」と却下し、新聞は検察の見込み捜査を批判した。
だが、判決では、裁判官は「工作と見るのが自然だ」「隠蔽工作をしたことがつよく推認される」と推認に推認を重ねて物的証拠が何もない闇献金まで認定し、3人全員に執行猶予付き禁固刑の有罪判決を出した(全員控訴)。
小沢公判でも、検察の捜査には意図的な捏造があったが、裁判所はその部分をあらかじめ証拠採用しないことで”公平な裁判”を印象付けた。それを後押しするのが、大メディアの「やらせ検察批判騒動」であり、それによって、元秘書たちと同様に、有罪の証拠はないが、裁判官の胸先三寸で「秘書から報告を受けていなかったというのは不自然」「知っていたと強く推認される」という推認有罪判決が下しやすくなったともいえるのである。
「既得権派は、小沢捜査に失敗した検察に泥をかぶらせることで”禊”とし、裁判所が”喧嘩両成敗”で小沢に有罪判決を出すことを期待している。大メディアはすでに有罪に備えて、『潔く政界引退せよ』という内容の長大な予定稿を用意しているし、野田執行部も小沢派議員に”こちらに戻って来い。そうすれば選挙も支援してやるぞ”と、党の金庫に積み上げてあるカネをチラつかせている。小沢もそれはわかっているから神経戦が続いている」(中間派の民主党中枢筋)
前出のウォルフレン氏が日本の現状を憂える。
「国民に選択肢が与えられない政治状況というのは、国民の理性的な議論をなくしてしまう反民主的な動きです。同じことは戦前の大政翼賛会や55年体制と呼ばれた戦後の政治構造など、日本では昔からありました。国民にとって不利なのは、国家権力を監視すべき大新聞まで、日本ではそうした政治状況を作る側に回り、民主主義の敵になっている。そのため国民は本当に起きていることと違う情勢を与えられています」
どんな微罪でも、証拠がなくても「小沢は有罪」、それどころか、「無罪でも有罪」という権力総動員の体制は恐ろしい。既得権派は完全に”小沢は癌”と見定めているが、国民と国家にとっての本当の癌は、どちらなのか。
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◆『誰が小沢一郎を殺すのか?』〈カレル・ヴァン・ウォルフレン著〉
p47〜
歴史が示すように、日本では政党政治は発展しなかった。しかも1世紀以上を経たいまなお、それはこの国にとって大きな問題であり続けている。だからこそ民主党は与党となっても悪戦苦闘を続けているのだ。政党政治が発展しなかったからこそ、軍事官僚が、当時の日本の10倍にも達する産業基盤を有する国アメリカを相手に戦争をはじめても、それに対して日本はなんら対処することができなかったのだ。
p48〜
小沢氏をはじめとする改革派政治家たちはみな、彼らにこそ国家を運営する権利があり、義務があると信じている。官僚が国に滅私奉公する善なる存在であるなどと、彼らはもちろん考えてはいない。我々が一歩退いてみるとき、小沢氏のような政治家をつぶそうとするメカニズムは、近代国家の道を歩みはじめたばかりの当時の日本で、すでに機能していたことがわかる。つまり日本の近代化が推し進められるのとときを同じくして、政治家に対する陰謀も進行していったということだ。そして小沢氏こそ、この百数十年もの長きにわたり、連綿と続けられてきた陰謀の犠牲者にほかならないのである。
p50〜
そして体制の現状維持を危うくする存在であると睨んだ人物に対して、その政治生命を抹殺しようと、日本の検察と大新聞が徒党を組んで展開するキャンペーンもまた、画策者なき陰謀にほかならない。検察や編集者たちがそれにかかわるのは、日本の秩序を維持することこそみずからの使命だと固く信じているからである。そして政治秩序の維持とは旧来の方式を守ることにほかならない。そんな彼らにとって、従来のやり方、慣習を変えようとすることはなんであれ許しがたい行為なのである。この種の画策者なき陰謀で効果を発揮するツールこそがスキャンダルである。そして検察や編集者たちは、そのような人物があらわれたと見るや、まるで自動装置が作動しているのではないかと思えるほどに、予想に少しも違(たが)わない反応を見せる。
p60〜
欧米諸国を参考とした大日本帝国憲法もほかの法律も、専制的な権力から国民を守ることを想定したものではなかった。つまり日本の当局は欧米の法律を参考にしはしても、その「精神」を真似ることはなかったというわけだ。そして今日、もちろん不当なあつかいから国民を守るべきだという理念はあり、それが過去数十年で強められてきてはいても、現実には、それはいまなおきわめて曖昧模糊とした感情の領域に押しとどめられている。そのため大抵の日本人はいまだに、法律というのは単に政府が人々の行動を抑制するための手段なのだ、と見なしている。これに関して忘れてはならない事実がある。東京大学法学部というのは、日本の政治システムの最上部を占める高官を輩出することで知られているわけだが、その教授陣はいまだに法律を官僚が統治に利用する手段にすぎないととらえている。そして彼らはそうした視点に立って、学生に教え続けているのである。要するに、時代が変わったとはいえ、法律は権力エリートが用いるツールであるとする見方は、日本では以前とまったく変わっていないということなのだ。
また日本の官僚たちの間では、自分の目的を達成するために、法律のなかから適切なものを選び出すという習慣が長いこと続いてきた。そして自分たちの計画が法律の文言に抵触しかねない場合は、実に巧に新しい解釈を考え出す。このように日本では、法律というのは当局にとって、あくまでも秩序を維持するためのツールでしかない。そのため、国民みずからが与えられているはずの権利を政治システムの上層部に対して主張する目的で、法律を利用するよう奨励されているなどということは決してないのである。
p64〜
1960年代と70年代に日本の政治、そして権力構造について研究していた時期、私はそのようなやり方が繰り返し行われていることに気づいた。だからこそ日本の政治・経済について初めて執筆した著書〔『日本/権力構造の謎』〕のなかで、「法を支配下におく」という1章を設けたのだ。
私はそのなかで、権力者の独り歩きを可能にするような方法で、日本では法律は支配するのではなく、支配されているのであって、この国の権力システムにおいて、法律は政治に関して許容すべきこととそうでないことを決定づける基準にはなっていない、と説いた。すなわち独り歩きをする日本の権力システムに対して、異議を唱え、改革を加えようとする者を阻止するような仕組みがある、ということだ。本書のテーマに当てはめて解説するならば、小沢氏のような野心的な政治家、あるいは彼のように改革を志す政治家が将来何人あらわれようと、現体制はあくまでそれを拒むというわけだ。
いま、小沢氏の政治生命を抹殺しようと盛んにキャンペーンが繰り広げられているのも、これによって説明がつく。
p65〜
99・9%という「無謬」
中立的な権威としての法律を日本の政治システムから遠ざけておくやり方はそのほかにもいくつかある。法律が非公式な政治システムに対して、なんら影響をおよぼすことが許されないとしたら、ではなにがシステムをつかさどっているのか?。それは暗黙の了解事項、つまり不文律であり、記憶のなかで受け継がれる古い習慣だ。裁判官もまた体制に大きく依存している。最高裁事務総局に気に入られるような判決を下さなければ、地方に左遷されかねないことを、彼らは考えないわけにはいかない。戦前、戦後を通じて日本の裁判官たちは、法務省のトップクラスの検察官を恐れてきた。これが99・9%という人間の検察の有罪判決率を可能にした理由の一つである。
つまり、みずから裁判にかけたケースで99・9%の勝利をおさめるに日本の検察は、事実上、裁判官の役割を果たしているということになる。つまり、日本ではわずか0・1%、あるいはそれ以下に相当するケースを除いては、法廷に裁判官がいようといまいと、その結果に大した違いはないということだ。
p68〜
しかし日本に関してもうひとつ気づいたことがある。それは社会秩序を傷つけかねないどんなものをも未然に防ぐという検察の任務が、政治システムにおいても重視されているという事実だ。当然、そのためにはシステムの現状を維持することが必要となる。問題は、現状をわずかでも変える可能性があると見れば、どんな人間であっても既存の体制に対する脅威と見なしてしまうことである。そのような姿勢は当然のことながら、小沢氏のみならず、日本という国家そのものにとっても望ましいものではない。なぜならば多くの日本人は長い間、権力システムの改革が必要だと考えてきたからだ。後述するが、自民党と日本の秩序をつかさどる人々との間には、一種、暗黙の了解のようなものがあり、それが50年にわたって保たれてきたのだろう。そして自民党が政権の座を追われたいま、単に自民党とは行動の仕方が違うという理由で、体制側は民主党を、小沢氏という個人とともに、脅威を与える存在と見ているのだ。
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◆『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と小沢一郎氏が対談〈全文書き起こし〉2011-07-30
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3党合意は“小沢切り”への号砲 「小沢&鳩山出ていけばスッキリ」
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