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「今なら党内も私の思うようになるが、時間が経てば経つほど私の指導力はなくなっていく」小沢一郎氏

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〈来栖の独白 2012/8/18 Sat.〉
 政府は尖閣諸島へ不法上陸した香港の団体を強制送還した。その前には、韓国大統領が島根県の竹島に上陸した。国際司法裁判所へ提訴するようである。強制送還については、私はそうせずに日本に長く留め、外部交通も遮断するのがよいと考えていた。強制送還なら、身の危険が実感として迫らないばかりか英雄としての凱旋であり、再度上陸してくるだろうから。韓国大統領の行為については、司法裁判所への提訴など、何ら実効性のない方策である。
 このように、民主党政権になっての歳月、外交・防衛のみならず、万事に納得のいく働きがみられない。長く続いた自民党政治に絶望した国民が「一度やらせてみては」と、民主党に政権を持たせたのだったが、ものの見事に期待に背いてくれた。造反してくれた。
 ところで消費税増税法案との関連で「3党合意」とのワードが流れるたびに、私には2007年の「大連立」のことがよみがえり、複雑な思いに閉ざされた。
 たまたま読んだ渡邉恒雄氏の本に小沢さんの言葉が載っており、胸がいっぱいになった。
 「今は参院選で勝った直後だ。だから今なら党内も私の思うようになるが、時間が経てば経つほど私の指導力はなくなっていく」は、政治家としての長い時間に裏打ちされた深い洞察を私に感じさせた。これだけ的確に事態を洞察している人なら、今回の離党・新党「国民の生活が第一」結成についても必ずただならぬ深謀遠慮の上に為されたものに違いない。ご自身の年齢は無論のこと、病気のこと、日本を取り巻く国際社会・・・、深く遠くにまで及ぶ洞察の上に決断されたものだ。
 「民主党はいまださまざまな力量が不足しており、国民からも『自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか』という疑問を提起され続け、次期衆院選勝利は厳しい情勢にある。国民の疑念を払拭するためにも、あえて政権運営の一翼を担い、政策を実行し、政権運営の実績を示すことが、民主党政権を実現する近道だと判断した」も、ここ数年の民主党の現実を見れば、小沢氏の言葉の正しさが如実に立証されている。鳥越俊太郎氏との対談でも、同様のことを言っている。
. . . . . . .  
鳥越:民主党内で、小沢さんが後を託すような政治家は出てきていますか。
小沢:基礎的な勉強をさせなければダメですね。トップリーダーも、若ければ良いというものでもない。実務的な実践を段階的に積んでいかないと、イザという時の判断ができない。30代、40代で良い人たちはいると思いますよ。ただ、基礎的勉強をしなきゃね。すぐに偉くなることばかり考えていてはダメです。 

渡邉恒雄著『反ポピュリズム論』新潮新書2010年7月20日発行
p79〜
 野中さんと小沢さんによる自自連立は成功したが、その9年後の2007年、私が再び橋渡し役を務めた大連立工作が失敗に終わったのは何故か。
 結論からいえば、福田康夫首相の「慎重さ」と、小沢民主党代表の「過信」が、悪い形で重なり合ってしまったのだと思う。
 福田さんの前任の安倍晋三首相で臨んだ2007年7月29日の参院選は、旧社会保険庁の年金記録漏れや相次ぐ閣僚不祥事による辞任などから急速に国民の支持を失い、獲得議席が37という惨敗を喫した。それに対して小沢さん率いる民主党は60議席と大躍進。非改選議席を合わせた両党の議席は民主109、自民83となり、自民党は1955年の結党以来はじめて参院第1党の座から滑り落ちた。
p81〜
 X氏の電話は「小沢さんが大連立をやるべきだといっている」というものだった。(略)
 X氏との大連立の準備は、安倍内閣がすでに死に体だったので、福田さんを「ポスト安倍」の最右翼とにらんで、8月下旬から具体的に動いた。(略)
p82〜
 福田さんが自民党総裁選で麻生さんを破り、後継首相の座を手にしたのは9月23日である。しかし実際は、これよりかなり以前の段階に小沢さんと福田さんは大連立で基本合意に達していた。むしろこの時点では、小沢さんの方がずっと前のめりだった。(略)
p83〜
 小沢さんは、福田さんの返事を不承不承受け入れて、当面の組閣はできるだけ小幅にとどめ、実質的に安倍「継承内閣」とするよう求めた。そのうえで、こう伝えてきた。
「今は参院選で勝った直後だ。だから今なら党内も私の思うようになるが、時間が経てば経つほど私の指導力はなくなっていく」
 この伝言を聞いたとき、小沢という人はさすが政治達者な人だと思ったものだ。残念ながら、小沢さんが危惧したとおりになってしまった。このとき福田さんが決断していれば、大連立は実現していたに違いない。
 この後も福田さんの慎重主義は続いた。(略)
p84〜
 ともかく小沢さんの矢のような催促と、福田さんの相次ぐ引き延ばしとで、私は「もうここで一切手を引こう」と何度思ったことか。(略)
 しかし、このときのやりとりでも、小沢さんは「万事急がねば与野党対決ムードが高まり、党内の主戦論を抑えられなくなる」と気にしていた。事実、直近の世論調査で自民党と民主党の支持率が27%で並び、民主党内では「総選挙でも勝てる」というムードが蔓延していた。(略)
p86〜
 会談を終えた小沢さんは民主党本部に意気揚々と戻り、そこではじめて居並ぶ民主党幹部を前に代表選連立構想を披歴した。
 一方、首相官邸に戻った福田さんは、「政策を実現するするための体制を作る必要があるということで、新体制を作るのでもいいのではないかと話をした」と記者団に語り、会談が大連立目的であることを公式に認めた。
 しかし内心は不安だったのだろう。この直後、私は福田さんから電話を受けている。
「話は全部うまく行ったんですが、本当に民主党はこれでまとまるんですか」
 私が「小沢さんが大丈夫と言っているんだから、大丈夫でしょう」と言っても、福田さんは「本当に大丈夫かどうか、もう一度念押ししてください」と頼むので、X氏に電話をして小沢さんに確かめてもらったら、X氏の返事も「絶対大丈夫」だった。それから1時間も経たないうちに、大連立構想は民主党の役員会で否決され、すべてパーになった。
 後で聞いたところでは、民主党役員会では、「衆院選で勝って政権をとらないとだめだ」の大合唱だったという。それで小沢さんもプツンと切れてしまい、ご破算にしてしてしまった。(略)
p88〜
 税と社会保障の一体改革のこと以上に残念でならないのは、民主党が政権に就く前に行政経験を積んで統治能力を磨く機会が、永遠に失われてしまったことだった。
 小沢さんは構想挫折後の記者会見(2007年11月4日)で、大連立をめざした理由についてこう語った。
「民主党はいまださまざまな力量が不足しており、国民からも『自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか』という疑問を提起され続け、次期衆院選勝利は厳しい情勢にある。国民の疑念を払拭するためにも、あえて政権運営の一翼を担い、政策を実行し、政権運営の実績を示すことが、民主党政権を実現する近道だと判断した」
 この小沢さんの率直な発言に対し当時、民主党の多くの議員が「侮辱だ」と激しく反対した。しかし、鳩山・菅ニ代の民主党政権の混乱ぶりを経験した今日、小沢さんがどれほど正しいことを言っていたかがわかる。

          
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『小沢一郎 語り尽くす』TPP/消費税/裁判/マスコミ/原発/普天間/尖閣/官僚/後を託すような政治家は  2011-11-20 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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