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渡邉恒雄著『反ポピュリズム論』新潮新書2012年7月20日発行

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渡邉恒雄著『反ポピュリズム論』新潮新書2012年7月20日発行
p39〜
 つまり、橋下氏が彗星のごとく現れたのは、民主党と自民党が不毛な対立を繰り返し、さらに、衆院は与党、参院は野党が多数を占める衆参ねじれ現象も加わって「何事も決められない政治」を続けているせいだと言っても過言ではあるまい。
 しかし、そのような既成政党の政治に対する不満のはけ口が特定の政治家に求心力を持たせる現象は、ヒトラーの例をみてもわかるとおり、政治的にはきわめて不健全な結果をもたらすことは歴史が証明している。
 特に私が危うさをおぼえたのが、橋下氏が「朝日新聞」紙上で次のような発言をしていたからだ。
p40〜
 「選挙では国民に大きな方法性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」(「朝日新聞」2012年2月12日付朝刊)
 私はこの発言をとらえて、先に触れた「文藝春秋」の論文「日本を蝕む大衆迎合政治」でこう記した。
 この発言から、私が想起するのは、アドルフ・ヒトラーである。第1次世界大戦の敗戦により、莫大な賠償金を課せられ、国民の間に既成政党への不満と閉塞感が渦巻いていたドイツに、忽然と登場したヒトラーは、首相になった途端「全権委任法」を成立させ、これがファシズムの元凶となった。橋下氏の「白紙委任」という言葉が失言ではないのだとすれば、これは非常に危険な兆候だと思う。この点は、はっきりと彼に説明を請うべきだろう。(「文藝春秋」2012年4月号、101ページ)
 この論文を公表して(略)発売から8日経った3月18日になって、橋下氏はツイッターを使って激しく反論してきた。(略)
p43〜
 まず、本当に橋下氏の言うように「選挙が公正に行われる限り、権力の独裁はあり得ない」のだろうか。
 簡単に肯定はできない。ヒトラー率いるナチスは1932年7月の選挙で議会第1党になり、1933年1月にヒトラー内閣が誕生した。立法府に諮ることなく法律を制定できる権限をヒトラー政権に与える全権委任法も同年3月、ナチ以外の政党も賛成して圧倒的な多数で成立した。もともと4年間の時限立法だったにもかかわらず、第2次世界大戦の敗戦でヒトラー政権が瓦解するまで更新を繰り返し、ヒトラーの独裁体制を支える制度的支柱となった。
 当時世界で最も民主主義的な憲法を持ち、言論の自由も保障されたワイマール体制下で、ヒトラーが合法的に独裁体制を築いたことを思い起こせば、橋下氏の挙げる「任期制」や「公正な選挙」「メディアの存在」だけで、“ヒトラー的なもの”を生む危険を完全に排除できるとは思えない。
 私は橋下氏がヒトラー的だと言いたいのではない。ポピュリズムの蔓延によって強いリーダーの登場を待望する風潮が高まる中、朝日新聞が橋下氏のインタビュー記事で横見出しを使って強調した「選んだ人間に決定権を与える。それが選挙。ある種の白紙委任」という発想は危険ですよ、と警鐘を鳴らしたのであり、橋下氏の反論は、メディアのチェック機能を過大視している。(略)
p44〜
 一度に140文字までしかつぶやけないツイッターが典型であるが、ネット上の情報が危ういと思うのは、どれも断片的かつ瞬間的であることだ。ワンフレーズ・ポリティクスにはうってつけの環境だが、同時に非常に危険な状態でもある。その瞬間、瞬間で大衆の心を捉えるワンフレーズを言えば、すべてのメディアがそれで塗り潰され、次の瞬間には忘れ去られて、個々の出来事の体系的な意味づけはなされない。橋下氏と私の“論争”も、ポピュリズムの弊害に関する部分はまったく話題にならず、「渡辺氏の方こそ独裁」の部分だけが繰り返しツイートされ、ネット上に拡散してしまっている。
. . . .
p79〜
 野中さんと小沢さんによる自自連立は成功したが、その9年後の2007年、私が再び橋渡し役を務めた大連立工作が失敗に終わったのは何故か。
 結論からいえば、福田康夫首相の「慎重さ」と、小沢民主党代表の「過信」が、悪い形で重なり合ってしまったのだと思う。
 福田さんの前任の安倍晋三首相で臨んだ2007年7月29日の参院選は、旧社会保険庁の年金記録漏れや相次ぐ閣僚不祥事による辞任などから急速に国民の支持を失い、獲得議席が37という惨敗を喫した。それに対して小沢さん率いる民主党は60議席と大躍進。非改選議席を合わせた両党の議席は民主109、自民83となり、自民党は1955年の結党以来はじめて参院第1党の座から滑り落ちた。
p81〜
 X氏の電話は「小沢さんが大連立をやるべきだといっている」というものだった。(略)
 X氏との大連立の準備は、安倍内閣がすでに死に体だったので、福田さんを「ポスト安倍」の最右翼とにらんで、8月下旬から具体的に動いた。(略)
p82〜
 福田さんが自民党総裁選で麻生さんを破り、後継首相の座を手にしたのは9月23日である。しかし実際は、これよりかなり以前の段階に小沢さんと福田さんは大連立で基本合意に達していた。むしろこの時点では、小沢さんの方がずっと前のめりだった。(略)
p83〜
 小沢さんは、福田さんの返事を不承不承受け入れて、当面の組閣はできるだけ小幅にとどめ、実質的に安倍「継承内閣」とするよう求めた。そのうえで、こう伝えてきた。
「今は参院選で勝った直後だ。だから今なら党内も私の思うようになるが、時間が経てば経つほど私の指導力はなくなっていく」
 この伝言を聞いたとき、小沢という人はさすが政治達者な人だと思ったものだ。残念ながら、小沢さんが危惧したとおりになってしまった。このとき福田さんが決断していれば、大連立は実現していたに違いない。
 この後も福田さんの慎重主義は続いた。(略)
p84〜
 ともかく小沢さんの矢のような催促と、福田さんの相次ぐ引き延ばしとで、私は「もうここで一切手を引こう」と何度思ったことか。(略)
 しかし、このときのやりとりでも、小沢さんは「万事急がねば与野党対決ムードが高まり、党内の主戦論を抑えられなくなる」と気にしていた。事実、直近の世論調査で自民党と民主党の支持率が27%で並び、民主党内では「総選挙でも勝てる」というムードが蔓延していた。(略)
p86〜
 会談を終えた小沢さんは民主党本部に意気揚々と戻り、そこではじめて居並ぶ民主党幹部を前に代表選連立構想を披歴した。
 一方、首相官邸に戻った福田さんは、「政策を実現するするための体制を作る必要があるということで、新体制を作るのでもいいのではないかと話をした」と記者団に語り、会談が大連立目的であることを公式に認めた。
 しかし内心は不安だったのだろう。この直後、私は福田さんから電話を受けている。
「話は全部うまく行ったんですが、本当に民主党はこれでまとまるんですか」
 私が「小沢さんが大丈夫と言っているんだから、大丈夫でしょう」と言っても、福田さんは「本当に大丈夫かどうか、もう一度念押ししてください」と頼むので、X氏に電話をして小沢さんに確かめてもらったら、X氏の返事も「絶対大丈夫」だった。それから1時間も経たないうちに、大連立構想は民主党の役員会で否決され、すべてパーになった。
 後で聞いたところでは、民主党役員会では、「衆院選で勝って政権をとらないとだめだ」の大合唱だったという。それで小沢さんもプツンと切れてしまい、ご破算にしてしまった。(略)
p88〜
 税と社会保障の一体改革のこと以上に残念でならないのは、民主党が政権に就く前に行政経験を積んで統治能力を磨く機会が、永遠に失われてしまったことだった。
 小沢さんは構想挫折後の記者会見(2007年11月4日)で、大連立をめざした理由についてこう語った。
「民主党はいまださまざまな力量が不足しており、国民からも『自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか』という疑問を提起され続け、次期衆院選勝利は厳しい情勢にある。国民の疑念を払拭するためにも、あえて政権運営の一翼を担い、政策を実行し、政権運営の実績を示すことが、民主党政権を実現する近道だと判断した」
 この小沢さんの率直な発言に対し当時、民主党の多くの議員が「侮辱だ」と激しく反対した。しかし、鳩山・菅ニ代の民主党政権の混乱ぶりを経験した今日、小沢さんがどれほど正しいことを言っていたかがわかる。
. . . . . .
p99〜
 さらに、ローマで活躍したギリシャ人の歴史家ポリュビオスは、政体というものは長期化すると必ず腐敗し、賢人独裁→専制→貴族制→寡頭制→民主制→衆愚制→賢人独裁・・・というように循環しながら形を変えていく、とする「政体循環論」を唱えた。
 日本の現状に照らせば、残念ながら「衆愚制」の段階にあるのでは、と疑わざるを得ない。少なくとも、民主政治が、油断すればいとも簡単に衆愚政治に堕してしまうことは、アリストテレスが指摘して以来、歴史上何度も繰り返されていることである。
 その最たる例が、国民が堕落しきった古代ローマ社会の世相を指す言葉として有名な「パンとサーカス」である。
 月刊『文芸春秋』2012年3月号で、37年前の1975年に発表された論文が再掲載されて大きな話題を呼んだ。
 「日本の自殺」と題する論文で、執筆者は「グループ1984年」。当時は誰なのか謎とされたが、再掲載によって、これが中曽根ブレーンの一人で政治学者の香山健一氏らによって書かれたものであることが明かされ、文春新書から刊行された。
 この文中に「パンとサーカス」のことが出てくる。

 ローマ市民の一部は1世紀以上にわたるポエニ戦争その他の理由で土地を失い経済的に没落し、事実上無産者と化して、市民権の名において救済と保障を、つまりは「シビル・ミニマム」を要求するようになった。
 よく知られている「パンとサーカス」の要求である。かれらは大土地所有者や政治家の門前に群がって「パン」を求め、大土地所有者や政治家もまたこれら市民大衆の支持と人気を得るためにひとりひとりに「パン」を与えたのである。このように働かずして無料の「パン」を保障されたかれら市民大衆は、時間を持て余さざるを得ない。どうしても退屈しのぎのためのマス・レジャー対策が必要となる。かくしてここに「サーカス」が登場することとなるのである。(略)
 だがこうして無償で「パンとサーカス」の供給を受け、権利を主張するが責任や義務を負うことを忘れて遊民化したローマの市民大衆は、その途端に、恐るべき精神的道徳的退廃と衰弱を開始したのである。(『日本の自殺』p20〜p23)

 香山氏執筆の「日本の自殺」が発表された1970年代半ばは、日本が奇蹟の経済復興を遂げ、米国に次ぐ世界第2の経済大国の地位に登りつめたころである。
 そのころすでに、内部の精神的衰弱から自壊した古代ローマのように、日本の経済社会のいたるところに「没落」の兆候が現れている---と、「日本の自殺」は警鐘を鳴らした。
 さらに40年近い歳月を重ね、ポピュリズムが蔓延するいま、没落のペースは加速度的に早まっていると言えるのかもしれない。

関連:政党政治が崩れる〜問責国会が生む失望感===透けるポピュリズム
論壇時評  金子勝(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)2011/02/23Wed.中日新聞
 歴史の知識を持つ人にとって、今日の日本政治には政党政治が崩壊する臭いが漂っている。約80年前の大恐慌と同じく、今も百年に一度の世界金融危機が襲っており、時代的背景もそっくりだ。
 保坂正康「問責国会に蘇る昭和軍閥政治の悪夢」(『文藝春秋』3月号)は、昭和10年代の政治状況との類似性を指摘する。
 保坂によれば、「検察によるまったくのでっち上げ」であった「昨年の村木事件」は、財界人、政治家、官僚ら「16人が逮捕、起訴された」ものの「全員無罪」に終る昭和9年の「帝人事件」とそっくりである。それは「検察の正義が政治を主導していく」という「幻想」にとらわれ、「いよいよ頼れるのは軍部しかいないという状況」を生み出してしまった。
 ところが、「民主党現執行部」は「小沢潰しに検察を入れてしまうことの危険性」を自覚しておらず、もし小沢氏が無罪になった時に「政治に混乱だけが残る」ことに、保坂は不安を抱く。さらに「問責決議問題」は「国家の大事を政争の具にした」だけで、「事務所費問題」も、国会を「政策上の評価ではなく、不祥事ばかりが議論される場所」にしてしまった。
 保坂によれば、「最近の政党が劣化した原因」は「小泉政権による郵政選挙」であり、その原形は「東条内閣は非推薦候補を落とすため、その候補の選挙区に学者、言論人、官僚、軍人OBなどの著名人を『刺客』としてぶつけた」翼賛選挙(昭和17年4月)に求めることができるという。そしてヒトラーを「ワイマール共和国という当時最先端の民主的国家から生まれたモンスター」であるとしたうえで、「大阪の橋下徹知事」が「その気ならモンスターになれる能力と環境があることは否定できない」という。
 保坂とは政治的立場が異なると思われる山口二郎も、「国政を担う2大政党があまりにも無力で、国民の期待を裏切っているために、地方政治では既成の政治の破壊だけを売り物にする怪しげなリーダーが出没している。パンとサーカスで大衆を煽動するポピュリズムに、政党政治が自ら道を開く瀬戸際まで来ている。通常国会では、予算や予算関連法案をめぐって与野党の対決が深刻化し、統治がマヒ状態に陥る可能性もある」(「民主党の“失敗” 政党政治の危機をどう乗り越えるか」=『世界』3月号)という。
 山口も同じく、「小沢に対する検察の捜査は、政党政治に対する官僚権力の介入という別の問題をはらんでいる。検察の暴走が明らかになった今、起訴されただけで離党や議員辞職を要求するというのは、政党政治の自立性を自ら放棄することにつながる」とする一方で、「小沢が国会で釈明することを拒み続けるのは、民主党ももう一つの自民党に過ぎないという広めるだけである」という。
 そのうえで山口は「民主党内で結束を取り戻すということは、政策面で政権交代の大義を思い出すことにつながっている。小沢支持グループはマニフェスト遵守を主張して、菅首相のマニフェスト見直しと対決している」と述べ、民主党議員全員が「『生活第一』の理念に照らして、マニフェストの中のどの政策から先に実現するかという優先順位をつけ、そのための財源をどのように確保するかを考えるという作業にまじめに取り組まなければならない」と主張する。そして「菅首相が、財務省や経済界に対して筋を通すことができるかどうか」が「最後の一線」だとする。
 しかし残念ながら、菅政権は「最後の一線」を越えてしまったようだ。菅政権の政策はますます自民党寄りになっている。社会保障と税の一体改革では与謝野馨氏を入閣させ、また米国の「年次改革要望書」を「グローバルスタンダード」として受け入れていくTPP(環太平洋連携協定)を積極的に推進しようとしている。小泉「構造改革」を批判して政権についたはずの民主党政権が、小泉「構造改革」路線に非常に近づいている。
 まるで戦前の二大政党制の行き詰まりを再現しているようだ。戦前は、政友会と民政党の間で政策的相違が不明確になって、検察を巻き込みつつ、ひたすらスキャンダル暴露合戦に明け暮れて国民の失望をかい、軍部の独裁を招いた。現在の状況で総選挙が行われて自民党が勝っても、政権の構成次第では様相を変えた衆参ねじれ状態になり、また野党が再び問責決議を繰り返す状況になりかねない。
 このまま政党政治が期待を裏切っていくと、人々は既存の政党政治を忌避し、わかりやすい言葉でバッシングするようなポピュリズムの政治が広がりかねない。何も問題を解決しないが、少なくとも自分で何かを決定していると実感できるからである。それは、ますます政治を破壊していくだろう。
 いま必要なのは歴史の過ちに学ぶことである。それは、たとえ財界や官僚の強い抵抗にあっても、民主党政権はマニフェストの政策理念に立ち返って国民との約束を守り、それを誠実に実行する姿勢を示すことにほかならない。


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