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服役19回の知的障害者/国の福祉政策、問題ないのか/『累犯障害者』

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<裁判>服役19回の知的障害者に懲役2年求刑/矯正の道 刑務所だけ?
毎日新聞 5月24日(火)8時36分配信
 福岡市内の民家で現金を盗んだとして窃盗罪などに問われた男(63)の初公判が23日、福岡地裁(高原正良裁判官)であった。これまで19回刑務所に入った男は耳が聞こえず話すこともできない。さらに知的障害もある被告が罪を重ねてしまうのは、わが国の矯正制度が障害を抱える被告に十分機能していないことをうかがわせる。弁護側は「被告の更生を考えるなら、必要なのは刑務所への収監ではない」と執行猶予付き判決を求めた。
 男は昨年9月、福岡市内のアパートの1室に侵入し現金約3万円を盗んだなどとして起訴された。
 検察、弁護双方の話を総合すると、男は窃盗などを繰り返したため72年以降、19回収監された。服役期間は22年以上に及び、成人になってからその半分以上を刑務所で過ごしたことになる。
 男は月数万円の年金を受給しているが、管理は障害をもつ家族がしている。意思疎通の問題などから受け渡しがうまくいかずに、手持ちの現金がなくなると、窃盗を繰り返していたとみられている。
 論告で、検察側は男が手袋をはめて室内を物色していたことを挙げ「慣れた犯行で、前科も極めて多い」などと指摘。懲役2年を求刑した。
 これに対し、弁護側は、被告の健康状態が芳しくなく、刑務所に収容しても矯正は期待できないことなどを指摘。男が何らかの職に就くことを望んでいることも踏まえ、授産施設への入所などを念頭に、執行猶予付きの判決を求めた。
 山西信裕弁護士は「被告はこのままでは刑務所と社会を往復し、人生を終えることになる。国の福祉政策に問題がないのか考える必要がある」と話しており、判決は6月13日に言い渡される。【岸達也、近松仁太郎】
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山本譲司著『累犯障害者』獄の中の不条理 新潮社刊
 (帯から)
「これまで生きてきたなかで、ここが一番暮らしやすかった・・・」
 逮捕された元国会議員は、刑務所でそうつぶやく障害者の姿に衝撃を受けた。獄中での経験を胸に、「障害者が起こした事件」の現場を訪ね歩く著者は、「ろうあ者だけの暴力団」「親子で売春婦の知的障害者」「障害者一家による障害者の監禁致死事件」など、驚くべき事実を次々とあぶり出す。現代日本の「究極の不条理」を描く問題作。
第五章 ろうあ者暴力団---「仲間」を狙いうちする障害者たち
p178〜
 ろうあ者だけの暴力団----。この事実を知った時、多くの人たちは、驚愕するのではないかと思う。私も、刑務所に入っていなければ、そうだったろう。だが、すでに私は、服役中、この話を耳にしていた。
---大阪にろうあ者だけの「組」がある。でもそれだけでない ろうあ者のヤクザ ほかにも結構いる。
 そう教えてくれたのは、ろうあ者である受刑者仲間。彼は、自分のことも「暴力団の準構成員」と名乗っていた。さらに彼の説明によると、「加害者と被害者 どちらもろうあ者になる事件 多い」という。
 確かに、彼の言う通りだった。ここ数年、ろうあ者がろうあ者に対して行った「恐喝事件」や「詐欺事件」が頻発している。
 手話で脅迫
 2002年の7月18日、二人のろうあ者の男が、熊本県警に逮捕された。一人は55歳、もう一人が31歳。いずれも住所不定・無職である。二人が逮捕されたのは、2件の「詐欺事件」によるものだった。
 まず1件目。それは、40歳代のろうあ者の女性に、「出資すれば、株で儲かる」などと架空の話を持ち掛け、女性から現金1700万円を受け取っていたという事件である。
 2件目の詐欺は、一人暮らしの老女を狙った犯行だった。「中国で治療を受ければ病気が治る」
 70歳代のろうあ者の女性に、そんな嘘をつき、約120万年を騙し取っていたのだ。
 この二人の犯罪者は、「ろうあ者の集い」などに積極的に参加し、そうしたなかで騙す相手を選んでいたという。
「ろうあ者同士は、信頼されやすいから」55歳の男は、逮捕後、こう供述している。
p184〜
 だが一方で、「デフ・コミュニティ」の中で完結する彼らの犯罪については、どうしても、その「特異性」を意識してしまう。さらには、事件を敷衍してみると、デフ・コミュニティそのものに対する「特殊性」を感じないわけにはいかない。
p185〜
 聾学校では、彼らろうあ者の言語である手話は、口話を妨げるものとして、「手まね」という蔑称がある。耳の不自由な児童・生徒に無理矢理声を出させ、徹底的に発音練習を強いるのだ。発音時の口や舌の形が間違っていれば、口内に指を突っ込まれたりもする。だが、声を発している本人たちには聞こえてはいない。これには、ナンセンスを通りすぎて、滑稽な感じすらしてしまう。
 また、口話による会話ができるよう、いくら読唇術を覚えたところで、それには限界がある。「煙草」と「卵」、「好き」と「愚痴」、「パパ」と「ママ」、「言いました」と「聞きました」などなど、口の形だけでは、区別できない言葉は何百、何千と存在するのだ。にも拘わらず、強制的に発声練習を続ける聾学校。算数を学ぶにしても、「1+1」という数式の答えは「2」というよりも、きちんと「いちたすいちは、に」と発音できるかどうかが問題となる。こうして、ほとんどの教科が、その分野の知識を高めるための授業ではなく、単なる発音練習の場と化してしまうのである。すべては、聴者の言葉に近づけるための訓練だ。
p186〜
「音声言語を持つ人」と「手話と言う言語を持つ人」、それは、「日本語を話す人」と「英語を話す人」以上に立場の違いがある。こうなると、常識の違いというよりも、文化の違いがあると見たほうがいいだろう。
 したがって多くの場合、ろうあ者が結婚する相手は、やはり、ろうあ者となる。実際に、ろうあ者同士が結婚する確率は、9割以上だといわれている。それが、デフ・ファミリーを形成し、デフ・コミュニティへとつながる。このコミュニティ内の結び付きは、非常に強固だ。それは、聴者社会にはない、独特の文化を共有しているからであろう。
p187〜
 しかし、ろうあ者人口は限られている。結局のところ、デフ・コミュニティは、非常に狭い社会なのだ。ろうあ者にとっては、「学校」「恋愛」「就職」「結婚」、それぞれにおける選択肢は極めて限定されており、聴者とは同日の談ではない。
 狭い社会のなかで、濃い人間関係をつくって生きているろうあ者たち。彼らには、「犯罪」の相手ですら、ろうあ者に限定されてしまうのだろうか。
終章 行き着く先はどこに---福祉・刑務所・裁判所の問題点 ホームレスかヤクザか閉鎖病棟か・・・
p219〜
 寮内工場に、5箇所の福祉施設と8箇所の更生保護施設に引き受けを拒否された、視覚障害者のある受刑者がいた。50歳代後半の彼は生まれながらの全盲者で、いまは世の中に一人の身内もいない。「窃盗罪」による服役だが、その内容は600円ほどの弁当を盗んだというものだった。
 彼が刑期満了になる直前、私は聞いてみた。
「出所したら、どうするつもりですか」
 彼は、迷わず答える。
「ここを出る時に貰える作業賞与金が1万5000円くらいあるんで、それで目いっぱい酒を飲むな。それがこの世での飲み納めだ。そのあとは、なるべく人に迷惑がかからない方法で死ぬだけさ。海にでも飛び込むか。はっはっは」
 乾いた笑い声を上げた後、すぐに溜め息を漏らした彼。真顔に戻ったその表情からして、彼が口にした言葉が、単なる冗談だとは思えなかった。そして、いまでも彼の安否については、大いに気になっている。
 実は私は、出所後2年が経過した頃から、獄中生活を共に送った障害者たちの消息を追いかけている。全盲の彼をはじめ、行方が分からない受刑者仲間も多いが、残念ながら、本当に自殺してしまった者がいた。その彼は肢体不自由者だったが、服役中から、「娑婆に戻るのが怖い」とたびたび訴えていたように記憶している。
 もう一人、変死している者もいた。そして案の定、刑務所に戻ってしまった者も何人かいる。ほかには、ヤクザ組織に身を置く者、路上生活者となっている者など、出所後の生き方はさまざまである。
「俺よー、いま、めっちゃ楽しいんだ。周りには俺と同じように、ムショ上がりがいっぱいいるし、組の兄貴たちにも可愛がってもらってるし」
 そう言う彼は、軽度の知的障害者だった。確かに、刑務所にいた時よりも生き生きとしているが、この調子だと、すぐに鉄砲玉にされかねない。ピストルを撃つ構えをして、「バキューン、バキューン」などと口にしながら、悦に入っている様子の彼。「あいつを撃ってこい」と命令されれば、即、飛んでいきそうだ。しかし、彼にとってそこは、生まれてはじめて見つかった、自分自身の居場所なのかもしれない。なんとも遣り切れない思いがするが、いまのところ彼を受け入れてくれる福祉施設はないし、彼自身もそれを望んではいなかった。
 一方、寮内工場には、重い知的障害を抱えている受刑者も多数いた。彼らは、ヤクザ組織からの勧誘を受けることもないだろうし、ホームレスとしての一人暮らしも不可能なはずだ。であるならば、福祉とつながっている者はいないか。そう思い、私なりのアンテナを張って調べてみた。
 心当たりがある場所に足を運んだり、行政機関に問い合わせたりするなかで、ようやく2人の知的障害者の所在が判明した。が、残念ながら2人とも、福祉の支援は受けていなかった。福祉施設ではなく、医療機関にいたのだ。精神科の病院である。医療的な治療など必要ないにも拘わらず、彼らはいま、精神科病院の閉鎖病棟に収容されている。
 このように、彼らの消息を訪ねるなか、触法障害者を取り巻く世の中の現実が、かなり見えてきた。かろうじて再犯者になることを免れている者も、「路上生活者」「ヤクザの三下」「閉鎖病棟への入院」、そして「自殺者」や「変死者」になっていたりと、それは、あまりにも切ない現実の数々だった。
 -----福祉は、一体何をやっているんだ。
 すべての福祉関係者に向かって、そう叫びたくなる。もちろんそれは、私自身に対してもだ。
p233〜
 だが、こうした私の思いとは逆に、世の中はいま、「知的障害者であろうと精神障害者であろうと、罪を犯した奴は厳罰に処せ」という声が大きくなっているのではないだろうか。私も、その考えに頷けなくもないが、それが、社会防衛的発想、あるいは優生主義的発想に根ざしているのであれば、かつての「魔女裁判」のような危険性を感じざるを得なくなる。知的障害者に対して、「得体の知れない人間は、得体の知れないことをやらかしてしまうのではないか」というような思いがあるとすれば、それは全くの見当違いである。私がいま関わっている知的障害者の多くは、被害者になりこそすれ、加害者になるような人たちでは絶対にない。いや、刑務所で出会った知的障害者も、そのほとんどが人生の9割以上は被害者として生きてきた人たちだった。そして刑務所に服役することになった罪も、本当に軽微な罪なのである。
 では、なぜ、そんな障害者が起こした犯罪を本にまでして書きたてるのか、と問われるかもしれない。
 しかしそうであっても、私は触法障害者の問題について訴え続ける。
 なぜなら、我が国の福祉の現状を知るには、被害者になった障害者を見るよりも、受刑者に成り果ててしまった彼らに視点をあてたほうが、よりその実態に近づくことができるからである。そしてそこには、日本社会の影の部分も見えてくるのだ。


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