相場英雄の時事日想:なぜ原発維持を求めたのか? あの報告書が示すもう1つの危機
「日本は原子力発電を放棄してはいけない」。米戦略国際問題研究所のアーミテージらが中心となってまとめた報告書には、こんな一文が盛り込まれた。反原発のムードが高まっている中、このリポートの背後には、どんな意図が潜んでいるのだろうか。
2012年10月11日 08時01分 UPDATE Business Media 誠
「日本は原子力発電を放棄してはいけない。原発の慎重な再稼動こそが、日本にとって責任ある正しい選択である」――。
今年8月、米戦略国際問題研究所のアーミテージ元国務副長官やナイ・ハーバード大教授らが中心となってまとめた『アーミテージ・ナイ報告書』がこんな一文を盛り込んだことをご記憶の向きも多いはず。反原発ムードが高まる日本で、同リポートが話題を集めたのは言うまでもない。今回は、同リポートの背後に潜むある意図について分析してみたい。
■アーミテージ・ナイ報告書
私が指摘するまでもなく、アーミテージ氏は米国政界での影響力が大きい知日派と知られる人物。同氏は過去も日米関係に関するリポートを記し、これが日本の政治に大きな影響力をもたらしてきた経緯がある。
先のリポートは、日米関係全般を俯瞰(ふかん)し、今後の両国関係のあるべき姿、という位置付けとして発表された。
原発に関する一文もこの中に含まれる。各種メディアのリポートから、この部分に触れてみる。
「日本は原子力発電を放棄してはいけない。原発の慎重な再稼働こそが、日本にとって責任ある正しい選択である。日本がロシア、韓国、フランス、そして中国に立ち遅れる事態はさけるべきであり、日米両国は連携を強化し、福島原発事故の教訓に基づき国内外における原子炉の安全設計および規制の実施面でリーダーシップを発揮すべき」
先に指摘した通り、アーミテージ氏は米国政界の歴然たる有力者であり、「知日派として日本政界への影響力も大」(永田町関係者)であることは間違いない。
それだけに、日本の原発政策に関して、これを強く維持するよう求めた同リポートが関心を集めたわけだ。折しも反原発のムードが高まり、首相官邸の周囲をデモ隊が取り囲んでいた時期にも当たるだけに「露骨な内政干渉」、「やはり日本は米国の属国だった」等々の批判が渦巻いたわけだ。
昨年来、私は東日本大震災や福島第一原発後の東北地方を取材し続けた。特に、福島県の浜通り地方、そしていまだに不自由な避難生活を強いられている15万人以上の住民の苦難の一端を知る者としては、同リポートに強烈な違和感を持つ。いや、むしろ嫌悪感に近い。
ただ、先に当欄で『それでもオスプレイは配備される――そう感じるワケ』という記事でも記した通り、日米の力関係は明確に米優位なのだ。
正式な米政府見解ではない『アーミテージ報告書』にしても、政府が「2030年代に原発稼動ゼロ」とするエネルギー・環境戦略について、9月の閣議で閣議決定を見送ったことに大きく関係するとみる。
■原発エンジニア流出への警告
ここからは裏の取りようのない話となる。予めご了承いただきたい。
過日、私は重電やプラントに詳しいベテランの証券アナリストを取材した。この際、件の『アーミテージ報告書』が話題に上った。このとき、アナリストがこんな話を始めた。「例のリポートの背後には、こんな事情が絡んでいるよ」――。
こんな事情とは、以下のような内容だ。
当初、政府が2030年代の原発ゼロ方針を示した直後から、原発関連のエンジニアが関連する企業から離職する動きが強まった、というのだ。
このアナリストがいくつかの国内有数の企業に取材したところ、「正確な数は得られなかったが、優秀なエンジニアが海外企業に移籍しているのは事実」との感触を得たという。私もいくつか当たってみたが、守秘義務や個人情報の壁があり、どの企業から何人、といった精緻(せいち)なデータを得ることはできなかった。ただ、アナリストと同様に感じたのは、流出は紛れもない事実、ということだった。
先の報告書の一文に注目していただきたい。
「日本がロシア、韓国、フランス、そして中国 に立ち遅れる事態はさけるべきであり」――。
ベテランのアナリストによれば、「米国は特に中国の動きを警戒している」という。
日本の家電や重電メーカー各社は、韓国や中国との国際競争に遅れを取り、人員削減を中心とした事業の再構築に迫られている。工場のラインに従事する作業員が削減されたほか、半導体や薄型テレビの優秀なエンジニアたちも韓国や中国企業にヘッドハンティングされるケースが相次いだ。
「民生用電機のエンジニアならば問題はないが、原発のエンジニアが軽々に移籍し、原発技術が中国にコピーされることを米国が強く憂慮している」というのが先のアナリストの見立てだ。
政府が原発ゼロ方針を閣議決定しなかったことの詳細は知り得ない。だが、こうした事情が絡んでいるとしたら、エンジニアの流出を食い止める方策を講じる必要がある。無策のままならば、アーミテージ報告書よりも強い調子で、米側がなんらかの意思表示をする機会があるだろう。
*相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール
1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『偽装通貨』(東京書籍)、『偽計 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)、『震える牛』(小学館)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo
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◆『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著《ハドソン研究所首席研究員》 2012年07月25日1刷発行 PHP研究所
(抜粋)
p1〜
まえがき
日本の人々が、半世紀以上にわたって広島と長崎で毎年、「二度と原爆の過ちは犯しません」と、祈りを捧げている間に世界では、核兵器を持つ国が増えつづけている。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に加えて、イスラエル、パキスタン、インドの3ヵ国がすでに核兵器を持ち、北朝鮮とイランが核兵器保有国家の仲間入りをしようとしている。
日本周辺の国々では核兵器だけでなく、原子力発電所も大幅に増設されようとしている。中国は原子力発電所を100近く建設する計画をすでに作り上げた。韓国、台湾、ベトナムも原子力発電所を増設しようとしているが、「核兵器をつくることも考えている」とアメリカの専門家は見ている。
このように核をめぐる世界情勢が大きく変わっているなかで日本だけは、平和憲法を維持し核兵器を持たないと決め、民主党政権は原子力発電もやめようとしている。
核兵器を含めて武力を持たず平和主義を標榜する日本の姿勢は、第2次大戦後、アメリカの強大な力のもとでアジアが安定していた時代には、世界の国々から認められてきた。だがアメリカがこれまでの絶対的な力を失い、中国をはじめ各国が核兵器を保有し、独自の軍事力をもちはじめるや、日本だけが大きな流れのなかに取り残された孤島になっている。
p245〜
日本の人々は、日本が世界唯一の核爆弾による被害者である事実に甘えている。そのことをはっきりさせたのが、4月初めの『ニューヨーク・タイムズ』の論説で、日本が原子力発電をやめると決めたことに対して「地球温暖化の問題を考えれば、賢明ではない」と日本の態度を批判するものだった。
全米商工会議所やエネルギー省の私の知り合いも、エネルギーの将来については可能性を大きく残すべきで、福島原発事故があったからといって、原発をすべてやめるのは行き過ぎであるという見方をしている。
日本にはもともと、原爆を投下されたことから核エネルギーに対する恐れが強い。原子力発電についても用心深いほうが正しいと信じて、福島原発を契機にやめてしまうことについて、世界で称賛されると思った人が多いようである。だが世界の専門家は、福島原発事故のあと日本が行うべきは「いかに原子力発電を、より安全にするか」という努力であると考えている。今度の失敗をもとに、さらに安全な仕組みを考えて世界に提示してほしいと思っている。
p246〜
世界の人々は広島と長崎に投下された原爆を原点として、核エネルギーの危険性を十分に理解している。だが原子力発電が世界の現実になっている現在、地下資源のない日本が、資源のある国々と同じように、簡単に核エネルギーを捨て去ることについて、世界の人々は決して日本を尊敬してはいない。
世界中の専門家が、福島原発の処理にあたって日本政府が秘密主義をとったことを厳しく批判したが、原発停止についても、日本が専制国家のように国民的な議論をすることもなく決めたことに驚いている。
東北地方太平洋沖地震と大津波によって事故が起きたとき、アメリカの友人たちは、日本に同情的だった。だが、現在は批判に変わり、日本の後ろ向きの姿勢に失望して世界の経済人が日本を見放そうとしているが、日本の人々は注意を払おうとしない。
原爆の被害者である日本人はもともと、核の問題については自分たちだけに通用する理屈と行動を押し通してきているが、本人はそのことに気がついていない。(略)
p247〜
こういった同情的な見方が静かにではあるが徐々に変わり、日本に対する不信の念がワシントンでは強まってきた。その最大の原因は、アメリカのマスコミだった。現地にいた新聞記者たちは、日本政府や東電が詳しい情報をまったく提供しないと伝え、「日本政府や関係者は大丈夫だ、大丈夫だと言うばかりだ」と厳しく非難した。
p249〜
アメリカでは、原発事故は戦争と同じ扱いである。したがって、中心になるのは軍隊である。警察や消防は補助的な存在で、軍隊が事故現場を取り仕切り、先頭に立って地域と住民の安全を確保する。ところが、我が国には軍隊がない。自衛隊は自衛隊に過ぎず、世界の常識で言う軍隊としての行動をとれなかった。もともと、そうした体制もできていなかった。(略)
福島原発の事故で最も致命的だったのは、「原発は安全である」という宣伝のもとで、政府も地域の人々も事故が起きた場合の訓練を行っていなかったことである。つまり、備えがまったくなかった。
p250〜
私はアメリカの原子力発電所をいくつか取材したが、「原発は安全である」と宣伝する一方で、定期的に事故に備える訓練を行っている。すでに触れたが、使用済みの核燃料が大量に保管されているワシントン州のハンフォードでは、毎週金曜日の午後に、地域の人々を含めて訓練が実施される。(略)
このことを東京電力の関係者に言ったところ、次のように反論された。
「訓練をしなければならないというと、ただちに原発反対の声につながってしまうのです」
スウェーデンの海岸近くにあるフォルクマルク原子力発電所を訪問したとき、海岸に背を向けて厚さ数メートルの堅牢な壁を持つ新しい発電所があった。発電所の壁はいくつかに区切られ、地震があった場合には、揺れを吸収する材料が使われていた。地震がほとんどないスウェーデンでも、こうした対応策がとられている。地震と津波の国の原子力発電所は、「想定」のレベルを極端なほど高くして備えておくべきだった。
広島と長崎に原爆を落とされた日本では、核兵器に対する反対が、そのまま原子力発電に対する反対になっている。原子力発電所では放射性物質を使うが、原子力エネルギーと原子爆弾はまったく違う。原爆を初めて製造したアメリカが最も苦労したのは、兵器として核爆発を起こさせるための引き金だった。この引き金がないかぎり、原子爆弾はできない。ところが日本では、原爆も原子力発電も同じように捉えられている。
原子力発電は、人類が手にした核エネルギーを平和的に利用する目的で始まった。原爆は兵器だが、原子力発電は大切なエネルギー獲得の手段である。だが日本では、原爆と原発をひっくるめて反対している人がほとんどである。
p253〜
そこで私は東京電力に依頼して柏崎刈羽原子力発電所を見に行ったが、案内してくれた人はお題目のように「安全です」と繰り返していた。緊急事態に備え、地域ぐるみの訓練を実施することなどは思いもよらないという雰囲気だった。
冒頭に述べたように、原子力発電について日本の人々がやるべきは、短絡的にやめることではない。すでに世界が最新鋭と認めている技術を、さらに高めていくことである。
日本にはエネルギー資源がほとんどない。石炭はあるが炭鉱はなくなってしまった。石油はもともとない。その石油は中東情勢によって価格が高騰するだけでなく、手に入らなくなるおそれがある。モノを製造し輸出によって経済を発展させてきた日本が原子力発電をやめるのは、自殺行為に等しいと知るべきだ。
p260〜
中東の国々は、19世紀の初め、民族国家への歩みを始めるとともに、経済的な発展の道をたどろうとした。それを遮ったのが、ヨーロッパ諸国である。植民地主義によって中東の国々を収奪し、近代化を大きく阻害してしまった。
中東諸国は、ヨーロッパに対する報復としてエジプトのナセル中佐など若い軍人を中心にソビエトに頼ったが、結局はアメリカの力に押しつぶされてしまった。
2011年から「アラブの春」と呼ばれる民主主義運動が中東や北アフリカ諸国に広がっているが、その根元にあるのは反米主義である。近代化を西欧諸国の植民地主義に妨害された国々が報復を始めたのである。そのために核兵器を持って、アメリカに対抗しようとしている。
アジア極東で、核兵器とミサイルを開発してアメリカを追い出そうとしている中国、北朝鮮と歩調を合わせ、中東やアフリカでも旧植民地勢力に対する反発としての新しい動きが始まっているのである。
中東やアジアに広がっている反米主義の動きについて、アメリカの指導者たちは楽観的な見方をしているが、アメリカの看板である核に対抗する力をアラブの人々が持ち始めれば、アメリカは軍事力とともに、国際的な政治力の基本になってきた、石油を支配する力も失うことになる。アメリカの核の抑止力がなくなることは、歴史的な大転換が始まることを意味する。新しい世界が始まろうとしているのである。
P261〜
私がこの本で提示しようとしたのは、核爆弾という兵器を日本に落としたアメリカの指導者が、日本を滅ぼし、日本に勝つという明確な意図を持って行動したことである。無慈悲で冷酷な行動であったが、日米の戦争がなければ起きないことであった。
原爆を投下された日本は、そうした現実をすべて置き去りにして、惨劇を忘れるために現実離れした「二度と原爆の過ちは犯しません」という祈りに集中するすることによって、生きつづけようとした。国民が一つになって祈ることによって、歴史に前例のない悲惨な状態から立ち上がったのは、日本民族の英知であった。
だがいまわれわれにとって必要なのは、原爆投下という行為を祈りによってやめさせることはできない、という国際社会の現実を見つめることである。すでに見てきたように、世界では同じことが繰り返されようとしている。
我々に必要なのは、祈りではない。知恵を出し合って、日本と日本民族を守るために何をしなければならないかを考えることである。それにはまず、現実と向かい合う必要がある。「原爆を日本に投下する」という過ちを、二度と繰り返させないために、日本の人々は知恵を出し合う時に来ている。
p263〜
あとがきに代えて--日本は何をすべきか
アメリカは核兵器で日本帝国を滅ぼし、そのあと日本を助けたが、いまやアメリカ帝国自身が衰退しつつある。歴史と世界は常に変わる。日本では、昨日の敵は今日の友と言うが、その逆もありうる。いま日本の人々が行うべきは、国を自分の力で守るという、当たり前のことである。そのためには、まず日本周辺の中国や北朝鮮をはじめとする非人道的な国家や、日本に恨みを持つ韓国などを含めて、常に日本という国家が狙われていることを自覚し、日本を守る力を持たなければならない。(略)
p264〜
軍事同盟というのは、対等な力を持った国同士が協力して脅威に当たらねばならない。これまでの日米関係を見ると、アメリカは原爆で日本を破壊したあと、善意の協力者、悪く言えば善意の支配者として存在してきた。具体的に言えば、日本の円高や外交政策は紛れもなくアメリカの力によって動かされている。日本の政治力のなさが、円高という危機を日本にもたらしている。その背後にあるのは、同盟国とは言いながら、アメリカが軍事的に日本を支配しているという事実である。
いまこの本のまとめとして私が言いたいのは、日本は敵性国家だけでなく、同盟国に対しても同じような兵器体系を持たねばならないということである。アメリカの衛星システムやミサイル体制を攻撃できる能力を持って、初めてアメリカと対等な軍事同盟を結ぶことができる。もっとも、これには複雑な問題が絡み合ってくるが、くにをまもるということは、同盟国に保護されることではない。自らの力と努力で身を守ることなのである。そのために、日本が被った原爆という歴史上類のない惨事について、あらためて考えてみる必要がある。
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「日本は原子力発電を放棄してはいけない」〜アーミテージ・ナイ報告書が示す もう1つの危機
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