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石原慎太郎氏 <感動の名言集>/田中真紀子文科相の“無神経”発言/黒いシール事件と新井将敬

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石原慎太郎氏、<感動の名言集>
調査研究本部主任研究員 渡辺 覚
 東京都知事の辞職と新党結成を去る25日に表明した石原慎太郎氏は、歯に衣着せぬ物言いで、世間の耳目を集め続けてきた。
 氏のストレートな発言は、広い共感や支持を得る一方、強い反発を呼ぶ事態を招いた例も枚挙にいとまがない。2000年4月には「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」との発言で批判の矢面に立たされた。東日本大震災が発生した昨年3月には、「これはやっぱり天罰」とコメント。発言撤回と謝罪に追い込まれたのは記憶に新しい。
 数々の発言で物議を醸した石原氏だが、<名言>への思い入れも相当に強いのだろう。氏が監修した名言集が、過去に幾たびも刊行されているのである。筆者が調べた中で最も古いものは、1969年初版発行。「人を感動させる名文句」(ベストセラーズ)と題され、石原作品からの引用をはじめ古今東西の名言約400本を収録している。刊行から40年以上が経過した本だが、今になって読み返してみると、同書に収められた石原氏の言葉の奥に、氏自身の<今の行動>を読み解くカギが秘められているようにも思え、なかなかに興味深い。
 同書の第2章、「青春のことば」の一項には、石原氏の「青年の樹」からの引用がある。「率直に、思った通りのことを、大いにやって見るんだ。青年ということは、失敗し、やり直してもいいということだ」。――80歳を過ぎてからの新党結成、代表就任、次期衆院選への出馬というあくなき挑戦。この<名文句>には、同書の中で「やり直せ!」という小見出しがつけられている。
 続く第3章の「愛のことば」には、氏の「青春とはなんだ」に記された一節が掲載されている。「愛することで、どのように孤立し、どのように迫害され、死さえ考えられても、真実の、というより、勇気ある恋人というものはそれに耐え、それを乗り越えるものです」。――石原氏から「日本維新の会」の橋下徹代表へ向けたラブコール? 第三極の結集をめざすという二人の〈熱愛〉が、紙背から匂い立ってくるようだ。
 「監修者のことば」として、冒頭に掲げられた一文もおもしろい。「人生はその外相(がいそう)のいかんにかかわらず、一つ一つがかけがえのない劇に他ならない。そして、人はそのクライマックスに、最も適切な、最も感動的な台詞で自らの劇を飾る」とある。国政への再挑戦を「最後のご奉公」と表現する石原氏は、新党結成というクライマックスで、どのような訴えかけを行うのだろうか?
 さて同書の巻末は、石原氏の筆によらない<語り人知らず>の短いセリフ集で締めくくられている。最後の小見出しは、「去って行く人に」。「さようなら、でも私は、いつまでもここにいるから、気が向いたら帰ってきて」。――いやいやこればっかりは、そうは問屋が卸すまい。都政を半ばで放り出した石原氏に対し、セリフのような心境で、<いつまでも>待ち続ける東京都民は多くない。
(2012年10月31日  読売新聞)
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〈来栖の独白 2012/10/31 Tue. 〉
 都知事辞任、新党結成で、石原慎太郎氏が物議を醸している。騒がれている。様々な記事に接して私が痛感させられるのは、「醜悪な人間の姿」と言ってもいいものである。
 私は石原氏について多くを知らないし、真実を知っているとも言えないだろうが、例えば氏については「我欲」というワードがよく引き合いに出される。「天罰」という言葉も。東日本大震災の直後の氏の発言からだろうと推察するが、これについて石原氏は著書『新・堕落論』で真意を述べており、私には納得のいくものであった。とりわけ「我欲」については、およそメディアが引き合いに出すような意味ではない。
 この世は、絶えず誰かを悪人と決めバッシングすることを愉しむ。今日ポピュリズムの中心にいた人が、翌日になってみるとスキャンダラスな悪人と定められ大いに騒がれ、それが政治家なら政治生命を絶たれかねない。小沢一郎氏がそうであったし、40年前には田中角栄氏の例もあり、岸信介氏も然りである。橋下徹氏も、微妙なところにあるようだ。まことにこの世は恐ろしい。石原氏を指して「老害」などと揶揄するのは、胸に痛い。誰しも老人になる。
 と言いながら、私は新井将敬氏のことを忘れてはいない。
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中日春秋
2012年10月26日
 森喜朗元首相が産経新聞のインタビューに興味深い内情を暴露していた。昨年四月の都知事選に出馬する意思のなかった石原慎太郎知事を、前自民党幹事長で長男の伸晃氏と二人で説得したという▼「ここで降りたら党幹事長でもある伸晃君のためにならない。彼の首相の芽はなくなるよ」。森さんのこの言葉が効いたのだろうか。夜中まで説得して翻意させたという。石原さんは「必ず息子を頼むよ」と言ったそうだ▼総裁選で森さんが伸晃氏を支持したのには、そんな事情があったらしい。息子が総裁になれなかったことで事情は一変したということだろうか。親バカという「我欲」から四期目の知事選に出馬した石原さんがきのう、任期半ばでの辞職を表明した▼大津波を「天罰」と表現した(翌日に撤回、陳謝)暴言にもかかわらず、大震災後の強いリーダーを求める都民の強い支持を受け、「東京から国を変える」と胸を張った人は「東京のために国政でやらなければならない」と変心した▼八十歳という年齢や健康面、橋下徹大阪市長の率いる日本維新の会との連携も視野に入れて、新党結成の最後のチャンスと判断したのだろう▼突然、言い出した尖閣諸島の都有化によって、結果的に日本経済は巨額の損失をこうむった。憲法の廃棄を訴え、ナショナリズムをあおる石原新党に果たして支持は集まるだろうか。
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【甘口辛口】田中真紀子文科相の“無神経”発言
産経ニュース2012.10.29 06:44
 「かっこ悪い暴走老人」と田中真紀子文科相が、東京都知事を辞職して新党結成に動き出した石原慎太郎氏を評して言った。いかにも大衆受けしそうな表現をパッと口にする鋭い感覚は田中氏ならではだ。しかし、小泉元首相のことをかつて「煮干しの出がらしみたいな顔」と言ったのには、うまいと笑えても、今回は笑えない。(サンケイスポーツ)
 「任期途中の知事職を投げ出しての国政復帰はわがまま」「言うことは立派だが、具体的な政策がさっぱり見えない」などと石原氏の行動には批判も多い。しかし、日本人男性の平均寿命79・44歳を超えた80歳にして国を憂い、「最後のご奉公」と立ち上がった人に対し「暴走老人」は言い過ぎではないか。
 相手の心を踏みにじるような表現で、不快感を与えるだけだ。深刻化するいじめ問題では言葉によるいじめが、多くのいじめの元になっているともいわれる。そんなときに、こどもたちの教育を預かる文科省の最高責任者がこんな発言をすること自体、無神経と言われても仕方ないだろう。
 政界に目をやれば、時代を進める役目の首相は時計の針を自分で止めたままだ。27日には思い出したように岩手県を視察し、でたらめに使われた復興予算について「被災地の復興・復旧が最優先」と今頃言った。きょうやっと臨時国会が召集されるが、政治がこんなひどいことになるまで、田中氏は政権与党内で何をやってきたのか。
 夫の直紀氏は一時期防衛相になったはいいが、国会答弁ではしどろもどろ…。石原氏が「暴走老人」なら、あのころの夫は「迷走老人」と叩いてもらいたかった。批判もいいが、やむにやまれず決起した80歳の心境をかみしめてみる必要もあるのではないか。(今村忠)
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フザケるな!石原 都知事時代は勤務平均59分 時給13万円
日刊ゲンダイ2012年10月30日 掲載
  29日、石原慎太郎(80)の辞職に伴う都知事選の日程が決まった。告示は11月29日、投開票は12月16日。前回選挙から、たった1年8カ月で、老害知事の突然の「都政ブン投げ」のため、知事選に再び支出される税金は約50億円にも上る。全くフザケた話だが、石原の税金ムダ遣いはこれだけじゃない。そもそも、高額報酬に見合うほど働いていないのだ。
  石原の08年11月〜09年10月の「知事日程表」を見ると、驚きの勤務の実態が浮かび上がる。石原が都庁に姿を見せるのは1週間のうち、「2〜3日」だけ。1日の平均執務時間を計算したところ、たったの「59分」だった。これらは、都政問題に詳しいジャーナリストの田中稔、野田峯雄の両氏が2年前に分析した結果で、石原が登庁していたのは月に多くて15日程度。つまり、1カ月の平均執務時間は約15時間しかない。
 「知事報酬は、ボーナスも含めて年間約2400万円だから、月給約200万円にならすと、時給換算は13万円余りになります」(都政担当記者)
<国を憂う前に都民に税金返せ>
 「老害知事」の時給が13万円余りとは開いた口がふさがらない。辞職会見で、石原は「東京のために国政でいいことをやらなくちゃいけない」とエラソーに言っていたが、この男がブチ上げた政策が都民のためになったためしはない。1400億円を投じた新銀行東京や、4000億円をつぎ込んでも進展ゼロの築地市場移転、失敗した16年の五輪招致にも100億円を使ったりと、結局は巨額の都民のカネをドブに捨ててきたようなものだ。
 「貧困都政」の著者で、元毎日新聞記者の永尾俊彦氏はこう言う。
 「都知事という立場は、首相と違って番記者が付くわけではないため、国民の監視の目が届きにくい。そのため、都民、国民は石原氏の実態をなかなか知りません。石原氏は国政で思うようなことができなかったコンプレックスを都政で癒やしていただけです」
  石原が99年の知事就任来、13年半で手にした血税はざっと5億円。都政放り出しの4期目も「およそ約1700万円の退職金が支払われる」(都人事部)というから、都民も甘く見られたものだ。本気で「東京のため」と思うなら、自らの報酬を含めて、今まで使った税金を耳をそろえて返すべきだ。
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石原都知事(差別発言・黒いシール事件)と、命を絶った(殺された?)新井将敬 2010-04-24 | 社会 
 差別のつもりないと都知事 「帰化」発言で釈明
 石原慎太郎東京都知事が、17日の永住外国人への地方選挙権付与に反対する集会で「与党幹部には帰化した子孫が多い」などと発言した問題で、知事は23日の定例会見で「私はその人たちを差別するつもりはない」と釈明した。
 知事は、選挙権付与に前向きな民主党を批判して、自らは反対の立場であることを強調。しかし、発言の根拠について「情報を明かせと言われたら、多すぎていつ誰が言ったか、さっぱり分かりませんな」と語った。
 発言については、社民党の福島瑞穂党首が「人種差別ではないか」と批判している。2010/04/23 17:48【共同通信】
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特集 地軸2010年04月21日(水)付 愛媛新聞
先祖は同じ
 いつもの放言癖では済まされない。石原慎太郎東京都知事が、永住外国人への地方選挙権付与などに反対する集会で放った「与党の幹部に帰化した(人の)子孫が多い」という趣旨の発言だ▲石原知事といえば、かつて「三国人」発言で物議を醸した。ちょうど10年前だ。なぜ、いつも不用意に人を傷つけるのか。日本の首都を預かるトップとしては、人権感覚が欠如しているというしかない▲「帰化」は中華思想的発想の言葉、というのを何かで読んだ記憶がある。つまり帰化は支配下に入ることをも意味する。知事は差別的発言を繰り返してきた。思うに知事の中では、日本や日本人中心の独自の世界観が形成されているのだろう▲が、日本や日本人の成り立ちは単純ではない。古来から現在の中国や朝鮮半島から多くの影響を受けている。人の移動も含めてだ。集団での渡来もあった。政治や産業に深く関与した人も多い。東アジアは長らく一体だったのだ▲それが崩れる契機の一つは、明治維新だろう。日本は「脱亜入欧」をスローガンに文明化をめざした。が、一方で中国や朝鮮半島の人々を蔑視(べっし)し、虐げてきた。この意味でも、知事発言は許されない▲東アジア共同体といわれる。知事の言葉を逆手にとれば、域内の先祖は同じであろう。国や国籍を超えて、手を携える方策を考えることこそが政治家の務めだ。
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【コラム】 筆洗
東京新聞2010年4月20日
 若手の論客として知られた新井将敬という政治家がいた。東大卒、旧大蔵省のキャリア官僚出身のエリートだったが、株取引での利益供与を要求した証券取引法違反容疑が浮上し、衆院が逮捕許諾の議決をする直前に自らの命を絶った▼在日韓国人として生まれ、十六歳の時に日本国籍を取得した新井氏は一九八三年に旧衆院東京2区から初出馬、落選した際に悪質な選挙妨害を受けた。選挙ポスターに「元北朝鮮人」などと書いた黒いシールを大量に張られたのだ▼それを思い出したのは、永住外国人への地方参政権付与に反対する集会で、石原慎太郎東京都知事が「(帰化した人や子孫が)国会はずいぶん多い」などと発言したからだ▼選挙区内の新井氏のポスターにせっせとシールを張って歩いたのは、同じ選挙区の現職だった石原知事の公設第一秘書らだった。「それ(帰化)で決して差別はしませんよ」と集会で知事は語ったが、彼の取り巻きが過去にしでかしたことを思い起こせば、そんな発言を誰が信じよう▼与党幹部には帰化した子孫が多いという発言の根拠はインターネットだという。そりゃあ、石原さん、いくらなんでもちょっと無責任すぎるよと言いたくなる▼あからさまな差別的発言を大きく報道したメディアは本紙だけだった。「またいつもの放言だ」と取材側がまひしているならかなり深刻だ。

『差別と日本人』(野中広務・辛淑玉)角川oneテーマ21
p127〜
●新井将敬の死は何をいみするのか?
辛 1998(平成10)年2月に、新井将敬が亡くなりました。私は彼と仕事先で何回か顔を合わせています。あの時の、新井将敬を取り巻く自民党の中の状況はどうだったのかを教えてほしいんです。
野中 僕は新井将敬に関わったほうなんですが、いまだに彼は自殺じゃないと思ってるんだ。
辛 それは、彼は死ぬような人ではなかったと?
野中 うん、客観的な状況の中で。ただ、彼は間違っていた。また自分がやってきたことは間違ってないんだ、という思いが強すぎた。僕は彼に直接話したんだから。彼は「議会運営委員会に出て、自分がどんなに正しかったかということを発言します」と言うから、僕はいさめた。
 「やめとけ。おまえの周囲の壕は全部埋められているんだ。もう議会運営委員会で何を証言しようが、おまえが逮捕されることは目に見えてる。だから、いまさらこうだああだと言い訳するな。そんなことよりも、自分がこれからどうして生きるかということを考えろ。もうおまえの政治家としての生命は既に絶たれようとしている。おまえはお母さんとお父さんが苦労して大阪から出してくれて、能力があったから東大を出て大蔵省に入れた。このキャリアに恥ずかしくない生き方とはどういうものかを考えてみろ」
 それが亡くなる2日前かな。
辛 彼は何て言いましたか。
野中 「いや、私は正しいんだ。私は正しいことを正しく国会の議運で証言するんだ。そうしたら私の潔白はわかってもらえる」と。「そんな甘っちょろいところじゃないんだ。おまえは純粋過ぎる。いまさら、そんな恥ずかしいことするな」と僕は言ったんだけどね。
 で、その2日後かな、僕が本会議場で座っておったら、亀井静香が「おい、えらいこっちゃ」って言いに来た。「何だ?」と尋ねたら、「新井将敬が行方不明だ」と。亀井がホテルに飛んでいったら、部屋で新井が死んだ状態だった。しかしまだ高輪の警察も知らなかったと。昨夜から一緒にいたという第一発見者の奥さんがおらなかった。亀井が僕に言うには、「発見から警察がくるまでに2時間ぐらい間がある。その間に何があったのか、その謎が全然僕には掴めない。この事件はおかしい」と。
辛 殺されたと?
野中 うん。だから新井は口封じをされたんだと。
辛 新井さんが国会で、「自分は朝鮮人だから、在日だから差別されてる」ってことをおっしゃっていたので、私は祖の次の日、ちょうど彼がホテルに入っている時だと思いますが、ラジオでインタビューを受けたんですよ。「新井さんがそういうふうに言ってるけど、辛さん、どう思いますか」って。
 私、新井さんの発言に正直申しあげてむかついたんです。だから私、かなり激しい口調で、「洋服を着たサルだ」って言ったんですね。彼は、政治家になっても、在日の問題は何一つやってこなかった。朝鮮人BC級戦犯のことも、在日の今のことも、戦後補償問題のことも・・・。なのに、自分が叩かれた時になって初めて在日ってことを持ち出すのはとんでもないって言ったんです。彼が経済人だったら許すけれども、政治家っていうのは弱者救済の役目を担っているわけですからね。
 そのラジオをとても多くの在日の先輩たちが聴いていて、「新井将敬を殺したのはお前だ」っていう言い方をされたんです。だけど、私は新井将敬を精神的に殺したのは石原慎太郎だと思っているんですね。最初の選挙の時に・・・。
野中 ああ、ビラを貼ってということか?
辛 そうそう、新井将敬のポスター三千枚に、真っ黒いシールで「北朝鮮から帰化」と書かれたものを貼った。同じ選挙区だったので驚異に感じたのでしょう。すさまじいまでの差別事件でした。確か、彼の秘書が捕まったけど、その後も石原さんは、日本人の血ではないものが国政に関わっていいのか、と執拗に言い続けていた。そんなこともあって、おそらく、新井将敬は「日本人に愛される政治家」になりたかったんだと思うんですね。よく、右翼の友だちが言うんですよ。「自民党の政治家は俺たちを裏で使っても表には出さないけど、新井将敬はいつも俺たちを表に出す」「いつでも右翼の俺たちを後援会の最初に紹介する」って。だから彼は、日本人に愛される日本人になろうと頑張ったんだろうなと、私は思ったんです。でもその彼が最後に在日だからって言った時に、私はどうしても美化できなかった。弱いものを裏切った男を、許せなかったのですよね。
 それと、野中さんと新井さんが会った前後だと思いますが、新井さんが在日の先輩のところに会いに行った話を聞いたんですよ。私が、「その時新井将敬はどうだったんですか」って聞いたら、先輩は新井議員に、「あんたはここ(在日の社会)を捨てて出てった人だろ。だから、今ここを凌げばまた次があるから、その世界で頑張れ」って。その後彼が自殺したっていう話があって、私はそれはどういうふうに自分の中で整理しようかと思ったんです。私は、はっきり言えば特権的なマイノリティなんですよね。こうやって人としゃべることもできるし、字も学ぶことができたし、それから発言するチャンスもある。そうしたらどこかで踏ん張らなきゃいけないってことが自分の中にもあるわけですね。そういう姿勢は野中さんの中にも見るんですね。
野中 いやあ、そんなもんじゃないけど。
辛 だから私にとって新井将敬っていう存在は、在日として超えなきゃいけない壁だと思っているんですが、彼は自民党の中では仲間がいなかったんでしょうか。
野中 そんなこともないと思いますけどね。僕らとも気安く話したし、僕は飲まんほうですから飲み食いしたりなんかするのはなかったけども、亀井静香らとも仲良かったし、ただ、彼はやっぱり「俺は東大を出て花の大蔵省に入ったんだ」という、そういうプライドが強くありすぎたんじゃないのかなあと。それが彼の甘えになってしまったんじゃないかなあと、そんな気がします。
 彼には、仮に捕まったとしても、法廷闘争をやって堂々と出てくる---そういう勇気をもってほしかった。選挙の時自分の名前を書いてもらって、成長する機会を与えてくれた人々に対して責任を持つべきだったなあと思いますけどね。
辛 私は、彼が朝鮮人であるということを一貫して否定し続けてきたところに人間の弱さがあるような気がしてならないんですね。
野中 そうかなあ。否定したかどうかは、僕は知らんね。
辛 最初は自分の存在を国際化の象徴というようなかたちで、表現していたんですけども、叩かれてからは確かにかわりましたね。私は、バランスを取るために東大とか大蔵官僚っていうものが彼にとっては必要だったんじゃないかなっていう気がします。
野中 ああ、そりゃあそうかもしれません。ああいう道を進んだのは彼の間違いだったと思うんだ。理論派で、堂々として論陣を張っておった。論客でしたよ。彼の中にも、日本社会の中で俺は人を見返してやるんだというものがあったと思うんですよ。
辛 私はあの時のお父さんとお母さんの激しい憤りの表情とか、すごく覚えていて。
野中 ああ、なんかね、僕も見ておれなかったですよ。(〜p133)
p113〜
●オウム真理教事件と破防法
辛 両親が犯罪を犯したからと、子どもも犯罪者のように扱われ、小学校にも行けないというのは異常でした。住むことも、食べることも、働くことも、公衆浴場に行くことも、電気ガス水道の使用も拒否されるなんていうのは、すさまじい大衆の暴力です。
 朝鮮人が叩かれてる時もそうだけど、政治家は、それはいけないことだと言ってほしい。アメリカのあのブッシュでさえ、「9、11」の後、アメリカにいるイスラム教徒は別なんだっていう話をしたにもかかわらず、日本の場合は、たとえば北朝鮮関連で何らかの問題が起きたのをきっかけに在日がボコボコやられていても、決してそれに対してコメントを出さない。それと同じように、松本智津夫氏の子どもは犯罪者の子どもだということでボコボコにやられていても誰も助けない。つまり、叩いてもいい相手を決めて、集団でストレスの発散をする。
野中 困った民族だ。
p114〜
 オウム真理教関係者によるさまざまな犯罪が明るみに出ると同時に、インターネットでは、教祖である麻原彰晃は「部落民だ」「朝鮮人だ」という言説がまことしやかに流れた。これは、何もオウム関連の事件に限ったことではない。凶悪犯罪が起きる度に、都市伝説のように流される。これは、マスコミが「犯人は外国人風」と報道するのと同じである。外国人とは一体何をさすのか。国籍なのか、肌の色なのか、言語なのか。私は“外国人風”に見えるだろうか。つまり、「日本人」以外の者がやったと言いたいのだ。日本人はいつも善良で、被害者だと思いたいのだ。そして、彼らが言う「日本人」には、部落民も、日本国籍を取得した人も、アイヌも、ウチナンチュも、ハンディのある人も、セクシャル・マイノリティも入っていない。
 どこまでも徹底して自分たちと他者とを分け、そして、あらゆる問題について、自分たちの社会の問題だということから逃げようとする。そのいけにえとしての部落民であり、朝鮮人なのだ。

外国人への参政権付与. 日韓併合. 石原都知事の発言「人種差別」
『差別と日本人』善良で被害者の自分たちと他者とを峻別。その生贄としての部落民・朝鮮人
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石原慎太郎著『新・堕落論』 新潮選書2011/7/20発行

     

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