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大統領執務室で何が語られていたのか?「尖閣は日本領」と認めていたニクソン政権 古森 義久

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「国際激流と日本」大統領執務室で何が語られていたのか?「尖閣は日本領」と認めていたニクソン政権
JBpress 2012.10.31(水) 古森 義久
 尖閣諸島を巡る日本と中国の衝突では米国の態度が大きなカギとなることは、このコラムで何回も書いてきた。米国のいまの態度は「尖閣には日米安保条約は適用されるが、主権については中立」という趣旨である。
  ところが米国の歴代政権は実際には尖閣諸島の主権が日本側にあることを少なくとも非公式に認めてきた。その経緯もまた、このコラムで伝えてきた。アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンという3人の大統領いずれもが日本の尖閣への少なくとも「残存主権」を明確に認定してきたのだ。
  「残存」とは「潜在的」とか「当面は停止状態だが、やがては必ず発効する」という意味である。要するに尖閣諸島の主権、領有権は日本以外の国には帰属しないという認識だった。
■当初は「中立」ではなかったニクソン政権
  ところが、この認識は1969年1月に登場したニクソン政権の時代に変わっていった。1971年10月に米国議会上院が開いた沖縄返還協定の批准に関する公聴会では、ニクソン政権の代表たちが「尖閣の主権についてはどの国の主張にも与しない」と言明したのだった。つまりは「中立」である。
  しかしここで注目すべきなのは、そのニクソン政権でさえも、その上院公聴会の数カ月前までは実は尖閣の主権の日本帰属を認めていたという事実である。
  この事実は、日本ではこの10月初め、時事通信が報じたニクソン政権当時の記録によって明らかとなった。時事通信のこの報道は1971年6月、当時のニクソン大統領がホワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)で国家安全保障担当のヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官と交わした会話の内容を明らかにしていた。
  その会話は当時もちろん秘密とされていたが、長い年月を経て解禁された。カリフォルニアのニクソン大統領図書館にその記録が音声資料として保管されていたのだ。
  同資料の主要部分はすでに時事通信によって報道されたが、その全文を改めて入手して、内容を点検してみた。その中の尖閣関連部分を原文に忠実に翻訳紹介してみたい。そうすれば当時のニクソン政権の首脳が尖閣について本来はどう考えていたのかが、立体的に明確となるだろう。
台湾が唐突に尖閣の主権を主張してきた
  この会話は正確には1971年6月7日午後3時26分から同48分までの22分間、オーバルオフィスで交わされた。同席したのはニクソン、キッシンジャー両氏のほかに国際経済担当の大統領補佐官だったピーター・ピーターソン氏だった。
  以下が尖閣諸島に関わる会話の具体的な部分である。
 
キッシンジャー 「1951年に対日講和条約が調印されたとき、尖閣諸島は沖縄施政権の一部に組み込まれ、米国が施政権を得て、日本が(尖閣を含む沖縄の)主権を得ました。中国が当時、反対を唱えたということはない。その結果、われわれは尖閣諸島を沖縄諸島の一部として扱うことにしました。51年に米国はすでに日本に尖閣の残存主権を与え、その後、そのことはどの国からも異論を提起されなかったからです。であるのに、いまの段階で突然、尖閣の主権の問題を再提起することは沖縄返還交渉全体を壊しかねません」
ニクソン 「そうだ、われわれはそんなことはできない」
 
  さて、以上の会話の背景にはこの時点で米国と正規の国交があった中華民国(台湾)政府の代表が尖閣諸島の主権を主張してきたという新たな展開があった。
  台湾の動きは唐突なものだった。台湾はそれまで尖閣の主権について何も主張しなかったのに、沖縄の日本返還が近づいたときに、尖閣諸島も沖縄の一部として米国から日本に返されることが分かって、米国に抗議してきた、というのである。
■「尖閣の主権は戦争でも起きない限り、日本に戻る」
  その背景を踏まえ、さらに音声資料からの会話記録を紹介しよう。

キッシンジャー 「大統領、今回の展開も、官僚たちがきちんと報告をしないがために、支障が起きるというような実例の1つです。彼らはそんな問題があることなど、まったく告げていなかったのです。率直に言って、私は(台湾側が抗議してくるまで)そんな島の存在さえ知りませんでした」
ニクソン 「私も知らなかった」
キッシンジャー 「台湾代表が面会に来るまでは、ですね」
ニクソン 「そのとおり、彼がその島に触れたのだ」
キッシンジャー 「それで調べてみると、台湾がかつて日本に併合されたとき、尖閣諸島は沖縄県に編入されたことが分かりました。1945年に台湾が中国に返されても、尖閣諸島は沖縄側に残されました。1951年には尖閣は対日講和条約の一部に含まれ、日本の沖縄に対する日本の残存主権は米国によって認められました。(尖閣は沖縄に含まれて、その主権に関する)大きな決定がそこで下され、この(1971年)4月に中国(台湾)が突然、問題を提起するまでは、尖閣諸島に関しては一切、なんの特別な交渉もなかったのです。この時点では尖閣諸島はすでに日本に返還される沖縄に自動的に含まれ、米側の手をも離れてしまったのです。これが私が再現できる(尖閣についての)歴史です」
ピーターソン 「この(尖閣)問題は日本にとってどれほど重要でしょうか。あなたがいままで知らなかったのだから、(もし尖閣の主権について米側が態度を変えれば)何が起きるのか。この問題は本当に緊急の重要性があるのでしょうか」
キッシンジャー 「もし6カ月前に提起されていたら、いくらかは違うかもしれない。しかし、もしいま(尖閣主権を改めて)提起したら、沖縄返還協定を破壊する意図的な試みとして(日本側に)映るでしょう。米国がもしこの問題を提起するとすれば、もっとずっと早くに提起すべきだった。いまとなっては尖閣の主権は戦争でも起きない限り、日本に戻ることになるのです」
キッシンジャー 「さらに歴史をたどるならば、琉球列島米国民政府の唯一の当事者だった米国は1953年にその統治の具体的な境界線を改めて発表し、その中には尖閣諸島も含めていました。その線引きに対し中国側は抗議をしませんでした」
ニクソン 「だから現在の対応があるということなのだろう」
キッシンジャー 「問題は、もし米国がいま日本側に対して尖閣の主権の問題を提起した場合、日本側は米国が台湾との繊維問題の取り引きを成立させるために、日本領の島を中国側に与えてしまう、と思いかねません」
 
■明確に尖閣を日本領と認めていたニクソン政権
  以上の記録からニクソン政権も当時、尖閣諸島を日本領だと認めていたことが再三、明らかにされたと言える。
  だが1971年4月に台湾(中華民国)の代表が突然、尖閣の主権の主張をニクソン政権に伝えてきた。それまではニクソン政権の側にも、日本の残存主権への疑問はツユほどもなかった。
  台湾代表の通告の後も、この会話の時点ではなお、ニクソン政権は日本の尖閣主権について疑問などを提起する意図はなかった。その判断をキッシンジャー大統領補佐官がニクソン大統領に説明し、同大統領も同意しているのがこの会話の核心なのである。
  しかし前述のように、この会話から4カ月半ぐらい後の1971年10月下旬の上院公聴会の時点では、ニクソン政権は尖閣の主権については、「立場を取らない」というふうに変わっていった。この4カ月半の期間に、明らかに何かが起きたわけだ。
  だがそれでも日本にとってはニクソン政権をも含む米国の歴代政権が尖閣諸島への日本の主権を認めていたという歴史的な経緯は大きな重みを持つ。今回、詳しく紹介した記録は、その重みを立証する貴重な資料だと言えよう。
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