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政治はアート/世界で共通しているのは、政治家の言葉は一旦出したら引っ込めることはできないということ

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政治はアートである
田中良紹の「国会探検」2012年11月6日 00:15
 「政治はアートである。サイエンスにあらず」と書いたのは、明治期の外務大臣陸奥宗光である。幕末に坂本龍馬の腹心として「海援隊」を組織し、明治維新後は政府のやり方に不満を抱いて政府転覆を企て投獄されたが、伊藤博文の誘いにより一転して明治政府の外務大臣となった。
 徳川幕府がアメリカの圧力で結ばされた不平等条約の改正に辣腕を振るい「カミソリ大臣」と呼ばれたが、一方で官僚政治と闘う自由民権運動の星享と親交を結び、政党政治家原敬を育てた。その陸奥が伊藤博文に送った手紙の中に冒頭の言葉がある。
 意味するところは「政治は理屈や理論ではなく、職人芸の技(わざ)の世界」という事である。どんなに正しい理屈を言っても実現しなければ政治にならない。実現させる「技(わざ)」こそが政治なのである。
 私の経験で言えば、政治は「理屈」より「経験」、「知識」よりも「知恵」が大事で、「手触りの感触」や「感性の鋭さ」を磨き、「俯瞰で見る能力」と「歴史に学ぶ姿勢」が必要である。そして「目的に真っ直ぐ進む」より「紆余曲折をして見せる」方がゴールに先に到着できる。
 ところがそれを理解できない人種がいる。特に自分を「インテリ(知識人)」と思っている人種に多い。そういう人種は理屈に合わない事を拒絶する。しかし世の中はそもそも理屈に合わない事で成り立っている。その不都合な世界を調整するために政治がある。理屈通りに物事が進めば政治の役割は小さくなる。
 理屈に合わない世界を理屈に近づけるのに理屈を言うだけでは解決しない。理屈に合わない事情が存在する理由を一つずつ片づけていくしかない。そのためには紆余曲折が必要となり時間もかかる。しかしアートよりもサイエンスの目で政治を見ると、そうした動きはいちいち批判の対象になる。「政治は何をやってんだ!」となる。
 中には「政治こそ諸悪の根源」と言う人もいる。そういう人には「自分の顔を鏡でよく見てみろ」と言いたくなる。鏡に映った顔こそが諸悪の根源を生み出した顔なのだ。民主主義は国民の選択が政治を作る。政治が悪なら国民も悪という事になる。政治を「駄目だ」と言っても人は政治と無縁では生きられない。政治に唾を吐けば、唾は自分に返ってくる。政治を批判するだけでは何の解決にもならないのである。
 ところが困った事は日本のメディアがサイエンスの目でしか政治を見ない事である。世界にはクオリティ・ペーパーや政治専門のテレビなど「大衆」を相手にしないメディアがあり、アートの目で政治を見る人間を相手に政治報道しているが、この国には「大衆」をお客様にする新聞とテレビしかない。売り上げを伸ばすためには「大衆」に「うっぷん晴らし」をさせる必要があり、そこで権力を持つ政治家叩きが有力な売り物になる。
 こうして「知識人」を自認する新聞社の解説委員やテレビのコメンテイターは「これほどひどい政治はない」と悲憤慷慨して見せ、国民は「日本の政治は駄目なんだ」と暗澹たる思いに沈み込む。しかし私の見るところ日本の政治だけがおかしい訳ではない。世界中の政治がみな不安定で、それは冷戦後の世界構造がそうさせている。今は世界中の政治が手探りしているのである。
 冷戦時代の日本は自民、社会の二大政党が「万年与党」と「万年野党」という極めて「安定した時代」を作り出した。しかし冷戦が終わると政権交代なき政治構造は継続する事が出来なくなる。それまで与党自民党を支持してきたアメリカがその必要を認めなくなったからである。
 冷戦の終焉と共にイデオロギー対立も終わり、日本にもアメリカやイギリスのように政権交代可能な政治構造が求められるようになった。そこで自民、民主の二大政党制が作り出され、3年前に初めて政権交代が実現した。ところが1日も早く政権に復帰したい自民党は党派性を強め、それに「ねじれ」構造が絡まって、日本政治は「何も決められない」機能不全に陥った。
 今、我々の目の前で行われているのはその機能不全状態から抜け出すための再編劇である。自民対社会の安定構造から自民対民主の不安定構造を経て、次なる政治構造に脱皮する「産みの苦しみ」を味わっているのである。それが最終的に二大政党制になるか、あるいはヨーロッパ型の多党制になるかは分からないが、そのためのプレイヤーは出揃いつつある。
 今、メディアがやるべきは国民生活にマイナスを及ぼす政治家叩きではなく、野田佳彦、安倍晋三、小沢一郎、石原慎太郎、橋下徹ら各氏の中で、次の時代を作る「アーティスト(政治の職人)」になるのは誰かを国民に探させる材料を提供する事である。
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 『世界の変化を知らない日本人』日高義樹著 2011年5月31日第1刷 徳間書店

        

p150〜
 いずれにしても国民の命運を定める重大な仕事をする政権は、その責任の重さゆえに、簡単には手にすることができない。ところが日本の民主党政権は、ある意味では何の努力もしないまま政権を手にした。自民党政権が自壊してしまったからだ。
 自民党政権はあまりにも長い間権力の座にあったためにすっかり腐敗して、国民の信頼を失ってしまった。
p151〜
 自民党の崩壊は突然に起きた。まるでマスコミに煽られるように国民の大多数が自民党政権を見放し、民主党を選んだ。つまり、このどうしようもなく無責任な民主党政権を作ったのは、まぎれもなく日本国民なのである。
 これは日本の民主主義が他者から与えられたもので、自分たちの手で勝ち取ったものではないからである。日本の人々はいまだに民主主義に慣れていない。そのため政治に対する責任感がない。自分の持っている一票の重みが分かっていない。
 民主党政権が生まれたのは劇場型政治の結果であると言った人が大勢いた。国民が劇場の観客や芝居のファンのような気持ちで政府を選んだという意味だが、これは日本人の民主化が間違ったプロセスで行われたからである。
 日本の民主主義は、第2次大戦に日本が負けた後、占領軍であるマッカーサー司令部が日本国民を統治するために便宜的に与えたシステムである。政治家を選ぶ投票権を簡単に手にした日本の人々は本来、投票権というものが、骨身を削る苦労の末に手に入れるものだということをまったく知らない。
p152〜
 アメリカの政治を見ていると、民主主義による選挙とは、それぞれの人のモノの考え方と利益のせめぎあいである。つまり自らの利益を、政治的に確定するために投票を行う。
 アメリカという国は実にさまざまな人々で成り立っている。すでに地位を確立した途方もなく豊かな人々、自分の家を持つというアメリカン・ドリームを実現した人々、アメリカで生まれながら十分な教育も受けられず、その結果、何代にもわたって貧しいままの黒人、外国からやって来て、懸命に働いてようやく帰化が認められ選挙権を得た人々。
 こういった人々が自分の利益を守るために投票し、政府を作るのである。人々の投票によって政治は大きく変わり、オバマ大統領のようにアメリカ生まれかどうか分からないと疑われている政治家が大統領になることもある。
 アメリカ国民は、劇場の観客や俳優のファンではない。選挙というのは、人気投票では決してない。このため、選ばれる政治家は真剣に国のことを考える人々であり、国のために仕事を行う人でなければならない。
p153〜
 民主党の政治家が口にすることが無責任で、前に言ったことを平気で打ち消したり、嘘を言ったりするのは、投票した人々と同様、民主主義を理解していないからだろう。だから罪の意識がないのである。
 こういったやり方が現在の日本の政治で許されているのは、劇場型政治などという言葉を軽々と使う日本のマスコミの無責任さにも罪がある。日本のマスコミは、いまや芸能紙やスポーツ紙のようなつもりで政治を伝えている。
 外国の人々は簡単に前言を翻す民主党の政治家を軽蔑するだけでなく受け入れようとしていない。
 世界で共通しているのは、政治家の言葉はいったん出したら引っ込めることはできないということである。
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