安倍首相がFacebookで噛み付いた「ねつ造記事問題」!記者個人がリスクを背負わない段階で政治家に負けている現実をマスコミは直視せよ
現代ビジネス2013年02月06日(水)磯山友幸「経済ニュースの裏側」
「マスゴミ」「マスコミは最悪」「ひどいねつ造記事」---。
ネット上でマスコミ批判が沸騰している。きっかけは、週刊誌『女性自身』が2月12日号に掲載した「安倍昭恵さん、首相公邸台所改装費に税金一千万円」と題された記事に、安倍晋三首相が自身のフェイスブック(FB)で噛み付いたこと。
「女性自身2月12日号の記事を読んでびっくりいたしました」から始まる安倍FBの投稿ではまず記事の内容を簡単に説明。昭恵夫人が、今度は前回以上に食事の面から夫をサポートしていかなければとの思いから、首相公邸の台所を1000万円(税金)かけて改装するよう指示しているというのは「とんでもない捏造記事です」としている。
「私も昭恵も首相公邸のリフォームはおろか、ハウスクリーニングさえ依頼した事はありません」とし、「編集された方、どうかご訂正をお願いします」と書いている。
■「情報咀嚼力」が問われる時代
5日現在、この投稿に約3万3000人のFBユーザーが「いいね!」ボタンで反応し、4000件以上のコメントが付けられている。コメントの内容を見ると、ほとんどが週刊誌やマスコミを批判するもの。中には、「マスコミの報道を規制せよ」といった主張も踊っている。
官邸周辺に取材してみると、昭恵夫人が1000万円かけて改装を指示した事実はないようで、女性自身の「自民党関係者」というニュースソースもあやふやなようだ。どうやら安倍首相側に軍配が上がっている。
ところが、この騒ぎを、大新聞はほぼ無視している。「もともと女性誌なんて、ねつ造記事まがいが横行している」と、はなから相手にしていないのである。だが、FB上の反応をみると、当の女性週刊誌や原稿を書いた記者への批判というよりも、マスコミのあり方の方に批判の矛先が向いているのだ。
こうした問題が表面化するたびにマスコミ全体への批判が、間欠泉のように噴出するのは、マスコミがきちんと国民の期待に応えていないからだろう。国民にいとも簡単に「マスコミはダメだ」「週刊誌は平気でウソを書く」と言わせてしまうところに、今のマスコミが抱える問題の大きさが表れている。
政治家がFBやツイッター、ブログなど新しいメディアを活用するのは良いことだ。これまでになかった国民との直接対話の機会が大幅に増えた。マスコミという媒介(メディア)を通さずに、直接、情報や主張を伝達できるようになったのは画期的な事だ。
だが、同時に、受け手である国民の側に大きな課題が課せられることになっているのではないだろうか。これまで以上に情報の真偽や内容を吟味する目、いわば「情報咀嚼力」が問われるようになっているのだ。
安倍首相は自民党総裁になる前からメルマガなどを活用し、様々な情報発信をしてきた。FBで情報を受け取っているフォロワーは21万人に達する。安倍氏の情報発信はちょっとしたマスコミに劣らない影響力を持っている。
2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故の直後、官邸周辺からは「菅直人首相が、渋る東京電力を説き伏せて海水注入を指示した」というストーリーが流れ、マスコミもこぞって「首相の英断」と報じていた。
ところが、5月20日になって安倍氏が自身のメールマガジンで「海水注入の指示は全くのでっち上げ」と配信。「首相は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべき」とした。
この安倍氏の"スクープ"がその後の、菅首相と東電のやり取りを巡る大混乱のきっかけになった。実は菅氏は逆に、海水注入を止めるよう東電に指示していたのではないか、という疑義が生じたのだ。国会事故調などの報告書では、海水注入の中断は、首相が指示したわけではなく、官邸詰めの東電幹部が慮った結果だった、ということになった。
菅氏も首相時代に官邸での会議をネット中継し、ツイッターで質問を受ける試みまで実行した。もはやFBやツイッターを使った情報発信は政治家の必須アイテムになっている。
■安部FBは個人的な趣味などではない
ではマスコミの役割は終わったのか。
2011年3月11日の東日本大震災ではツイッターが大活躍した。従来、緊急時に情報を集めて発信できる機動力を持っていたのは新聞社やテレビ局などマスコミだった。私自身、既存メディアの凋落は防ぎようがないと思ってはいたが、あの大震災の時ばかりは、旧来型のマスメディアの取材力、機動力が再評価されるのではないか、と感じた。だが、その期待はあっという間に潰えた。
津波被害の実態を伝える映像もツイッターが早く、その後の原発事故の実態究明でもネットメディアが先を行った。一方で、新聞やテレビは政府や東京電力の公式情報に大きく依存し、国民の知りたい事になかなか応えることができなかった。東日本大震災と原発事故は、マスコミの信頼回復のチャンスだったのに、逆に不信感を増幅させる結果になったのだ。
では、ツイッターやFBがあれば、マスコミは本当にいらないのであろうか。
安倍首相は政治家としては誠実な人柄であるのは間違いない。FBで発信していることにも嘘はないだろう。閣議室を公開したり、閣議前の待合室で麻生太郎副総理とのツーショットを配信するなど、情報公開にも切り込んでいる。
だが一方で、首相が強い力を持つ権力者であることも事実だ。その権力者の発言を無条件に信じてしまいかねないムードになっているのはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の魔力だろう。
安倍FBは安倍氏が個人的な趣味で発信しているものではない。SNSでの発信に安倍氏自身がかなり関わっているという証言は多く、完全な秘書任せではないものの、その運用に首相の広報チームが深く関与しているのは明らかだ。
それはFBに投稿されている写真がいずれも本人以外の第三者によって撮影されていることを見ても分かるだろう。出発点は安倍氏の肉声を伝える個人の情報発信だったとしても、首相という権力者になった以上、公の広報ツールへと変質してきている。
まがりなりにも、新聞やテレビなどのマスコミを通じた報道は、事実かどうかが検証されたうえでなされてきた。それがプロたるジャーナリストに課された使命だった。情報ソースから面白い話を聞き込んでも、検証しないまま、すぐに記事にするのはご法度である。もちろん、記者が記事をねつ造することなど、言語道断である。
しかし今、そうしたマスコミの発信する情報の信頼性が落ち、権力者が直接発信する情報の信頼性の方が上回ってしまうことに、危険性を感じるのは私だけだろうか。
この事件をきっかけに、マスコミは自らの情報精度に磨きをかける努力をすべきだろう。仲間内だから批判をしないというのであれば、同じ穴の貉として国民に「マスゴミ」扱いされる。
■まともなジャーナリズムをどうやって育てるか
安倍FBが多くの国民の信頼を得ているのは、FBの特長とはいえ、発信が「個人名」だからだろう。かつて民主党議員による偽メール事件というのが起きたが、実名で嘘の情報を流せば政治家にとって致命傷となる。そのリスクを負って発言していることも大きい。
一方で多くのメディアはいまだに記事の大半を無署名としている。記者は個人としてリスクを負っていないのだ。その時点でマスコミはすでに政治家に負けている。
FBやツイッター上にも多くのマスコミ記者たちがアカウントを持っているが、それを活発に使っている人は少ない。新聞社やテレビ局が記者個人の発言を禁止したり、制限を加えているためだ。ジャーナリスト個人にリスクを負わせないのは、会社としてリスクを負いたくないからだろう。
マスコミを批判する多くの国民も、マスコミへの期待があるからこそ批判しているに違いない。真偽を見極めることができるプロのジャーナリストの選択眼や情報咀嚼力を、多くの人が求めているに違いない。
第四の権力と言われたマスコミの疲弊は予想以上だ。かつては多くの若きジャーナリストを育てる機能を一手に担ってきたが、今はもうそんな余力はない。どうやってまともなジャーナリズムを育てていくのか。そろそろ国民が考える時だろう。
マスコミの経営行き詰まりの先進国である米国では、メディアのNPO(非営利組織)化が進み、篤志家や多くの国民がメディアを支える取り組みが始まっている。こうした動きは「現代ビジネス」の牧野洋氏のコラムにも詳しい。
真実を究明し、多くの国民の知りたい事に応えていくジャーナリズムをそろそろ日本人も作り出す時ではないだろうか。
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安倍首相がFBで噛み付いた捏造記事問題 記者個人がリスクを背負わない段階で政治家に負けている
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