【新帝国時代】第2部 インテリジェンスなき国(5)「幻」の北スパイ事件、政治に翻弄された捜査
産経新聞2013.2.7 11:18
「20年以上前の零余子(むかご)事件のときと、状況は何も変わっていないんだ」
ある警視庁OBが口にした零余子事件とは、警視庁公安部が平成2年5月に着手しようとしたが、立件できなかった「幻」の北朝鮮スパイ事件だ。
公安部が零余子事件の摘発を通じてスパイ活動の全容を解明しようとしていた大物商工人は、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の商社を経営。公安部は昭和54年以降、北朝鮮工作員の国内支援網の中心人物としてマークしていた。
田口八重子さん=当時(22)=の拉致に関与した北朝鮮の李京雨(リギョンウ)工作員とも接点があるとされ、北に巨額の資金を送金した功績などから、平壌市内に名前を冠した道路もあるという。警視庁OBは「捜査が完遂されれば、田口さん拉致の証拠が見つかった可能性もあった」と述懐する。
だが、関係者によると、「政界のドン」こと自民党の金丸信氏が警察庁に圧力をかけ、事件の幕引きが図られたという。金丸氏はこの年の9月、旧社会党の田辺誠氏と訪朝し、「謝罪」と「戦後の償い」を表明した。警察上層部には、これがトラウマとなり、政権との軋轢(あつれき)を生みそうな事件を自主規制する風潮が定着したとの指摘がある。
■警察が自主規制
「警察はもともと政治権力に弱い傾向があるが、昭和29年の造船疑獄で犬養健法相が指揮権を発動して以降、検察首脳が指揮権発動による政権の捜査介入を二度とさせないように、特捜検察の独自捜査を自主規制させてきたことと、似た状況がある」
こう解説する司法関係者も少なくない。ある元警視庁幹部も「旧ソ連の諜報事件に捜査着手しようとしたら、『ソ連の政府高官の来日中に何を考えているんだ』と警察庁からストップをかけられたことがある」と振り返る。
■退去メッセージ
スパイ防止法がないばかりに、「別件」の外国人登録法違反をひねり出してきて刑事事件化するしかない状況が、延々と放置されているのが日本の現状。スパイの摘発など防諜(カウンターインテリジェンス)を担う外事警察は難しい捜査を強いられている。
「そもそも、在日中国大使館の李春光元1等書記官が行っていたような政界工作も、立派なスパイ活動。親中派の政治家を獲得し、中国を利する政策を誘導することが、中国の諜報機関の役割の一つなんだ」
警視庁で長年、中国の諜報活動と対峙した公安部OBはそう語る。
公安部が昭和63年に外国人登録法違反容疑で東京都渋谷区の在日朝鮮人の男を逮捕した通称「渋谷事件」も、男が自民党や旧社会党の国会議員に接近して幅広い情報収集活動を行っていたという北朝鮮のスパイ事件だった。
李春光元書記官について、公安部はスパイ疑惑が表面化する直前の平成24年5月中旬、出頭要請を行ったが、中国大使館側は同月23日、拒否すると回答。李は同日、帰国している。公安部OBは、こう続けた。
「逮捕できない外交官に、帰国してしまうことを承知の上で出頭要請するのは、形式的には捜査の一環だが、本音は『お前がスパイなのは分かっている。日本を出て行け』というメッセージ。日本で構築したスパイ活動網を二度と使わせないための手段だ」
情報網を葬る
「警視庁公安部です。事情聴取に応じてください」
平成12年9月7日夜、東京・浜松町のビル7階のレストランバーで客を装った男女14人の捜査員に囲まれ、こう告げられたロシア大使館の駐在武官、ビクトル・ボガチョンコフ海軍大佐は「外交官は保護されている」とだけ言い残し、その場を立ち去ったという。
一緒にいた海上自衛隊3等海佐が自衛隊法違反容疑で逮捕された軍事情報漏洩事件の一コマだ。3佐はボガチョンコフ大佐に海自の秘密文書の写しや内部資料を大量に売り渡していた。
警視庁は翌8日、ロシア大使館にボガチョンコフ大佐を出頭させるよう要請したが、大佐は9日に帰国。公安部OBは「これ以上の軍事情報漏洩は、国益を大いに損なわせると判断して強制捜査に着手した。ボガチョンコフが日本に二度と来ることができないように、追い出したということです」と振り返る。
これも在日中国大使館の李春光元1等書記官と同様、スパイの情報網を葬るための出頭要請だった。
■反日デモの陰で
「外交的配慮」を優先する政権側との軋(あつ)轢(れき)を避けて警察の捜査が矮(わい)小(しょう)化されたとされるスパイ事件は、李元書記官の事件だけではない。
16年6月、川口順子外相は中国の李肇星外相との会談で、東シナ海の排他的経済水域(EEZ)の「日中中間線」の日本側で、中国が天然ガス田開発を増強していることに懸念を表明。同年夏には、中国で開催されたサッカー・アジア杯で中国側観客の反日行動が問題となった。同年11月には中国の原子力潜水艦による日本の領海侵犯も発生。17年4月は中国で3週続けて週末に過激な大規模反日デモが発生した。
そんなさなかの同年3月12日、警視庁公安部は防衛庁(現防衛省)の元技官が在任中、潜水艦の船体に使用する鋼材に関する溶接や加工の技術論文を盗み出し、中国大使館の関係者に横流ししていた疑いがあるとして、窃盗容疑で家宅捜索に乗り出した。
同年10月17日、小泉純一郎首相が靖国神社へ参拝。小泉氏は靖国参拝で中国に対して一歩も引かない姿勢をみせ、公安部の捜査も元技官の逮捕に向けて粘り強く続けられた。警視庁幹部も当時、逮捕には自信をみせていた。
だが、安倍晋三氏が18年9月、首相に就任し、翌10月に最初の外国訪問先として中国を訪問すると、風向きが一変する。安倍氏が11年の小渕恵三氏以来となる首相の中国公式訪問を実行し、日中関係の改善に向けて舵を切ると、捜査は失速。公安部は4カ月後の19年2月、窃盗容疑で元技官を書類送検して捜査を終結させた。
これで、中国大使館側の関与は未解明のままとなった。捜査終結は、雪解けが進みつつあった日中関係改善をおもんぱかった警察庁幹部の「そんな事件はもうやめろ」の鶴の一言で決まったという。
■外交の「背骨」を
農林水産省が23年10月ごろに海外からサイバー攻撃を受け、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉過程に関する機密文書が外部に流出した疑いがあることが今年1月、発覚。日本のTPP参加の是非が、海外から注視されていることが改めて浮き彫りとなった。
日本のTPP参加問題に注目しているのは、中国も然りで、特に中国は日本のTPP参加を望んでいないとされている。警察が李元書記官を“国外追放”したのは民主党政権に対する政界工作でTPP不参加を誘導する可能性を封じるため、との見方もある。
警視庁OBは「外交交渉の決め手の一つがインテリジェンス(諜報)であることは世界の常識。だが、日本は海外での諜報を本格的にやっていない。スパイ摘発など国内の防諜(カウンターインテリジェンス)は外事警察が担っているが、日本政府の外交姿勢にはっきりとした『背骨』が通っていないために、さまざまな障壁がある。新政権にはせめて、スパイ防止法の議論だけは深めてほしい」と話している。
=第2部おわり
この企画は有元隆志、阿比留瑠比、高橋昌之、半沢尚久、坂井広志、桑原雄尚、峯匡孝、岡部伸、大島真生、徳永潔、田北真樹子、大内清、犬塚陽介、古森義久が担当しました。
◇
零余子(むかご)事件 警視庁公安部が平成2年5月初旬に着手した外国人登録法違反事件。公安部は居住地の変更申請をしていなかった在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の新宿支部長らを同法違反容疑で逮捕し、同支部を家宅捜索。その後、関係先として朝鮮総連中央本部を家宅捜索し、北朝鮮工作員の国内支援網の中心人物とみられていた大物商工人の活動を解明する方針だったが、政治的圧力により事件捜査は途中で頓挫。オニユリなどの葉の付け根にできる球状の芽「零余子」が事件のコードネームとして使われた。
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◆『最終目標は天皇の処刑』 中国「日本解放工作」の恐るべき全貌 ペマ・ギャルポ著 飛鳥新社 2012年1月27日 初版第1刷発行
p4〜
はじめに
「日本が危ない。既に中国の半植民地に成り下がっている」「中国が日本の財界とマスコミ界を牛耳っている。独立国家であるはずの日本で中国を批判する言論はマスコミによってふるいにかけられ、中国に対しての批判的な記事は掲載しないだけでなく批判的な出版物に対しては書評の対象にすらならない」「日中友好の名の下、当たり前のように日本の言論の自由、思想の自由を間接的にコントロールしている」
こう書くと、大半の日本人は「何を大袈裟な!」と一笑に付すでしょう。しかし、中国に侵略されたチベットに生まれた私にとっては、事態が、そのように進行しているとしか思えないのです。というのも、1972年に発掘された『中国共産党・日本解放第2期工作要綱』という文書に添う形で、日本社会が変容しているからです。この文書については後段で詳述しますが、チベットが中国に本格的に侵略される以前と同様の現象が、この日本でも起きているのです。
p5〜
また、中国が、日本国内の土地や資源を買い漁っていることは「資本主義社会における自然な商業行為」との意見もありますが、日本人が中国の土地を自由に購入できない以上(中国の土地はすべて国有で70年以下の賃借)、外交における相互主義からは疑問が残ります。しかも、それが自衛隊基地周辺の土地に集中しているのは決して穏やかな話ではありません。
更に、2011年3月の東日本大震災で政府が混迷し、政治が空白を生んでいる時期を狙って、中国は火事場泥棒のように日本固有の領土内に入り挑発的な行為を続けているだけでなく、今や南シナ海の諸島に対して領有権を主張し武力的な実力を発揮して、周辺諸国と摩擦を起こしています。(略)
最近南沙諸島の領有権問題で中国と対立を深めているフィリピンのアキノ大統領は、中国との領土問題を国連機構、即ちハーグの国際司法裁判所で決着することを希望しましたが、中国側は拒否。現実に目覚めたフィリピンはアメリカに再び助けを求め、2011年6月下旬から7月にかけ、米海軍と同国沿岸で11日間の合同軍事演習を敢行しました。
p6〜
また、米国議会では民主党のジム・ウェッブ上院議員ら与野党4名の議員の共同提案で中国の南シナ海における挑発的行為を批判する決議案が採択されました。(略)
現実問題としての中国の脅威に対処するため、大西洋から太平洋に米国の安全保障の重点が軌道修正されている事実を、日本人もきちんと認識すべきでしょう。
侵略は決して武力、暴力という目に見えるものばかりではありません。例えば中国の温家宝首相は財界や観光業界などを使って積極的に日本政府に圧力をかけ、中国の観光客が(p7〜)沖縄に出入りするための3年友好の数次ビザ(期間中何度でも出入国できるビザ)の特権を獲得、1回の滞在期間も15日から90日に延長することに成功しました。名目上の理由は“震災からの復興のための観光収入増収”ということらしいのですが、それならばなぜ、他の途上国の観光ビザを数次ビザ同様のものに変更しないのでしょう? なぜ中国だけなのか? また何故中国がこんなに熱心なのか?
政府は「沖縄の観光振興」と説明していますが、中国人が一旦沖縄に上陸して一泊すれば、他の日本各地に移動することは自由となっています。つまり、90日に1度出国すれば、3年間の長期滞在が可能になるということです。収入の要件も、年収25万元(日本円で300万円強)以上の富裕層となっていたものを、民主党政権は、2010年、10万元以上の中流階層にまで緩和しました。
これらの階層が、はたして日本の物価でどれだけの購買力、消費能力を持っているというのでしょうか?
しかも、これらの緩和が、決まって、中国共産党の創立記念日の7月1日に合わせて施行されたのは、何故なのでしょう? 私には、民主党政権が、自ら、日本国内に「トロイの木馬」を招じ入れようとしており、そのことは安全保障の観点から、きわめて危険であり、(p8〜)前述した中国政府の『日本解放第2期工作要綱』を更に深化させる愚行に思えてならないのです。これは、私自身の体験からそう言いきれるのです。中国の正体を一番知っているのは、中国と最も苦い体験を持つチベットのような国、既に植民地化され中国的植民地主義の餌食にされた周辺の国々でしょう。だから私は絶対日本にはチベットと同じ過ちを犯し、植民地化されて欲しくないのです。
p113〜
「日本解放第2期工作要綱」
「日本解放第2期工作要綱」は、冒頭に「日本が現在保有している国力のすべてを、我が党(=中国共産党)の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある」という基本戦略が掲げられています。中国は第2次世界大戦のどさくさに紛れて、火事場泥棒のごとくチベットを武力併合しましたが、さすがにこの時代になると国際社会の目もありますから、そう乱暴なこともできません。そのため「基本戦略」は、まずは中国の意のままに動く傀儡国家を作るということが目標になっているのでしょう。ただし、チベットの例を見てもわかるように、その過程で日本固有の文化や価値観は徹底的に破壊されます。武力侵攻のように目には見えませんが、気がついたら行動を支配されているという文化的、精神的な侵略のほうが恐ろしいのです。
工作員の具体的な任務は、第1期目標が日中の国交を正常化させること、第2期目標が日本に民主連合政府を成立させること、第3期目標が天皇制の廃止(天皇は戦犯として処刑)と日本人民民主共和国の樹立となっています。
こうした「任務達成の手段」として、工作員は直接手を下すのではなく、日本人が自発的に行動するように仕向けることを強調していますが、この手法はチベットにおいて、僧侶たちに「キリスト教国主導の国連に入るのは反対」と言わせたのとまったく同じです。
また、「統轄事項」として派遣する工作員を2000人とし、国交回復時にまず800人から1000人を送り込み、その後徐々に増やしていくとしています。
p114〜
そして工作員は「大使館員」「新華社社員」「各紙特派員」「各種国営企業代表又は派遣員」「教員」の公的身分で入国します。ただし、その身分はまったくの表向きだけのものです。どんな肩書で来ようと、工作組織責任者だけの命令に従って、工作に専従すると書かれています。また、工作員は全員「第48党校日本部」の出身者から選抜するとしています。“党校”とは、一般に中国共産党直属の党員養成機関ですが、なぜ第48党校なのかは、その後の組織改編等もあり、現在ではわかりません。
p115〜
第2期工作要綱が発掘された1972年は、日本にとって重要な意味をもつ年だったと思います。「日中国交回復」「沖縄返還」さらには「あさま山荘事件」と、数多くの歴史的な出来事が起きています。(略)
前年の1971年を振り返れば、中国が突然、尖閣諸島の領有を主張し始めています。それと合わせるかのように、朝日新聞の本田勝一(かついち)記者によって、“南京大虐殺”など旧日本軍の罪を捏造した『中国の旅』の連載が始まり、日本人に中国への“贖罪意識”を植え付ける工作が始まっています。不思議な話ですが、それ以前は中国国内で南京大虐殺に関する研究発表など、ほとんどありませんでした。ところがこれ以降、中国が南京大虐殺を喧伝するようになるのです。もちろん、本田勝一氏が中国の工作員であったと断定するつもりはありません。が、ここに書かれているように普通の日本人であっても正体を隠した工作員と接触する中で、本人が知らないうちに中国政府の走狗と化してしまう、という可能性も否定できないのです。
p124〜
日中記者交換協定
1972年時点において、工作要綱に第2期と名付けられていることからもわかるように、すでに日本国内に相当の工作機関員が潜伏していました。特にマスコミ工作に関しては、かなりの環境作りがなされていたようです。そうした環境作りの一環といえるのが1964年に結ばれた日中記者交換協定でしょう。この日中記者交換協定によって朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日本経済新聞、西日本新聞、共同通信、NHK、TBSの9社の報道機関が、国交がない段階で北京に常駐できることになります。ところが、68年の改定で中国側から「政治3原則」が押しつけられ、各社は否応もなくそれを飲まされることになりました。
1、中国を敵視してはならない。
2、「2つの中国」を作る陰謀に加担しない。
3、中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない。
p125〜
これ以降、中国はジワジワと日本のマスコミに圧力をかけていくのです。例えば当時、日本のマスコミでは台湾の国民党政府(中華民国)と区別するために、北京政府を中共と呼んでいました。(略)そのため国交が樹立して真っ先に要求してきたのが、“中共”という呼称を中国に変えさせることでした。本当の中国は自分たちであり、台湾ではないということを認めさせたのです。この協定が結ばれて以降、中国に不利益となる報道はできなくなります。
例えば、林彪がモンゴルで墜落死した事件が大手新聞社で報道されたのは、事件後半年も経ってからでした。おそらく、政権内部で権力闘争が続いていることが公になって、中国が推進する日中国交樹立に支障を来すことを危惧した新聞社が自主規制したのです。
その後も朝日新聞などを中心として、“中国ブーム”のようなものを起す動きが顕著になっていきます。国交回復を機に贈られたパンダブームもそうですが、中国は巨大市場であり、中国は膨大なエネルギー資源があり、日本は近しくならなければ損であるといった具合に、マスコミによって親中国の世論醸成がなされていったように私は感じます。当時、朝日新聞に中国には大油田があり、関係がよくなれば石油は心配いらなくなるという記事が書かれていたのをはっきり覚えています。
p126〜
そして1972年の日中国交回復から、1978年の福田赳夫内閣による日中平和友好条約締結を経て、翌年からは大平正芳内閣によって莫大なODA供与が開始されることになるのです。
この記者協定を楯にした、報道規制は現在でも明らかに残っています。2011年、北アフリカでわき起こった「ジャスミン革命」の余波が、中国にも波及しました。中国各地で民主化を求める集会が開かれましたが、その際、中国政府は集会をインターネットで呼びかける市民を逮捕するなどの弾圧を加えました。そして、こうした動きを取材しようとする日本や欧米のメディアに対しては、強制国外退去をちらつかせて圧力をかけるなど、いまだに自由がない国であるということを世界中に知らしめました。ところが、そのような事実があったことを、いつもなら「報道の自由」を口にする日本のメディアが積極的に報道したとは言えません。そうしたことも日本の大手マスコミが記者協定に縛られている結果だと思われます。また、先に述べたように、東日本大震災において台湾から過去最多の義援金が送られたにもかかわらず、中国ばかりが目立つような報道がなされたのも、記者協定という見えない圧力があったとみて間違いありません。
p127〜
日本で報道されていることが逐一、情報部員によって詳細に分析され本国に報告されているのはもちろんですが、一時期は中国大使館から各メディアに対して、今日の報道よかったとか悪かったとか、いちいち電話をしていたこともあるといいます。今はそこまで露骨ではありませんが、それでも厳然たる圧力が存在します。
p203〜
アメリカの軛
私は、日本の政治家が個々の政治信念や権力闘争の中にあっても、国益というものを最優先するようになれば、日本の政治は変わると思います。例えば、インドとアメリカの外交関係を見てください。クリントンがアメリカ大統領として初めてインドを訪問して、友好関係を築く声明を出しました。クリントンとブッシュ(ジュニア)は政策的にも思想的にもかみ合わない関係ですが、ブッシュ政権下でも、さらにそれは推し進められていきます。
p204〜
そして原子力に対して協力関係を結ぶというブッシュの政策を、野党の民主党が多数を占める議会も支持し、最終的には満場一致という形まで持っていきました。そして、再び民主党政権となった今日、オバマ大統領はインドとの関係強化に乗り出しています。そうしたことが見られるのも、やはりアメリカの政治家が国益を重視しているからです。
日本の政治家には、なかなかそれができません。
さらに日本の場合、政治家が的確な外交判断をするための情報が十分に取れていません。手を打つには、相手の事情を探る情報機関、諜報機関は必要不可欠です。日本にも内閣情報調査室、警視庁公安部、防衛相情報本部、法務省管轄の公安調査庁など数多くの情報機関があるにはあるのですが、収集した情報を有機的に生かすシステムがないのです。
また、日本の情報機関、諜報機関は一般の公務員と大差ありません。権限にしろ予算の使い方にしろ、制約が多すぎるのです。おそらくコーヒー一杯飲んでも領収書が必要になるでしょう。そうした制約の中では、貴重な情報は取れるはずがありません。諸外国の諜報機関の場合、たとえば独自の資金作りをするために何世代にもわたって相手国に人員を送り込んで、現地で経済活動をしていたりもします。戦前は日本にもそうした組織があったのですが、戦後はそうした態勢をとるに至っていないのは残念です。もちろん、中国なりアメリカなりが、強力な情報機関ができるこおを阻止していることは言うまでもありませんが、憲法改正をしなくても、情報・諜報機関の強化を図って、十分な予算を組み、大国並みの組織にすることは可能だと思いますし、そうした組織を国策に役立たせる必要があると思います。 *強調(太字・着色)、リンクは来栖
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◆ 【新帝国時代】第2部 インテリジェンス(諜報)なき国(5)「幻」の北スパイ事件、政治に翻弄された捜査 2013-02-07 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
「外交交渉の決め手の一つがインテリジェンス(諜報)であることは世界の常識。だが、日本は海外での諜報を本格的にやっていない。 . . . 本文を読む
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◆ 【新帝国時代】第2部 インテリジェンス(諜報)なき国(4)中国の最大の標的は米軍事機密 2013-02-06 | 国際/中国/アジア
「ハニートラップ」も… . . . 本文を読む
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◆ 【新帝国時代】第2部 インテリジェンス(諜報)なき国(3)人海戦術で諜報 危うい尖閣 2013-02-05 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
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◆ 【新帝国時代】第2部 インテリジェンス(諜報)なき国(2)李春光書記官 諜報疑惑「捜査は見送ったんだ」 2013-02-05 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
「1等書記官にしては威勢がよい」。佐藤氏は工作機関との関わりを疑った。 . . . 本文を読む
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◆ 【新帝国時代第2部 インテリジェンス(諜報)なき国】(1)検証アルジェリア人質事件 飛び交う数字「すべて推測」 2013-02-05 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
アルジェリア人質事件は日本の情報収集・分析に大きな課題を残した。日本が「対テロ戦」に立ち向かえるための態勢づくりは急務だ . . . 本文を読む
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◆ 世界は平和で優しいという幻想/どの国も民主主義になるわけではない/世界の変化を知らない日本人 2013-02-06 | 国際/中国/アジア
防衛大学校教授・村井友秀 世界は平和で優しいという幻想
産経新聞2013.2.6 03:17[正論]
日本の常識は世界の非常識といわれることがある。テロ事件でも日本人にとり想定外の事態がしばしば発生する。そもそもテロとは何か。日本ではゲリラとテロが混同されている。ゲリラはスペイン語で、「小さな戦争」という意味である。ゲリラは組織的、継続的な戦争を意味し、ゲリラ戦闘員は正規軍の兵士と同様、捕虜になった場合は国際法により人道的に扱われることが保障されている。
≪ゲリラとテロを混同するな≫
他方、テロリズムの語源はフランス革命の「恐怖政治」である。テロリズムの定義は、非合法な暴力を行使することによって一般大衆に恐怖を与え、政治的な目的を達成しようとする行為である。
政治的な目的を達成するためには、一般大衆に対する宣伝が重要なポイントになる。テロはマス・メディアに注目されるために象徴的、劇的な標的を攻撃し、過激化していく傾向がある。ペルーの反体制武装集団「輝く道」のモットーは「残酷な暗殺」であった。
テロの本質は、物理的被害よりも心理的効果(恐怖)である。従来、テロは戦争ではなく犯罪であり、テロリストは戦闘員ではなく犯罪者であると見なされてきた。故に、拘束されたテロリストは、捕虜資格を有せず、当事国の刑法によって裁かれることになる。
また、国際法により、文民は戦争中に敵から攻撃されないことになっており、同時に文民が敵を攻撃することも禁じられている。故に、敵対行動に参加する文民は国際法に違反する「不法戦闘員」として攻撃対象になり、捕虜資格もない。また、文民は戦闘から保護されているものの、文民と軍人が混在していて、軍人を攻撃した結果、文民に死傷者が出たとしてもやむを得ない「付随的損害」として違法とされない場合がある。
≪対テロ強硬作戦は世界の常識≫
テロは従来、その政治性が重視され、賛否両論に割れる行為であった。植民地独立運動の英雄の中には多くのテロリストがいた。しかし、1980年代になると、テロの標的になることが多かった先進国を中心に、テロに反対する国際世論の形成が進行していった。先進国首脳会議や国連総会・安全保障理事会では、テロに反対する決議や宣言が採択されている。
また、テロの過激化に伴い、国際社会の対応も変化していった。83年、ベイルートで米海兵隊司令部がテロリスト1人により爆破され、海兵隊員ら241人が死亡する事件が起きた。この事件以降、米国は「直接的・間接的に国家が関与するテロは戦争と見なし、テロに関与する国には軍事力を含めた対応をする」(国家安全保障決定令138号)ことになった。
85年にレーガン米大統領は「米国はテロに決して譲歩しない。譲歩すればさらにテロを招くだけである」と主張し、その結果、大統領の支持率は48%から68%に上昇した。また、ワインバーガー米国防長官は「テロを実行した国家、あるいは個人に恐怖の破壊と恐るべき代償の支払いを強要することがテロに対する究極の抑止法である」と述べている。米国は約3000人が殺害された2001年9月11日の米中枢同時テロを受け、アフガニスタンとイラクで6000人以上の米国兵士の犠牲を出しながら軍事作戦を行っている。
他の多くの国もテロには譲歩せず戦っている。1977年9月、西ドイツでドイツ赤軍がシュライヤー経営者連盟会長を誘拐する事件が発生した。誘拐犯は獄中のテロリストの釈放を要求したが、西ドイツ政府は要求を拒否した。
≪問われる「正義」守る覚悟≫
これに対して、シュライヤー会長の家族が「父の生命を救うために、誘拐犯の要求を受け入れるように西ドイツ政府に指示してもらいたい」と、憲法裁判所に提訴した。憲法裁は、「西ドイツ政府にはドイツ市民個人の生命を守る義務があるとともに社会の秩序を維持し、国民全体の安全を守る義務がある」として訴えを却下した。その後、シュライヤー会長は殺害されたが、西ドイツ政府に対する国民の支持は揺るがなかった。
だが、当時の日本政府の対応は異なっていた。77年9月、日本赤軍が日航機をハイジャックし、600万ドルと獄中のテロリストの釈放を要求した。これに対し、日本政府は「1人の生命は地球よりも重い」とし、超法規的措置を取って獄中メンバー6人を釈放し、身代金を支払った。乗客乗員は全員解放されたものの、日本政府の対応は国際社会から批判された。
今回のアルジェリア人質事件での同国政府の決定も、テロと戦う世界の常識に従った行動である。故に、人質を取られた英国やフランスその他の国はアルジェリア政府の行動を支持したのである。
テロと戦う世界の常識は、「正義」を守るためには「平和」を守れないこともあるというものである。戦う国々は覚悟を決めて「正義」を守ろうとしている。各国の治安部隊が対テロ作戦を決行する際、人質の犠牲を20%以下に抑えることが目標だともいわれる。世界は日本人が信じているほど平和でもなければ、優しくもない。(むらい ともひで)
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◆ 『帝国の終焉』(「スーパーパワー」でなくなった同盟国・アメリカ)日高義樹著 2012年2月13日第1版第1刷発行 PHP研究所
p93〜
第5部 どの国も民主主義になるわけではない
人類の歴史を見れば明らかなように、確かに長い目で見れば、野蛮な時代から封建主義の時代に代わり、そして絶対主義の時代を経過し、民主主義が開花した。ヨーロッパの多くの国々はこういった過程を経て豊かになり、人々の暮らしが楽になるとともに、民主主義、人道主義へ移行していった。鍵になったのは「経済が良くなり、暮らしが楽になる」ということである。
中国の場合は、明らかにヨーロッパの国々とは異なっている。そして日本とも全く違っている。中国は二十数年にわたって経済を拡大し続け、国家として見れば豊かになった。だが、すでに見てきたように貧富の差が激しくなるばかりで、国民は幸福にはなっていない。こう決めつけてしまうと親中国派の人々から指弾を受けるかもしれないが、中国国内の政治的な状況を見ると、依然として非人道的な政治が続いている。民主主義は全く育っていない。
中国はもともと共産主義的資本主義と称して、共産党が資本主義国家と同じようなビジネスを行なってきた。中国という国家が資本主義のシステムを使ってビジネスを行ない、国営や公営の企業が世界中から稼ぎまくった。この結果、中国国家は経済的に繁栄したものの、中国人一人ひとりは幸福になっているようには見えない。
p95〜
「中国人は食べられさえすれば文句は言わない」
中国の友人がよくこう言うが、中国人はそれ以上のことを望まないのかもしれない。つまり中国の人は「食べられる」以上のこと、つまり形而上学的な問題には関心がないのかもしれない。
「民主主義、人道主義、国際主義といったものは我々には関係ない」
こう言った中国の知人がいるが、中国だけではなく、ロシアの現状を見ても、封建主義から民主主義に至る政治的な変化を人類の向上とは考えない人々が大勢いるようだ。
p97〜
第2次大戦以来、人道主義と民主主義、そして平和主義を主張してきたアメリカのやり方が、アメリカ主義でありアメリカの勝手主義であると非難された。「アメリカ嫌い」という言葉が国際的に定着したのは、その結果であった。そうしたアメリカのやり方を、1つの考え方であり、1つの価値観に基づくものであると切り捨てているのが、ロシアの指導者であり、中国の指導者である。
p98〜
ヒットラーはドイツの誇りを掲げ、ユダヤ人を圧迫するとともに、反政府勢力を弾圧して経済の拡大を図った。中国もその通りのことをやっている。しかも、冷戦に敗れたロシアのプーチン前大統領が主張しているように、価値観の違った、そしてやり方の違った経済の競争が可能であるとうそぶいている。
だが彼らの言う価値観の相違というのは、民主主義を無視し、人道主義を拒否し、国際主義に反対することである。中国やロシアについては、冷戦に敗れた国や第2次大戦に脇役しか与えられなかった国が自分たちのやり方で歴史の勝利者になろうとしているように見える。
p99〜
共産主義は冷戦の結果、民主主義とそれに伴う人道主義に敗北したはずである。ところが中国は、冷戦と同じ体制を維持しながら、経済の戦争には勝てるとばかり傲慢になっている。
ヨーロッパの人々は中国の台頭をヒットラーの台頭になぞらえている。これに対して日本のジャーナリストや学者たちは驚きを隠さないようである。彼らは、ユダヤ人を抹殺しようとしたヒットラーと中国は異なっていると考えている。だが、共産党が絶対で、反対の意見を持つ者は犯罪者として牢獄に送り、言論の自由を認めていないという点では、中国はヒットラーと同じである。
中国は明らかに人道主義を否定しているだけでなく、民主主義を理解しようとしていない。国際主義も分かろうとしない。
p100〜
ヨーロッパの人々は、歴史的な経験から中国が危険であるとして、ヒットラーと同じであると指摘しているが、歴史にナイーブな日本の人々は全くそのことに気がついていない。
ヨーロッパの人々はヒットラーと戦い勝利を得たが、そのためにアメリカと同盟し手を携えて戦った。中国がヒットラーだという考えに驚くべきではない。新しいヒットラーである中国の共産主義の専制体制に対して世界の人々は、手を携えて戦わなくてはならなくなっている。「アメリカ嫌い」という言葉で中国の脅威から目を逸らす時代は終わったのである。
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◆『世界の変化を知らない日本人』日高義樹著 2011年5月31日第1刷 徳間書店
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