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【沖縄が危ない】語られなかった米軍との諜報戦 (4)

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【沖縄が危ない】語られなかった米軍との諜報戦 ★(4)
zakzak2013.03.01

    
    (沖縄県の下地島空港)
 防衛省は、中国軍による沖縄県・尖閣諸島への軍事侵攻のほかに、宮古島、石垣島、下地島方面への同時侵攻も懸念している。中国軍がこれらの島々を占領すれば、核弾頭搭載の原子力潜水艦を、太平洋にノーチェックで進出させられ、米国を大きく牽制できる。下地島には3000メートルの滑走路があり、日本の南西航路帯を完全に押さえ込むことができる。
 ところが、これらの島々には米軍も自衛隊の戦闘部隊も駐屯していない。宮古、石垣両島にあった公安調査庁の出張所は2001年3月に閉鎖された。自衛隊の調査隊は沖縄本島に展開しているが25人弱だ。
 まさに、南西諸島の島々は、防衛、情報の空白地域といえる。今後、この方面に月間2000人以上の中国人観光客が訪れるといわれる。
 一方、先の大戦における沖縄戦で語られなかった部分がある。米軍との熾烈な諜報謀略戦である。米軍はこの点で、帝国陸軍を自衛隊以上に評価している。
 米軍は、沖縄戦の際、艦艇1500隻、人員55万人(日本軍の約5倍)を投入し、爆弾、榴弾砲、艦砲、ロケット弾合計3800万発以上を撃ち込んだ。
 同時に、したたかな諜報戦を仕掛けた。戦前、沖縄県民が日本社会になかなか融合できなかったことを利用し、思想面で沖縄を日本から分離しようとたくらんだのだ。要するに「軍と民の離反」を計ったのである。
 工作員には、(1)中国大陸に住む旧琉球王国官吏の子孫で反日分子(2)ハワイや北米に移民した沖縄県出身者−らが選ばれた。1943年後半から防備の手薄な本島北部へ、夜間、ひそかに潜水艦で送り込んだ。さらに県内居住の校長や議員などの名士を買収した。
 これに対し、わが国は陸軍中野学校出身の情報戦のプロを、離島を含む県内各地に配置して防諜に務めたのである。
 結果、米軍のもくろみはもろくも崩れ、諜報謀略に引っかかった村は、本島中部の1村のみだった。そして、軍民一丸となった戦闘は米軍を恐怖のどん底に陥れた。
 「沖縄制圧を、2、3週間で完了する」と豪語していた米軍は6カ月も費やし、戦死者1万2520人、陸上戦闘のみで戦闘疲労症2万6211人を数えた。
 海上ではさらに打撃を受けた。1500機以上の特攻機が米艦隊を襲ったのである。米第5艦隊長官のスプルーアンス海軍大将は、艦隊の損傷に加え、将兵が精神的に参ってしまったため、ニミッツ元帥に撤退を打診していたほどである。
 一方、終戦後、インドネシアから撤退する帝国海軍陸戦隊士官に、中国・国民党軍の将校が近づき、「残置諜者は配属しないのですか。中国では、たとえ戦争に負けても、次に備えて残置諜者を置いていきます」と平然と語ったという。
 これを聞いた海軍士官は、中国漢民族のしたたかさを改めて実感した。
 ■惠隆之介(めぐみ・りゅうのすけ)
 1954年、沖縄コザ市生まれ。78年、防衛大学校卒業、海上自衛隊幹部候補生学校、世界一周遠洋航海を経て、艦隊勤務。82年に2等海尉で退官し、銀行へ就職する。97年 米国国務省プログラムにて国際金融、国家戦略などを研修。現在、拓殖大学客員教授、八重山日報論説委員長。著書に「誰も語れなかった沖縄の真実」(WAC)など。3月中旬、「沖縄が中国になる日」(育鵬社)を緊急出版する。
 ■沖縄が危ない
 ⇒(3)沖縄戦の史実の再評価を 左翼や地元マスコミと中国の離日工作
 ⇒(2)「私はこれから出世します…」習近平氏が進めてきた沖縄と日米の分断工作
 ⇒(1)中国万歳!? 沖縄で勢い増す「反日」「反米」世論
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『最終目標は天皇の処刑』 中国「日本解放工作」の恐るべき全貌 ペマ・ギャルポ著 飛鳥新社 2012年1月27日 初版第1刷発行
p4〜
はじめに
 「日本が危ない。既に中国の半植民地に成り下がっている」「中国が日本の財界とマスコミ界を牛耳っている。独立国家であるはずの日本で中国を批判する言論はマスコミによってふるいにかけられ、中国に対しての批判的な記事は掲載しないだけでなく批判的な出版物に対しては書評の対象にすらならない」「日中友好の名の下、当たり前のように日本の言論の自由、思想の自由を間接的にコントロールしている」
 こう書くと、大半の日本人は「何を大袈裟な!」と一笑に付すでしょう。しかし、中国に侵略されたチベットに生まれた私にとっては、事態が、そのように進行しているとしか思えないのです。というのも、1972年に発掘された『中国共産党・日本解放第2期工作要綱』という文書に添う形で、日本社会が変容しているからです。この文書については後段で詳述しますが、チベットが中国に本格的に侵略される以前と同様の現象が、この日本でも起きているのです。
p5〜
 また、中国が、日本国内の土地や資源を買い漁っていることは「資本主義社会における自然な商業行為」との意見もありますが、日本人が中国の土地を自由に購入できない以上(中国の土地はすべて国有で70年以下の賃借)、外交における相互主義からは疑問が残ります。しかも、それが自衛隊基地周辺の土地に集中しているのは決して穏やかな話ではありません。
 更に、2011年3月の東日本大震災で政府が混迷し、政治が空白を生んでいる時期を狙って、中国は火事場泥棒のように日本固有の領土内に入り挑発的な行為を続けているだけでなく、今や南シナ海の諸島に対して領有権を主張し武力的な実力を発揮して、周辺諸国と摩擦を起こしています。(略)
 最近南沙諸島の領有権問題で中国と対立を深めているフィリピンのアキノ大統領は、中国との領土問題を国連機構、即ちハーグの国際司法裁判所で決着することを希望しましたが、中国側は拒否。現実に目覚めたフィリピンはアメリカに再び助けを求め、2011年6月下旬から7月にかけ、米海軍と同国沿岸で11日間の合同軍事演習を敢行しました。
p6〜
 また、米国議会では民主党のジム・ウェッブ上院議員ら与野党4名の議員の共同提案で中国の南シナ海における挑発的行為を批判する決議案が採択されました。(略)
 現実問題としての中国の脅威に対処するため、大西洋から太平洋に米国の安全保障の重点が軌道修正されている事実を、日本人もきちんと認識すべきでしょう。
 侵略は決して武力、暴力という目に見えるものばかりではありません。例えば中国の温家宝首相は財界や観光業界などを使って積極的に日本政府に圧力をかけ、中国の観光客が(p7〜)沖縄に出入りするための3年友好の数次ビザ(期間中何度でも出入国できるビザ)の特権を獲得、1回の滞在期間も15日から90日に延長することに成功しました。名目上の理由は“震災からの復興のための観光収入増収”ということらしいのですが、それならばなぜ、他の途上国の観光ビザを数次ビザ同様のものに変更しないのでしょう? なぜ中国だけなのか? また何故中国がこんなに熱心なのか?
 政府は「沖縄の観光振興」と説明していますが、中国人が一旦沖縄に上陸して一泊すれば、他の日本各地に移動することは自由となっています。つまり、90日に1度出国すれば、3年間の長期滞在が可能になるということです。収入の要件も、年収25万元(日本円で300万円強)以上の富裕層となっていたものを、民主党政権は、2010年、10万元以上の中流階層にまで緩和しました。
 これらの階層が、はたして日本の物価でどれだけの購買力、消費能力を持っているというのでしょうか?
 しかも、これらの緩和が、決まって、中国共産党の創立記念日の7月1日に合わせて施行されたのは、何故なのでしょう? 私には、民主党政権が、自ら、日本国内に「トロイの木馬」を招じ入れようとしており、そのことは安全保障の観点から、きわめて危険であり、(p8〜)前述した中国政府の『日本解放第2期工作要綱』を更に深化させる愚行に思えてならないのです。これは、私自身の体験からそう言いきれるのです。中国の正体を一番知っているのは、中国と最も苦い体験を持つチベットのような国、既に植民地化され中国的植民地主義の餌食にされた周辺の国々でしょう。だから私は絶対日本にはチベットと同じ過ちを犯し、植民地化されて欲しくないのです。
p113〜
「日本解放第2期工作要綱」
  「日本解放第2期工作要綱」は、冒頭に「日本が現在保有している国力のすべてを、我が党(=中国共産党)の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある」という基本戦略が掲げられています。中国は第2次世界大戦のどさくさに紛れて、火事場泥棒のごとくチベットを武力併合しましたが、さすがにこの時代になると国際社会の目もありますから、そう乱暴なこともできません。そのため「基本戦略」は、まずは中国の意のままに動く傀儡国家を作るということが目標になっているのでしょう。ただし、チベットの例を見てもわかるように、その過程で日本固有の文化や価値観は徹底的に破壊されます。武力侵攻のように目には見えませんが、気がついたら行動を支配されているという文化的、精神的な侵略のほうが恐ろしいのです。
 工作員の具体的な任務は、第1期目標が日中の国交を正常化させること、第2期目標が日本に民主連合政府を成立させること、第3期目標が天皇制の廃止(天皇は戦犯として処刑)と日本人民民主共和国の樹立となっています。
 こうした「任務達成の手段」として、工作員は直接手を下すのではなく、日本人が自発的に行動するように仕向けることを強調していますが、この手法はチベットにおいて、僧侶たちに「キリスト教国主導の国連に入るのは反対」と言わせたのとまったく同じです。
 また、「統轄事項」として派遣する工作員を2000人とし、国交回復時にまず800人から1000人を送り込み、その後徐々に増やしていくとしています。
p114〜
 そして工作員は「大使館員」「新華社社員」「各紙特派員」「各種国営企業代表又は派遣員」「教員」の公的身分で入国します。ただし、その身分はまったくの表向きだけのものです。どんな肩書で来ようと、工作組織責任者だけの命令に従って、工作に専従すると書かれています。また、工作員は全員「第48党校日本部」の出身者から選抜するとしています。“党校”とは、一般に中国共産党直属の党員養成機関ですが、なぜ第48党校なのかは、その後の組織改編等もあり、現在ではわかりません。
p115〜
 第2期工作要綱が発掘された1972年は、日本にとって重要な意味をもつ年だったと思います。「日中国交回復」「沖縄返還」さらには「あさま山荘事件」と、数多くの歴史的な出来事が起きています。(略)
 前年の1971年を振り返れば、中国が突然、尖閣諸島の領有を主張し始めています。それと合わせるかのように、朝日新聞の本田勝一(かついち)記者によって、“南京大虐殺”など旧日本軍の罪を捏造した『中国の旅』の連載が始まり、日本人に中国への“贖罪意識”を植え付ける工作が始まっています。不思議な話ですが、それ以前は中国国内で南京大虐殺に関する研究発表など、ほとんどありませんでした。ところがこれ以降、中国が南京大虐殺を喧伝するようになるのです。もちろん、本田勝一氏が中国の工作員であったと断定するつもりはありません。が、ここに書かれているように普通の日本人であっても正体を隠した工作員と接触する中で、本人が知らないうちに中国政府の走狗と化してしまう、という可能性も否定できないのです。
p124〜
日中記者交換協定
 1972年時点において、工作要綱に第2期と名付けられていることからもわかるように、すでに日本国内に相当の工作機関員が潜伏していました。特にマスコミ工作に関しては、かなりの環境作りがなされていたようです。そうした環境作りの一環といえるのが1964年に結ばれた日中記者交換協定でしょう。この日中記者交換協定によって朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日本経済新聞、西日本新聞、共同通信、NHK、TBSの9社の報道機関が、国交がない段階で北京に常駐できることになります。ところが、68年の改定で中国側から「政治3原則」が押しつけられ、各社は否応もなくそれを飲まされることになりました。
1、中国を敵視してはならない。
2、「2つの中国」を作る陰謀に加担しない。
3、中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない。
p125〜
 これ以降、中国はジワジワと日本のマスコミに圧力をかけていくのです。例えば当時、日本のマスコミでは台湾の国民党政府(中華民国)と区別するために、北京政府を中共と呼んでいました。(略)そのため国交が樹立して真っ先に要求してきたのが、“中共”という呼称を中国に変えさせることでした。本当の中国は自分たちであり、台湾ではないということを認めさせたのです。この協定が結ばれて以降、中国に不利益となる報道はできなくなります。
 例えば、林彪がモンゴルで墜落死した事件が大手新聞社で報道されたのは、事件後半年も経ってからでした。おそらく、政権内部で権力闘争が続いていることが公になって、中国が推進する日中国交樹立に支障を来すことを危惧した新聞社が自主規制したのです。
 その後も朝日新聞などを中心として、“中国ブーム”のようなものを起す動きが顕著になっていきます。国交回復を機に贈られたパンダブームもそうですが、中国は巨大市場であり、中国は膨大なエネルギー資源があり、日本は近しくならなければ損であるといった具合に、マスコミによって親中国の世論醸成がなされていったように私は感じます。当時、朝日新聞に中国には大油田があり、関係がよくなれば石油は心配いらなくなるという記事が書かれていたのをはっきり覚えています。
p126〜
 そして1972年の日中国交回復から、1978年の福田赳夫内閣による日中平和友好条約締結を経て、翌年からは大平正芳内閣によって莫大なODA供与が開始されることになるのです。
 この記者協定を楯にした、報道規制は現在でも明らかに残っています。2011年、北アフリカでわき起こった「ジャスミン革命」の余波が、中国にも波及しました。中国各地で民主化を求める集会が開かれましたが、その際、中国政府は集会をインターネットで呼びかける市民を逮捕するなどの弾圧を加えました。そして、こうした動きを取材しようとする日本や欧米のメディアに対しては、強制国外退去をちらつかせて圧力をかけるなど、いまだに自由がない国であるということを世界中に知らしめました。ところが、そのような事実があったことを、いつもなら「報道の自由」を口にする日本のメディアが積極的に報道したとは言えません。そうしたことも日本の大手マスコミが記者協定に縛られている結果だと思われます。また、先に述べたように、東日本大震災において台湾から過去最多の義援金が送られたにもかかわらず、中国ばかりが目立つような報道がなされたのも、記者協定という見えない圧力があったとみて間違いありません。
p127〜
 日本で報道されていることが逐一、情報部員によって詳細に分析され本国に報告されているのはもちろんですが、一時期は中国大使館から各メディアに対して、今日の報道よかったとか悪かったとか、いちいち電話をしていたこともあるといいます。今はそこまで露骨ではありませんが、それでも厳然たる圧力が存在します。
p168〜
 実際に日本はこの会談が行われる以前の1960年代に、核武装を検討していました。2010年にNHKで放送された『“核”を求めた日本 被爆国の知られざる真実』という番組で、村田良平元外務次官がインタビューのなかで明言したのです。1964年に中国が初の核実験を行い、日本政府は安全保障上で大きなショックを覚えました。そのため当時の佐藤栄作政権は、プロジェクトチームを作って核兵器開発を検討したのです。ただしその結果は、「核兵器の保有は、我が国にとって技術的には極めて容易だが、政治的には困難である」という結論に達しました。
 ただ、一つ強調しておきたいのは、この会談で交わされている内容というのは、ごく自然なものだということです。ほかの国々では国益の追求が第一です。そして国益のためならどんどん立場を変え、場合によっては前言を翻すなど当たり前なのです。
 しかし、日本の外交はある意味硬直化していて、自分が約束を守れば相手も守るはずだと信じているところがあり、それが大きな間違いなのです。日本に同情すべき点があるとすれば、冷戦時代は独自外交というものがほとんどできなかったことでしょうか。この会談を見てもわかるように、例えば安全保障1つとっても、アメリカの了承なしには何もできなかった。
p169〜
 佐藤首相が核開発を放棄した「政治的困難」の1つに、アメリカの意向があったのは、いうまでもありません。
 しかしながら、核武装の是非は置いておくとして、れっきとした独立国である日本の安全保障が、他国の思惑だけで決まっていくというのは、正常な姿とはいえません。
 関岡英之氏は著書『中国を拒否できない日本』の中で、村田元次官が番組で語った次のような言葉を紹介しています。
 「日本という国の至高な利益が脅かされるような緊急事態になったら、核兵器をもつというオプションも完全にはルールアウトしない。(中略)日本において核に関する真剣な、まじめな、しかも実体の脅威を頭に入れた議論を起すべきなんです」
 今日の中国の動きを見れば、とうに議論をするべきときにきていると言えるでしょう。
p188〜
  「琉球に対する権利がある」と中国の歴史学者が主張する根拠は、沖縄が琉球王国だった時代、14世紀から1879年の「琉球処分」によって正式に日本の一部となるまで、中国王朝(明、清)に臣下国として朝貢する“柵封(さくほう)関係”にあったことです。戦前にも、毛沢東が沖縄を「帝国主義者が強奪した中国の多くの属国と一部の領土」に含まれると主張していました。
p189〜
 ただ、、1911年に辛亥革命が起きるまで、沖縄の一部新聞で日本と清の元号を併記していたように、中国と近しい関係にあったことは事実でもあります。あまり知られていませんが、沖縄社会のエスタブリッシュメントには、中国大陸にルーツを持つ人々が少なからずおり、中国会館というものも存在します。例えば、仲井眞弘多(ひろかず)知事もそうしたメンバーの1人です。もちろん、彼らは自分が日本人であるという意識はちゃんとありますが、やはり心のどこかで中国にシンパシーを感じています。沖縄に中国の総領事館を置く話が検討されたり、大赤字である上海〜那覇の航空便を、県が補填して維持しているなどはのそ表れかもしれません。
 このような沖縄の県民感情を中国は揺さぶりにかかっています。
p203〜
アメリカの軛
 私は、日本の政治家が個々の政治信念や権力闘争の中にあっても、国益というものを最優先するようになれば、日本の政治は変わると思います。例えば、インドとアメリカの外交関係を見てください。クリントンがアメリカ大統領として初めてインドを訪問して、友好関係を築く声明を出しました。クリントンとブッシュ(ジュニア)は政策的にも思想的にもかみ合わない関係ですが、ブッシュ政権下でも、さらにそれは推し進められていきます。
p204〜
 そして原子力に対して協力関係を結ぶというブッシュの政策を、野党の民主党が多数を占める議会も支持し、最終的には満場一致という形まで持っていきました。そして、再び民主党政権となった今日、オバマ大統領はインドとの関係強化に乗り出しています。そうしたことが見られるのも、やはりアメリカの政治家が国益を重視しているからです。
 日本の政治家には、なかなかそれができません。
 さらに日本の場合、政治家が的確な外交判断をするための情報が十分に取れていません。手を打つには、相手の事情を探る情報機関、諜報機関は必要不可欠です。日本にも内閣情報調査室、警視庁公安部、防衛相情報本部、法務省管轄の公安調査庁など数多くの情報機関があるにはあるのですが、収集した情報を有機的に生かすシステムがないのです。
 また、日本の情報機関、諜報機関は一般の公務員と大差ありません。権限にしろ予算の使い方にしろ、制約が多すぎるのです。おそらくコーヒー一杯飲んでも領収書が必要になるでしょう。そうした制約の中では、貴重な情報は取れるはずがありません。諸外国の諜報機関の場合、たとえば独自の資金作りをするために何世代にもわたって相手国に人員を送り込んで、現地で経済活動をしていたりもします。戦前は日本にもそうした組織があったのですが、戦後はそうした態勢をとるに至っていないのは残念です。
p205〜
 もちろん、中国なりアメリカなりが、強力な情報機関ができることを阻止していることは言うまでもありませんが、憲法改正をしなくても、情報・諜報機関の強化を図って、十分な予算を組み、大国並みの組織にすることは可能だと思いますし、そうした組織を国策に役立たせる必要があると思います。
チベットの戦略的重要性
 今日の日本では「平和」ということが金科玉条となっています。これはチベットが中国の侵略を受けた1950年当時、チベットでさかんに口にされた「仏教を護る」ということに酷似しています。何にもまさって正当化されてしまう。その結果はと言えば、2章に述べたとおりです。
 同時に当時のチベット人、特に指導者層は残念ながら自分たちの権益のことしか考えておらず、国家という観点からものを考えていませんでした。今、日本も状況が似ていると思います。企業の利益、あるいは1地方の利益が優先されるべきという考えが主流になってきています。
p206〜
 また、武力による侵略だけでしたら、チベットもそれなりに抵抗できたと思います。アメリカがゲリラの抵抗でイラクやアフガニスタンから手を引かざるを得ないように、地の利を生かして戦えばそれなりに頑張れるものです。しかし、中国はチベット内部を攪乱し、分断させ、そして脅したり懐柔したりしながら、時間をかけて巧妙に侵略していったのです。日本においても、解放工作要綱に書かれているような心理的な侵略が進行しているということをしっかりと認識しなければなりません。
p207〜
 もう1点は、中国の13億人の人口のうち、12億人近くがいわゆる漢人ですから、その人々を養っていくためには食糧を始め相当の資源が必要です。その意味ではチベットは地下資源が豊富であり、また、アジアの大河の源流が全てチベットにあることからもわかるように、水資源も豊富です。それら資源の獲得ということが目的にあったと思います。
 そして今、尖閣諸島周辺や日本各地の森林で起きていることは、その資源収奪の領域が拡大しつつあるということなのです。
“中華”という名の厄災
 一般にその国の国力を測る場合、軍事力と経済力、この2つが大きな比重を占めることになります。戦争の勝敗にしても、その2つに負うところが大きいのも事実です。しかしながら、古代ギリシャから今日までの世界の歴史を見てみると、武力によって滅んだ国は、ほとんどが再び独立しています。
p208〜
 また、おそらく経済力の差だけの理由で勝敗が決まった戦争もありません。ところが、文化的侵略によって同化されてしまうと、もう二度と独立できません。つまり、その国民の価値観や連帯感を失ったときに、ほかの国に征服されることになるのだと思います。ですから今日の日本で、特に経済界の人たちが、全ての事柄を経済的観点のみで見ようとする傾向を、もう少し考え直さなければならないと思います。
 チベットの場合は、すべての価値観は宗教中心で、現世より来世に向けたものでした。現世は苦しくても来世に希望を持ったり、成仏(解脱)するということが1つの理想としてありました。逆に今の日本の場合、あまりにも現世、しかも極めて目先のことだけを考えているように思えます。
 中国という国も非常に現実主義なのですが、日本との大きな相違は、少なくとも中国の場合は100年単位の国家計画を立てていることだと思います。このことは、?小平が「4つの近代化」を提唱してから30年経ちましたが、それを着実に進めていることからも明らかです。
 さらに、この4つの近代化が究極的に何を意味するかということも、きちんと考えるべきでしょう。国家にとってビジョンというものが常に重要になりますが、中国の場合はそれがはっきりしています。
p209〜
 つまり、ごく当然のこととして世界制覇という揺るぎない大望を抱いているのだと思います。中華思想という言葉がありますが、“中華”という言葉自体は孫文が考えた概念であり、実は誕生してから100年ほどしか経っていません。ただし、その根底にあるものは孔子、孟子、老子などの思想に西洋の植民地主義の考え方を導入したものです。孫文はアメリカ合衆国のような国民国家の連邦制を目指しましたが、それは中国人中心の国、中国人上位の民族主義でもあったのです。そうしたバックボーンを持つ彼らは「弱肉強食」という文化の中で生き続けているのです。
 中国以外のアジア諸国で成立した原始宗教、例えばチベットのボン教にしろ、インドのヒンズー教にしろ、日本の神道にしろ、精霊や万物に命が宿るという自然観があります。しかし、中国の場合は世界は善か悪か、生か死かの二元論なのです。中国で兵法が発達したのも、戦術を駆使していかに自分が生き延びていくかが大事だったからでしょう。そして、最終的には征服するか従属するかであり、共存共栄という概念はないのです。
 自然崇拝をする民族は、第1に自然との共生を尊び、他の人間とも共存共栄を図ることを目指します。そのために個人は、その共同体と一体化するという精神性を伝統的に持っています。征服する、あるいは従属するということではなく、どうにかしてお互いに生き、生かされる道を探そうという文化があるのです。
p210〜
 このような精神性はアジアにおいて、現在ではイスラム圏に含まれるアフガニスタンまで通底していると思います。バーミアン文明に見られるように根底には仏教的な共存共栄の思想が残っているはずです。
 確かに中国にも仏教は伝わり、“信仰”として広まりましたが、残念ながら、“文化”として深く根付くには至らなかったのだと思います。生きるか死ぬかの世界では、価値観の根底にはならなかった。そしてその信仰の対象は、常に現世利益が中心であり、“来世と現世”あるいは“自分と自然”という観念を持つ宗教観は非常に薄いと思います。中国が約束を守らないということもそういう宗教観や倫理観の希薄さから生じていると思います。彼らにとって約束とは永遠に守るものではない。その時の利益を守るための方便、戦術でしかないのです。たとえ酔っぱらっていようと、自分の口から発した言葉には責任を持ってしまうという一般的日本人とは、そこが決定的に違うのです。
 工作要綱にもあったような、日中が共通の文化を持つ民族だというプロパガンダに騙されることなく、あくまで中国人は異質の人間として捉え、その人々とどう向き合っていくかを考えることが大事です。 *強調(太字・着色)は来栖
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