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「中国は日本を調教する 老獪に使い分けられるアメとムチ」 古森 義久

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[国際激流と日本]中国は日本を調教する 老獪に使い分けられるアメとムチ
JBpress 2013.03.06(水)古森 義久
 中国は日本に対し、動物を人間に服従させるように命ずることに反すれば罰の仕置きを加え、従えばエサを与える「調教方式」を取っている――こんな考察が米国の2人の著名な中国研究学者たちにより発表された。
 つまり中国共産党政権は、日本側で中国に同調する政財界の勢力には様々な形で報奨を与え、逆に中国の路線に反対する側には種々の懲罰を加えるというのである。まさにアメとムチの戦略だと言えよう。中国当局はその戦略の実施に際しては、中国の民衆の民族主義的な反日感情を最大限に利用するというのだ。
■「天安門文書」公表の立役者、ネーサン教授
 中国の政治研究で知られるコロンビア大学のアンドリュー・ネーサン教授と中国軍事研究の権威のランド研究所のアンドリュー・スコベル上級研究員は新刊の共著『中国の安全保障追求』で中国の対日戦略への考察を述べた。
 同書は「中国は日本を調教する」という題の章で、まず中国当局が日本を「ほぼ永遠の摩擦の相手、対立の相手」だと見ることを強調する。中国側は、日本が台湾を支持すること、尖閣諸島の領有権を巡り中国と対立していること、そして日本が日米同盟に基づいてアジアでの安保の役割や防衛力を着実に強めていることなどに反発するために、そうした潜在的な敵対姿勢が生まれるのだという。
 アンドリュー・ネーサン氏と言えば、米国の中国研究でもずしりとした重みを持つ存在である。同氏の名前を国際的に高めたのは、「天安門文書」の公表だった。天安門文書とは、1989年の天安門事件当時の、中国共産党最高部の議論の内容の記録である。2001年1月に米国大手外交雑誌によってまず暴露掲載された。
 89年6月の中国共産党による民主活動家たちの大弾圧と殺戮は、天安門事件としてその後の世界に広く知られた。中国独裁政権の苛酷な体質を露呈する弾圧事件だった。天安門文書はこの事件を起こした共産党首脳部の議論のやりとりを詳しく記録した重要秘密文書だったのだ。その秘密文書が中国から国外に流出し、米国で公表されたのである。
 その「公表」に米側で最大の役割を果たしたのがネーサン氏だった。だから中国共産党政権はネーサン氏を長く敵視するようになった。同氏への中国への入国ビザも一切、出さないようになった。まさにムチを受けたわけだ。
 アンドリュー・スコベル氏は中国の軍事や安全保障の動向についての研究で広く知られる米国人学者である。米国陸軍大学の戦略研究所で研究員や教授として長年、中国の軍事を研究し、現在はランド研究所の上級研究員を務める。著書では『中国の軍事力使用』という書が高く評価された。
■国交樹立前から使い分けていたアメとムチ
 さて、この2人の気鋭の研究者が共同で執筆した書『中国の安全保障追求』は中国の北東アジアでの対外政策、対外戦略について述べ、その中で「中国は日本を調教する」という章を設け、中国の対日政策を詳述した。
 同書は日中両国の関係を国交樹立前の1960年代にまでさかのぼり、具体的な事例を多数挙げて、中国の日本に対する戦略を以下のように特徴づけていた。
・中国共産党政権は一貫して中国の政策や立場に同調する日本側の政財界の勢力や人物には経済的利権や政治的特権を与えて報奨としてきた。その一方、中国が非友好的と見なす日本の企業などには貿易や投資での妨害、政治家には冷遇や非難の措置で懲罰を加えてきた。
・中国当局は日本の政策が好ましくない方向に動くと、海軍、空軍を動員しての示威行動のほか、自国民一般の反日感情を利用した反日デモや暴動を展開させる。中国では全般的に日本への敵対的な民族主義的感情が強いとはいえ、当局がその種の感情の噴出のタイミング、長さ、強さを調整する。
・中国当局は日本側から政治や経済での譲歩、修正を奪うために、日本側の戦時中の「残虐行為」を持ち出し、日本側の罪の意識をあおり、中国側の道義的優位を主張する。日中間の歴史や記憶を巡る紛争は中国側の政策の動因ではなく、警告の道具なのだ。
 同書は、中国のこの対日調教戦略の多数の実例を、日中国交樹立前の時代から示す。また1990年代には、日本政府が天安門事件での国際的な対中制裁を破る形で対中宥和策を取ったことへの報奨として、日本側の尖閣諸島での灯台建設にもさほど抗議はしなかったのだとも記していた。
 ?小平氏が、尖閣問題を棚に上げ、次世代の処理に任せるという趣旨の発言をしたことも同様だったという。現実には中国は尖閣問題は棚上げどころか、92年には「領海法」という国内法を勝手に制定し、事実上の尖閣諸島の中国領宣言をしていたのだ。だが表面では日本の立場を非難するような言動はツユほども見せず、「アメ」対応の体裁に徹したのだった。
 同書はまた中国当局が日本の政界でも中国側の政策に同調する個々の政治家には特に丁重で友好的な対応を見せる実例をも挙げていた。財界に関しても同様なのだという。
 要するに、日本側の親中派を常に優遇し、反中派や中間派には冷たく当たり、ときには非難の声明をぶつけたり、中国への入国を拒否したり、という「ムチ」の作戦で切り崩しを図るということである。
■小泉政権の時代にも親中派には「友好」の働きかけ
 同書は2001年からの小泉純一郎政権の状況について特に以下のように述べていた。
・小泉首相は米国との防衛協力を、ミサイル防衛や自衛隊のイラク派遣、防衛庁の省への昇格の試みなどにより大幅に強めた。小泉氏はそして靖国神社への定期的な参拝を実行した。中国が反対するこのような一連の言動に対し、中国共産党は中央宣伝部を主体として総力を挙げる糾弾作戦を展開した。2005年には小泉政権による日本の国連安保理の常任理事国入りへの外交活動が広がり、それに猛反対する中国当局は国内で大規模な「反日デモ」を組織した。その間、日本の親中派への「友好」の働きかけも忘れなかった。
 確かに中国は小泉政権の時代にも村山富市元首相らを中国に招き、種々の公開の場で日中関係を語らせるというような戦術を怠らなかった。村山氏が中国各地の公式行事に出て、「村山談話」の効用を説き、いまの日本の政府の対中政策を批判するというパターンの政治宣伝は頻繁だった。
 同様に、小泉政権時代は首脳会談を拒み続ける一方、自民党を含めての広範な政治家層に日中友好議員連盟などを通じて「友好」の手を差し伸べる努力も絶やさなかった。要するに、中国側が喜ぶ言動を取る日本側の政界、財界の人物は、ことさらに中国側から優遇されたのである。
 この『中国の安全保障追求』という書は、中国当局のこの種の対日戦略について警告をも発していた。それは中国共産党政権が中国国民の反日感情を「日本叩き」に利用する際、その感情が中国政権への非難へと拡大する大きな危険があるという点だった。
 これまでの反日デモや反日暴動を見ても、確かに、当初は明らかに当局の扇動や指導や黙認によって反日の炎が燃え上がるが、その勢いが一定線を超えると、中国当局は明らかにその抑制や火消しへと動くというパターンが明白である。
 日本にとっても、中国にどう対応するかは、これからも長年にわたる国家的な超重要課題である。中国共産党政権が日本側をこのようにアメとムチで切り崩し、日本の世論や政策を中国にとって有利な方向へと変えようとする戦略は十二分に意識しておくべきだろう。
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中国 増長する威圧経済外交〜南シナ海紛争/「永遠の摩擦」覚悟を〜東シナ海の尖閣諸島 古森義久 2012-08-11 | 国際/中国/アジア 
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