秋葉原無差別殺傷事件 “加藤智大”を語る/描くということ【中島岳志×大森立嗣】
「日刊スパ!」2013.03.30 〜2013.04.20
「秋葉原無差別殺傷事件、犯人、加藤智大、彼は一体誰なのか?」― 中島岳志×大森立嗣対談
現在、渋谷・ユーロスペースで公開されている映画『ぼっちゃん』。この作品は2008年6月8日に起こった秋葉原無差別殺傷事件を“モチーフ”にした作品である。
その公開を記念して、本作品でメガホンをとった大森立嗣監督と、加藤の生い立ちから事件に至るまでを追ったルポ『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』を著した中島岳志氏によるトークイベントが、3/18、渋谷ジュンク堂にて開催された。
派遣労働者の不安と孤独/ネット世界への依存/非モテ・ブサメンの鬱屈……。
前代未聞の凶行に事件当初は、報道は加熱し、論壇でも熱い議論がなされた。が、裁判の開始とともに加藤智大に向けられた人々の関心は急速に冷えていく。事件から約5年。加藤のディテールに迫った中島氏と、加藤を物語の力で描くことに挑んだ大森監督が、改めて、加藤智大、秋葉原無差別殺傷事件とは何だったのかを語る。
*「誰かを愛したい」と加藤は言った
中島:大森監督が映画『ぼっちゃん』を作るきっかけとなったのは、加藤智大の「私は愛が欲しい訳でも、愛して欲しい訳でもないのです。精一杯、誰かを愛したい……」という書き込みだったと伺っています。これは事件の9日ぐらい前に書き込まれたものですが、加藤のこの言葉は、大森さんにどのように響いたんですか?
大森:事件の映画化については、ネットに出ている書き込みをすべて見ていて、直感的に「もしかしたら映画にしたら面白いかもしれない」と思ったのが最初でした。
実は、書き込みを読んでいて、ちょっと笑えちゃったんです。ふとした瞬間に。センスがあったりするじゃないですか。おかしくて笑えたことと、それから、加藤を、どこか僕らと同じ地平におきたいと思ったときに、「人を愛したい」と言っているというところで、ギリギリ、映画として保てるのかなと思ったんです。
まったく、どこも共感できない男のことを描くのはやはり難しいですから。どこかで彼と同じ視点に僕らもいるんだぞ、と言えると思ったんですね。
中島さんは『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』を書こうと思ったのはいつなんですか?
中島:書こうと決意するまでに、いくつかの段階がありました。まず事件が起きてすぐ、彼がネットに書き込みを続けていたという報道があり、気になったので、新聞社の知り合いに頼んで、その内容を送ってもらったんです。同時に、翌日からの報道で、彼の数日間の行動が明らかになっていき、それらを見ていて、ひとつどうしても気になったことがあったんです。
彼は事件の2日前に、福井県にダガーナイフを買いに行っているんです。当時、彼が住んでいたのは静岡県裾野市で、福井まではかなりの距離がある。調べてみれば、彼が購入したダガーナイフは案外普通のもので、静岡県内にある専門店でも購入できる。ましてや彼は事件前日にも秋葉原を訪れていて、東京でなら余裕で手にはいるものでした。なのに、わざわざ福井に行っている。そこから、なんなんだ!?と疑問が膨らんでいきました。
その次に気になったのが、僕と同世代の論客たちの議論です。事件が起きた2008年6月はリーマンショックの直前。アメリカのサブプライムローンが問題になり、派遣切りが問題になっていた頃でした。そんなときだったので、僕の友人でもある若手論客と言われる人たちがこぞって、派遣労働の不安の問題だ。労働問題だといい始めた。同時にインターネットの問題だという議論も出たし、「おたく」という現象の問題だという議論もありました。
僕自身も、メディアからコメントを求められたり、何かを書いてくださいという依頼をいただきましたが、あまりにわからなすぎて語れなかったし、書けなかった。この事件について、僕は失語してしまったんです。だから僕は、あらゆる依頼を見送ったんです。
*加藤を自分の鋳型にはめて語っていた
中島:そして、事件の裁判が始まり、メディアや人々の関心が事件から引いていくという不思議な現象が起きるんです。
裁判で加藤はこれまでの報道で言われていたような原因をすべて否定します。派遣切りのせいではなく、モテないせいでもない、母親との関係でもない。だったら何んなんだ?となったときに、彼は「掲示版でのなりすましや、荒し」が原因だったと言う。
このとき、何ていうか、皆、ずっこけたんですね。裁判の傍聴で一緒になった記者たちは、「がっかり」とは言いませんでしたが、「あれ?」っと。
一部ネット上では「加藤は神」と書かれていた。派遣労働者の代弁者だと。でも、加藤自身はそんなことではないという。つまり、メディア関係者にとって、加藤の動機は思いのほかしょぼかった。社会問題ですらない。そこのなんで、こんな小さなことが、こんな大きな事件になるのか、その間を埋められない。だから、記事にならないと言っていたんです。
結局、皆、自分の鋳型に加藤をはめて主張をしたかったんだと思ったんです。しかし、裁判が始まり、加藤が語り始めると自分の立てた物語にあてはまらない。そこで皆、引いていった。それはちょっと違うのではないかとも思ったし、せめて僕ぐらいは、加藤に対して、ここから始めようと思ったわけです。
大森:僕は、何かものを作る、あるいは何かを発想するときに、「結末を自ら投げ出す勇気」というのがすごく大事だなと思っています。演出論になってしまって恐縮なんですが、例えば、脚本にひとつ長い台詞があったとします。その途中にト書きで「泣く」「涙が溢れる」と書いてあると、役者ってそこに向かって演技をしちゃうんです。無理矢理、涙を流そうと。でも、感情というのは勝手に湧き上がってくるものだから、自分の芝居で泣かせようとする役者に対しては、「ウソじゃないのそれ?」とお芝居をつけていきます。
何かあらかじめ決めている落としどころに向かうのではなく、沸きあがるものを待つ。それは中島さんの本を読んでも感じました。それがあの本の凄みになっていて、ほとんど文学だなと思いました。
中島: 本を書くときに、事件のこと、加藤のことをわかった気になるとか、単純化して自分と事件を切り離すという作業だけはやめようと思った。
僕の中に加藤がいると思わなければ、この事件を語る意味がないなと思った。もとより、彼のプライベートを探るという卑しいこと、本当だったらやってほしくないことをするわけですから。加藤のディテールを積み上げることでおのずと沸いてくるものが、皆の何かにひっかかると思った。納得するのではなくて、ひっかかるものを書きたいと思ったのがこの本です。きっと、映画を撮られるというのもそういう感覚なんじゃないでしょうか。
大森:実際の事件で結末はすでに出ていて、しかも、それは皆が知っている。それに、欠けたパズルをはめていくように、彼の家庭環境や学校生活みたいなものを描いていくのは、映画の手法としては多いし、僕も最初はそういう風に発想していきました。が、やりはじめたら全然、おもしろくない。これは違うな、と思って。
そもそも、大体、見せようとしたものは人は見てくれなくて、勝手にお客さんが見つけてくれたものが、お客さんの心に残っていく。そう僕は信じてるんですね。
だから僕、アップっていちばん難しい表現で、あまり好きではなかったりします。アップって、ある種の感情移入を強要だったり、無理矢理「ここを見なさい」っ言っているようなものですから。もちろん、映像表現として使うときもありますし、でもそのときは、丁寧に、ここは使えるなというシーンで使っています。
結局、人の心に何が残っていくのかというと、自分で発見したものが残るんです。お客さんが自分で発見したものが、5年、10年経って、「あの映画、こういうこと言ってたな」「こういうシーンあったな」って思い出してくれたら、すごい幸せですけどね。
*友達がいたのに“孤独”だった
中島:僕があの本で、ひとつ「違うんだ」と言いたかったことがあります。例えば社会学者の宮台真司さんなんですが。秋葉原事件が起きたときに、宮台さんが何を言ったのかというと、「これは“誰かなんとか言ってやれよ問題”だ」と言ったんです。つまり、加藤にはいろいろな心のねじれや悩みがあり、けれども彼自身には友達がいなかった。社会の中に包摂されていなかった。それが、あんな大事件を起こすきっかけになったと。彼にちゃんとした「友達」がいればよかったという議論を宮台さんは立てられたわけです。
一見、「なるほど、そうかな」と思うし、そういう側面がないわけではないのですが、僕は少し違うなって思ったんです。別に宮台批判をしたいわけではないんですが、調べれば調べるほど、加藤には友達がいっぱいいるんです。
地元・青森の中学高校の友達とは事件の前までメールのやり取りをしているし、派遣先でも、一緒に伊豆にドライブに行ったり、秋葉原にツアーと称して行ったりする友達がいる。
また、実は加藤はコミュニケーション能力はある。
当時、宮崎県知事に東国原さんが就任し、「どげんかせんといかん」というのが流行っていました。加藤は自分の頭髪が少し薄くなっているのを自らネタにして、オデコを出して、「どげんかせんといかん」と言ったりもしています。
つまり、自分の弱点と思えるところを、笑いに変えられるほどのコミュニケーション能力があったんです。一緒に飲む友達もいるし、同じ趣味で語り合う友達もいるのに、彼はこの事件を起こした。
つまり、問いをもうひとつ深めないといけないわけです。
「友達がいなかったから孤独」なのではなく、「なぜ、友達がいるに孤独なのか?」という問いに置き換えないと。でなければ、この問題の真相にいけない。
大森:中島さんの本を拝見して、「彼は友達がいるのになぜ?」という問いかけには、すごく惹かれましたね。そのときは、すでに僕自身はプロット、脚本的なものができあがっていたんですが、「ああ、こういうふうなことだったのか!?」と思いました。
中島:先ほど、大森さんが気になったという、加藤の「誰かを愛したい……」という書き込みは、僕も反応した言葉でした。どういう状況で加藤がこれを書いたのかというと、恐らく、ある女の子に向けられた言葉なんです。
加藤は、ネットの掲示版のコミュニティを持っていて会話をしていたんですが、加藤はそこでずっと自虐ネタを書いているんです。自分はブサイクだからモテない。モテない人間は生きている意味がない、など。それらの書き込みを彼は“ネタ”だというんです。だから、ネタに対して、マジレスや説教をしてくる人を彼はからかいます。
そういったものも含めて「おもしろい」と、メタレベルでわかってくれる人とは、自分は何か共有できると、他者に対して、加藤はそういう分類をしているんです。
そんなときに、ある女の子が加藤に「友達になりたい」という書き込みをします。それに対し、加藤はやはりネタ的にネガティブに返すのだけれど、その女の子はすごく素直な子で、「それはそうと、仕事は終わったの?」とか「私は缶チューハイのピーチが好きだけれど、何が好き?」といった他愛のないやりとりをしている。そんなやり取りをして彼女が掲示版から離脱し、その翌朝に書き込んだのが、あの言葉だったんです。
大森:彼女に向けたメッセージですよね。
中島:加藤は裁判で繰り返し、「現実は建前だけれど、ネットは本音」と言っていました。現実は利害関係があるから、なかなか本音の関係が生まれない。つまり、心と心の関係とういうか、自分の透明な関係性は生まれない。けれども、ネットは本当の心と心の会話が最終的にできるという。
加藤は、自分に承認を与えてくれたその子に対し、“ネタ”ではなくマジレスをし、一歩、踏み込もうとする。しかし翌日になり、その彼女には彼氏がいることがわかる。そこで彼はキレる。そして、またたくさんのなりすましが入ってきて、彼をからかう。そこで彼はブチ切れてしまって、掲示版が荒れ放題になり、誰も書き込まなくなり、そこで一人でずっと書き始める。それが事件の原因だといっている。なりすましが原因なんだと。
大森:今、「愛されたい」と言う人はいっぱいいるんだけど、「愛したい」と言う人は少ないという印象があって、この言葉が気になったのですが、同時にどこかで彼は、人とつながりたいと渇望しているのもわかった。僕らと加藤がそんなに遠い存在ではないと強く思えたんです。
*「なりすまし」で奪われた自己
中島:僕、加藤の文章を読んでいて、思い出したのが、18世紀のフランスで活躍した思想家・ルソーのことだったんです。
ルソーって、すごい変な人で、どう変かというと、J.スタロバンスキーという人が『ルソー 透明と障害』という本を書いているのですが、ルソーは「近代人は表面的な人間関係になっていて、本当の自分からも本当の他者からも疎外されている」と考えるんです。
例えば僕たちは、人と会っていても、本当はすごく嬉しいのに、すましてみたり、ものすごく感動しているのに、なんてことないよっていう顔をしたりします。ルソーはこの表層の世界と内的な奥底の本当の心の間にベールがかぶされているというんです。
近代人は心と心がベール同士で塞がれていて、すべて表層の人間関係になっている。だから、心と心の関係を取り戻さなくてはならない。未開人や子供、あるいは古代人のように、怒りたいときに怒り、笑いたいときに大声で笑い、ベールをはぎ取って、心と心でつながる透明な共同体を作らなくてはいけない、と。
そして、透明な共同体の中で心と心でつなぎあい、みんなで意志を合わせれば、“一般意志”というものが浮かび上がる。つまり、ある特定の民族なりなんなりの中で、皆がある種、承認できるような、みんなの思いがひとつになったような、そういう意志がふっと現れてくると。
この観念がデモクラシーを生んだし、一方ではナチズムに使われました。この人間が心と心で本当につながれるという幻想が、近代人であるが故に生まれてくる。
加藤も同じなんです。心と心で人とつながりたい。現実はどうやっても建前の関係。では、どうやったら人と心と心でつながれるのかというと、外観、建前をなくせばいいと考えたのではないかと思んです。これがネットという問題なんです。脱身体的なメディアの存在です。
ルソーの時代には不可能でしたが、今は身体を欠いたコミュニケーションが可能になっている。加藤は外面をなくせば、心と心でダイレクトにつながれる。それがつながれる相手かどうかのテストをネタでやっていった。このネタをおもしろいと言ってくれた人が、加藤にとっては心と心でつながれる可能性がある他者になる。
加藤には、ネットでつながって自分で承認してくれる相手とは会いたいという思いがあり、積極的に次々と会いに行く。実際に対面しては、缶チューハイ1本で彼は泣きだしたりもしています。「本当の友達が欲しい」と。青森の長いつきあいのある友達とはそんなこと絶対にしないんです。
この幻想って一体なんなんだろう?と。
つまり、「友達がいるのに孤独」って、そこなんですよ。青森に友達がいるし、日常的には利害関係がともなった他者で友達はいる。が、建前が存在する。外観の関係。それは本当の関係ではないと、彼は考える。それを超えた人間関係を求めるときに彼はネットに注目した。
けれど、ネットは匿名性であるが故に、脱身体的メディアであるが故に、自分がのっとられる。名前などハンドルネームを書けばいいだけですし、文体だってマネることもできる。「なりすまし」によって、どんどん彼は自己を奪われていくわけです。そして崩壊してしまうというのが、この事件の原因とプロセスだと思うんです。
この幻想はいろんなところで続いていて、加藤だけの問題ではありません。
大森:脱身体というのは、なんとなく感覚でわかりますね。僕は若い俳優さんとお仕事したり、ワークショップなどで教えたりすることはあるんですが、自分の感情を沸き起こらせるとき、いろいろなものが邪魔をするんです。緊張が邪魔したり、演技ってこういうものですよね、という思いに縛られたり。あるいは、相手を信用できないために自分を出せなかったり。緊張したりすると、相手に触れても暖かさも柔らかさも感じられなくなります。役者っておもしろくてそういうのを、どんどん取ってあげると、クセがなくなったり、すごくいい芝居ができるようになる。
うまく言えないんですが、役者って「自分はここにいる」ということを身体で表現しなくてはならない仕事です。でも、「こういう芝居をしたい」とか、あるいは「認められたい」とか、そういうことを考える逆に身体が動かなくなる。今のルソーのお話は芝居をする僕らにとっても、何かヒントになる気がします。
*加藤が感じた何かを僕らも感じられたなら
中島:秋葉原事件が非正規労働の問題として語られたと言いましたが、ちょうど2008年って労働運動が盛り上がっているときでした。その年の年末に派遣村ができ、翌年に政権交代です。そのプロセスの真っ只中で、僕自身、非正規雇用という社会問題に対して発言をする論客の一人になっていました。
湯浅誠さんや雨宮処凛さんと一緒に、闘っているといった感覚があったのですが、果たして、加藤は僕たちが書いたものを読むのだろうか?とも思っていました。加藤に届く言葉はどんな言葉なんだろうと。
覚えてらっしゃる方も多いと思いますが、加藤は事件の3日前に、派遣先の工場で「つなぎがない」って暴れています。朝6時に出社して、自分のロッカーに自分の作業着がなかった。彼が見落としたのか、誰かが隠したのかわかりません。が、そこで彼はハンガーをなぎ倒して、持っていた缶コーヒーを壁に投げつけて、「どうなってんだよ! この会社は!」と突然キレて、ドアを蹴飛ばして、無断退社をします。
通勤の送迎バスがない時間帯ですから、彼は最寄り駅までの間、イライライライラしながら掲示版に書き込みをしながら帰ります。
「作業場に行ったらツナギがなかった。辞めろってか。わかったよ」
「電話うぜ。電話がくるとウェブが使えん。書き込み中断されんのがうざい」
そして駅に着き、ホームで電車を待っている間、そして、電車を降りた後に、彼はこれまでの言葉とまったく違う言葉を書き込みます。それを見たときに、僕、「あっ」と思ったんです。
書き込まれていたのは、BUMP OF CHICKENの『ギルド』という歌の一節でした。恐らく、ヘッドフォンで聞いていたわけではないと思うんですが、一言一句間違いのない歌詞を書いています。
美しくなんかなくて 優しくもできなくて それでも呼吸が続くことは許されるだろうか
その場しのぎで笑って 鏡の前で泣いて 当たり前だろう 隠しているから気づかれないんだよ
彼の中から沸きあがってきた言葉は、湯浅誠でも雨宮処凛でもなく、ましてや僕なんかではなく、バンプの言葉だったわけです。
もちろん、バンプがどうという話ではなく、加藤の心に手をつっこんだ言葉はあった、ということです。それは僕たちの批評の言葉や論文の言葉ではない。どちらかというと大森さんに近い、芸術の世界に近づいたところの言葉が彼の心をつかみ、そのときに内発的に言葉が沸いてきている。これと同じ力を映画も持っているんじゃないかなと思いました。
大森:この作品では、一応、脚本のようなものはありましたが、役者さんたちには、「こう書いてあるけれどその通りにしなくてもいいよ」って言っていました。「どう思いますか?」「どう感じますか?」と、突き詰めていく作業こそがまさにこの作品を作っていく作業でした。
加藤が感じた何かを役者も感じることができたなら、加藤の何かにちょっとでも触れるかもしれないという思いです。ちょっとだけ触れることによって、今の日本で、なぜ加藤という犯罪者が生まれたのか? 僕らと社会にいて、同じ空気を吸っていた人間が翌日、あんな凶行に走る。「捕まりました、隔離しましょう」ということでは済まないんじゃないかなというのが、やはり、僕が最初にやりたいと思ったことなのかもしれません。
*「人と話すのっていいね」
中島:冒頭(※詳細 http://nikkan-spa.jp/412165)でお話しました、加藤はなぜ、わざわざ時間とお金をかけて福井にダガーナイフを買いに行ったのかということについて、お話できればと思います。
このお店は、福井から在来線でいくつか行った駅から、またさらに離れたところにある、ショッピングモールの2階に入っていました。僕も同じルートを辿ってそのお店を訪ねてみましたが、裾野から在来線、新幹線、北陸本線、タクシーを乗り継いで片道5時間半、2万5000円くらいかかる道程です。
そのお店を加藤は雑誌の広告で見つけ、ネットで検索して訪れているですが、この店は、あることでとても評判のお店だったんです。何で評判だったのかというと、「優しい女性店員さんがいる」と、評判だったんです。
加藤は店に到着して、商品を手にしてカウンターでうつむき加減で商品を出します。「会員カードを持っていますか?」といったやり取りから、静岡県から来たこと、出身は青森だということ、青森は雪かきが大変だという話まで、その「優しい」と評判の女性店員と加藤は会話を続けます。20分ほどおしゃべりをして、加藤はお店を出て、そのショッピングモールにある回転寿司屋で食事をするのですが、またお店に戻っています。
そして、3000円ほどの滑り止めのついた手袋を買い、再び店員さんと、おしゃべりをしているんです。
この手袋は、事件に使われていません。なぜなら、サイズが合っていなかったから。加藤という人間は、かなり慎重に買い物をする人間です。そんな彼がサイズの合わない手袋を買った。これはもう、おしゃべりをする口実だったんだと思うんです。そしてお店を出るんですが、また、戻ってくる。今度は「タクシー乗り場はどこですか?」と訪ねる。タクシー乗り場と降り場は同じで、タクシーでショッピングモールまで来た加藤は、タクシー乗り場を知っていたはずなんです。
帰路についた加藤は、北陸本線に乗ってすぐ書き込みをします。
店員さんいい人だった。 人間と話すのっていいね。 タクシーのおっちゃんともお話しした。
福井からの帰り、彼は人としゃべったせいかテンションが高く、東海道新幹線が浜名湖を通過するとき「浜名湖、浜名湖」と書き込んだりしています。そして、まっすぐ家には帰らず、沼津駅で風俗店に寄っています。
加藤は人間としゃべりたかったんです。でも、職場の人間は利害関係が伴う他者でどうしても建前にならざるを得ない。ネットでそれを求めたけれどなりすましがでてきた。
では、オレはどこに行けばいいのか? 人間としゃべりたいという問いなんです。
彼が職場と自宅の往復で立ち寄る店は、コンビニと牛丼チェーン店の2軒だけ。彼にはどこかで誰かとしゃべるような斜めの関係がまったくありませんでした。
これは社会の問題でもあるはずなんです。「人としゃべりたい」と思ったとき、福井まで行ってダガーナイフを買う、タクシーに乗る、風俗に行く……。お金を媒介とするところでしか人としゃべれない、と思わせるような社会に我々はいるということです。
この風景は皆が体感しているはずで、ここから考えなくてはならないのではないでしょうか。
*自分の痛みから始める
大森:うちの家庭は、父親は前衛舞踏家で母親は新宿の女王と呼ばれた女でして(笑)、うちのおふくろは、道を歩いている全員友達だと思っていて、みんなに声をかけて歩いているんです。でも、見ていると、やっぱり、声をかけられる側も元気が出てくるんですよね。そういう単純な、ちょっとクダラナイ話でもして、ちょっと触れ合うのって、大切ですよね。
中島:ただ、それを「3丁目の夕日の時代はよかった」的な、ノスタルジーに回収させたくはないんですね。それは加藤の痛みからもっとも離れることになる。やはり、あそこの痛みを共有しながら、一歩一歩迫って行くしかない。秋葉原事件で、加藤にブレーキを踏ませるとしたら、どういう解があるのか?を無数にみんなが、自分の中の痛みからスタートさせること、というのかな。その痛みからなんか一歩でも何か踏み出せるようになっていくこと。それが秋葉原事件の受け止めることなのかなという思いはあります。
大森:僕、この映画で、主人公である梶に、思いっきり叫ばせたいという思いがありました。その理由として、まずひとつは映画界の話なんですが、ずっと自然な演技というものが流行っているというのがあります。これは浅野忠信さんという俳優さんがエポックメイキング的に日本の芝居を変えた感じがあり、それ以降、浅野さんをマネるような役者さんが増え、また、そういう映画を作る人もすごく多くなってきました。それに対して僕は、「何か違うんじゃないかな?」という思いを抱いていて、それに反するように役者に思いっきり叫ばせたいと。
叫ぶという行為は、自分の自意識とか飛んでいくんですよね。お芝居しているという自意識とかも超えたときに、何か積極的ではない何かが見てくるんじゃないかというのがひとつ。あと、加藤智大という男は、きっと叫べなかったんだろうなとも思ったんです。
中島:そうですね。それが僕は重要だと思います。
大森:この男に叫ばせたらどうなるんだろうと、自分を試したところもあります。
中島:加藤の叫びって、「カチカチ」という携帯のボタン音だったんだと思うんです。「部屋の中に携帯のカチカチ音が虚しく響いている」と非常に文学的な表現をしているんですが、彼の沸騰した怒りは、そんな素の顔で打ち込む「カチカチカチ」という音で表現された。その音が彼の現実における声でしかなかった。
カチカチではなく、現実に叫ばせたというのが、大森さんの彼に対するアプローチなんだろうなって思いました。
*「わかりやすさ」と「単純化」の違い
中島:本のエピローグでも書いたのですが、今は“わかりやすさ”と“単純化”の区別がつかなくなっています。僕がコメントを求められるときは単純化を求められる。こうだって言い切ってください、と。言い切ってくれたら、それでわかった気になって対象と自分を切り離すことができる。でもそれは対象から離れていくことなんですね。とっても。
大森:まさしくそう思います。映画でも最近、お客さんで「わからない」といって投げ出してしまう人が少なくありません。
僕はいつも思うんですが、わからないことって、知りたくならないのかな?って。僕も、最初、全然、映画がわからなかったんです。人が感動していて自分が感動できない、それがすごい悲しかったんですね。自分は心が貧しい人間なのだろうかと。それで、映画をいっぱい観ることによって、あ、こういう風に見ればいいんだと少しづつわかっていった。見方というのがあるし、感受性みたいなものは鍛えられていくものですから。
中島:「わかった」のなら、映画を撮らなくていいんですよ。たぶん。ここを間違えている映画監督の方、いるんじゃないかなってたまに思うのですが、ある真実がわかったのならば、それを言葉で短く表現できるのだったら、映画を撮る必要はない。小説もそうですが、2時間も人の物語に付き合わされるこっちの身にもなってくれと思う。
大森:中島さん、何かの対談で秋葉原事件について、「迷える99匹は政治が救うべきで、それは再分配などいろんな方法によって救える。しかし、そこからこぼれる1匹が存在する。それを救うのは文学しかない。そしてその1匹に、他の99匹もなり得る」というようなことをお話されていましたよね。僕、それを、読んで、なるほどなと。
中島:それは僕が言った言葉ではなくて、評論家・福田恆存が「一匹と九十九匹と」というエッセイで著したものです。つまり、役割の違いの話なんですよね。100人いるうちの99人を合理的に救おうとするなら政治。所得の再配分などで多くの人は救えるが、救えない1人がいる。それに手を差し伸べるのが文学だと。
だから、文学が政治になってはいけないし、政治が文学になってもいけないというのが福田恆存の言ったことで、しかも、1匹と99匹は対立するのではなくて、99匹はいつでも1匹になる存在だと。
大森:いや、「こぼれる1匹を救うのは文学しかない」というこの言葉は、モノを作る人間、僕は映画を作るわけですが、すごい元気をいただきました。
中島:問題をしっかりと合理的に書けるのならば芸術なんていらない。でも、それができないから、映画を撮ったり、小説を書いたりするだと思うんです。そこが入れ違うと、芸術が死ぬことだと思うんです。喩えるなら、宮台真司さんが言っていることを映画化してどうするんだ? みたいな話です。最近、ときどき、そういう作品がある気がします(笑)。
ネタバレになってはいけませんので詳細は避けますが、映画『ぼっちゃん』を拝見して、大森さん自身、加藤に秋葉原に突っ込ませたくない、という思いがあったのではないかと思うのですが、どうですか?
大森:それについては、脚本書いているときから撮影している間もずっと悩み続けていました。主役を演じた水澤紳吾クンに、突っこまさせたくない、事件を起こさせたくはないって思ってしまった。主人公にどこか僕が心を動かされてしまった。もしかしたら映画監督としては失格かもしれません。
お話したように、役者たちにどう思うか? 何を感じるかでやっていたので、僕の倫理というより、彼らの倫理でこの作品ができている部分はあるんです。その中でギリギリ、彼を好きになれたというのが、ちょっとだけ、うれしかったことでもあるんです。それがお客さんに伝わればいいかなと思いますね。
中島:秋葉原事件って、無数の答えがあるべきだと思うんです。これをしたらあの事件は止められた、という解はないはずなんです。ないんです。絶対に。
僕なりに、こうしたほうがよかったんじゃないかという、社会科学っぽい言明はできるんだけれど、あまりそれはしたくない。そこからもこぼれていくのが加藤だし、やればやるほど加藤は離れていく。これからも、秋葉原事件にアプローチするようなものがいろいろでてきてほしいと思っています。そのひとつの解が、大森さんの『ぼっちゃん』が示した解であり、“解”はそれぞれの中に無数にあるべきだと思いますから。
<構成/鈴木靖子>
*●映画『ぼっちゃん』(http://www.botchan-movie.com/)
監督・脚本/大森立嗣 出演/水澤紳吾、宇野祥平、淵上泰史、田村愛ほか ユーロスペースにて公開中。他、全国順次公開! 製作・配給/アパッチ twitter:https://twitter.com/botchan_movie
*中島岳志(なかじま・たけし)
1975年生まれ。歴史学者・政治学者。北海道大学大学院法学研究科准教授。専門は南アジア地域研究、近代政治思想史。2011年に、秋葉原事件の加藤智大の足取りを追い、関係者への取材を行い、裁判の傍聴を重ね、『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』を著す。ほか著書に、『中村屋のボーズ』(白水社)、『保守のヒント』『ナショナリズムと宗教』(春風社)、『朝日平吾の鬱屈』(筑摩書房)、『ガンディーからの“問い”―君は「欲望」を捨てられるか』 (日本放送出版協会)、『ヒンデゥー・ナショナリズム』(中公新書)、『やっぱり、北大の先生に聞いてみよう―ここからはじめる地方分権』(北海道新聞社)など。twitter:https://twitter.com/nakajima1975
*大森立嗣(おおもり・たつし)
1970年生まれ。前衛舞踏家で俳優の麿赤兒の長男として東京で育つ。大学入学後、8mm映画を制作。俳優として舞台、映画などの出演。自ら、プロデュースし、出演した『波』(奥原浩志監督)で第31回ロッテルダム映画祭最優秀アジア映画賞を受賞。その後、『赤目四十八瀧心中未遂』(荒戸源次郎監督)への参加を経て、2005年、『ゲルマニウムの夜』で監督デビュー。以降、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』『まほろ駅前多田便利軒』『2.11』などを手がけ、国内外で高い評価を得る。。最新作『さよなら渓谷』(http://sayonarakeikoku.com/)は今年、6月22日公開
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◆ 「秋葉原事件は止められた」加藤智大の手記から読み解く、現代社会の生きづらさ〜中島岳志氏 2012-09-26 | 秋葉原無差別殺傷事件
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◆ 『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』著者・中島岳志氏インタビュー 「秋葉原事件」とは何だったのか 2012-09-10 | 秋葉原無差別殺傷事件
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雨宮処凛がゆく!
2011-05-18up 第188回 「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」の巻
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◆ 秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大著『解』〜市橋達也被告の手記とは違い、殆ど話題になっていないが 2012-09-08 | 秋葉原無差別殺傷事件
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◆ 秋葉原17人殺傷通り魔事件 加藤智大被告 衝撃の獄中手記 週刊ポスト2012/07/20-27号 2012-07-11 | 秋葉原無差別殺傷事件
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◆秋葉原無差別殺傷事件 帰る場所--「相談相手がいて」と、いうのである 2010-07-31 | 秋葉原無差別殺傷事件
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◆秋葉原殺傷事件 弟の告白 『週刊現代』平成20年6月28日号(前編) 『週刊現代』20年7月5日号(後編) 2010-01-28 | 秋葉原無差別殺傷事件
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◆ 秋葉原無差別殺傷事件