宅間元死刑囚の鑑定本 池田小事件 担当精神科医が出版
中日新聞2013年5月18日 朝刊
児童八人が犠牲になった大阪教育大付属池田小の殺傷事件で、死刑となった宅間守元死刑囚=死刑執行時(40)=の精神鑑定書のほぼ全文が掲載された本が二十四日、出版される。鑑定書の一般向け出版は異例で、波紋を広げそうだ。事件発生から来月八日で十二年を迎える。 (芦原千晶)
著者は、元京都府立洛南病院長で鑑定を担当した精神科医の岡江晃さん(66)。「宅間守精神鑑定書・精神医療と刑事司法のはざまで」(亜紀書房)のタイトルで、関係者を匿名にし、大阪地裁に提出した鑑定書のほぼすべてを収めた。
幼少期のエピソードや四人の元妻との関わり、犯罪歴、精神科の受診記録が掲載されているほか、高校時代の反省文や少年刑務所から両親に送った手紙など、初めて公になるものも含む。
鑑定書は思いやりや道徳心に欠ける「人格障害」に加え、統合失調症や心理的発達障害に通じる症状や前頭葉機能に障害がある可能性も指摘している。
元死刑囚は鑑定で、自らのことを「生まれてきてしんどいだけの繰り返しやった」と吐露。事件前は、自殺を試みたものの「なんでおれだけ死ななあかんねん」「道連れでめちゃくちゃやったろう」と考えたと明かす。
殺人事件を想像するうち「モリモリーと食欲が出て」きたといい、事件前日に小学校での無差別殺傷を思い付いた。犯行直前は「異様に冷めている状態」で、警察に逮捕され「社会とさらばやなあ」と感じたことが、本に記されている。
岡江さんは出版に際し、個人情報の問題や遺族反応を考え悩んだというが、元死刑囚が事件前にも十五人以上の精神科医から治療を受けながら、性的暴行や傷害事件を繰り返し、池田小事件に至った事実を重くみた。
岡江さんは「どんな経緯や医療の末に事件が起きたのか。関心を持つ精神医学や司法の関係者に読んでほしい。特異な犯罪者の精神鑑定の事例を重ねることで、事件を防ぐ手だても見えてくるかもしれない」と話す。
<池田小児童殺傷事件> 2001年6月8日午前10時すぎ、大阪府池田市の大阪教育大付属池田小に、宅間守・元死刑囚が侵入、1、2年生の男女8人を殺害、教師を含む15人に重軽傷を負わせた。03年8月、大阪地裁は死刑を言い渡した。04年9月、死刑確定から約1年で刑が執行された。
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大阪・池田小乱入殺傷:宅間元死刑囚の鑑定書、今月23日に出版 担当医師「精神医療、議論を」
毎日新聞 2013年05月18日 大阪朝刊
2001年6月に起きた大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の乱入殺傷事件で、宅間守元死刑囚の精神鑑定をした岡江晃医師(66)が、鑑定記録全文を掲載した著書を今月23日に出版することがわかった。「例のない重大事件だっただけに、記録を明らかにすることで、なぜ事件が起きたのかという背景や精神医療のあり方を考えてほしい」と出版の動機を語っている。「自分が悪いんと違う」などと、生々しい言葉がつづられており、議論を呼びそうだ。
著書は「宅間守 精神鑑定書 精神医療と刑事司法のはざまで」(亜紀書房)。
岡江医師は元京都府立洛南病院長。宅間元死刑囚が公判中の02年10月、大阪地裁から依頼を受け、もう1人の専門家と鑑定を担当した。約4カ月かけて本人との面会や資料の精査を重ね、統合失調症などの精神疾患ではなく、性格に極端な偏りがある「重い人格障害」と診断。責任能力はあると判断し、鑑定書は死刑判決でも採用された。
著書には関係者のプライバシーにかかわる部分以外の鑑定内容はすべて掲載した。事件前の心境について「何もかもが逃れたかった。今の苦しさから」と語っていたといい、事件当時の心境は「国家の命令で戦争しているような感じ。自分が悪いんと違う」などと表現していたとしている。警察に捕まる際の心境として、「社会とさらばやなあ」などと話したと記している。
岡江医師は別の公立病院を退職した12年春ごろから、鑑定書の出版を考えるようになった。事件から10年以上たち、興味本位で見られることは少ないと考えたからだという。事件前に15人以上の精神科医が診察していたのになぜ事件を防げなかったのか。広い意味での発達障害の傾向があった幼少時に何らかの対応が取れなかったのか。自問を続けてきたという。
岡江医師は「個人のプライバシーなどについては悩んだ。被害者の遺族や宅間元死刑囚の遺族は連絡先がわからず了解をとっていないが、客観的な記録を残そうと判断した。他の専門家にも鑑定内容を検証してほしい」と話した。【田辺佑介】
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大阪・池田小乱入殺傷:宅間元死刑囚の鑑定本出版 識者の話
毎日新聞 2013年05月18日 東京朝刊
◇法的には問題ない−−元裁判官の西野喜一・新潟大法科大学院教授の話
鑑定書が公判で証拠採用され、確定記録に残っていた場合、正規の手続きを経れば閲覧することができる。出版そのものに法的な問題はないと思う。しかし、被害者やその遺族、被告の家族の感情を考えると、議論を呼ぶのではないか。遺族らへのフォローなどは必要だ。
◇丁寧な手続き必要−−元東京高裁判事の木谷明弁護士の話
ある元死刑囚の精神鑑定書を閲覧したことがある。元死刑囚の並大抵ではない成育歴を具体的に知り、ただ死刑にすればよいという問題ではないとよく分かった。公益的な役割があるのであれば、鑑定書の公開を一概に否定はできない。ただし、プライバシーの問題はある。最低限関係者の名前を匿名にする配慮は必要で、元死刑囚の遺族や被害者の遺族に了解を取るなど、丁寧な手続きを取った方がいいと思う。
◇症例問う価値ある−−甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)の話
事件の全容を把握するためにも、学術目的での出版は許される。特異な人格者が起こす事件は後を絶たず、症例を世に問うことは価値がある。鑑定書は供述調書など捜査資料そのものではなく、資料流出には当たらない。秘密漏示などの罪に該当するかは、出版することの意味など社会的相当性も考慮されるべきだ。
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◆ 「刑事責任」宮崎勤・宅間守両元死刑囚の公判でも責任能力が争点になった 2009-04-09 | 被害者参加/裁判員裁判
第四部 刑事責任
法廷で頻繁に飛び出す「刑事責任」という言葉。「妄想に支配された犯行で刑事責任はなく、罪に問えない」などと使われるが、この「責任」のとらえ方が腑に落ちないという人もいるだろう。精神の障害や病気について知識も経験もない市民が、そうした判断を迫られ得るのが裁判員裁判だ。
制度の開始まで1月半を切った。「裁判員を担う」第四部からは、現場の法廷などから浮かび上がった課題を探る。
〔上〕心神喪失
中日新聞2009/04/09Thu.
幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤(右)、池田小児童殺傷事件の宅間守(左)の両元死刑囚の公判でも、刑事責任能力が争点となった
名古屋地裁で開かれた模擬裁判は、刑事弁護に熱心な若手弁護士に危機感を抱かせた。統合失調症の男による殺人事件がテーマ。9人中6人が「犯行時は妄想に支配された心神喪失状態」と無罪の意見を述べる中、裁判員役の女性が、有罪の主張を貫いたからだ。
刑法39条は「心神喪失者の行為は罰しない」と規定する。心神喪失とは「精神障害で善悪の判断ができないか、その判断に従って行動できない状態」。1931年の判決で示されてから、ずっと受け継がれる定義だ。
なのに「各地の模擬裁判でも、心神喪失を認めながら有罪を主張した人がいる」。この弁護士はそう話す。
社会を震撼させた幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤(右)、池田小児童殺傷事件の宅間守(左)の両元死刑囚などの裁判では、結局認定されなかったが、弁護人は「犯行時は心神喪失だった」として、無罪を主張した。
なぜ心神喪失だと罰しないのか。逆に、どんな場合に罰することができるのか。端的に言えば「踏みとどまることができたのに、自分の意思でそうしなかった場合」である。
これが刑事責任を問えるかどうかを判断する際の基本的な考え方となる。精神障害による妄想に支配されて人を刺すなど、大惨事を生んだ犯罪でも、自分の意思でその行動を止められない状況だったら責めることはできない、罰しないというルールだ。だが、被害者から見れば、犯人の事情は関係ない。
「人を殺しても無罪になるなら、被害者は『やられ損』。無罪にはしたくない」。冒頭の裁判員役の女性が述べたように、刑事責任の考え方を理不尽だと感じる人がいても無理もない。裁判員裁判では、ルールが守られずに被告が不当な罰を受けるのではないか。そんな懸念が浮かぶ。
刑事責任能力を争う事件の弁護をテーマに論文を執筆した弁護士の金岡繁裕はこう指摘する。
「個々の裁判を担当する裁判官と検察官、弁護士が話し合って刑事責任についての説明文を作り、審理や評議で繰り返し理解を求める必要がある」
「責任なければ刑罰なし」。この格言が示す刑事責任の考え方を裁判官が裁判員にどう説明し、裁判員がどう理解するか。それは結論に影響する大きなポイントになる。(敬称略)
*刑事責任能力
物事の善悪が判断でき、それに従って自ら行動できる刑法上の能力のこと。病気やアルコール、薬物などの影響で、責任能力が完全に失われている心神喪失状態での犯行は刑を軽くしなければならない。心神喪失者医療観察法は、心神喪失や心神耗弱を理由に無罪や執行猶予になった重大事件の被告に対し、裁判官と医師の審判で入通院を命令できると定めている。
〔中〕精神鑑定
中日新聞2009/04/10
3月31日、東京高裁で、東京・渋谷の夫殺害・死体遺棄事件の控訴審の初公判が開かれた。被告の女に出廷の義務はなく、証言台には弁護側が推薦した精神鑑定医の男性が1人。1審の鑑定で被告を「心神喪失」とした診断について質問を受けていた。
夫を殺し、切断して捨てたとされる被告は「(犯行時に)血を流す女性の姿が見え、声が聞こえた」などと幻覚を訴えた。1審も2審も、争点は責任能力の有無となった。
裁判長の出田孝一が尋ねた。「自分が手をかけたけれど、別の自分がやったと思い込もうとしているのではないか。自己防衛本能の働きでは?」。医師の木村一優は「そういう自己防衛は起きていない」と反論する。犯行と向き合いたくない気持が幻覚を作り出したのではー。繰り返し問う出田に対し、木村は懸命に詐病の可能性を否定した。
1審では木村だけでなく、検察側推薦の鑑定医も心神喪失と診断した。だが判決は「精神障害は責任能力に問題を生ずる程度ではない」として双方の鑑定結果を事実上否定し、懲役15年とした。
この日の公判で、出田は最後に「職権での再鑑定を考えている」と表明。「1審で生じた鑑定結果と有罪判決との間の溝を、2審で埋めようとしているのはないか」。傍聴席からはそんな声が漏れた。
1審判決について、ある鑑定医は「動機が了解できるとか隠蔽工作があったとか、すべてを統合して責任能力に問題ないと判断したと思う」と評価する。「責任能力の有無は鑑定医が決めることではない。鑑定医が決めるのであれば有罪、無罪を決定付けることになるから、鑑定なんて怖くて出せない」
しかし、裁判員を担う素人の市民が、専門家の意見を覆してまで自らの結論を導き出せるのだろうか。
責任能力が争われたある傷害致死事件で、東京高裁は、心神喪失とした医師の鑑定結果に反して、有罪の判断を示した。しかし昨年4月、最高裁はこの判決を破棄し、高裁に審理を差し戻した。
「専門家の意見は、公正さや能力に問題があるなど採用できない合理的な事情がない限り、十分に尊重すべきだ」。精神医学のプロとは言えない裁判官の「独善」を戒める、初公判の結果だった。
「判断が難しい精神鑑定について、裁判員が混乱しないよう配慮したのだろう。だが、司法の世界でも精神鑑定の位置付けについて合意していないのに、裁判員に判断しろというのは負担が大きすぎる」と、刑事責任能力の問題に詳しいジャーナリストの佐藤幹夫は指摘する。
被告の心のありようをどう見るかは、職業裁判官でさえ悩み、迷う難問だ。しかし、裁判員になれば短時間でその問いへの答えを求められる。(敬称略)
*精神鑑定
容疑者や被告の訴訟能力や責任能力を見極めるため、精神医学や心理学などの専門化に依頼して行う。起訴前の鑑定には面接1回の簡易鑑定と3ヵ月程度かける本鑑定がある。刑事責任が問えないと検察が判断すれば、起訴されない。起訴後に裁判所が命じるのが司法精神鑑定。弁護人や検察官が鑑定人を推薦することも多い。幼女連続誘拐殺人の宮崎勤元死刑囚の鑑定では、3つの異なる結果が出て注目を集めた。
〔下〕責任能力判断
中日新聞2009/04/11
「被告人はジョギングするふりをして追い掛け、顔をつかんでキスしようとした・・・」。今年2月、大阪地裁での強制わいせつ致傷事件の公判。弁護士の最終弁論のさなか「プシーッ」という声が響いた。被告の男は体を揺らし、ブツブツつぶやいては叫ぶ。
被告は十数年前から統合失調症を患っていた。通勤途中の女性会社員に抱きついて押し倒し、けがをさせたとして起訴された。だが裁判の進行を理解していない様子だった。
もう過ちを繰り返さないか、裁判長に問われても「お父さんが怒る・・・」とかみ合わない。しびれを切らした裁判長が「君なあ、また女の人を襲うかどうかや。やるかやらへんか、どっち?」と迫ると、ようやく「やりませんよ、はぁー」ともつれた口調で答えた。
こんな様子に傍聴人からは「裁判長の話が本当に通じているのかなぁ」との声が聞かれた。それでも、被告の精神鑑定の結果は「完全責任能力あり」。判決は責任能力を認め、執行猶予付きの有罪だった。
見た目では判然としないのが責任能力の実像。その有無が争点ともなれば、裁判員はどこに判断のよりどころを求めればいいのか。
担当弁護士は「裁判官ではなく普通の人だったら、あの様子で責任能力があると思うだろうか。むしろ市民の方が鑑定にとらわれず、自分の目で見て判断してくれるのではないか」と、手あかにまみれていない素朴な感覚に期待する。
一方で、そうした感覚が逆の結論を引き出すこともある。昨年秋、東京地裁で開かれた模擬裁判。母親を殺した被告がうつ病との設定で、責任能力が争点となった。鑑定は、病気のせいで突然興奮する発作が起きて殺害に及んだと指摘した。
この発作は「無気力になる」といった典型的なうつ病の症状とは違うため、裁判員は評議で次々と違和感を口にした。「私が聴いていたうつ病のイメージがかみ合わない」「うつ病の症状がひどいときは自殺もできないと聞いた。人を殺せるなら病気ではないのではないか」・・・。そして6人中5人の裁判員が鑑定結果を否定し、完全責任能力を認めた。
模擬裁判に参加した弁護士は「うつ病は身近な病気というイメージが強いだけに、攻撃的になる発作について理解されにくかったのかもしれない」と振り返った。
名古屋大大学院准教授の津田均(臨床精神医学)は「裁判員は医学的な知識が裁判官以上に少ない。病気を理解できないと、感情に動かされて判断してしまうのでは」と懸念する。障害者支援団体からは「障害者の言動から偏見や誤解が生まれ、裁判員の判断を狂わせないか心配だ」との声が上がる。
裁判員の理性と感性を損なうことなく、法の理念である「責任なければ刑罰なし」をどう理解し、実践してもらうか。さらなる工夫が求められる。(敬称略、北島忠輔、出田阿世が担当しました)
《心神喪失による無罪判決》
最高裁がまとめた速報値では、2008年に全国の地裁で刑事事件の判決を受けた6万7644人のうち、 心神喪失によって「責任能力なし」と判断され、無罪(一部無罪を含む)となったのは13人。心神耗弱で刑を減軽されたのは134人。06年は約7万3000人中無罪5人、減軽129人。07年は約7万1000人中無罪5人、減軽159人。
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◆ 「裁判員を担う 刑事責任」
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◆ 「精神障害と責任能力」
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◆ 「宮崎勤被告 家族の悲劇 被害者の陰、地獄の日々 父親自殺 改姓 離散・・・」
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