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新日本原発紀行 茨城・東海村/これだけ原発関連施設が集まっているのは政策、国家の意思/でも、脱原発志向

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新日本原発紀行 茨城・東海村
 東海第二原発や研究所、核燃料サイクル施設、燃料工場−。茨城県東海村は、原子力に関するあらゆる施設がひしめいている。なぜこれほど原子力施設が集まったのか。収束しない福島第一原発の事故後、日本有数の「原子力村」の首長はどんな思いでいるのか。東京都心からJR特急列車で北へ約一時間半。日本の原子力発祥の地を歩いた。(篠ケ瀬祐司)

原電通り 原研通り 動燃通り
 東海村は東西、南北それぞれ8?ほど。1時間もあれば車で1周できるこじんまりとした街に、12もの原子力関連事業所が集まっている。
 太平洋沿いには「日本初」の施設が並ぶ。
 通称「原電通り」の東の突き当りには、日本原子力発電の「東海」「東海第二」という2つの原子力発電所がある。
 東海原発は日本初の商業用原子力発電所だ。原子炉は英国製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型を改良したもので、1966年7月に営業運転を始めた。出力は小さく、98年に運転を停止し、現在は廃炉(廃止措置)中。
 隣接する東海第二原発は沸騰水型軽水炉だ。73年の着工当時、出力は百十万キロワットと、日本初の大型原発と呼ばれた。

 「原研通り」を行くと、日本原子力研究開発機構の原子力科学研究所(旧日本原子力研究所)に行き着く。57年8月、米国から輸入された沸騰水型実験原子炉が臨界実験に成功し、日本で初めての「原子の火」がともった。
 63年10月26日には国産の動力試験炉が発電試験に成功。「原子力の日」は、これを記念して定められた。
 敷地内には、「世界最高クラス」の大強度陽子加速器がある研究施設(J-PARC ジェイパーク)もある。
 「動燃通り」の先には同機構の核燃料サイクル工学研究所(旧動力炉・核燃料開発事業団)がある。ここで59年に日本初の金属ウラン製造に成功した。以来、各種研究や、原発から出る使用済み核燃料などの処理を行ってきた。
 東海村は3月の東日本大震災で震度6弱の大きな揺れに見舞われ、今も道路に陥没が残る。原子力関連施設も大きな被害を受けた。
 東海第二原発は地震で自動停止。外部電源が失われた上、非常用ディーゼル発電機も3台のうち1台は、高さ5・4?の津波の影響で止まった。このため冷却が十分に進まず、水温が100度未満の冷温停止状態となるまで3日半もかかり、綱渡り状態だった。 
 同機構原子力科学研究所も敷地内が地盤沈下した。7つの原子力関連装置は今も点検などを理由に停止している。J-PARCも自動停止し、復旧作業中だ。
 同村の西側を走る国道6号沿いには、核燃料関連事業所などが集まっている。
 住友金属鉱山の子会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所もその一つ。99年、核燃料加工施設で作業中に核分裂が続く臨界事故を起こし、1万〜2万?シーベルトの放射線を浴びた作業員2人が亡くなった。半径10?圏内の住民が屋内退避したが、それでも6百人以上が被ばくした。
 2003年に操業再開を断念。ドラム缶8千本分の低レベル放射性廃棄物や施設の管理を続けている。

発祥地 ひしめく施設
 「これだけ原発関連施設が集まっているのは政府の政策、国家の意思でしょう」。東海村の村上達也村長(68)は、同村の歩みを振り返る。
 東海村史には、村民不在で原子力施設の設置が決まる様子がつづられている。
 1956年1月、原子力研究所の場所を決める選定委員会で候補に挙がったのは千葉県習志野市、群馬県高崎市、埼玉県川越市、神奈川県横須賀市、水戸市近郊など。東海村が急浮上したのは同年2月1日に、選定委が水戸市郊外を視察する際、茨城県側が同村を視察対象に加えていたからだ。
 2週間後に横須賀市が同研究所設置の第1候補に、東海村が将来の動力試験炉の候補地に決定。その後、政府内で「横須賀は都市部に近すぎる」「米軍が使用中で、返還されれば自衛隊の訓練基地として使いたい」などの反対論が強まり、同年4月6日に東海村への研究所設置が決まった。
 核燃料関連事業所や研究施設も次々と同村に進出した。「原子力施設からの固定資産税、電源三法交付金が村の財政力の中心」(村上氏)になり、「雇用先の3分の1は原子力関連」(政策推進課)と、原子力との共生が定着した。
 村の一般会計予算は2009年度で約2百億円。交付金は約13億円。それでも村上氏は福島第1原発の事故を目の当たりにした今、「脱原発」志向を鮮明にする。

福島直視 真剣に脱原発
 「もし東海村を10?の津波が襲っていたら、(東海第2原発も)メルトダウンし、ここに住んでいられなかった。紙一重だった。原発を持つことで故郷が奪われ、子どもたちの将来にかかわるようなことが起きた。日本人は脱原発を真剣に考えるべきだ」
 村上氏は太陽光や風力、地熱などの再生可能エネルギーの開発を進め、原発については「技術のため、人材を残すために必要なら、完璧にコントロール(制御)できる必要最小限に絞るべきだ」と考えている。
 人材育成に関連し、同村ではJ-PARCを中心とした研究センターをつくり、世界に貢献する構想を進めている。
 原子力に関する村上氏の原体験は、1期目に直面したJCO事故。政府や業界の危機に対する鈍感さや、技術過信に警鐘を鳴らしてきた。
 「だが変わらなかった。逆に私の言動に異質の文化をかぎ、(推進派は)3期目、4期目の村長選に対抗馬を立てた。違うことを言うとつぶそうとする世界で、私は生きてきた」
 東海第2原発の運転再開にはどう臨むのか。
 政府は再稼働に関して突然、原発のストレステストの実施を前提にする方針を示したが、村上氏は「それだけでOKというわけにはいかない」と言う。
 「技術的なこともさることながら、まず福島第1原発事故の収束だ」と強調した上で、「避難している人々の将来見通しや、政府や電力業界による補償をどうするかも明らかにする必要がある。安全規制体制の強化も不可欠。原子力安全・保安院や原子力安全委員会を温存したまま『安全』と言われてもだめだ」と、被災住民救済などを再稼働の前提に掲げた。
 市民や団体などでつくる「反原子力茨城共同行動」で世話人を務める河野直践(なおふみ)茨城大教授(農業経済論)も電力事業者の運営について「住民の声が反映する仕組みを考えていく必要がある」と、従来の仕組みの見直しを訴える。
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