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光市母子殺害事件 実名記載本の出版差し止め認めず 広島高裁

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光市母子殺害、実名記載本の出版差し止め認めず
2013年5月30日14時37分  読売新聞
 山口県光市の母子殺害事件で、犯行当時18歳だった大月(旧姓・福田)孝行死刑囚(32)(殺人罪などで死刑確定)が、実名を記載した本の著者と出版元を相手取り、出版差し止めと約1300万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が30日、広島高裁であった。
 宇田川基裁判長は、被告側に計66万円の損害賠償を命じた1審・広島地裁判決を取り消し、大月死刑囚の賠償請求を棄却した。出版差し止めについても認めなかった。
 増田美智子さん(32)(東京都)が執筆し、「インシデンツ」(同)が出版した「福田君を殺して何になる―光市母子殺害事件の陥穽かんせい―」。大月死刑囚が差し戻し控訴審で死刑判決を受け、上告中だった2009年10月に出版され、大月死刑囚の実名や顔写真、知人への手紙などが掲載された。
 1審判決は、大月死刑囚の中学卒業時の顔写真を掲載したことや、大月死刑囚から受け取った手紙を無断で週刊誌の記者に提供したことなどについて違法性を認め、増田さんらの賠償責任を認めた。出版差し止め請求については、〈1〉出版時、大月死刑囚が28歳の成人だった〈2〉すでに死刑判決が確定している〈3〉大月死刑囚が実名使用を承諾していたなどと認定。「(大月死刑囚が)重大な損失を受ける恐れがあったとは認められない」として退けた。
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光市事件 死刑囚であっても受ける不利益は罪として償うものの範囲にとどめるべき/著者の責任は大きい 2012-05-24 | 光市母子殺害事件 
 元少年実名掲載の本 販売中止認めず
 NHKニュース5月23日 18時20分
山口県光市の母子殺害事件で死刑が確定した元少年が、自分の実名などが掲載された本を販売しないよう求めた裁判で、広島地方裁判所は「元少年は、出版当時成人になっていて、重大な損失を受けるおそれがあるとは言えない」などとして、販売中止は認めなかった一方で、顔写真を載せたことについては「必要性を見いだせない」と指摘して、著者などに合わせて66万円の支払いを命じました。
この裁判は、平成11年に山口県光市で起きた母子殺害事件を巡って、3年前に東京の出版社が出した本の中で実名を掲載されたことなどに対し、死刑が確定した元少年が、出版や販売の中止と賠償を求めたものです。
判決で広島地方裁判所の植屋伸一裁判長は、「残虐な事件で、社会に与えた影響が大きいことや、元少年が出版当時成人になっていて、実名の掲載を承諾していたことなどから、重大な損失を受けるおそれがあるとは言えない」などの理由で、出版や販売の中止は認めませんでした。
一方で、元少年の顔写真を載せたことについては、「承諾をとっておらず、顔写真を掲載しても本の内容の価値に変化が生じるものとも考えにくい。掲載する必要性を見いだせず、肖像権を侵害した」と判断したほか、知人から送られた手紙を写真で掲載したことについても、「公開しないと誓約書を交わしていた」と指摘して、著者と出版社の代表に、慰謝料など合わせて66万円を支払うよう命じました。
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光母子実名本、死刑囚の出版差し止め請求は棄却
 山口県光市の母子殺害事件で、犯行当時18歳だった**死刑囚(31)(殺人罪などで死刑判決が確定)が、実名を記載された本の著者らを相手取り、少年法61条に違反し人格権も侵害されたとして出版差し止めと約1300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、広島地裁であった。
 植屋伸一裁判長(森崎英二裁判長代読)は、プライバシー権を侵害したなどとして被告側に計66万円の支払いを命じた。出版差し止め請求は棄却された。
 著者は増田美智子さん(31)(東京都)で、出版元は「インシデンツ」(東京都)。
 これまで同死刑囚側は「出版を承諾しておらず、事前に内容を確認する約束があったのに守られなかった」と主張し、「話題作りのために、顔写真付きで実名記載した」などとプライバシー権や肖像権も侵害されたと訴えていた。
 増田さん側は実名記載について、「(同死刑囚の)実像に迫るために必要」としたうえで、出版の承諾を得ており、事前確認の約束もなかったと反論していた。
 本は、同死刑囚が広島高裁の差し戻し控訴審で死刑判決を受け、上告中だった2009年10月に出版。増田さんが拘置所内で面会した内容などを基に、実名や顔写真、知人への手紙を掲載し、約2万5000部が販売されたという。
 同死刑囚側は発売直後、同地裁に出版差し止めを求めて仮処分申請。同地裁は「本は公益を図る目的であり、実名記載に同意していた」などと却下していた。
 刑事裁判は、最高裁が今年2月に上告を棄却し、死刑判決が確定した。
     ◇
 増田さん側が、虚偽の主張で名誉を傷つけられたとして同死刑囚らに約1600万円の損害賠償を求めた裁判の判決も23日に広島地裁であり、植屋裁判長は訴えを退けた。(2012年5月23日13時48分 読売新聞)
  ※読売新聞の上記記事は死刑囚を実名で報じていたが、来栖の一存で**と表記した。
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<来栖の独白2012/5/24 Thu.>
 本判決につき本質を論じた相当な報道は、私が捜したところ、見当たらなかった。わずかに、桂敬一氏の「話」を中日新聞に見出しただけである。(↓)
 「元少年実名掲載の本 販売中止認めず」「光母子実名本、死刑囚の出版差し止め請求は棄却」といったリード文で、元少年死刑囚側の完敗といった印象を与える。
 最も由々しいのは、メジャー紙の殆んどが元少年死刑囚を実名で報じていることだ。本事件提訴が最高裁係属中(被告人身分)であったのに地裁が確定者として判決している事に、些かも疑問を呈していない。少年法の主旨も、元少年死刑囚の人権も、お構いなし。人権とは、最も小さくされた人の生存と名誉が守られることだろう。
 附けたりを、いま一つ。当該出版物の著者は、なんと心無い人柄であろう。一旦はこの不幸な魂(死刑囚)に会い、彼の声を聴いたはずだ。なのに、その心を踏みにじり、ありふれた「売らんかな」に走った。浅ましい。このような似非ジャーナリスト、似非人間が巷に溢れている。
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軽率な判断、疑問
中日新聞2012/5/23Thu.朝刊31面より抜粋
桂敬一・元立正大学教授(ジャーナリズム論)の話
 本の出版は死刑確定前のことで、裁判所の判断には疑問があり、軽率だ。本人が実名を承諾していたとしても、訴訟になっていることで、そのプロセスには疑問が生じる。死刑囚であっても、受ける不利益は罪として償うものの範囲にとどめるべきで、著者の責任は大きい。
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NPJ News for the People in Japan  
 2008.4.23 メディアは今 何を問われているか 光市母子殺害事件差し戻し審をめぐる憂鬱 ―裁判員制度実施直前の死刑判決に縛られるメディア―
日本ジャーナリスト会議会員 桂敬一
  4月22日朝、遅い朝飯中、テレビ朝日の情報番組 「スーパーモーニング」を何気なくみていたら、そのつづきといった感じで、10時から広島高裁前からの中継を含め、光市母子殺害事件の差し戻し裁判の法廷の様子と判決までを、ライブで放送する、というキャスターのアナウンスが入り、すっと臨時特番が開始された。試みに各キー局のチャンネルを回すと、東京12チャンネルを除き、NHKを含む全局が同時に、ほとんど同じ方式の特番体制で実況放送をやっていた。
  東京のスタジオには局アナと法律家・評論家などのコメンテーターが控え、現地には、広島高裁前の特設デスクにキー局から派遣されたキャスターが、応援の系列地元局の放送記者とアナウンサーに囲まれて陣取る、といったかっこうだ。東京のスタジオは、現地系列局のスタジオと高裁前デスクに結ばれている。現地局が事前に取材した、被害者遺族・本村洋さんの談話ほかの関連資料映像や、たったいま廷内から出てきて、審理の進行状況を中間的にリポートする記者の姿などが、東京のスタジオの大きなモニターに映し出され、そのまま放送できるようになっている。差し戻しを決めた最高裁判決当時の資料映像などは、もちろんキー局が映し出すが、それらも、現地局スタジオ・高裁前デスクでもモニターできるようになっている。また、どの局も、このようなシステムをよどみなく動かすために、高性能の放送・通信・連絡装置を搭載した中継車などを高裁周辺に配置、さかんに稼働させている気配だ。
  新聞の番組欄を慌てて確かめたところ、こうした実況中継が、10時開廷に合わせ、9時55分からの放送開始となっていたことがわかった。驚いたのは、実際に放送が始まった途端、テレビの画面が、一つの方向に歩き出す膨大な数の人の群れを映し出したことだ。広島高裁を囲む広場に集まった、傍聴希望の人たちだ。どの局がどのようなアングルで撮ったのかはわからないが、なかには空中からこの大群衆を映したテレビ局もあった。高裁上空にはヘリコプターが何機か舞っていたはずだ。集まったのは4000人だと報じられていた。一般傍聴人の席は26席しかない。列をつくって進む人たちは、裁判所建物の入り口に向かうどこかでクジを引き、当たったわずかな人間だけが、多数の空クジの人を置き去りにし、廷内に入っていく。
  疑問が湧いたのは、一般傍聴人の当たったクジも、実際には新聞、テレビ、雑誌の記者に、かなり流れているのではないか、と思えたことだ。世間の注目度が高いにもかかわらず、取材記者席の数が限定されている裁判の場合、廷内取材に多くの人を送り込みたいメディアは、前もって謝礼を払い、アルバイトを多数動員、そのなかのだれかが抽選で引き当てた傍聴券をもらう、という方法をとる。なぜそう思ったかといえば、10時を10分も過ぎたか過ぎないかの早い時間のうちに、どのテレビも、廷内にいた記者が息せき切って出てきて屋外のマイクの前に立ち、廷内の様子を伝えだしたからだ。そうしたリポートが、その後も人が代わり、何回も繰り返されていく。裁判所側との取り決めで、同一取材者が開廷中の法廷に複数回出入りできることになっていたのかもしれないが、常識的にいって、各局がこんなにせっかちな中間リポートを、記者をとっかえひっかえし、競って繰り返せるのは、県の司法記者クラブで割り当てられた数以外の傍聴券を、それぞれ手に入れることができたからだ、としか想像できない。被告や本村さんなどを描いた廷内スケッチを、早々と映し出す局もあった。
  このような狂騒状態を、なんでテレビはつくり出す必要があるのだろうか。「みんなで渡れば怖くない」 という言葉があるが、「みんながいっせいに渡るだけになる状況ほど怖いものはない」と、ぞっとしながら画面に映し出される光景を眺めた。
  「主文後回しです。裁判長は判決理由を先に読み上げ始めました」。コメンテーターの法律専門家が「こういう場合は厳しい判決が出ます」というと、スタジオに緊張感が走る。「裁判長は冒頭、取材陣に対して静粛にするよう一喝しました」 「廷内の本村さんの落ち着いた様子は変わりません」。日本テレビの画面には「廷内速報」の字幕が映し出され、フジテレビの画面には、判決理由読み上げ先行となった途端、「極刑へ」 の字幕が出たものだ。どの局も、判決が真っ先に出ることに備えて特番の準備を整えていた節がある。廷内からのリポート体制も、その第一報を他社に遅れることなく、劇的に伝え、現場の生々しさをスタジオにインパクト強く伝えることを、眼目としていたはずだ。だが、少しは予想もしていたろうが、目当ての大きなヤマは外れた。
  しかし、事前の意気込みが惰性になっている。開廷20分近くのあいだ、廷内から興奮した面持ちの記者が代わる代わる出てきて、息を弾ませながら廷内の様子を、カメラの前で繰り返し伝える。「判決理由の読み上げが始まると、本村さんは安堵のためか、ほっと溜息をつきました」「被告の元少年はまっすぐ裁判長の方を向いています」。どこも、当初の緊張を、判決への期待に盛り上げていきたいとする感じだ。だが、絵も出ない判決理由読み上げだけでは、緊張の持続も、最後の期待への盛り上げも無理だ。
  そこで事前取材の映像が挿入される。被害者の近くの住人が 「本村さんのことを考えると、死刑は当然でしょう」 と、温顔に笑みをたたえながら語る。スタジオでは、昨年秋、弁護方針の対立をめぐって弁護団を離れた元弁護人が 「情状を重んじず、事実認定で争う弁護方針になったので、厳しい判決になるのではないか」、検察上がりの弁護士が 「最高裁の差し戻しの判断は、特別の事情がない限り、死刑を回避する理由がないというものだった。厳しい判決が予想される」などの論評や予想を試みる。そしてごく自然に、「ではここでコマーシャルを」 の合いの手が何度も入る。
  これらの総体が、巨大なテレビ・ショーのようにみえた。とても報道とは感じられない。一つの方向を目指すストーリーの完結を期待する、国民的ショーといった趣だ。これ以上の巨大なショー、国民が期待するショーは、戦争の、それも勝ちいくさの見せ場しかない。しかし、それにしては中途半端だ。大方の局が、まず判決ありき、そしてそれを受けたスタジオでの事件回顧 ・ 論評程度でしか特番を考えていなかった実情が、はしなくも露呈したからだ。判決理由読み上げが長引くなか、フジテレビは10時20分で、テレビ朝日は10時30分で、TBSは10時50分で、それぞれ裁判中継の特番を終えた。どこもがだいたい、遅らせた通常番組に、何事もなかったように戻っていった。
  異色なのが日本テレビ。当初の予定から、特番終了は11時25分までとなっていた。時間を長く保たせるための方針もはっきりしていた。熊崎勝彦元東京地検特捜部長を起用、最高裁の高裁に対する裁判差し戻しの意味、出てくるであろう判決の意義を詳細に語らせていった。時間が長かっただけに、法定内のスケッチも枚数が一番多かった。
  意表をついたのが、系列広島テレビの女性放送記者、延広記者が、前日朝に被告の元少年と面会しており、そのとき録音した彼の談話を公開したことだ。「1・2審では警察で供述した証言だけしか取り上げてもらえなかったが、最高裁のときは初めて本当のことが言えたので、胸のつかえがおり、ありがたく思い、感謝の気持ちをもった。それからは生きる喜びも感じられたので、かえって死ということの重さも余計に感じるようになった」 と語る、落ち着いた元少年の声は、いろいろなことを考えさせた。だが、残念ながら、そこに含まれている意味を発展させ、追究する方向に、せっかくの長い時間が活用されることはなかった。強烈な独占スクープ、注目すべき景物として使われただけだった。番組全体の流れは、熊崎コメンテーターのリードする方向で貫かれ、国民的合意が整然と集約されていくように思われた。
  この壮大なテレビ・ショーでNHKが演じた役割も、興味深いものだった。9時55分からの特番スタイルの実況中継では民放各局と足並みを合わせ、国民的ショーの揃い踏みに翼賛、花を添えたが、裁判長の判決理由読み上げが先となると、すぐつづく10時からの通常ニュースの枠で特番を受け、判決が出ないとわかると、ニュースの終わりにともなって、予定どおりの通常番組に移った。だが、NHKの正午のニュースが始まるとまもなく、その2番トップに扱えるタイミングで、広島高裁の判決が出た。
  日本テレビは11時30分からの定時ニュースまで引っ張って待っていたのに、判決を間に合わせてはもらえなかった。裁判長は、まるでNHKの正午のニュースに合わせるかのようなタイミングで、判決を下したのだ。国家権力としての裁判所は、「NHKは<国益>に役立つ放送をすべきだ」 と公言してはばからない経営委員長をいただくNHKに期待し、活用したのではと邪推したくなる。このときばかりは、東京12チャンネルも含めて全局がいっせいに速報で判決を流し、昼の情報番組をもつTBS、テレビ朝日はその枠のなかで、判決の意味やそれによって生じる波紋を追う特集形式で、番組をつくった。
  夜の報道番組はテレビ朝日の 「報道ステーション」、TBSの「ニュース23」だけしかみなかった。前者で古舘メイン・キャスターが、「あのような被告」 に20人を超す弁護団が付き、被告を助けることだけに専念、被害者への配慮を感じさせない弁護活動をするのには疑問を感じた、と語り、対照的に、本村さんの言葉がつねに重く、心に深く響くものを感じさせるので、感銘を受けてきた、と述べたのには、汝もまた、とする思いを新たにさせられた。 TBSのほうも、そうした雰囲気が強くはあったが、法律を学ぶ学生や、学者、ジャーナリストなど10数人に今回死刑判決に対する感想 ・ 評価、近く始まる裁判員制度への影響などについて質問を試み、多様な意見、回答を引き出していたので、ほっとするところがあった。
  その日の夕刊、翌日=4月23日の朝刊各紙も似たようなものだった。朝日、毎日の紙面には少年犯罪に対する厳罰化、裁判員制度への影響を懸念する色合いも多少あったが、日経の社説が、さらりと 「国民の感覚を映した死刑判決」 と論ずる姿勢が象徴するような空気のほうが、全紙を通じて断然強く、空気をどう読むかを気にするようになりつつある国民にとっては、そういうメディアの伝え方、論じ方のほうが、自然に受け止められるものとなっていくのではないかと、暗澹たる思いに駆られた。
  気がついたことで、とくにいっておきたいのが、以上のすべてのメディアの報道・論説を通じて、弁護団の弁護活動の内容や、判決後の言い分を、具体的に、また詳細に報じたり、論じたりする記事、番組がほとんどなかった、という事実だ。被害者側の立場や言い分を報じたもの、被害者の立場を支持、擁護する見地からの議論のほうが圧倒的に多く、それらとの対比で被告と弁護団の言い分が取り上げられても、事実上、批判のために言及されるばかりで、むしろ否定的にみられるだけに終わるおそれさえ、感じられた。
  テレビも新聞も、悪気はない。むしろ善意と正義感に溢れているとさえいえる。一生懸命やっているのだ。けれども、みんなそろって一生懸命、真面目に、また熱心にやればやるだけ、自分でもよくわからないうちに、なにやらへんな仕組みができあがっていくのではないかと、メディアに関係する人たちは感じないのだろうか。  1985年、「ロス疑惑」が起こったころのテレビ、週刊誌は、まだ人間の悪徳や犯罪の猟奇性に焦点を絞り、スキャンダラスな面白さを売り物に、視聴率を狙い、販売部数を追っかけることができた。だが、いまは歪んだ社会の悪や病理から析出されてくる、得体の知れない凶悪さが人と社会の安全を脅かすようになっている。国民は、そのような凶悪な罪を犯したものは、国家が危険な敵として容赦なくその存在を暴き、その結果に応じた懲罰を厳しく課して駆逐、社会の安全を確保していくことを望むようになる。
  メディアは、そうした国民の期待に応えようとすれば、やがて始まる裁判員制度のなかで、裁判員となる国民が正しいと考える裁きの実現に協力することに、熱中することしかできなくなるのではないか。いや、そのプロセスは、気づかないうちに、すでに始まりだしているのではないか。かつての犯罪報道は、いささかの後ろめたさはあっても、自分も面白がりながらはまっていられる体のものだった。だが、これからの犯罪報道は、敵とする犯罪者を容赦なく追及、駆逐するメディアの仕事として構造化・体制化され、永続的に実行しなければならないものと化す可能性がある。その極北に死刑制度が位置する。
  4月15日、これまで光市母子殺害事件を番組で扱ったテレビ局に対して、放送界の第三者機関「放送倫理・番組向上機構 (BPO)」の放送倫理検証委員会は、番組中の被告弁護団の取り扱いは公正さを欠くと指摘、改善を求める勧告を出した。それはそれとしてもっともであり、関係者は改善の努力をすべきだが、22日の広島高裁判決をめぐるテレビ ・ 新聞の報道ぶりに接すると、 BPOの勧告はまだまだ素朴に過ぎるという感じがしてならない。メディア全体はもっと危ないところに足を踏み入れているのではないか。法曹界の大先輩、団籐重光氏は、裁判員制度を実施するなら、死刑制度を廃止せよ─―死刑制度をそのままにした裁判員制度には絶対に反対だ、と述べている (団籐重光・伊東乾『反骨のコツ』朝日新書)。その深刻な意味を、いまメディアこそ、理解すべきではないか。
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光市事件 実名本訴訟 元少年を証人尋問〈10月 広島拘置所内〉 2011-09-01 | 光市母子殺害事件 
 実名本訴訟で元少年を証人に
 光市母子殺害事件の被告の元少年(30)=死刑判決を受け上告中=を実名表記した単行本をめぐり、元少年が著者と出版会社代表に対し出版差し止めなどを求めた訴訟で、広島地裁は31日、元少年を証人尋問することを決めた。10月中に広島拘置所(広島市中区)で実施する。
 地裁がこの日の弁論準備で決定した。元少年の代理人などによると、被告側は尋問場所について「公開の法廷でやるべきだ」と主張したが、地裁は警備上の理由から広島拘置所を選んだという。
 元少年は1999年の事件で殺人や女性暴行致死などの罪に問われ、2008年に広島高裁の差し戻し控訴審で死刑判決を受けて上告した。来年1月23日に最高裁で弁論が開かれる予定。
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光市母子殺害事件 毎日新聞社の勝訴確定=実名本の著者(増田美智子氏)側の上告を棄却2011-06-09 | 光市母子殺害事件
 山口・光の母子殺害:実名本訴訟 毎日新聞社の勝訴確定
 山口県光市の母子殺害事件で、被告の元少年(30)=差し戻し控訴審で死刑、上告中=の実名を記した本の著者、増田美智子さん(30)ら2人が「社説で名誉を傷付けられた」として、毎日新聞社に賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は7日付で、著者側の上告を棄却する決定を出した。本社の勝訴とした2審判決(10年12月)が確定した。
 増田さんらは「(取材した)当事者に知らせることなく出版しようとした」などの社説の記述は事実に反すると提訴。1審の東京地裁判決(10年6月)と東京高裁判決はいずれも前提事実に誤りはないと認定。「社会的に議論のある問題を取り上げ、出版倫理の観点から問題提起している」と社説の公益性を認めた。
 ◇毎日新聞社社長室広報担当の話
 当社の主張が十分に認められた決定と受け止めています。
毎日新聞 2011年6月9日 東京朝刊
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光市母子殺害事件実名表記本「利益優先」「増刷行為=決定を待つのが出版倫理ではないか」2009-11-12 | 光市母子殺害事件
社説:光事件実名本 妥当な決定ではあるが
 少年事件における出版・表現の自由はどこまで認められるのか。99年に起きた山口県光市の母子殺害事件をめぐり、当時18歳だった被告の元少年(28)を実名表記したルポルタージュ本につい、広島地裁が元少年側の出版差し止めの仮処分申し立てを却下する決定をした。
 内容の一部に元少年に対するプライバシーの侵害行為はあるが、出版によって回復困難な損害を受けるとまでは認められない、というのが理由だ。検閲につながりかねない出版物の差し止めは、プライバシー侵害による損害の程度が極めて大きい場合に限定すべきだという従来の司法判断の延長線上の結論であり、妥当といえるのではないか。
 元少年は昨年4月、広島高裁の差し戻し控訴審で死刑を言い渡され、上告中だ。今、全国で最も注目される少年事件の被告といっていい。本は元少年の実名(名字)から「■■君を殺して何になる」というタイトルが付けられている。書名自体が、少年時の罪で起訴された者の実名表記を禁じる少年法に違反するため、出版界に波紋を呼び、先月7日の発売時の書店の対応も分かれた。
 著者はフリーのライターで、死刑判決以後、元少年と文通や面会を重ねたという。本は、そのやりとりや手紙の引用、元少年の父親や友人ら関係者への取材内容を中心に構成している。題名どおり元少年の死刑判決に懐疑的な内容だが、少年側の弁護団は反発した。原稿を事前に確認させる約束が守られず、内容も元少年の人格権を侵害すると主張した。
 決定は、事前に原稿を見せる約束があったとはいえないと判断し、差し止め請求は退けた。だが、今回の出版については、表現の自由が守られたと楽観できないのも事実だ。
 決定が「事前確認行為なく書籍を出版したことの是非はともかく」と結論に注釈を付けたように、当事者に知らせることなく出版しようとした行為は、いかにも不意打ち的だ。また、元少年側が先月5日に仮処分を申し立てた後、初版が売り切れると2万部増刷した行為も適切だろうか。決定を待つのがせめてもの出版倫理ではないか。
 なぜ実名を書かねばならなかったのか。著者は「少年の実像を知ってもらうのには欠かせない」と説明するが、十分な説得力があるだろうか。これまでの経緯をみると、利益優先との批判はやむを得ない側面もある。
 決定は、元少年から著者への手紙や、中学時代の顔写真を掲載した点について、プライバシーを侵害すると認定した。今回の出版については、既に損害賠償を求める訴えが別に起こされている。そちらで十分な審理を尽くしてほしい。毎日新聞 2009年11月11日 東京朝刊

光母子殺害実名本「安易に一線越えた」作家ら疑問の声も2009-10-14 | 光市母子殺害事件
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光市母子殺害事件 実名本で元少年が提訴、出版差し止めなど求める2009-11-02 | 光市母子殺害事件
  山口県光市の母子殺害事件の被告で当時18歳だった元少年(28)=死刑判決を受け上告中=を実名表記した本の販売をめぐり、元少年が著者の増田美智子氏(28)と出版元「インシデンツ」(東京都日野市)の寺沢有代表(42)を相手取り、出版差し止めと慰謝料など1100万円の損害賠償を求めて広島地裁に提訴したことが分かった。元少年は出版差し止めを求める仮処分申請を同地裁に申し立てているが決定は出ていない。
 提訴は10月15日付。訴状などによると、増田氏らは元少年に対し、文書を発表する時は、原稿の内容などを事前に確認すると約束していたのに、守られなかったと指摘。さらに、出版された本は元少年の実名をタイトルに入れ、表紙にも大きくデザインするなどしており、少年の実名の出版物への掲載を禁じた少年法61条に反しているなどと主張している。
 出版元側代理人の堀敏明弁護士は「まだ訴状を読んでいないが、これまで通り出版に違法性はないと主張していく」と話している。(朝日新聞2009年11月2日)
....
〈来栖のつぶやき 2009/10/12〉
 光市事件の元少年被告人の実名を記した(というよりタイトルにした)本が出版され---そのまえに弁護団が出版の差し止めを求めた---著者側は「被告人の了解は得た」と言い、弁護団は「被告人は了解していない」と主張。了解如何に係わらず、少年法に抵触する行為だ。売らんかな、の底意が見えている。これは先の草薙厚子氏の『ぼくはパパを殺すことにきめた』も同様である。醜悪な行為だ。
 ところで、「虐待を受けて育った人は周囲の人の云うことに自分を合わせる、気に入られようとするものです」、ある人から、私はそのように聞かされた。ならば、光市事件被告人も、おそらくは増田氏の申し出に「否と云えなくて」「歓心を買いたくて」実名出版を了解したのではないか。
 不幸な境遇に育った少年である。父親の虐待に怯え、母親とは共依存の間柄で、独立し(解放され)た自分の意見など持ち得なかった(人に合わせることしか知らない)。
 彼の弁護人の安田好弘氏は、2006年6月19日の講演「光市最高裁判決と弁護人バッシング報道・・・裁判から疎外された被告人」で、次のように云う。
 「私は、少年と今年の2月27日、広島拘置所で会いました。彼はたいへん幼かったというか、大人ずれしていないというか、25歳になろうという年齢でしたが、見た目では中学生あるいは高校生といっていいくらいの印象をうけました。容貌、相貌もそうでした」。
 幼かった理由を
 「18歳1ヵ月で逮捕され、そのまま独居房に隔離されて身柄拘束されているわけですから、成長の機会が完全に奪われたままであることも確かです」。
 と云われる、が、これは少し違うかもしれない。虐待のなかでは、心も体も育たない。逮捕後に成長の機会が完全に奪われたのではないだろう。
 生まれてきてよかったと思える日々、楽しい、嬉しいと感じる日々が元少年に幾日あっただろう。増田氏には、被告人の哀しみが一つもお分かりになっていないのではないか。わずか25回の接見では無理もないが。被告人の孤独な佇まいが、如何にも無残だ・・・。

光市事件
..................


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