維新・石原共同代表の発言が波紋 「横田めぐみさん、偉い人のおめかけさんに」
J-CASTニュース2013/7/13 16:51
「(横田めぐみさんは)今、誰か偉い人のおめかけさんになっているに違いない」――。日本維新の会の石原慎太郎共同代表からこんな発言が飛び出した。
拉致被害から30年以上が経過してもいまだ消息が分からないめぐみさんや両親の横田夫妻に対して、無神経な発言だと非難する声も上がっている。
憲法改正を訴える中、唐突な発言
石原氏は2013年7月12日、JR横浜駅前で街頭演説に立ち、憲法改正について持論を展開した。その中で、北朝鮮による拉致被害について言及、「隣の朝鮮どうですか。状況証拠から言ったって300人以上拉致して、誘拐して、殺して返さない」と発言した。
拉致被害者を取り戻せないのは現行の憲法のためだとして、
「横田めぐみさんなんか非常に日本的な美人だが、何やってるか分からない。強引に結婚させられて、子どもまで生まされた。今、誰か偉い人のおめかけさんになっているに違いない」
と語った。
日本維新の会は、弁明に追われる
ネット上では、「ご両親の気持ちを考えたらこんな発言は出来ないと思いますが」「人の痛みが分からない奴に公の場でものを言う資格はない」と非難する声があふれている。
民主党の有田芳生参議院議員は「老害の醜さ!」とツイッターで厳しく非難。横田夫妻について、「政治家に対する本音を対外的にほとんど語らないが、多くの発言に傷ついてきた。石原発言もその一つである」と書いた。
日本維新の会は、突然の発言に火消しに追われた。松井一郎幹事長は同日夜、大阪府内で「自由を奪われ、厳しい生活をしている人を、何とか助けないといけないという話だ」と石原氏の発言について述べた。
橋下徹共同代表のツイッターにも石原氏の発言について質問が寄せられている。しかし慰安婦問題や八尾空港(大阪府・八尾市)でのオスプレイ訓練についてはツイートするものの、現段階で石原氏の発言についてはコメントしていない。
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〈来栖の独白〉
石原慎太郎氏の言わんとしたことは、「拉致被害者を取り戻せないのは現行の憲法のためだ」ということではないのか。それをメディアは「妾」を殊更大きく報道したのではないか。
そういうメディアやジャーナリスト(有田芳生氏)、卑しい興味だけでそれを歓迎する群像(心理)に配慮しなかったのは、拙すぎる。大失点になる。
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『石原慎太郎「暴走老人」の遺言』西条泰著 2013年5月5日初版第1刷発行 KKベストセラーズ発行 2013-07-14 | 読書
p112〜
■舌禍事件の真相は
「三国人」問題は、石原の知事就任間もないころだった。2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地の行事に出席した時だった。そのあいさつの中で、東京の治安に関して言及した部分が問題とされた。
「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶暴な犯罪を繰り返している」
三国人とは、戦中戦後の一時期に、主に在日韓国人、朝鮮人、台湾出身の中国人などを指して使われていた言葉だ。この発言を共同通信社が「三国人が・・・」という表現で記事とし、配信した。韓国などで「偏見・差別をあおるもの」として大きく取り上げられ、韓国政府が遺憾の意を示すまでになった。
石原は、定例会見の場で、記者に怒りをあらわにした。
「なぜ文章を切って報道したのか?」
“不法入国した多くの”がるとないでは、文脈が大きく変わり、受け手の印象も違ってくるという主張だ。石原は辞書に「当事国以外の国」と載っていることなども引き合いに出して記者と言い合った。都への意見では、半数以上が石原の言い分を支持するものだったという。
2001年に女性週刊誌に掲載されたインタビュー記事も一部で問題視された。大学教授の言葉を引用することを断ったうえで、
「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァなんだそうだ」
と、話したと掲載された。これは都議会でも追及されたり、損害賠償請求の裁判まで起されたりしたが、石原はまともに取り合わなかった。
p114〜
そして、東日本大震災直後の「天罰」発言である。2011年3月14日、東京電力福島第一原発の事故に伴う電力不足を乗り切るために節電担当相となった蓮舫から面会を求められた。節電への理解と協力を求められた。石原は、
「一生懸命やる」
と、応じたうえで、政府が政令を出して夜間ネオンなどを規制して節電を徹底すべきとの意見を出した。終了後に記者団に対して口にした言葉が問題とされた。
「我欲にしばられた。政治もポピュリズム(大衆迎合主義)でやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要あるね。積年たまった日本人の心の垢をね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」
「日本に対する天罰ですよ。どう受け止めるかという、受け止め方の問題なんですよ。大きな反省の一つのよすがになるんじゃないですか。それしなかったらね、犠牲者たちは浮かばれないと思いますよ」
p115〜
翌日の新聞紙面では、被災者への配慮を欠く発言として問題視された。文脈全体を見れば、日本人あるいは日本という国を憂いていることが読み取れるが、折しも4回目の知事選挙に出馬表明したばかりだった。石原の側近らは、
「出馬宣言したばかりなのに、これじゃ試合開始早々のオウンゴールですよ」
と、発言の撤回を求めた。その日の記者会見で、石原は、
「言葉が足りずに被災者の皆さまを深く傷つけた。発言を撤回し、深くお詫びします」
と、陳謝した。これまで、どのような発言批判に対しても強気で通してきた石原にとって、極めて珍しいシーンとなった。
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ババア発言
ババア発言(ババアはつげん)とは、2001年10月末から12月にかけて、東京都知事の石原慎太郎が、松井孝典東京大学名誉教授の話を引用した発言。「高齢女性を侮辱する発言を様々な場で繰り返した」として、一部の女性活動家らが「ババア発言事件」と称し、石原を提訴した。
問題とされた『週刊女性』2001年11月6日号「独占激白“石原慎太郎都知事吠える!”」などの記事による、石原の発言は以下の3つである。
1.「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」[1]
2.「この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね…、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな。」[2]
3.「そして、他の動物、他の生命体とのかかわりの中で、人間が人間というものの存在を主張し過ぎたために、非常に横暴な存在になった。そして、彼が例を挙げたのは、ほとんどの動物は繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間の場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり、人間という尊厳の中で長生きをするということで、彼はかなり熾烈な言葉でいいまして、私はそのときに、なるほどなといいながら、しかし、それは政治家にはいえないから、あなたみたいな専門家じゃなきゃとてもいえませんなといって、そのときに慨嘆したんだ。(中略)私が思わずひざをたたいた所以の一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年をとった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。」[3]
*上記事の著作権は[ウィキペディア]に帰属します
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石原知事「津波は天罰、我欲を洗い落とす必要」
東京都の石原慎太郎知事(78)は14日、東日本巨大地震に関連し、「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」などと述べた。
石原知事は同日午後、都内で「震災に対する日本国民の対応をどう見るか」と報道陣に問われ、「スーパーになだれ込んで強奪するとかそういうバカな現象は、日本人に限って起こらない」などとした。さらに親が亡くなったことを長年隠し年金を不正受給していた高齢者所在不明問題に言及し、「日本人のアイデンティティーは我欲になった。政治もポピュリズムでやっている。津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰だと思う」と語り、「被災者の方々はかわいそうですよ」と続けた。
その後の記者会見で「『天罰』は不謹慎では」と質問が相次いだが、石原知事は「被災した方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれませんが、と言葉を添えている」とした。
(2011年3月15日06時18分 読売新聞)
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石原都知事 「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」 http://www.youtube.com/watch?v=2ce2J08HrlA
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石原慎太郎著『新・堕落論』 新潮選書2011/7/20発行
〈関連部分のみ抜粋〉
p39〜
坂口安吾がかつて、当時の世相の変化を踏まえて書いた「堕落論」には、「世相が変わったので人間が変わったのではない」とあったが、今の日本の変化にそれが当てはまるものではとてもない。敗戦から65年の歳月を経て、この国では人間そのものの変質が露呈してきています。これは恐らく他の先進国にも途上国にも見られぬ現象に違いない。
それを表象するある出来事に、少なくとも私は固唾を呑まされました。
東京における男の最高齢者といわれていた老人が、実は30年前に死亡しており、家族はそれを隠し続けていたがそれが露顕し、遺体はすでに白骨化していました。その間家族は死んでいる老父の年金と、数年前に死亡した、かつて教師をしていた老母の遺族年金も受領し続けてい、年金を支給していた団体は遺族を不正として告訴し逮捕されました。そしてこれを皮切りに高齢者の不在、行方不明があちこちで数多く露呈してきています。
亡くなった実の親の弔いもせずにそれをひた隠し、限りある家の中に禁断の部屋をもうけ、死んでなお扉一枚隔てただけの一角に放置された死せる親、30年という驚異の長き間白骨と化しながら一体何を待ち続けていたのだろうか。これがきっかけで高齢者に対する調べが始まったら、他のある他のある家族は何を憚ってか、これは我々のプライバシーの問題だと訪れた調査員との面談を拒否してもいる。
p41〜
国民が追い求め、政治もそれに迎合してかなえ、助長している価値、目的とはしょせん国民それぞれの我欲でしかない。その我欲は分析すれば、金銭欲、物欲、性欲です。この追求にこれほど熱心な国民は世界にいないでしょう。
p42〜
しかし我欲がのさばってくると、これは始末におえません。死んだ親の弔いもせずに遺体を放置したまま、その年金を詐取する家族に始まって、高値のブランド製品に憧れてそれ欲しさに売春までする若い女の子。新しい同棲相手の男に媚びて、先夫との間に出来た子供をいびり殺してはばからない若い母親。消費税を含めていかなる増税にも反対してごねる国民。
消費税のアップなしに、この国のここまできてしまった財政がもつ訳はない。
p44〜
しかしそれにしても、親族にとって30年前に死亡していた老父なる人物の存在は実はどんな意味合いをもっていたのだろうか。
p45〜
同じ家に住み続けてきながら肉親の死者への弔いについてわずかも思わず、それを隠匿する家族の心象というものが私には全くわからない。
一族から出た死者への弔いなるものは家族の連帯を確かめる最後の手立てだろうに、それを行わず遺体を隠匿して金をせしめるといういじましい行為の根底にあるものは一体何なのだろうか。
いつかテレビの番組で見たが、アフリカに棲む動物の中でも知能の高い象たちは群れの中から死者が出ると群れのすべての象たちが、子供に至るまで一頭一頭死者に歩み寄って鋭敏な長い鼻で相手に触れ、その死を自ら確かめ別れを告げていました。
p46〜
弔いは知性ある生きものの、生死を分かった同僚への己の存在を踏まえた実は自らのための儀式でもあるのに、人間ながらそれを省いてまでして彼等が保持しようとするものが僅かな金というなら、動物以下の下劣な存在というよりない。
あてがわれた平和の毒
つまりこれは坂口安吾がいった、ただの世相の表示ではなしに、人間そのものが堕落し変質した証しでしかない。
こうした未曽有の現象が証すものは日本人という民族の本質的な堕落としかいいようありません。要するに戦勝国アメリカの統治下、あてがい扶持の憲法に表象されたいたずらな権利の主張と国防を含めた責任の放棄という悪しき傾向が、教育の歪みに加速され国民の自我を野放図に育てて弱劣化し、その自我が肉親といえども人間相互の関わりを損ない孤絶化した結果に他なるまい。
p47〜
しかし我々が敗戦から65年という長きにわたって享受してきた平和は、他国が願い追求努力して獲得してきた平和とはあくまで異質なものでしかありません。それは敗戦の後、この国の歴史にとって未曽有の他者として到来したアメリカという為政者が、あのニューヨークタイムズの漫画に描かれていたように、彼等にとっては異形異端な有色人種の造形した日本という、危険な軍事力を備えた怪物の解体作業の代償としてあてがったいびつな平和でしかありません。
ドイツは敗戦後連合軍の統治下、国是として2つのことを決めました。1つは新生再建のための国家規範となる憲法はドイツ人自身が決める。2つは戦後のどいつにおける教育はドイツ人自身が決めて行う、と。我々に人がやったことはドイツと正反対のものでしかなかった。
我々は、他人が彼等の目的遂行のために造成しあてがった国家の新しい規範としての(〜p47)憲法と引き換えに、自らの手で造成に努めることなしに、いや、努めることを禁じられた囲われ者へのお手当としての平和を拝受してきたのでしかありません。
p48〜
平和は自ら払うさまざまな代償によって初めて獲得されるもので、何もかもあなたまかせという姿勢は真の平和の獲得には繋がり得ない。(以下略)
p49〜
戦後から今日までつづいた平和の中で顕在したものや、江藤淳の指摘したアメリカの手によって『閉ざされた言語空間』のように隠匿されたものを含めて、今日まで毎年つづいてアメリカからつきつけられている「年次改革要望書」なるものの実態を見れば、この国がアメリカに隷属しつづけてきた、つまりアメリカの「妾」にも似た存在だったことは疑いありません。その間我々は囲われ者として、当然のこととしていかなる自主をも喪失しつづけていたのです。
未だにつづいてアメリカから突きつけられる「年次改革要望書」なるものは、かつて自民党が金丸信支配の元で小沢一郎が幹事長を務めていた時代に始まりました。
p51〜
あれ以来連綿とつづいているアメリカからの日本に対する改革要望書なるものの現今の実態はつまびらかにしないが、ならばそれに対して日本からその相手にどのような改革要望が今出されているのだろうか。国際経済機関に属している先進国で、こうした主従関係にも似た関わりをアメリカと構えている国が他にある訳がない。
トインビーはその著書『歴史の研究』の中で歴史の原理について明快に述べています。「いかなる大国も必ず衰微するし、滅亡もする。その要因はさまざまあるが、それに気づくことですみやかに対処すれば、多くの要因は克服され得る。しかしもっとも厄介な、滅亡に繋がりかねぬ衰微の要因は、自らに関わる重要な事項について自らが決定できぬようになることだ」と。
これはそのまま今日の日本の姿に当てはまります。果たして日本は日本自身の重要な事柄についてアメリカの意向を伺わずに、あくまで自らの判断でことを決めてきたことがあったのだろうか。これは国家の堕落に他ならない。そんな国家の中で、国民もまた堕落したのです。
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