【正論】「8・15」に思う 大阪大学大学院教授・坂元一哉
産経新聞2013.8.9 03:27
■軍はもう「政治の癌」に戻らない
終戦から2週間にもならないある日のこと。吉田茂は旧知の来栖三郎(元駐独大使)に、日本の負けっぷりは「古今東西未曽有」のものだから、再建の機運も自(おの)ずとそこから生まれるだろう、と述べるはがきを送っている。
≪戦力なくて国の安全守れるか≫
吉田が日本再建のための条件としてまずあげたのは、「軍なる政治の癌(がん)」を「切開除去」することだった。
「軍なる政治の癌」を取り除けば、政治は明るく、国民の道義も高まり、外交も一新できる。そして科学振興と米国からの資本導入で財界が立ち直り、日本のいいところが発揮できるなら、この敗戦も決して悪くない。吉田はそう書いた後で、「雨後天地又更佳」とまでいい切った。
国は至るところで焦土と化しているのに、いかにも吉田らしい不敵な楽観論である。もちろん、軍の政治介入、軍国主義が日本を誤らせたという反省と、終戦工作に関連して憲兵隊に捕まった体験からくる、軍への強い嫌悪感が背景にある。
ただその吉田も、このはがきからおよそ半年後、外務大臣になった自分に米国(GHQ=連合国軍総司令部)が、軍そのものの「切開除去」を含む憲法草案を提示してきたときには、さすがに動揺したようだ。米国側の記録は、吉田が「ずっと両方の手のひらをズボンにこすりつけ前後にゆっくり動かし」ながら「衝撃と憂慮の表情」で、GHQの説明を聞いていたと記している。
吉田が「軍なる政治の癌」を切り取るといったのは、軍国主義を切り取る、という意味であろう。GHQの草案に基づく日本国憲法9条のように軍(「陸海空軍その他の戦力」)そのものを切り取れば、たしかに日本は、軍国主義に戻りようがなくなる。その意味では、吉田の考えに合うともいえる。だが、軍なしに、どうやって国家の安全を確保するのか。
≪再軍備秘かに約束した吉田≫
この問題は、米軍の占領下で国体の護持(天皇の安全)と日本に有利な講和の獲得に全力をつくす吉田にとっては、将来考えるべき二の次の問題だった。
首相になった吉田は議会で、新憲法の「立案」は、単に憲法のあり方ということからだけではなく、「如何(いか)にして皇室の御安泰を図るかと言う観点をも十分考慮」したと明言している。GHQは、軍国主義排除を明確にするGHQ草案のような憲法でなければ、天皇を処罰せよという国際社会の圧力を防ぎ切れない、と吉田たちを脅していたのである。
吉田はまた、サンフランシスコ平和条約で日本が講和独立をはたす際に、再軍備はしないという「建前」を貫いた。米軍の駐留継続を前提に、再軍備よりも経済復興を優先させるという理由もある。だが、講和をスムーズに実現するため、軍国主義復活を警戒する内外の声に配慮した、という面も小さくなかった。
たしかに吉田は、朝鮮戦争の勃発で方針を転換した米国から、強く再軍備を迫られ、秘(ひそ)かにそれを約束している。講和後の安全保障を米軍駐留に頼ろうとするばかりで、日本自身の努力を、何も米国に示さないというわけにもいかなかったからである。
しかし吉田は、憲法改正を含む本格的な再軍備を考えてはいなかった。講和独立の2年後、1954年に誕生した自衛隊は、憲法が「切開除去」した軍ではない実力組織(軍事組織)という性格づけがなされ、その実力は、ゆっくり強化されることとなった。
≪安全保障の基盤固める改憲≫
来年は、その自衛隊の創設から60年になる。いまの自衛隊は年間、5兆円弱の予算を使う世界有数の実力組織だが、この間の歩みは、日本がそういう組織を持っても軍国主義には戻らないことを内外に明確にしつつ、国家安全保障のための機能を、少しずつ普通の軍に近づけていくものだった、ということができるだろう。
機能についてはまだ、集団的自衛権の行使や、国連のPKO(平和維持活動)における「駆けつけ警護」など、強化すべきところがある。だが軍国主義に戻らないことは、もう十分明確にできたし、これからも、戻る可能性はゼロといってよい。
そうだとすれば今後は、国家安全保障のための実力組織としてのその機能を十分に強化したうえで、自衛隊を憲法のなかにしっかり位置づけ、自衛隊と憲法の折り合いをさらによくする努力が望まれるだろう。憲法9条を修正するのがそのための正攻法である。だが9条をそのままにして、新しい条文を憲法に加え、自衛隊を規定するという考え方もあろう。
そういう考え方の場合、憲法9条は、「軍なる政治の癌」(軍国主義)を再発させないための規定、新しい条文は、安全保障のための実力組織(軍事組織)の法的基盤を固める規定、と整理すればよいと思う。(さかもと かずや)
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軍はもう「政治の癌」に戻らない 「8・15」に思う 坂元一哉
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