【産経抄】8月14日
産経新聞2013.8.14 03:15
去年の夏、薩摩半島を旅行していて開(かいもん)岳の美しさに目を奪われた。900メートル余りと決して高い山ではない。だが東シナ海に突き出すようにそびえる「薩摩富士」の存在感は格別である。昔から鹿児島湾に入る船が目印にしていたそうだ。▼実はこの山を目印にしたのは船人だけではなかった。先の大戦末期、20キロばかり北北西にある知覧の基地を飛び立った特攻隊の戦闘機はまず、開聞岳を目指した。そこからまっすぐ南下すれば標的の米軍艦隊がいる沖縄の海だった。美しい山に別れを告げ攻撃に向かったという。▼だから知覧の基地跡の特攻平和会館を見学した後、この山を仰ぐと涙でかすんで見える。だがそれは、特攻隊の若者が望んだことではない気がする。あくまで祖国の勝利を信じ、守り抜くために命を落とした。しかも日本に残したものは小さくなかったからだ。▼戦争に負けたとはいえ、日本人の文字通り死にものぐるいの戦いは、米国など戦勝国にも大きな衝撃だった。だから戦後の日本を占領した後も天皇を象徴として残し、過酷な統治は避けた。日本人を追い詰め過ぎるとまた、あの戦いに立ち上がると恐れたのである。▼そればかりではない。戦後「丸腰」で再スタートを切った日本が近隣国、社会主義国の攻撃をまぬかれたのは日米安保条約によるところが大きい。だがそれらの国の人々の脳裏にもあの戦いぶりが焼き付いていた。そのこともまた、日本の平和を守ってきたといえる。▼つまり特攻隊をはじめ国のために戦い、亡くなった人たちは戦後の国力と平和、それに他国への「抑止力」を残してくれたのである。そう考えるなら、その英霊を祭る靖国神社などに参拝、感謝するのは当然だ。義務ですらある気がする。
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特攻隊を始め国のために戦い、亡くなった人たちは、戦後の国力と平和、他国への「抑止力」を残してくれた
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