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軍事がわからない「奇妙な国」〜欧州側は、軍隊の活用を優先しない日本に怪訝な表情を浮かべていた

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【日曜に書く】論説委員・中静敬一郎 軍事忌避する「奇妙な国」考
 経新聞2013.8.25 03:04
 日本はいつの間にか、軍事がわからない「奇妙な国」になってしまったのではないか。
 東日本大震災などを通じて、自衛隊への評価は極めて高くなったものの、軍とすることに違和感を持つ人が少なくないのはそのためだろう。
*残滓濃い戦後民主主義
 「軍は悪」とする戦後民主主義の残滓の色濃さをも物語る。絶対平和主義」に耽り、軍事を忌避する国家でいては、力の支配がしばしば起こりうる国際政治の荒波に翻弄されるだけではないのか。
 軍事がわからなくなったのは、軍と呼ばず、自衛隊とするなど、軍を消し去る作業が続いているためだ。それに加え、軍隊とは何かを教えることのできる人たちの多くが姿を消し、軍事に関する教育、例えば、戦時法規ですら不要とされた。
 戦後、駐米大使を務めた朝海浩一郎は「帝国陸海軍をディスクレジット(悪者にする)せんとするあまり、軍備それ自体を悪なりとしてしまった」(初期対日占領政策)と反省の弁を述べている。
 「なぜ軍隊が守らないのか」。2020年東京五輪招致のために欧州諸国を歴訪し、協力を要請した自民党の衆院議員は各地で同じような質問を浴びせられたという。
 「国内の治安は警察が担当する」と議員が説明しても「武装したテロリストの攻撃には軍隊でなければ対処できない」。
*「なぜ軍隊が守らない」
 欧州側は、軍隊の活用を優先しない日本側にけげんな表情を浮かべていたそうだ。
 今年3月、超党派の東京五輪招致議員連盟の役員会で披露された話である。その場にいた日本維新の会衆院議員、山田宏氏は杉並区長当時、背広姿で説明に来庁した自衛官とのやりとりを思い出したという。
 「軍服で来ればよかった」と話したところ、「あまり刺激したくない」と答えたという。
 軍服を背広に着替えざるを得ない。軍とは言わない…。軍隊が存在しないかのような日本と、軍と国民が一体化している欧米諸国との違いは歴然だ。
 「ごまかしが続いているのですよ」。山田氏は慨嘆する。
 一方で自衛隊を軍隊として活用しないことが、日本を未曽有の危難に追い込んでいる。
 尖閣諸島周辺の日本領海侵犯を常態化させている中国の一連の行動は、国連海洋法条約第19条が違反とする「外国船舶の無害でない通航」に該当する。
 この不法行為に対し、沿岸国は「自国の領海内で必要な措置をとることができる」(同25条)とされ、自衛権行使による実力排除が認められている。
 列国の軍隊は、領土や主権を侵害する不法な暴力に対し、部隊自衛といわれる「平時の自衛権」を行使して排除する。前記の「必要な措置」をとるのは当たり前なのである。
*主権侵害を座視するな
 だが、自衛隊にはこれが許されていない。憲法第9条で禁止されているとされる「武力行使との一体化」に抵触するのだという。自衛権行使を認められているのは防衛出動だけだ。
 しかし、防衛出動は大規模な侵略を適用要件としている。懸念される海上民兵による尖閣不法占拠は、その要件に合致せず、適用の対象にならない。
 自衛隊の対処は警察力となるが、警察力は国の管轄権の一部にすぎず、外国の政府公船には行使できない。海上保安庁と同様、領海からの退去要請にとどまる。不法な主権侵害行為を座視するしかない自衛隊とは一体、何だろう。
 忘れてならないのは、周辺諸国がこうした不備と緩みにつけこんでいることだ。
 北朝鮮工作員による日本人拉致はそれを象徴する「日本潜入は食事中にトイレに立つくらい簡単」。韓国に亡命した元工作員はこう述懐していた。
 尖閣の実効支配も中国により日々、突き崩されている。
 抑止力がないことが見透かされ、危機を呼び込んでいる。
 それだけに自衛隊に列国の軍隊と同じ権限と機能をもたせることは、喫緊の課題である。
 軍事から目をそむけても問題はなにも解決しない。自衛戦争も起こりうる。国民生活の基盤は国の安全保障であり、抑止が機能しているからこそ、平和は保たれる。
 憲法を改正して軍を持つことは、独立と自存への国家の覚悟を示すことになる。
 国民の財産といえる軍隊の活用に躊躇する「奇妙な国」であってはなるまい。(なかしず けいいちろう) *リンクは来栖
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「普通の国」ではない日本 外国首脳が腰を抜かすことは山ほどある・・・集団的自衛権・憲法・歴史発言 2013-07-31 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
 【産経抄】7月31日
 産経新聞2013.7.31 03:28
 今年上半期の最大の流行語は、NHKの朝ドラ『あまちゃん』の「じぇ」だろう。見ていない人のために説明すればドラマの舞台、岩手県久慈市の一部で、驚いたときに使われる言葉だ。驚きが強いほど「じぇじぇ」といった具合に「じぇ」が増えるという。▼シンガポールのリー・シェンロン首相が朝ドラのファンなら「じぇ」を5回ぐらい連発していたかもしれない。26日、訪問した安倍晋三首相と会談したときのことだ。安倍首相から日本の集団的自衛権について聞かされたとき「えっ!?」という表情をしたそうだ。▼安倍首相の説明は「シンガポール国軍と自衛隊が同じ国連平和維持活動をしていて、国軍が危険にさらされても、自衛隊は武器を使って助けることはできない」だった。現行の憲法解釈では集団的自衛権が行使できない。そのもどかしさを訴えた中での例えである。▼目の前で友軍が危なくなっても、見て見ぬふりをするしかない。しかも日本政府自身の憲法解釈によって縛られている。リー氏としては「じぇじぇ」を通り越して「そんなバカな」と叫びたくなったことだろう。とても「普通の国」には見えなかったに違いない。▼だが今の日本には、他にも外国首脳が腰を抜かすことは山ほどある。「他国に作ってもらった憲法を70年近くも変えずにいるのです」「政治家が日本の歴史について本当のことを言うとクビになります」。それだけでも十分「不思議な国」に思えるはずだ。▼安倍首相は驚くリー氏に「当たり前のことをやろうとしているんです」と答えたそうだ。これからも憲法改正や集団的自衛権容認に向け、各国に「根回し」する方針らしい。他国に「じぇ」などと言わせない国にしていこうということだろう。 *リンクは来栖
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池間哲郎著『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』 日本を恨んでいるのは「3か国半」だけ 2013-08-18 | 国際/中国/アジア 
  【産経抄】8月18日
 2013.8.18 03:14
 カメラマンの池間哲郎さんは貧困地域の支援や撮影のため、もう200回近くアジアの国々に足を運んでいる。あるとき、カンボジアの人たちと食事をしながら恐る恐る聞いてみた。「カンボジア人は今でも日本を憎んでいるんですか」と。▼先の大戦中、この国にも日本軍が踏み込み、駐留していたという歴史があるからだ。だが聞かれた方はキョトンとし「なぜそんなことを言うのですか」と逆に聞き返した。「日本を恨んでいる人は誰もいません。全く反対です」。年長者の発言に全員がうなずいた。▼近著『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』(育鵬社)で明かしている体験談だ。池間さんは、日本人がアジアの人々から嫌われていると思っているのは大間違いだと言う。「徹底的に反日教育を続ける3か国は別として」アジアの人々は日本が大好きと断言するのだ。▼「3か国」は想像通りとして、実は「3か国半」である気もする。昨日も書いたが、15日の戦没者追悼式で安倍晋三首相が日本の「加害責任」に触れなかったと、一部マスコミが糾弾していた。中国、韓国だけでなく日本人にも「嫌日」をあおっていると思えるからだ。▼戦没者追悼式は、戦争で亡くなった人々を悼み、御霊(みたま)を慰める場である。だがそこで首相が「加害責任」や「反省」の念を述べることは「あなた方は間違った戦争のために死んだのです」と突き放すようなものだ。国を思い戦陣に散った人々にはとても耐えられまい。▼確かにこれまで何代かの首相は式辞で「反省」を口にしてきた。だがそれは中韓に気兼ねしての政治的発言だった。今年、慰霊と政治とを切り離したことは英断とさえいえる。「嫌日」国などごくわずかであることを確かめたい。
 *上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖
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日本は、専門家でさえも他人事のように自国の主権・領土に関わる問題を語る/地球市民を気取っている 2012-10-14 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
【産経抄】10月14日
産経ニュース2012.10.14 03:03
 チベット文化研究所名誉所長のペマ・ギャルポ氏が月刊誌『教育再生』に巻頭言を寄せている。「中国の侵略主義に対抗する政策」という、領土問題での日本人へのアドバイスである。中でも興味深いのは、領土や主権に対する日本人と中国人の意識の違いだ。▼中国では徹底した領土拡張主義の教育が浸透し、自信を持って自国の理屈を唱える。これに対し日本は、専門家でさえも他人事のように自国の主権に関わる問題を語る。しかも「恥ずかしくなるくらいに地球市民を気取っているのが情けない」と述べる。▼見事なご指摘と感心ばかりしてはおれない。専門家どころか、外相経験者の前原誠司国家戦略担当相までが領土問題を「他人事」と見ているようだからだ。民放の番組収録で、石原慎太郎東京都知事の尖閣購入計画を批判したという発言からそう思えた。▼前原氏は「石原氏が(購入を)言い出さなかったら問題は起きていない」と述べた。中国の反日はそのせいだというのだ。だが中国はそれ以前から尖閣への攻勢を強めていた。これに対する政府の無策を見かねて購入計画を打ちだしたのだ。▼前原氏は、石原氏と野田佳彦首相の会談で石原氏が「戦争も辞せず」みたいな話をしたことを明かしたそうだ。だがそれを批判するなら戦争の代わりにどうやって尖閣を守るかを語るべきだ。そうしないなら「他人事」であることを露呈したにすぎない。▼日露戦争前夜、黒岩涙香は主宰する新聞で、けんかの最中に賊に入られた夫婦が力を合わせて退ける話を例に存亡の機の不毛な論争を戒めた。領土が脅かされているとき、政府要人が相手国ではなく国内に批判の矛先を向ける。中国の思うツボである。
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『帝国の終焉』(「スーパーパワー」でなくなった同盟国・アメリカ)日高義樹著 2012年2月13日第1版第1刷発行 PHP研究所
 〈抜粋〉
第2章 アメリカは中東から追い出される
p93〜
第5部 どの国も民主主義になるわけではない
 人類の歴史を見れば明らかなように、確かに長い目で見れば、野蛮な時代から封建主義の時代に代わり、そして絶対主義の時代を経過し、民主主義が開花した。ヨーロッパの多くの国々はこういった過程を経て豊かになり、人々の暮らしが楽になるとともに、民主主義、人道主義へ移行していった。鍵になったのは「経済が良くなり、暮らしが楽になる」ということである。
  中国の場合は、明らかにヨーロッパの国々とは異なっている。そして日本とも全く違っている。中国は二十数年にわたって経済を拡大し続け、国家として見れば豊かになった。だが、すでに見てきたように貧富の差が激しくなるばかりで、国民は幸福にはなっていない。こう決めつけてしまうと親中国派の人々から指弾を受けるかもしれないが、中国国内の政治的な状況を見ると、依然として非人道的な政治が続いている。民主主義は全く育っていない。
  中国はもともと共産主義的資本主義と称して、共産党が資本主義国家と同じようなビジネスを行なってきた。中国という国家が資本主義のシステムを使ってビジネスを行ない、国営や公営の企業が世界中から稼ぎまくった。この結果、中国国家は経済的に繁栄したものの、中国人一人ひとりは幸福になっているようには見えない。
p95〜
  「中国人は食べられさえすれば文句は言わない」
  中国の友人がよくこう言うが、中国人はそれ以上のことを望まないのかもしれない。つまり中国の人は「食べられる」以上のこと、つまり形而上学的な問題には関心がないのかもしれない。
  「民主主義、人道主義、国際主義といったものは我々には関係ない」
  こう言った中国の知人がいるが、中国だけではなく、ロシアの現状を見ても、封建主義から民主主義に至る政治的な変化を人類の向上とは考えない人々が大勢いるようだ。
p97〜
  第2次大戦以来、人道主義と民主主義、そして平和主義を主張してきたアメリカのやり方が、アメリカ主義でありアメリカの勝手主義であると非難された。「アメリカ嫌い」という言葉が国際的に定着したのは、その結果であった。そうしたアメリカのやり方を、1つの考え方であり、1つの価値観に基づくものであると切り捨てているのが、ロシアの指導者であり、中国の指導者である。
p98〜
  ヒットラーはドイツの誇りを掲げ、ユダヤ人を圧迫するとともに、反政府勢力を弾圧して経済の拡大を図った。中国もその通りのことをやっている。しかも、冷戦に敗れたロシアのプーチン前大統領が主張しているように、価値観の違った、そしてやり方の違った経済の競争が可能であるとうそぶいている。
  だが彼らの言う価値観の相違というのは、民主主義を無視し、人道主義を拒否し、国際主義に反対することである。中国やロシアについては、冷戦に敗れた国や第2次大戦に脇役しか与えられなかった国が自分たちのやり方で歴史の勝利者になろうとしているように見える。
p99〜
  共産主義は冷戦の結果、民主主義とそれに伴う人道主義に敗北したはずである。ところが中国は、冷戦と同じ体制を維持しながら、経済の戦争には勝てるとばかり傲慢になっている。
  ヨーロッパの人々は中国の台頭をヒットラーの台頭になぞらえている。これに対して日本のジャーナリストや学者たちは驚きを隠さないようである。彼らは、ユダヤ人を抹殺しようとしたヒットラーと中国は異なっていると考えている。だが、共産党が絶対で、反対の意見を持つ者は犯罪者として牢獄に送り、言論の自由を認めていないという点では、中国はヒットラーと同じである。
  中国は明らかに人道主義を否定しているだけでなく、民主主義を理解しようとしていない。国際主義も分かろうとしない。
p100〜
  ヨーロッパの人々は、歴史的な経験から中国が危険であるとして、ヒットラーと同じであると指摘しているが、歴史にナイーブな日本の人々は全くそのことに気がついていない。
  ヨーロッパの人々はヒットラーと戦い勝利を得たが、そのためにアメリカと同盟し手を携えて戦った。中国がヒットラーだという考えに驚くべきではない。新しいヒットラーである中国の共産主義の専制体制に対して世界の人々は、手を携えて戦わなくてはならなくなっている。「アメリカ嫌い」という言葉で中国の脅威から目を逸らす時代は終わったのである。
p168〜
第4部 日本はどこまで軍事力を増強すべきか
 日本はいま、歴史的な危機に直面している。ごく近くの隣国である中国は、核兵器を中心に強大な軍事体制をつくりあげ、西欧とは違う独自の倫理に基づく国家体制をつくりあげ、世界に広げようとしている。すでに述べたように、中国は人類の進歩が封建主義や専制主義から民主主義へ向かうという流れを信用していない。中央集権的な共産党一党独裁体制を最上とする国家を維持しながら軍事力を増強している。そのような国の隣に位置している日本が、このまま安全でいられるはずがない。
 日本はいまや、同じ民主主義と人道主義、国際主義に基づく資本主義体制を持つアメリカの支援をこれまでのようには、あてにできなくなっている。アメリカは、歴史的な額の財政赤字を抱えて混乱しているだけでなく、アメリカの外のことに全く関心のない大統領が政権に就いている。こうした危機のもとで、日本は第2次大戦に敗れて以来、初めて自らの力で自らを守り、自らの利益を擁護しなければならなくなった。
 第2次大戦が終わって以来、日本人が信奉してきた平和主義は、確かに人類の歴史上に存在する理念である。だが、これほど実現の難しい理念もない。
p170〜
国家という異質なもの同士が混在する国際社会には、絶対的な管理システムがない。対立は避けられないのである。人間の習性として、争いを避けることはきわめて難しい。大げさに言えば、人類は発生した時から戦っている。突然変異でもないかぎり、その習性はなくならない。
 国連をはじめとする国際機関は、世界平和という理想を掲げているものの、強制力はない。理想と現実の世界のあいだには深く大きなギャップがあることは、あらゆる人が知っていることだ。
 日本はこれまで、アメリカの核の傘のもとに通常兵力を整備することによって安全保障体制を確保していたが、その体制は不安定になりつつある。今後は、普遍的な原則に基づいた軍事力を整備していかなければならない。普遍的な原則というのは、どのような軍事力をどう展開するかということである。(略)
p171〜
 日本は、「自分の利益を守るために、戦わねばならなくなった時にどのような備えをするか」ということにも、「その戦争に勝つためには、どのような兵器がどれだけ必要か」ということにも無縁なまま、半世紀以上を過ごしてきた。アメリカが日本の後ろ盾となって、日本にいるかぎり、日本に対する戦争はアメリカに対する戦争になる。そのような無謀な国はない。したがって戦争を考える必要はなかった。このため日本はいつの間にか、外交や国連やその他の国際機関を通じて交渉することだけが国の利益を守る行為だと思うようになった。
 よく考えてみるまでもなく、アメリカの日本占領はせいぜい数十年である。人類が戦いをくり返してきた数千年の歴史を見れば、瞬きするほどの時間にすぎない。日本人が戦争を考えずに暮らしてこられた年月は、ごく短かったのである。日本人はいま歴史の現実に直面させられている。自らの利益を守るためには戦わねばならない事態が起きることを自覚しなければならなくなっている。
 国家間で対立が起きた時、同じ主義に基づく体制同士であれば、まず外交上の折衝が行われる。駆け引きを行うこともできる。だがいまの国際社会の現状のもとでは、それだけで解決がつかないことのほうが多い。尖閣諸島問題ひとつをとってみても明らかなように、外交交渉では到底カタがつかない。
p172〜
 ハドソン研究所のオドム中将がいつも私に言っていたように、「常にどのような戦いをするかを問い、その戦いに勝つ兵器の配備を考える」ことが基本である。これまでは、アメリカの軍事力が日本を守っていたので、日本の軍事力は、アメリカの沿岸警備隊程度のものでよかった。日本国防論は空想的なもので済んできたのである。
p173〜
 ヨーロッパで言えば、領土の境界線は地上の一線によって仕切られている。領土を守ることはすなわち国土を守ることだ。そのため軍隊が境界線を守り、領土を防衛している。だが海に囲まれた日本の境界線は海である。当然のことながら日本は、国際的に領海と認められている海域を全て日本の海上兵力で厳しく監視し、守らなければならない。尖閣諸島に対する中国の無謀な行動に対して菅内閣は、自ら国際法の原則を破るような行動をとり、国家についての認識が全くないことを暴露してしまった。
 日本は海上艦艇を増強し、常に領海を監視し防衛する体制を24時間とる必要がある。(略)竹島のケースなどは明らかに日本政府の国際上の義務違反である。南西諸島に陸上自衛隊が常駐態勢を取り始めたが、当然のこととはいえ、限られた予算の中で国際的な慣例と法令を守ろうとする姿勢を明らかにしたと、世界の軍事専門家から称賛されている。
 冷戦が終わり21世紀に入ってから、世界的に海域や領土をめぐる紛争が増えている。北極ではスウェーデンや、ノルウェーといった国が軍事力を増強し、協力態勢を強化し、紛争の排除に全力を挙げている。
p174〜
 日本の陸上自衛隊の南西諸島駐留も、国際的な動きの1つであると考えられているが、さらに必要なのは、そういった最前線との通信体制や補給体制を確立することである。
 北朝鮮による日本人拉致事件が明るみに出た時、世界の国々は北朝鮮を非難し、拉致された人々に同情したが、日本という国には同情はしなかった。領土と国民の安全を維持できない日本は、国家の義務を果たしていないとみなされた。北朝鮮の秘密工作員がやすやすと入り込み、国民を拉致していったのを見過ごした日本は、まともな国家ではないと思われても当然だった。
p207〜
  日本にも、アメリカ的な自由、平等といった考え方に共感する人は大勢いる。だがその共感が世界国家主義につながっているケースが多い。国境がなくなり世界が一つになれば、人間はもっと幸福になるという考え方である。だがすでに述べたように、人類のDNAが突然変異を起こさないかぎり、世界国家が実現することはない。
  人と人との対立は人間の自然のあり方なのである。人は己の利益を守ろうとして対立する。思想や宗教で対立する。ハッサム中佐は、アメリカという国に、同じ回教徒である人々に銃を向けろと命令されたことに反発し、悩んだ末に回教徒ではない人々に銃を向け殺傷した。
  アメリカだけではなく、世界のあらゆる場所で人種や宗教からくる対立が起きている。つまりアメリカだけの問題ではない。人間そのものの問題なのである。簡単に言ってしまえば、理念や考え方、宗教が異なる人々が、一緒の行動をとることは非常に難しいということである。だからといって一人ひとりが勝手な行動をとり続ければ、アナーキー、無政府状態の混乱に陥る。人を国に置き換えれば、世界国家というものがいかに現実離れした考えかがよく分かる。
p208〜
  国が真二つに分裂して混乱に陥っているアメリカは、自由、平等という建国の父たちの理想を受け継いでいくことができるのか。(略)
 情報化と国際化が拡大する新しい状況の中で、アメリカは235年前に歴史が始まって以来の危機に陥っている。このアメリカの危機は、ある意味では人類全体の危機でもある。
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