[スポーツ特別読み物] 頑張れ、石川遼! 負けるな、斎藤佑樹! ——人生はかくも残酷だけど ライバルの松山英樹、マーくんに大きく差をつけられ、いま何を思う
現代ビジネス 2013年09月07日(土) 週刊現代
放たれる光が眩しいほど、闇は深いもの。それはわかっているのだが、彼らがスポットライトの当たらないところにいるのは似合わない。雌伏を飛躍につなぐため、元王子たちの逆襲が始まる—。
*正しい道を発見できるのか
「ふたりの差はパッティングの差ですね。石川は4~5mのパットがとことん入らなくて、ひどい日には1mすら入らない」
来季の米ツアーシード権を決める事実上の最終戦だった米ウィンダム選手権。現地で石川遼と松山英樹の戦いぶりを取材したノンフィクションライターの柳川悠二氏はこう分析した。
今季から米ツアーに本格参戦した石川が来季のシード権を確保できなかったのに対し、わずか7戦の松山がシード権を確定。明暗はくっきりと分かれた。
「石川は6月以降、パターを換え、グリップを換えてまた戻してと迷走。現在のチームに、彼に積極的に助言しようという雰囲気はないようです。石川からアドバイスを求めないかぎり、彼自身も聞く耳をもたないようで、結局、コーチ不在が停滞を生んでいるのではないでしょうか」(夕刊紙デスク)
石川を身近で見続けてきた父・勝美氏はどう見ているのか。
「あれこれ打ち方を試すのは悪いとは思いませんが、クラブやグリップを換えるのは、目標に辿り着くまでの道順を変えるような大きな変更です。遼はこれで行く、という道をまだ探っている状態なんでしょうね」
石川を悩ませているのはそれだけではない。持病の腰痛だ。今年1月に検査を受けた結果、骨に問題があったことが判明。そのため練習量が激減したという。
「医者にヘルニア気味だと言われました。それまではスタートの2時間半前からドライバーを打って、アプローチ、パッティングの順で練習するのがルーティンだったんですけど、腰痛でできなくなった。完全にパットは練習不足になってしまい、バラバラになってしまった。パットって精神的なエネルギーをかなり使うので、入らなければ入らないほど、悪い連鎖が生まれてしまうんです」
石川本人の弁である。
その焦りか、今季の石川はラウンド中によくキレていた。パットを外して奇声をあげたり、アイアンで芝を叩いたり。バーディチャンスを決められない我慢の展開が続き、簡単なパットをミスして、ショットまで乱して大叩き。悪循環だった。
一方、松山はダボを叩いても意に介さず、直後に連続バーディで取り返す。はた目には松山の存在が、石川のコース上のイライラをいっそう増幅させているようにも見えた。
「スイングスピードでも英樹にはかなわない。しかもブレがない……」
石川はライバル松山の強さをそう認めるのだった。
二人の差が広がるにつれ、周囲の視線も変わった。松山のラウンド中はメディア各社が徹底的にマークする。かつての石川がそうだった。いまや石川に注目するギャラリーもめっきり減った。結果がすべてのプロの世界。残酷だがこれが現実だ。
だが、石川もあきらめたわけではない。トレーニングの工夫により、腰痛はかなり解消。今季終盤戦は「春先に比べて、飛距離が平均20ヤードほど伸びた」(ツアー関係者)という。可能性を感じさせるシーンは他にもあった。
沼澤聖一プロは最終戦を見て、石川の来季の逆襲を予感したという。
「ウィンダム選手権のコースはグリーンの傾斜がきつく、いいところに運ばないとバーディは取れない。そこで石川は67というスコアを出した。ドライバーでフェアウェーをキープし、アイアンでピンにからむショットを打てているということです。あとはパット。まずは2mくらいの短いパットを8割の確率で入れる練習をすること。これができればロングパットにもいい影響が出るはずです」
前出の勝美氏は、テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有投手を例に挙げた。
「彼は日本にいれば豪速球投手でしたが、メジャーに行ってからは『自分は速球投手じゃない』と言うようになった。豪速球投手じゃないとメジャーで通用しないかというと、全然そうじゃないことを彼は証明しています。それと同じですよ。遼だって日本では飛ばすほうでしたが、こちらでは300ヤード飛ばすプレイヤーなんてごろごろいます。でも、体の大きい人や飛距離の出る人が必ずしも勝つわけじゃありません。対抗するにはスイングの精度を高めること。遼もティショットの6割をフェアウェーに打てるようになったら、勝負できるでしょう」
石川が「ハニカミ王子」ともてはやされた時代のアスリートで、ライバルに大きく水をあけられたもう一人の王子を紹介しよう。
'06年の夏の甲子園決勝戦で、田中将大(楽天)と伝説の死闘を演じたハンカチ王子—日本ハムの斎藤佑樹である。
かの鉄腕・稲尾和久の記録を抜く、前人未踏の21連勝をやってのけた田中に対し、斎藤は右肩関節唇損傷を抱え、開幕からファーム暮らし。いまだ一軍復帰のメドすら立っていない。
いまの二人の境遇を比べれば、かつては本当にライバルだったのかと思えるほどだ。斎藤の課題は投手の生命線であるストレート。かつて149kmを計測していた真っ直ぐが、140kmがやっと。他球団の二軍はおろか、独立リーグのチーム相手に大量失点する痛々しい姿が報じられたことも一度や二度ではない。
'06年夏の甲子園大会で、その斎藤を擁して全国制覇に導いた早稲田実業野球部の和泉実監督がいう。
「早実入学時の斎藤は普通の子。ちょっといいかなという程度のピッチャーでした。そんな彼が高校3年間の努力で全国優勝を果たしたんです。あのときの早実はダークホース的な存在でした。実際、早実はあの年のセンバツで横浜高校と対戦し、3-13で大敗しています。ところが斎藤は大の負けず嫌いで、夏までの短期間にフォームをいじり、自分でモデルチェンジをした。そうやって、3連覇を目指していた駒大苫小牧を倒し、優勝を勝ち取ったのです」
一見クールで、汗まみれ、泥まみれが似合わない風貌ながら、高校時代の恩師が太鼓判を押すほどの「負けず嫌い」だというのだ。
ただ、ここまでの大きな故障は人生で初めて。しかも右肩という重要な箇所だけに、心が折れてしまっても不思議はない。だが、和泉監督はそんな懸念を一蹴する。
「あいつの性格を考えたら、何があっても折れることはありませんよ。ああ見えて彼なりに何度も挫折を経験し、その度に立ちあがってきた。彼は言い訳はしないし、他人のせいにもしないし、嘘もつかない」
当人はいま、どんな心境なのか。かつてのフィーバーが嘘のように、人っ子ひとりいなくなった千葉県・鎌ケ谷の二軍施設を訪ねると、日焼けした斎藤が、取り巻きも番記者も連れず、一人で歩いていた。取材の趣旨を告げたとき、最初に口にしたのは自分のことではなく、似たような境遇にある石川遼のことだった。
「遼くん、あれだけ活躍していたのに、少しくらい調子が悪くなっただけで『終わった』なんて叩かれているんですか。そういうの、たまらないですね……。僕も最近、スポーツ新聞とかネットは見てないです。見る気も起きないというか」
*身体が怖がっていた
彼自身、何度もメディアに叩かれたからだろう。2月、斎藤が夕刊紙の記者に声を荒らげたことがあった。
「人生初の挫折ですよね? と聞かれて、僕の何を知っているんだよって。春季キャンプのときだったんですけど、あのころが一番、精神的に辛かったですね。肩が痛くて塁間のキャッチボールすら満足にできない。人生で初めて、野球を辞めることについて考えました」
だが、生来の負けん気がギリギリのところで斎藤を踏みとどまらせた。「悔しい」。まずは目の前でハツラツとキャッチボールをする同僚に、対抗心を燃やした。田中のことなどライバルとして意識することさえ、おこがましいような状況だった。そして斎藤は高校、大学と親しんだフォームを思い切って捨てた。痛みの出ない新しいフォーム作りに着手したのだ。ほどなくして、福音がもたらされた。肩の痛みが取れたのだ。
「それでも、イップスというか、身体が怖がってしまって、強く腕を振れるまで、しばらくかかりました。そして—先週です。グラウンドでキャッチボールをしていたら突然、相手のグラブを突き抜けるような、高校のときの良い真っ直ぐの軌道が蘇ったんです」
プロ1年目、田中と対決した斎藤は1-4で投げ負けた。それでも負けず嫌いの王子は「埋められない差ではない」と胸を張った。
いまでも、その気持ちは変わらないだろうか。
「野球はチームスポーツです。絶対はないし、また僕が投げ勝つこともあると思う。田中……さんとの差は、埋まらない差ではないと思います」
石川と斎藤。ともにライバルたちの背中はいま、遠くにかすんで見える。簡単な闘いではない。だが、厳しく残酷だからこそ、プロの世界に人は心動かされるのだ。
「週刊現代」2013年9月7日号より
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