南シナ海の「牛の舌」 清水美和の【アジア観望】
中日新聞夕刊2011/08/02Tue.
中国の地図を見ると、自分の縄張りのように南シナ海のほぼ全域を点線で囲んでいる。その形から「牛の舌」と呼ばれる区域を、中国は「管轄海域」と主張している。
*国際法の根拠不明
しかし、海外からは、国連海洋法条約が認める領海や排他的経済水域(EEZ)でもなく、意味が分からないと批判されてきた。
「南シナ海で島々の領有権を主張する関係国は、国際法の根拠を明確にすべきだ」
先月下旬、インドネシアで開かれた東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)で、米国のクリントン国務長官は主張した。名指しこそ避けたが、主に中国に向けた発言であることは明らかだ。
中国は南シナ海の南沙(スプラトリー)、西沙(パラセル)諸島の領有権を巡り、対立するベトナム、フィリピン、マレーシアなどの漁船や調査船を自らが主張する管轄海域から追い立ててきた。
*中国に身構えた米
2009年3月には米海軍の調査船を中国艦船が取り囲み、調査を中止させた。10年3月に、中国は米国に南シナ海の海洋権益を交渉の余地がない「核心的利益」と見なすと通告したといわれる。
米国は中国に身構え、昨年7月のARFで、クリントン長官は領土紛争には中立を保つとしながら「航海の自由」を断固として守ると表明した。
中国外務省は「南シナ海の諸島は古代から中国領」と主張しているが、国際法の根拠について明確に説明していない。中国で発表された学術論文で主流の意見はこうだ。
南シナ海の島々は1930年代からフランスや日本が一時占領したが、日本は敗戦で領有権を放棄した。その後、国民党政権が現地を測量し「中華民国行政区域図」(48年)で南シナ海を点線で囲うことによって中国の管轄海域であることを宣言した。
当時、周辺諸国はこれに異を唱えなかったが、60年代から海洋資源が発見されたことで、次第に島々の領有権を主張するようになった。
南シナ海について、中国は国連海洋法条約(82年採択)も、関係国の協議で領海やEEZを画定する作業は必要がないと認める「歴史的所有権」を持っているという。
*とんでもない地図
南シナ海の管轄権を宣言したという「中華民国行政区域図」は、モンゴル全域も中国領としている。日本の尖閣諸島をはじめロシアやインドなど隣接する9か国との係争地域をすべて自国領としているとんでもないシロモノだ。
国際的に受け入れられるはずもなく、南シナ海の領有権をめぐって、中国は新たな主張を展開する必要に迫られるだろう。(しみず よしかず・東京論説主幹)
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◆軋む世界/巨額の財政赤字、国防費削減を迫られる米国/経済力をバックに軍備拡張を進める中国 2011-07-31 | 国際/中国
軋む世界 米中 新たな火種 【?】南スーダン/資源・安保で覇権争い
中日新聞2011/07/26Tue.
「中国の方々から毎日、油田開発のオファーがありますよ」。今月9日、アフリカ54番目の国として誕生した南スーダン。建国の興奮冷めやらぬ中、南部政府の高官は、本紙の取材に、既に中国側の熱烈な営業攻勢を受けていると明かした。
北部スーダンの3倍に上る油田を抱え独立した南部。道路や水道、電気などインフラ整備への支援の申し出が、中国側から続々と届く。「全てわれわれから石油開発(参入)への協力を取り付けるためだ」と、意図を高官は見透かす。
舗装道路の総延長がわずか60キロ、電気や水道も未発達という国で、中国の存在感は際立つ。地元の記者によると、首都ジュバは中国系ホテルが10軒余に急増。「政府役人の大半の家は、中国企業が特別価格で建設したという話だ」と記者は声を潜めた。
中東の衛星放送アルジャジーラなどによると、分離前のスーダンは、1983年から20年余に及ぶ南北内戦が続き、米石油大手シェブロンが撤退。国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者(今年5月に米国が殺害)が91年からスーダンを拠点にしたのを受け、米国は93年、スーダンをテロ支援国家に指定し、経済制裁を科す。欧米勢と入れ替わるように進出したのが中国国営石油会社だった。
「走出去(ソーチューチー・海外に出よう」。中国政府は今世紀に入って、自国企業に海外進出を一段と促す。国策と一体の企業はリスクや政治問題を度外視し、実利優先んで事業を拡大するのが強み。日量約50万バレルとされる南北スーダンの石油生産の3分の2が、中国向けとされた。
2005年、南北和平合意が実現し、黒人キリスト教徒の多い南部でアラブ系イスラム教徒中心の北部からの独立の機運が高まると、中国は北部ばかりか南部の有力者へも接近を開始する。
南スーダンの当局者によると、09年、南部の幹部候補らが多数、北京へ招かれ、研修を受けた。「その大半は、今や新政府の指導的立場。中国は親中派を育てようとしたのだろう」
この資源豊かな新国家で、覇権争いに名乗りを上げたもう一つの大国が、米国だ。
南北和平合意の後、スーダンにインフラ整備や食糧支援など60億?(約4千8百億円)もの資金を投入。「アメとムチ」と言われる見返りと圧力の両面で、北部バシル政権を揺さぶり、南部分離を認めさせた。
南スーダンは、アフリカ北部イスラム圏と中部キリスト教圏との境にあり、地政学的に重要な位置を占める。中東・アフリカのイスラム圏を中心に「対テロ戦争」にあえぐ米国にとって、この地域で親米国家を獲得する意味は、安全保障上も大きい。
9日の独立式典に駆けつけた米国のライス国連大使は「独立は、与えられたのではない。あなた方が勝ち取ったのだ」と持ち上げてみせた。だが、米外交の勝利ともいえる。
長い内戦を経て、悲願の新国家樹立に沸き返る南スーダン。グローバル経済と対テロ戦争での勝利をもくろむ大国の思惑が、激しくぶつかる最前線となりつつある。(カイロ・今村実)
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23日の東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)でも、焦点の南シナ海領有問題をめぐり米中両国は歩み寄りの姿勢を示さなかった。激しさを増す資源争奪や情報戦など、世界各地での2大国の新たな火種を探った。
軋む世界 米中 新たな火種【?】欧州 中国、国債購入 武器に
中日新聞2011/07/27Wed.
ベルリンの首相府で6月28日、ドイツのメルケル首相と中国の温家宝首相が共同記者会見に臨んだ。その場へ次々に登場した両国の閣僚や企業トップが延々30分も、2項目に及ぶ協定書類に署名し、固い握手を交わした。大型商談成立を報道陣にアピールする晴れ舞台だった。
中国から楊潔ち外相ら過去最多の13閣僚が参加した初の独中合同閣僚会合。経済協力の合意は幅広く、主要企業の大型ビジネスも並んだ。
中国が欧州航空機大手エアバスの旅客機A32062機を購入▽独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)は中国に新工場を建設し、電気自動車でも協力を推進▽独総合電機大手シーメンスと中国国家発展改革委員会は中国での環境対策の技術開発で提携ーなど、総額百6億ユーロ(約1兆2千億円)にも上る商談となった。
欧州諸国には、中国の巨大市場への期待感とともに、人権問題への懸念も根強い。しかし、中国が、温首相歴訪直前の6月22日、拘束していた芸術家、艾未未(がい みみ)氏を保釈するなど、懸念に配慮するポーズを見せると、ドイツは「法治国家としてのあるべき姿に意見の相違がある」(メルケル首相)と認めつつ、実利優先でビジネスを進める姿勢を前面に出した。
温首相も「今後5年間で両国間の貿易額を倍増させ2千億ユーロにする」と意気込んだ。
中国資本のドイツ進出は著しい。
今年に入ってパソコンメーカーなど7社を買収。独大衆紙ビルトは「中国の侵略」の見出しで報じ、国内の不安を伝えた。「中国は産業スパイから企業買収へと戦術転換した」とする識者の意見を紹介した上で、大型商談成立にも「笑顔の裏に何があるか」と警戒心を隠さない。
実際、中国は目に見えないものをも買おうとしている。温首相は記者会見で、ギリシャに端を発したユーロ圏諸国の国債買い入れを表明。危機にもかかわらずユーロの対ドル相場は1月の1・28?から直近の1・44?へ値上がり。要因の1つが、ユーロ諸国の国債などの中国による購入だ。
中国はこれまで、自国の輸出が有利になるように人民元を売り、ドルを買う為替介入を続け、対米輸出の価格競争力を保ってきた。手元にたまったドルで米国債を大量に買っているが、財政問題抱える米国と道連れになる危険も膨らんだ。
ドルに代わる唯一の投資先が現状ではユーロ。欧州からは感謝もされる。中国がドルからユーロへ振り向ける資金の割合を増やせば、米国の金利やドル相場が悪影響を受ける恐れがあり、中国にとって米国を揺さぶる手段ともなる。
ユーロ危機の下、欧州と米国の足元を見透かしたような中国のしたたかな経済戦術が、欧州への接近をいっそう加速させている。(ベルリン・弓削雅人、ロンドン・松井学)
軋む世界 米中 新たな火種 【?】中央アジア/経済力背景に中国化
中日新聞2011/07/28Thu.
「ロシアか中国か。(ロシアの)メドベージェフ大統領が踏み絵を迫った」
6月14日、中央アジア・ウズベキスタンの首都タシケント。メドベージェフ大統領とウズベクのカリモフ大統領の4時間に及んだ会談を、ロシア外交筋はこう分析する。
表向きのテーマは「中東民主化」。自国への波及を恐れるカリモフ大統領に対し、メドベージェフ大統領がカリモフ氏の独裁体制への支持と引き換えに「親ロ反米路線」の堅持を求めた、との見方が一般的だ。が、同筋によると、メドベージェフ大統領が重視したのは、翌15日のタジキスタンでの上海協力機構(SCO)首脳会議で、新規加盟規約の採択に同意させることだったという。
SCOは、もともとロシアと中国が、米国と対峙する新たな世界軸を目指して2001年6月、中央アジアの旧ソ連4か国とともに創設。05年の首脳会議では、中央アジアの駐留米軍に早期撤退を求める共同宣言を出し、実際にウズベクの米軍基地を閉鎖に追い込むなど、対米牽制では一定の成果を挙げてきた。
しかし、経済力を背景に、豊富な地下資源への巨額投資など中央アジアに対する影響力を拡大する中国は、ロシアにとって米国以上ともいえる脅威に変貌。ロシアは、中国を抑えるため、友好国でSCO準加盟国のインドの正式加盟をもくろんでいた。
加盟規約は、運営分担金など加盟の具体的条件を定め、SCO拡大の法的基盤となる。
既に事務レベルで草案が完成。ロシアは、採択を目指し、根回しに奔走した。
だが、首脳会議では各国首脳がSCO拡大を検討するとの覚書に署名したものの、具体的加盟条件については継続審議とされた。ロシア外交筋や専門家らによると、中国が規約の内容に原則的に賛成しながらも「SCOは開かれた組織として発展する」との拡大路線明示の表現に反発したためという。
現在、モンゴル、インド、パキスタン、イランが準加盟国。今後数年内の正式加盟は困難とみられるが、機構として拡大路線を明確にした場合、いずれは「対テロ戦」をめぐって米国と対立を深めるパキスタンなどの加盟も具体的日程に上り、対米摩擦が生じる。財政赤字に苦しむオバマ米政権がブッシュ前政権と違って中央アジアに対する消極姿勢を続ける隙に、安全保障面での無用な米中対立を避けつつ、経済領域で一気に影響力を拡大しようとする中国の思惑が浮かび上がる。
中国の胡錦濤国家主席は首脳会談で、SCO加盟国に対する総額百20億?(約9千5百億円)の低利融資を表明。もくろみの外れたろしあとは対照的にSCOの盟主としての存在感を示した。
ロシア科学アカデミーの研究者ルジャーニン氏も「もはや経済面ではSCOにおける中国の主導権は揺るがない」といっそうの“中国化”を予測する。ロシアのみならず、米国にとっても憂慮の種に違いない。(モスクワ・酒井和人)
軋む世界 米中 新たな火種 【?】サイバー空間/「諜報活動」に包囲網
中日新聞2011/07/30Sat.
今年3月、米防衛関連企業のコンピューターに外部から何者かが侵入、国防関連情報を含む2万4千件のファイルが盗み出された。
「やったのは外国の諜報機関だと考えている。背後には国家権力がいる。だが、あえてそれが誰なのかは言わないことにする」
コンピューターネットワーク上の仮想空間を「サイバー空間」と呼ぶ。今月14日、その空間における米国の新たな防衛戦略を発表したウィリアム・リン国防副長官はさりげなく重大な事実を打ち明けた。
中国のことを指しているのは、誰の目にも明らかだった。
今年6月。外部からの大規模なサイバー攻撃を受けたインターネット検索大手グーグルは「攻撃の起点は中国山東省済南市」と発表した。
同市は人民解放軍の重要拠点。昨年、グーグルが検索サービスに対する事前検閲の撤廃をめぐって中国政府と対立した際も「同市からとみられるサイバー攻撃を受けた」と主張していた。
中国側は否定しているが、今回の攻撃ではグーグル提供のメールサービスを利用する米政府高官らの私信が標的とされており、中国の諜報活動の一環である疑いは深まるばかりだ。
2008年、米国防総省のコンピューターシステムは外部からの本格的なサイバー攻撃に初めてさらされた。危機感を深めた米国は昨年2月、「4年ごとの国防戦略見直し(QDR)」でサイバー戦略の必要性を明記。昨年5月には、東部メリーランド州の陸軍基地内に「サイバー司令部」を設置した。
これに遅れること約1年、中国国防省は人民解放軍の広州軍区に「ネット藍軍」を創設。「ハッカー部隊では」との懸念が世界に広がったが、中国はネット攻撃に対する防御態勢固めと説明した。
サイバー空間でしのぎを削る2大国だが、現実には、サイバー戦での米国の攻撃力は他の追随を許さない。
米軍はコンピューター7百万台を擁し、1万5千以上の軍用ネットワークを運用。ハイテク兵器を一瞬で無力化するコンピューターウィルスなど「サイバー兵器」も、1991年の湾岸戦争当時にイラク軍事システムを標的にして使用したとされるうえ、最近のイラン核開発施設を狙った作戦でも実証済みといわれる。
さらに、「アングロ・サクソン諸国」と呼ばれ、互いに親密な英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとの間で軍事通信傍受網「エシュロン」を秘密裏に運営してきたと指摘される。
日本もまた、サイバー空間での米国の安全保障体制に組み込まれつつある。リン国防副長官は、サイバー戦略発表の記者会見で「日本とはとりわけ協調を進めたい。すでにその手だては打っている」と明言した。
サイバー攻撃に対し軍事報復の可能性をちらつかせ、中国を激しく牽制する一方で、欧州や日本とのサイバー同盟の強化を進める米国。冷戦時代の旧ソ連封じ込めを想起させる、「中国封じ込め」が着々と進んでいる。(ワシントン・久留信一)
軋む世界 米中 新たな火種 【?】南シナ海 問題先送り 中国は軍拡
中日新聞2011/07/31Sun.
領有権争いが続く南シナ海南沙(英語名スプラトリー)諸島で、フィリピンが実効支配するパグアサ島など9つの島や環礁を管轄しているパラワン州カラヤン町。ビトオノン町長は5月下旬、漁民から、中国船が同諸島の浅瀬に建築資材を運び込み、建造物を建設しようとしているのを目撃した、と連絡を受けた。すぐにフィリピン軍に報告するよう漁民に指示した。
「建造物ができれば人民解放軍が駐留し、漁民が近くを航行できなくなる。容認できない」と町長は言う。
1995年に南沙諸島のミスチーフ環礁に中国が軍事拠点を設置して以来、中国船による監視活動が活発化。航行を妨害されたり、警告射撃を受ける漁船が増えた。フィリピン外務省は、今年2月以降、中国から少なくとも7件の「攻撃的侵入」を受けたとする。
これに対し、今月20日には、パグアサ島にフィリピンの国会議員5人が上陸し、自国領であるあることをアピール。ロザリオ外相も中国批判の発言を繰り返す。フィリピン側の強硬姿勢の背景には、合同軍事演習の実施や武器供与の約束など、米国がフィリピン支援に対し軍事支援を深めている事情がある。
しかし、21日にインドネシア・バリ島ヌサドゥアで開かれた中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)との外相会議は、問題の平和的解決を目指す2002年の「行動宣言」の実効性を高める指針に合意したものの、解決への具体策を盛り込めなかった。「中国は現状を維持した」とフィリピン外交筋。問題の先送りに中国が成功したとの認識だった。
昨年7月のベトナム・ハノイでのASEAN地域フォーラム(APF)で、クリントン米国務長官は、世界の商業海運の5割が通航する南シナ海の自由航行は「米国の国益」と述べ、関与を本格化。参加各国が同調し、「中国包囲網」が形成された。
その流れを教訓とした中国は今回、新たな経済支援を前面に掲げ、先手を打った。4月に温家宝首相がASEAN議長国のインドネシアを訪問し、百億?(約8千億円)規模の経済協力で合意。フィリピン、ベトナムとも個別に会談を行い、ASEAN側と具体策のない指針での合意にこぎつけた。中国の楊潔箎(ようけっち)外相は「中国とASEANで(領有問題を)解決できることを示すものだ」と述べ、米国の関与は不要との姿勢を強調した。ASEAN外交筋は中国の思惑を「時間を稼げばそれだけ自国に有利に働くと考えているのだろう」と指摘する。
中国国防省は27日、空母計画について初めて公式に確認。大連での改修中の旧ソ連製空母「ワリャク」が近く就航し、南シナ海を管轄する人民解放軍「南海艦隊」に配属される見通しのほか、国産空母の建造も本格化したもようだ。中国はさらに、米空母の接近を阻止できる対艦弾道ミサイルの配備を始めたとの情報もある。
巨額の財政赤字を抱え、国防費削減を迫られる米国は、世界第2位の経済力をバックに軍備拡張を進める中国の動きにいっそう神経をとがらせている。
(ヌサドゥアで、古田秀陽)=おわり
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◆北方領土 仮に裁判となった場合、日本が負ける確立が高いというのが国際法の専門家の意見2011-02-20 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
日露の病根を除く機会に
ロナルド・ドーア〈英ロンドン大学政治経済学院名誉客員〉
中日新聞2011/02/20Sun.
時どき日本の外務省は、一度採用した外交路線を放棄できずに成り行きに任せ、しまいにはにっちもさっちもいかなくなってしまうことがある。北方領土問題をめぐる対ロシア関係が正にその典型であろう。
日本政府はこれまで、旧総務庁の前に「北方領土が帰る日・平和の日」という大きな石碑を建てたり、国後も択捉もわれわれの島だという国民感情に訴えてきた。
これに対しロシアは、日本の主権を認めるような考えは基本的にしないが、勃興日本の経済力や、少しずつ増大してきた外交力に敬意を表し、日本の国民感情の手前もあって、日本のクレームには一応、真面目に対応してきた。ところが、日本の経済力・外交力の衰退も1つの原因だろうが、最近ではメドベージェフ大統領が国後島入りして以降、ロシア閣僚の訪問が相次ぎ、軍事的な防衛強化も発表するなど、「日本が主張する『主権の問題』は毛頭ない。交渉する意思はもうない」と、きっぱり告げた格好だ。
2カ国外交で日本の主張を唱え続けても、日ロ摩擦の時代が永遠に続くだけだろう。極論になるが、諦めるのも賢明な道で、尊厳ある主権国として面目を失わない諦め方を探さねばならない。
そういう道を国際司法裁判所(ICJ)が与えてくれそうだ。ロシアの北方四島占領は不法だと、日本が訴えればいい。もちろん、ロシアに根回しし、訴えられたら応じるとの確約を取り付けることが前提となる。それに、優秀な外交官の長い努力が必要だろう。小泉純一郎元首相の北朝鮮訪問の準備工作として、田中均氏が北京で交渉し、拉致の事実を認める約束を取り付けたようにだ。
仮に裁判となった場合、日本が負ける確立が高いというのが、国際法の専門家の意見だ。理由は、サンフランシスコ条約で日本ははっきりと主権を放棄してしまったからだ。ただ、日本は裁判に負けてもそのままいれば、世界の目にはロシアにいじめられた国ではなく、平和的国際関係の法的秩序構築に貢献した国として映る。漁業権など実質的な利益を守るのも、逆にやりやすくなるかもしれない。
日本の最近の北方領土問題に関する主張は、歴史的事実に訴えないのでおかしかった。明治8(1875)年の樺太千島交換条約で、樺太はロシア、安政条約で既に認められた国後、択捉2島のほかに、それ以北の千島列島も日本の所属と決まった。日露戦争の戦果として日本領土となったのは樺太の半分だけである。
戦争が終ろうとするときのヤルタ会談で、連合国が「日独には帝国主義的侵略によって得た領土を返還させる」という原則を決めたが、千島列島がそうして得た領土ではないことが当時は分かっていなかった。その間違いはダレス米国務長官によってサンフランシスコ条約に持ち込まれ、吉田茂首相が苦情を言ったが、ダレス長官は「ロシアとの関係が微妙なときにうるさいことを言うな」と抑えてしまった。さらに、日ロ両国の親睦を邪魔しようと横槍を入れ、「沖縄を返すのも危うくなるぞ」と脅した。
その後、日本は「明治8年の条約がある。国後、択捉は戦果ではない。ヤルタ会談での米国の誤解だった」などの論法を展開せず、条約における「千島列島」の定義など、些細な法文解釈に基づいた論法しか続けてこなかったからだ。
いずれにせよ、これを機会に60年間の日ロ関係の病根を国際司法裁判所が取り除いてくれれば、さっぱりするだろう。
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