「煙の中から投げたい」追悼・伊良部秀輝
中日新聞夕刊/08/02Tue.「スポーツが呼んでいる」藤島 大
日米球界に名を残した人生がこのように終わると知っていたわけではない。ただ、いつか悲しいことが起きる。そこまでなら想像はできた。 伊良部秀輝が地上から消えた。死んだのではなく、死を選んだ。いま書けるのはそれだけだ。たった42歳だった。
1997年8月、ニューヨークにその姿を見た。水曜午後1時からの試合、ヤンキース先発が、そのシーズンからピンストライプのユニホームをまとった伊良部秀輝、相手はロイヤルズである。
6回途中まで投げて被安打6、9−3でチームは勝利した。
「シャンパンのコルクはまだ抜けない」 それが翌朝のニューヨーク・タイムズ紙の見出しだった。ヤンキースに在籍することは名誉の分だけ楽ではない。そう感じた。
マウンドに登場すると、約3万の観衆のうち、感覚では5割が拍手、3割弱はブーイングをした。支持一色とはならない。いかにも大都会ニューヨークらしいが、批評は常に厳しく、当事者にすれば負担は重い。99年シーズン限りでニューヨークを離れ、以後、能力に相応する実績は残せなかった。
スポーツ誌『論スポ』の本郷陽一編集長は、晩年(そう記さなくてはならない)の故人と親交がった。
2年前の春のロサンゼルス、阪神から戦力外通告を受けた伊代野貴照投手を指導する姿が忘れられない。治安のよくない場所にある野球施設へと出向き、再起を期す後進にみっちりと付き添った。
「細かな技術を丁寧に教えていました。そのとき浮かんだ言葉は教え魔。本人は投球の構造を研究し尽くしていた。指導者になりたかったのだと思う」
スモーキーという言葉を何度か口にした。野球用語で「煙の中から飛び出すように球の出どころが見えない」。そうであれば球威が落ちても速く映る。全盛期、フォームを丸裸にされても打たれそうになかった人物はそうした領域の思考と探究を続けていた。
粗暴。不機嫌。幾つかの誤解や事実によってイメージは固まる。理解してもらえぬもどかしさ。孤独の影。しかし雲の上のマウンドへ向かったら、残された者は、伊良部秀輝を「煙の中から球を投げたかった男」として記憶する。心ある野球好きは分かっていたのである。(敬称略)〈スポーツライター〉 *米大リーグ・ヤンキース時代、本拠地のヤンキースタジアムで力投する伊良部秀輝投手=1997年7月撮影(AP)
◆どんなにか野球をやりたかったことだろう。伊良部よ、伊良部秀輝よ。2011-07-31 | 野球・・・など
◆伊良部の歴史(動画)入団、結婚・・ ・http://www.youtube.com/watch?v=3D36CQQcxns
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〈来栖の独白〉
私が伊良部に心惹かれるのは、その才能はもちろん魅力だが、藤島氏も書かれている〈不機嫌・孤独〉佇まいによる。
私は、メディアに媚を売る人間が最も卑しく見え、嫌いである。いや、「メディアに」ではない。「人間に」媚を売る人間が嫌いだ。
人間(メディア)に媚を売らない人は、当然のように孤独の陰に佇むことを余儀なくされる。寂しいたたずまいだが、潔い。その寂しさをこそ、守りたい。
伊良部は、才能が存分に発揮される前に逝ってしまった。野球がやりたかった、野球を目指す後進に教えたかったが、願いどおりにはゆかなかった。マウンドのみならず、この世にひっそりと別れを告げた。どんなに寂しかったろう。媚びない人生とはこのようなものだ。これでよい。
一昨日も昨日も私は独りカトリック聖歌を弾き口ずさんで、伊良部の霊魂のため祈っている。「安らかにおやすみください」と祈る。