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オウム法廷再び 「父は殺されたのではないのか」遺族 / 「法廷で真実語れるチャンスが来た」死刑囚

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【オウム法廷再び(上)】「父は殺されたのではないのか」遺族の仮谷実さん、真相求め法廷へ
 産経ニュース2014.1.14 13:59
 空に夜の気配が残る平成24年1月1日早朝。元旦の静けさは、インターホンの呼び出し音で破られた。
 「平田が出頭しました」
 目黒公証役場事務長だった仮谷清志さん=当時(68)=の長男、実さん(53)は自宅を訪れた報道陣から意外な言葉を聞かされた。
 部屋のテレビを付けると、見覚えのある名前を報じていた。「本当なんだ…」。オウム真理教元幹部、平田信(まこと)被告(48)=逮捕監禁罪などで起訴。清志さん拉致に関わったとして逮捕監禁致死容疑で特別手配されてから、17年近くがたっていた。
 「オウムに狙われている。万が一のときは警察に通報しろ」。拉致される前夜、切迫した様子で清志さんからこう告げられたのが、最後の会話となった。
 7年2月28日、脱会しようとした清志さんの妹の居場所を聞き出すために教団関係者らが清志さんを拉致、山梨県旧上九一色村の教団施設に監禁した。清志さんは大量の麻酔薬を投与されて死亡。遺体は焼かれ、灰は湖に捨てられた。
 平田被告出頭の報に、実さんは「生きていたんだな」とつぶやいた。一度は終結したオウム裁判が、再び動き出した瞬間だった。
      × × ×
 父の死には今も謎が残る。指揮役とされた井上嘉浩死刑囚(44)や、麻酔薬を投与した中川智正死刑囚(51)の公判で認定された罪名は殺人でなく逮捕監禁致死。しかし、今も「殺人ではないか」という疑念がある。3年前の夏に届いた1通の手紙で、その疑いを強くした。
 差出人は井上死刑囚。中川死刑囚が「ポアできる薬の効果を確かめようと点滴したら死亡した」と話したのを聞いたという。「ポア」は、元教祖の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=が「殺害」の意味で用いていた言葉だ。
 だが、面会した中川死刑囚は「積極的に何かをしたということはない」と否定。16年に接見した際は中川発言について語らなかった井上死刑囚に対しても、不信感が募った。
    × × ×
 「大黒柱を奪ってしまった己の罪の重さにお詫びの言葉もありません」「できるだけ記憶の喚起に努め、内省を深めてまいりたいと思っております」
 昨年7月、平田被告が書いた手紙4通が届けられた。几帳面な文字で謝罪の言葉がつづられていたが、心には届かなかった。
 ただ、「示談金を支払いたい」という申し入れには「真相の究明に協力する」ことを条件に応じた。公判で被告に有利な情状になるとしても、真相に近づきたいとの思いからだ。
 平田被告の手紙には「知られざる情報か何かを持っているかと聞かれれば、それは“否”としか言いようがない」「既に事実関係は出尽くした感がある」とも書かれていた。しかし、「わずかな手がかりでもあれば」と16日からの公判では、被害者参加制度を利用し、平田被告に直接質問するつもりだ。
 事件当時、妻のおなかにいた三男は18歳になった。「体つきが父にそっくりで生まれ変わりのように思える」。子供の成長を喜ぶたび「ここに父がいたら…」との考えもよぎる。そこに遺骨はないが、今も年4回の墓参は欠かさない。
 「父はどんな最期だったのか。あの手紙は心からの反省なのか。法廷で確かめたい」。実さんは答えを求め、法廷に立つ。
         ◇
 オウム真理教による一連の事件の審理が、裁判員裁判という形で再び幕を開ける。社会を震撼させた凶行から約19年。法廷を見守る関係者の思いを聞いた。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します

【オウム法廷再び(中)】「怖くなった」と裁判員候補 審理に2カ月、辞退相次ぐ
 産経ニュース2014.1.15 17:44
 今月9日、東京・霞が関の東京地裁の一室に、無作為に選ばれた60人が集まった。16日から始まるオウム真理教元幹部、平田信(まこと)被告(48)=逮捕監禁罪などで起訴=の公判の裁判員候補者たちだ。
 対象事件名を知らされずに呼び出された候補者たちは、ここで初めてオウム事件の審理を担当する可能性があることを伝えられた。
 「事件があったときは幼かったので漠然としか捉えていなかったが、だんだんと怖くなった」。選任から漏れた男性会社員(28)は、「安心する面もあった」と打ち明けた。
 教団による一連の事件が裁判員裁判で裁かれるのは初めて。審理日程が約2カ月間に及ぶこともあり、地裁は通常事件よりも多い400人を裁判員候補者として選定したが、辞退が相次ぎ、選任手続き当日の出席率はわずか15%だった。
 教団の審理に関わることについて、別の男性会社員(26)は「自分の下した決断が何らかの影響を与えるという恐怖が一瞬よぎった」と話した。
     × × ×
 19年前のオウム事件は社会に大きな衝撃を与えた。
 法務省幹部として教団と対峙(たいじ)した経験のある元検事総長、但木敬一弁護士(70)も、「誰もが突然、自分が被害者になる可能性を感じさせた」と当時を振り返る。
 但木さんは、法務省官房長としてオウム真理教の監視を目的にした団体規制法の整備に奔走。平成11年、「オウム新法」と呼ばれた同法とともに、被害者を経済的に救済する破産特別措置法の成立にも関与した。
 但木さんは「オウム事件は、自分は犯罪被害とは無縁だと思っていた人にも、そうではないと感じさせた。国民が刑事裁判をより身近に感じ、裁判員制度が導入される一つの基盤になった」とも指摘する。
 裁判員制度では、裁判員に危害が及ぶおそれがある場合に対象から外せるが、今回はそうしなかった。「事件からもう19年がたち、地裁も裁判員に審理させる決断をしたのだろう」と但木さんはみている。
      × × ×
 「われわれ大人にも責任があった」。「オウム真理教家族の会」の永岡弘行会長(75)には「オウム世代」を生み出したことへのじくじたる思いがある。長男が教団に入信したのは19歳の時。気づけば、家族の財布から抜き取った金を布施として納めていた。
 信者に脱会を促す活動を始め、7年1月には信者らからVXガスをかけられ、中毒症に陥った。オウム事件の被害者だが、「息子も被告人席に座っていたかもしれない」と、加害者の死刑囚らとも面会を重ねた。
 元教祖、麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=の教えを妄信した末の犯行。「麻原さえいなければ罪を犯さずに済んだ」と思う。昨年末、まひが残る右手で、高橋克也被告(55)=殺人罪などで起訴=に手紙を書いた。
 「どこでどの様な生活をされて居たのですか。自分の頭で考えられる元の人間に何とか戻してやりたいと思う事は間違いですか」
 警視庁が教団施設に一斉捜索に入ったのは7年3月。きっかけとなったのは目黒公証役場事務長拉致事件。平田被告も関与したとして起訴されている。
 施設内には若い信者も数多くいたが、捜索に関わった元警視庁機動隊員は「『生きていることぐらい家に連絡しなさい』と声を掛けた」と振り返る。被害者対策にあたった元同庁幹部は「忘れたいからそっとしておいて」という被害者の声が忘れられない。「最後の特別手配犯の公判が始まることで、区切りをつけるきっかけになるかもしれない」と話した。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 

【オウム法廷再び(下)】口開く死刑囚 「法廷で真実語れるチャンスが来た」
 産経ニュース2014.1.16 04:00
 「公開の法廷で真実を語りたい」。東京・小菅の東京拘置所で“その日”を待つオウム真理教元幹部がいる。井上嘉浩死刑囚(44)。16日から東京地裁で始まる元幹部、平田信(まこと)被告(48)=逮捕監禁罪などで起訴=の公判で、証人として裁判員の前に立つ。
 「法廷で語るチャンスが来た」。井上死刑囚は、平成23年の大みそかに平田被告が出頭した直後から周囲にこう打ち明け、出廷要請があれば協力する意向を示していたという。
 井上死刑囚は、高校2年で教団の前身である「オウム神仙の会」に入会。大学中退後は教団の要職を歴任した。教団内では「修行の天才」と評され、「諜報省大臣」として地下鉄サリン事件や、今回審理される目黒公証役場事務長拉致事件などに関わったとされる。
 「遺族に直接謝罪し、語れなかったことを語りたい」と述べ、傍聴席からの視線を遮る遮蔽板なども設置しない通常の尋問形式で「堂々と証言したい」と話したという井上死刑囚。関係者は「死刑が確定したからこそ語れることがある、という気持ちなんだと思う」と心情を推測する。
     × × ×
 社会から隔絶した空間で、何年もの時を過ごしてきた死刑囚。法廷では、裁判員が井上ら3死刑囚と向き合うことになる。
 かつて、東京地裁の裁判長として死刑囚を尋問した経験がある山室恵弁護士(65)は、死刑囚と対面した瞬間の心境を「ぞっとした」と表現する。
 尋問したのは、連続企業爆破事件(昭和49〜50年)で死刑が確定した大道寺将司(まさし)死刑囚(65)。「ああ、こいつはいずれバッタン(刑場)に立つんだ」と感じたという山室さんは「逆にこっちが『想像力を働かしちゃいけない』と平常心を保つのにちょっと苦労した」と振り返る。
 大道寺死刑囚の尋問は、東京拘置所で非公開で行われた。「足が弱った感じでヨタっとした格好で入ってきた」という大道寺死刑囚の姿からは、行動を厳しく制限された特殊な生活状況がうかがわれたという。
 山室さんは「死刑囚を目の当たりにした裁判員が『この人、いずれ死刑になるんだ』と想像を巡らせれば、精神的負担になりかねない」と話す。
 一方で、死刑囚は外界への渇望感も強いとされる。山室さんは「拘置所外に出ることで、死刑囚が(現世に執着する)“娑婆心”を起こす可能性もある」とした上で、続けた。「裁判員と死刑囚が対面したとき、どんな化学反応が起こるのか…。予想がつかない」
     × × ×
 平田被告の公判で行われる公開法廷での死刑囚尋問は、過去にも例がないとされる。尋問方式や警備体制をめぐっては、直前まで模索が続いた。
 地裁は、死刑囚の心情やプライバシーに配慮し、傍聴席との間に遮蔽板を設置し、尋問を行うとしている。さらに検討しているのが防弾パネルの設置だ。
 昨年11月には、教団主流派「アレフ」関連施設に街宣車が突入する事件も発生。地裁関係者は「死刑囚は奪還というより襲撃の対象になり得る」と明かす。
 一方で、「裁判員の身に危険が及ぶことはない」と説明。あくまで「死刑囚の安全を守る」という立場で、傍聴席からの飛び出しなど不測の事態に備え、警備を検討しているという。
 ある刑事裁判官は「異例の審理となるが、国民が刑事司法に参加する裁判員制度の意義を象徴する事例になるはずだ」と期待を込める。事件から約19年。注目の公判は、きょう始まる。
      ◇
 連載は滝口亜希、山田泰弘が担当しました。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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「辺見庸 ある死刑囚との対話」4月15日(日)22:00〜(NHK Eテレ)/連続企業爆破事件死刑囚・大道寺将司 2012-04-14 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
 辺見庸、ある死刑囚との対話…『ETV特集』
 マイナビニュース[2012/04/11]
 作家・辺見庸(67)の故郷、宮城県石巻は、去年3月11日の東日本大震災で壊滅的な被害を受け、夏頃から文章を書くことができなくなった。辺見は言う、「言葉は3.11を表現できなかった。我々の言語表現のやすっぽさが暴かれた」と…。
 そんな辺見が、一冊の本を出すために奔走していた。本の著者は、死刑囚・大道寺将司(63)。1974年、東京丸の内で爆弾テロ事件を起こし、8人の死者と300人以上にのぼる負傷者を出した。1987年に死刑が確定。逮捕以来37年間獄中にいる。辺見が出版したいのは、大道寺が東京拘置所でつくる俳句を集めた句集である。
 東京拘置所に通い、大道寺との面会を続ける辺見は、透明なアクリル板をはさんで向き合う男に言ったことがある。「獄中にいるあなたと、獄外にいる我々と、どちらがすさんでいるか、わかったものじゃない」と。辺見は、外の世界から切り離された大道寺という存在を通して、3.11後のいま失われてしまっている「言葉」を探そうとしていた。
 辺見と大道寺は4歳違い。同じ時代を生き、老い、どちらも病に冒されている。残された時間で二人はそれぞれどんな言葉を紡ぐのか。作家と死刑囚の対話を見つめる。
*『ETV特集』失われた言葉をさがして 辺見庸 ある死刑囚との対話
2012年4月15日(日)22:00〜23:29(NHK Eテレ)
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言葉と向き合い、紡ぐ 「辺見庸 ある死刑囚との対話」NHKEテレで15日
 東京新聞2012年4月13日 朝刊
 NHKのETV特集「失われた言葉をさがして 辺見庸 ある死刑囚との対話」が、十五日午後十時からEテレで放送される。死刑囚・大道寺将司(63)との対話を通じて、東日本大震災のあとに失われた言葉への信頼を取り戻そうとする作家・辺見庸(67)とその周辺を追った番組だ。(中村信也)
 辺見の故郷、宮城県石巻市は、昨年の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた。被災地を語る言葉は優しさにあふれていたが、どれも現実をとらえていない−と感じ、辺見は昨年の夏ごろから文章を書くことができなくなったという。「言葉は3・11を表現できなかった。われわれの言語表現のやすっぽさが暴かれた」と話す。
 そんななか、大道寺の全句集を出すために奔走していた。大道寺は一九七四年に東京・丸の内で起こした爆弾テロ事件で、八人の死者と三百人以上の負傷者を出し、一九八七年に死刑が確定。逮捕以来三十七年間、獄中にあり、ある時から俳句を作ってきた。
 咳(しわぶ)くや慚愧(ざんき)に震(ふる)ふまくらがり
 外界と隔絶された拘置所で、多くの人びとを傷つけあやめた自分自身と、ひたすら向き合うことで生み出される数々の俳句。それらを辺見は「大道寺の体内と記憶から絞り出された、自発的な供述調書」と表現する。
 東京拘置所で大道寺との面会を続ける辺見は、透明なアクリル板ごしに言ったという。
 「獄中にいるあなたと、獄外にいるわれわれと、どちらがすさんでいるか、わかったものじゃない」。外の世界から切り離された大道寺という存在を通し、3・11後に失われてしまっている「言葉」を探そうとしていた。
 二人は四歳違い。激動の時代を生き、老い、どちらも病に侵されている。残された時間で二人はそれぞれどんな言葉を紡ぐのか−。番組では、七〇年代の街頭闘争や、被災地・石巻、大道寺の故郷・北海道、東京拘置所などの映像を交え、二人の対話を見つめる。なぜ対話するのか、全句集の出版に尽力するのか、それが3・11後の言葉の信頼を取り戻すことと、どうかかわるのか。法務当局の監視下で作られる大道寺の俳句を字幕とナレーションで紹介しながら明かしていく。
 再放送は二十一日深夜零時五十分から。番組が取り上げた「棺一基(かんいっき) 大道寺将司全句集」(序文・跋文(ばつぶん)は辺見庸)は太田出版が刊行。 (文中、敬称・呼称略)
 <大道寺将司(だいどうじ・まさし)>1948年生まれ。東アジア反日武装戦線“狼”部隊のメンバーで、お召し列車爆破未遂事件(虹作戦)や、三菱重工爆破を含む3件の「連続企業爆破事件」を起こし、75年逮捕、79年東京地裁で死刑判決、87年最高裁で死刑が確定した。2010年、がんと判明、獄中で闘病中。著作に「明けの星を見上げて」「死刑確定中」、句集に「友へ」「鴉の目」。
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棺一基 大道寺将司全句集 [著]大道寺将司

    

BOOK asahi. com[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化) [掲載]2012年06月17日 [ジャンル]人文
 著者:大道寺将司、辺見庸  出版社:太田出版 価格:¥ 2,100

■自らの死と向き合うまなざし
 『棺一基』という書名は、本書の中の句「棺一基四顧茫々(しこぼうぼう)と霞(かす)みけり」から採られた。霞は春の季語。「四顧」とあるからには、そこにまわりを見渡す者がいる。それは誰なのか? 木棺に横たわる死者か。
 私はここに、霞の中にたたずんで自らの屍(しかばね)が入っている棺をみつめる、死者その人のまなざしを感じる。白い闇が際限なく広がる。その中心に木棺が一基のみ、孤絶に、そこにある。このように死と向き合って一日一日を生きる。それが死刑囚の毎日だ。
 大道寺将司は「東アジア反日武装戦線」のなかの「狼(おおかみ)」というグループのメンバーだった。一九七四年の三菱重工爆破事件で逮捕され、死刑が確定している。この直前、狼は昭和天皇お召し列車の爆破を計画し、未遂に終わった。それは「虹作戦」と呼ばれていた。一九六〇〜七〇年代に運動する者たちは、戦中戦後、東アジア諸国で日本がおこなってきたことを、自らの問題として問うていた。
 「狼は檻(おり)の中にて飼はれけり」という一九九七年の句から私は、大道寺がその記憶を身体に刻み込み、決して手放していないことに思い至る。二〇〇二年「国ありて生くるにあらず散紅葉(ちりもみじ)」、二〇一一年「げぢげぢの地を這(は)ひ回り逆徒臥す」。娑婆(しゃば)の経済は忘却で成り立っているが、この句集はますます濃密になる記憶と、季節の移ろいへの鋭敏な言葉で出来上がっている。「水底の屍(かばね)照らすや夏の月」「戻られぬ地の片陰(かたかげ)に笹子(ささこ)鳴く」——二〇一一年の震災後、津波で連れ去られた人を水底に観じ、原発で誰も戻らない場所を全身で受け止めている。そして、幾度も傍らにおこなわれた死刑執行。「垂るる紐捩(ひもねじ)れ止まざる春一番」。季語という共有の場でのみ、唯一無二の彼に出会うことができる。
 序文と跋文(ばつぶん)を辺見庸が書いている。一読の価値大いにあり。それこそこの句集のもっとも見事な書評であって、それを越えることはできない。
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太田出版・2100円/だいどうじ・まさし 48年生まれ。著書に『明けの星を見上げて』『死刑確定中』など。
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