【オウム法廷再び 平田被告初公判(1)】勝手に語り始め「すべての人にお詫びします」 「仮谷さん『見張り』後は知らない」
産経ニュース2014.1.16 12:36 (11:00〜11:15)
《平成7年の目黒公証役場事務長拉致事件などに関わったとして逮捕監禁などの罪に問われたオウム真理教元幹部、平田信被告(48)の裁判員裁判が16日、東京地裁(斉藤啓昭裁判長)で始まった》
《教団による一連の事件では計189人が起訴され、裁判は23年12月に元幹部の遠藤誠一死刑囚の死刑が確定するまで約16年半をかけて終結したかに見えた。だが約17年もの間、逃走を続けていた平田被告が同年12月31日に出頭。平田被告と同様に特別手配されていた菊地直子(42)、高橋克也(55)の両被告も逮捕、起訴された。2年ぶりに再開されることになった「オウム裁判」で、新たな事実が明らかになるのか注目される》
《オウム事件が裁判員裁判で審理されるのは今回が初めてだ。東京地裁は今月9日、裁判員6人と補充裁判員4人を選任した》
《今回の公判では、極めて異例となる確定死刑囚の証人尋問も行われる。出廷するのは中川智正(51)▽井上嘉浩(44)▽小池(旧姓・林)泰男(56)の3死刑囚。中川死刑囚は仮谷さんに麻酔薬を投与し、井上死刑囚は拉致事件を指揮、小池死刑囚は平田被告と親交があったとされる。傍聴席との間に遮蔽(しゃへい)板が設置されるほか、地裁などは厳重な警備体制を敷く予定だ》
《目黒公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(68)=の長男、実さん(53)も被害者参加制度を利用して意見陳述などを行う。遺族が公判に参加するのも、オウム事件では初めてのことだ》
《弁護士に「オウムへの信仰心は相当前に捨てた」と語り、元教祖の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=については、「死刑執行は当然だと思う」とかつての「尊師」を突き放したかに見える平田被告。約2カ月に及ぶ公判で何を語り、裁判員はどのような結論を下すのか》
《東京地裁にはこの日、56席の傍聴券を求めて1155人が列を作った。社会を震撼(しんかん)させたオウム事件への関心の高さは今も変わっていない》
《東京地裁最大の104号法廷。午前11時00分、向かって左側の扉から、平田被告が一礼して入ってきた。黒のスーツに、白いワイシャツ、青いネクタイ姿。前を見据え、傍聴席には視線を向けず、左側のいすに座った》
《平田被告が公衆の前に姿を見せるのは、逮捕直後以来、約2年ぶり。このときは髪は長く茶色で、ほおとあごに無精ひげをたくわえていたが、目の前の平田被告は短髪で、ひげもそり、雰囲気ががらりと変わった印象だ》
《裁判所職員が「ご起立ください」と大きな声を上げると、正面の扉から6人の裁判員が入廷してきた。女性が5人で男性が1人で一様に緊張した様子だ。全員が一礼した後、斉藤裁判長を含め3人の裁判官の両サイドに3人ずつ並んで座った》
裁判長「それでは開廷することにします。被告人は証言台の前に出なさい」
《平田被告は立ち上がり、中央の証言台の前に立つ。人定質問が始まる》
裁判長「名前は?」
被告「平田信です」
《平田被告は、聞き取りづらい小さい声で答える》
《斉藤裁判長は生年月日や年齢、本籍地、住所などを確認した》
《続いて斉藤裁判長に促され、右手に陣取る女性検察官が立ち上がり、起訴状の読み上げを始めた。平田被告は背筋を伸ばし、手を真横に立ったまま聞き入っている》
《右手3人の裁判員は平田被告を見つめ続け、左手の3人は手元の起訴状に目を落としている》
《平田被告は麻原死刑囚らと共謀し、平成7年2月に目黒公証役場事務長だった仮谷さんを東京都内の路上で車に押し込んで拉致したとして逮捕監禁罪で起訴されたほか、都内のマンションの爆発事件や教団施設への火炎瓶事件で爆発物取締罰則違反罪などに問われている》
《教団関係者の確定判決などによると、平田被告は拉致の際に目くらましとして使う予定だったレーザー銃を通行人に試射したが、効果がないことが判明。犯行時は仮谷さんが乗せられたワゴン車とは別の乗用車を運転していたとされる》
《起訴状の読み上げが終わり、斉藤裁判長は平田被告に黙秘権などについて説明した。そして注目の罪状認否に移る》
裁判長「検察官が3つの事実を読み上げましたが、どこか違っているところはありましたか」
被告「まず仮谷さん事件に関して、認識の共有はなかったです。(事件現場の)芦花公園で見張り役はしましたが、その後のことは知りません」
《起訴事実を一部否認した平田被告は、ぼそぼそと小さい声で続ける》
被告「被害者と遺族に、おわび尽くせぬ苦痛を与え、大変申し訳なく思っています」
《遺族に謝罪した平田被告は、認否を続ける》
被告「次に爆発物事件ですが、指示や打ち合わせといったもの自体、存在しませんでした。火炎瓶事件については、起訴状の通りです」
《斉藤裁判長が弁護人の意見を求める》
弁護人「平田さんは事件の現場で仮谷さんを無理に車に連れ込むところを見て初めて無理やり連れて行くことを認識しました。平田さんはAさん(オウム信者だった仮谷さんの妹、法廷では実名)が家族に監禁されているのを助けに行くのだと思っていました。仮谷さんを拉致することを企てたり、麻原死刑囚や井上被告らと共謀したりしたことはありません。ただ、芦花公園で仮谷さんを別の車に乗せ替える際には見張りとして関わりました。その後、仮谷さんがどうなったかは知りませんでした。平田さんに逮捕監禁罪が成立することは争いませんが、成立するのは共同正犯ではなく、幇助(ほうじょ)犯です」
《弁護人の意見陳述が終わると、平田被告が突然、「一言だけいいですか」と言って勝手に語り始めた》
被告「被害者や社会全般、そして私の関係者すべての人にご迷惑をおかけしたことをこの場をお借りしておわび申し上げます」
《発言を許していないのに語り出した平田被告に対し、斉藤裁判長は「それは後で聞きますからね」と諭すように述べた》
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【オウム法廷再び 平田被告初公判(2)】裁判員「今すぐ理解は難しい」 検察の「自作自演事件」説明に
産経ニュース2014.1.16 15:26 (11:15〜12:05)
《オウム真理教元幹部、平田信被告(48)が突然語り出した謝罪の言葉を伝えようと、法廷から記者が激しく出入りする》
《斉藤啓昭裁判長に促されて検察側の冒頭陳述が始まった。6人の裁判員たちには概要が書かれた紙が配られている》
《平田被告が起訴されているのは、平成7年2月に目黒公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(68)=を拉致した逮捕監禁▽同年3月、東京都杉並区の宗教学者の元自宅マンション玄関で時限式爆弾を爆発させた爆発物取締罰則違反▽港区の教団総本部に火炎瓶を投げ込んだ火炎瓶処罰法違反の3つの罪だ》
《事件の概要とともに、元教祖の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=をトップとするオウム真理教の教義や、省庁制を導入した独特の組織の説明が進められる》
《生の迷いから脱する解脱と悟りを最終目的に、「ヴァジラヤーナ」と呼ばれる教義を説明する検察官。麻原死刑囚に身も心も差し出して合一化することで、速やかな解脱ができるという。麻原死刑囚に絶対的な権力が集中すると、不法行為や犯罪が実際に行われていくことになった》
《検察官は、平田被告の経歴や教団内での地位や活動の説明を始める》
検察官「被告は昭和40年に札幌市内で誕生、仮谷事件当時は29歳でした。昭和62年に前身のオウム神仙の会に入会、その年の夏ごろオウム真理教と名前を変えた教団に出家しました」
《平田被告が麻原死刑囚をはじめ、教団幹部の近くで活動に従事していた様子が伝えられていく》
検察官「東京総本部や船橋支部など全国の教団支部を転々としながら、麻原の警備を務めることもありました」
《3つの罪の中核である仮谷事件についての説明が始まる》
検察官「被告は、平成7年2月28日、教団から脱会しようとした女性(Aさん)の居場所を聞き出すために、Aさんの兄の仮谷さんを東京都品川区の路上で乗用車に押し込んで拉致し、麻酔薬を投与して意識喪失状態にさせ、翌日、仮谷さんが死亡するまで山梨県旧上九一色村の教団施設に監禁しました」
《平田被告が罪状認否で「(拉致の)認識の共有はなかった」と否認した部分を真っ向否定する主張だが、平田被告は背筋を伸ばしたまま身じろぎもせずに聞いている》
《裁判員らは検察側から配られた手元の紙を見つめながら、検察官の言葉に耳を傾ける》
検察官「まず、争点が2つあります。事前共謀の有無、あらかじめ仮谷さんを拉致することを知っていて犯行に加わったか否か。次に、幇助(ほうじょ)犯の成否です。被告人が、(拉致事件の指揮者である)井上(嘉浩死刑囚)らと一緒に犯罪を行った正犯なのか、それとも正犯を手助けしたにすぎない幇助犯なのかということです」
《検察官は裁判員裁判を意識して、裁判員らにわかりやすく訴えかける》
検察官「(犯行に関与したとされる約10人の)それぞれの役割が確認され、被告は全体の統括者が乗る乗用車の運転手役と決まり、全員がこれを了承しました。この事件は組織犯罪であり、事前に犯罪を行うことを話し合って役割分担を決め、各自がその役割に従って行動している以上、被告人を含めた全員が正犯になると主張します」
《検察官はさらに、平田被告に拉致の認識があったことを具体的にうかがわせる描写も付け加える》
検察官「被告は、共犯者が仮谷さんを拉致する様子を見守り、無線機を使って『オッケー』などと言いました」
「被告は、井上に対し、案外簡単に拉致できたことを報告しました」
《冒頭陳述はさらに続く。当時、オウム真理教に好意的な批評をしていた、東京都杉並区の宗教学者の元自宅マンション玄関で時限式爆弾を仕掛ける爆発事件を起こした第2事件。その直後には、港区の教団総本部に火炎瓶を投げ込む第3事件を起こした》
検察官「これらの犯行現場には、教団を非難する内容の犯行声明を残し、あたかも教団の敵対組織が教団を狙っているかのような状況を作り上げようとしました。このようなことから『自作自演事件』と呼ぶことがあります」
《検察官は裁判員に概要が書かれた紙を見るよう促す。複数の信者らによる組織的で複雑な事件。裁判員の男性からは「今すぐに理解しろというのは難しい」との声が上がった》
検察官「麻原らは平成7年3月18日、近日中に教団への強制捜査が実施されるとの情報を得ました。強制捜査を阻止する対策を話し合う車内で、地下鉄電車内にサリンをまく計画が持ち上がりました。さらに、サリンを使用すれば、真っ先に教団が捜査の対象となってしまうことから、偽装工作としての爆発物事件と火炎瓶事件を実行する計画が持ち上がりました」
《裁判員らは概要が書かれた紙に集中している》
検察官「自作自演事件は、警察の強制捜査を阻止するための大きな計画の一部であったのです。そして、サリン事件が実行されることとなったのです」
《検察官はさらに、地下鉄サリン事件についての平田被告の関与状況について説明した》
検察官「教団幹部は平田被告に対し、地下鉄サリン事件の計画を打ち明けた上、運転手役の候補になっていることなどを伝えました」
《検察官はこう明らかにし、「起訴はされていないが、自作自演事件と同時並行的に行われた地下鉄サリン事件の犯行準備にも関与した」と指摘した》
《午後12時5分。検察側の冒頭陳述の読み上げが終わった。斉藤裁判長から午後は1時半からの再開が告げられるが、平田被告はうつむきがちにうなずいただけで表情は読み取れない。軽く一礼して法廷を出た》
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【オウム法廷再び 平田被告初公判(3)】弁護人「思い込み、思い込み、思い込み…」信者の特徴、抑揚つけ陳述
産経ニュース2014.1.16 16:02 (13:30〜14:00)
《平成7年の目黒公証役場事務長拉致事件などに関わったとして、逮捕監禁罪などに問われたオウム真理教元幹部の平田信被告(48)に対する裁判員裁判の初公判。東京地裁最大の104号法廷では、昼の休憩をはさんで審理が再開し、弁護側の冒頭陳述が始まった》
《平田被告が斉藤啓昭裁判長に一礼して入廷。女性弁護人が証言台に立ち、裁判員を見据えてこう切り出した》
弁護人「思い込み。それ故に、計画を理解しないまま、逮捕監禁に関わることになりました」
「思い込み。それ故に、爆発物と知らないまま現場に居合わせることになりました」
「思い込み。それ故に、火炎瓶事件で見張り役をすることになりました」
《平田被告が起訴されたのは、7年2月に公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(68)=を拉致した逮捕監禁▽同年3月、東京都杉並区の宗教学者の元自宅マンション玄関で時限式爆弾を爆発させた爆発物取締罰則違反▽直後に港区の教団総本部に火炎瓶を投げ込んだ火炎瓶処罰法違反の3つの罪だ》
《午前中の罪状認否で、平田被告は仮谷さん拉致事件について、「(拉致の)認識の共有はなかった」と起訴内容を一部否認。爆発物取締罰則違反罪については「指示や打ち合わせはなかった」と無罪を主張し、火炎瓶事件は起訴内容を認めた》
《元教祖、麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=の確定判決によると、平田被告は仮谷さんの拉致計画について、事前に聞いていたとされる》
弁護人「ここにいる平田信さん。今は違いますが、19年前、オウム真理教の信者でした。当時、教団は多くの信者を集め、社会一般と違う考え方をするようになりました。平田さんもその1人です」
「オウム特有の考え方で、事件にかかわった人の思い込みが関係しています」
《弁護側は、事件関係者の「思い込み」が平田被告を犯行に関わらせたとの主張で弁護を進めるようだ。証言台の女性弁護人は手元のメモに目を落とすことなく抑揚をつけて、平田被告とオウム真理教との出合いについて説明を始めた》
弁護人「平田さんは、幼いころから『永遠のものなんてない。自分は他の人の夢の中にいて、夢が覚めたら(自分は)消えてしまう』という無常観を感じていました。高校時代は自分を強くしようと射撃部に入ったりしましたが、答えは見つかりませんでした」
「当時、社会はバブル期で時代背景として、多くの人が神秘的なものに関心を持っていました。平田さんは、書店で麻原彰晃が書いたヨガの本に出合い、怪しさを感じながらも麻原は本物だ、この人のもとで鍛えたいと思いました」
《平田被告は昭和62年3月に上京後、オウム真理教の前身「オウム神仙の会」に入会。当時は宗教団体ではなく、ヨガ道場で、麻原死刑囚のカリスマ性を慕い、医師や公務員、科学者なども集まっていたという。同年夏ごろに「オウム真理教」に改称し、宗教色を強めていった》
弁護人「麻原は教義を通し、信者を悪用するようになりました。言われたことを実行するのが正しいと思い込むようになり、疑問を感じながら脱会できませんでした。その後、一部の信者は非合法でも、実践するようになりました」
「平成17年2月、平田さんも非合法に手を染めることになりました。仮谷さん事件です。きっかけは仮谷さんの妹、Aさんが行方不明になったことでした」
《教団が脱会しようと身を隠した仮谷さんの妹の居所を聞き出そうと、仮谷さんを拉致した事件だ。確定判決によると、山梨県内の教団施設で仮谷さんに大量の薬物を投与し、死亡させた。遺体はマイクロ波を使った装置で焼かれ、遺灰は同県内の湖に捨てられた》
弁護人「平田さんは、Aさんを連れ戻す行為の一環だと思い込みました。オウムでは、自身の活動について、話してはいけない、たずねてはいけないと教え込まれていました」
《検察側の冒頭陳述によると、平田被告は計画段階で、犯行現場では、レーザー銃で仮谷さんのボディーガードの目をくらませる役割だったとされる》
弁護人「仮谷さんのボディーガードではありません。Aさんにつけたボディーガードを排除する役割です。ただ、レーザー銃といっても、おもちゃ同然です。人を傷つけられる物ではなく、自身もそれをよく知っていました」
《確定判決によると、平田被告が犯行現場付近でレーザー銃を通行人に試し打ちしたところ、効果がないことが判明し、実行メンバー全員で計画を練り直したという》
弁護人「全く使い物にならないことが分かりました。目くらましの係もなくなり、乗用車の運転席で待機することになりました」
《平田被告は、共犯者らが仮谷さんをワゴン車で連れ去った後は乗用車を運転し、指揮役の元教団幹部、井上嘉浩死刑囚(44)を乗せて現場を離れたとされる》
弁護人「平田さんは、仮谷さんをワゴン車に連れ込んだことに驚きました。そこで初めて、Aさんではない人を連れて行くことを知りました」
《検察側は午前中の冒頭陳述で、平田被告が共犯者らが仮谷さんを拉致する様子を見守り、無線機で「オッケー」などと言っていたと指摘。仮谷さんを乗せ替えるための乗用車を調達、ワゴン車から乗せ替える際には周囲を見張っていたという》
弁護人「乗せ替える場面では、見張りをしました。無理やり連れて行こうとしていることを理解しています。だから逮捕監禁は争いません。ただ、どうなるかは分かっていませんでした」
「裁判員に理解してもらいたいことが2つあります。1つ目は『連れて行くことをいつから知っていたか』。2つ目は『共謀共同正犯か幇助(ほうじょ)にとどまるか』です」
《弁護側が共謀共同正犯と幇助の違いを説明。弁護人は共謀共同正犯とは複数人の犯罪に自分が関わり、幇助は他人の犯罪を手伝うことで、違いを「犯罪で自分が重要な役割を果たしていたかだ」と裁判員に伝えた》
弁護人「平田さんは乗せ替えるときに見張りをしました。自分の犯罪といえる程度に重要ではなく、幇助犯です」
《弁護側は続いて、爆発物取締罰則違反罪での平田被告の役割を説明した》
弁護人「(現場で)井上から『ちょっと見ていてほしい』といわれ、見ていたところ、パンと音が聞こえ、見て驚きました。それで、逃げるように帰りました。計画を知っていたかどうか。平田さんは何も知りませんでした。この事件については無罪です」
《弁護人は火炎瓶処罰法違反罪については争わない方針を示し、平成7年3月に教団から逃げるよう指示を受けたと主張。その後発生した警察庁長官銃撃事件に平田被告が関わったとされたことから、「恐怖を感じた」と逃亡の動機を説明し、午後1時55分、冒頭陳述を締めくくった》
弁護人「平田さんが3事件で何をしたかに注目してほしい」
《斉藤裁判長が公判での争点を改めて説明し、午後2時25分まで休廷することを告げた。平田被告は視線を前に見据えたまま軽く一礼して法廷を出た》
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【オウム法廷再び 平田被告初公判(4)】ワゴン車に付着した生々しい血痕の写真示す 映像上映には傍聴席から「見えません」
産経ニュース2014.1.16 17:27 (14:25〜15:10)
《平成7年の目黒公証役場事務長拉致事件などに関わったとして、逮捕監禁罪などに問われたオウム真理教元幹部の平田信被告(48)に対する裁判員裁判の初公判は、弁護側の冒頭陳述が終わり、休廷を挟んで証拠調べが始まった》
裁判長「ここから証拠の内容を伺っていきます」
《検察官はまず、オウム真理教の組織について、7年3月当時は全国の主要都市に24の支部や道場があったことや信者が計約1万人いたことを説明する》
検察官「教団内ではホーリーネームで呼び合っており、(平田)被告のホーリーネームはポーシャでした」
《検察官はさらに教団内に設置されていた「省庁」の役割、信者の階級を表す「ステージ」について説明。ステージには「正悟師」や「師」などがあり、今回の公判の対象となっている3つの事件の関係者のステージをスライドで裁判員に示した。平田被告のステージは「師」で、「ポーシャ師」と呼ばれることもあったという》
《証拠の内容は、事件の位置関係を表す地図などに移る。検察官は地図や航空写真を示しながら、オウム真理教の宗教施設「サティアン」の位置関係を説明していく。そして、目黒公証役場事務長拉致事件の犯行現場についての説明に続く》
検察官「(目黒公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(68)=が拉致された)第1現場は目黒通りと別の道路が丁字形に交差する交差点付近にあります」
《検察官は、法廷の両サイドに設置された大型モニターで、地図や写真を示しながら説明する。写真には拉致現場にバツ印がつけられている。さらに、目黒公証役場との位置関係も示す》
検察官「平成7年5月31日に拉致事件の共犯者(法廷では実名)が現場を案内しています。その説明に基づいた(拉致に使われた)ワゴン車の位置関係がこちらです」
《検察官は図面で説明し、ワゴン車などを実際に止めて再現した写真も画面に表示する》
検察官「被告も平成24年11月11日に現場においてデリカ(ワゴン車)やギャラン(平田被告が運転した乗用車)の位置を説明しています」
《再び図や説明に基づいて再現された写真が写し出される。裁判員らは手元の画面を真剣な表情で見つめている》
《続いて説明されるのは仮谷さんがデリカからマークIIに乗せ替えられた「第2現場」だ。芦花公園付近の見取り図が写し出される。現場は人通りが少ないことや抜け道だったことが示され、こちらでも共犯者の案内に基づいた再現図が示された》
検察官「(第2現場での行動は)2月28日の午後8時ごろと説明されていますが、それに先だってAさん(仮谷さんの妹、法廷では実名)は脱会を伝えています」
《さらに、第3現場として説明されるのは仮谷さんが監禁された教団の施設「第2サティアン」だ。外観の写真や内部の図がスライドで写し出され、施設内にある「尊師の部屋」の入り口などを見ることができた》
検察官「1階の左側に瞑想(めいそう)室があります。そのうち、赤く囲んであるのが仮谷さんが閉じ込められた部屋になります」
《その後は第1、第2、第3それぞれの現場の関係を表した図が示された。そして犯行に使われたワゴン車の写真を写しながら車両についての説明が行われる》
検察官「この写真の中央座席の背もたれには血液ようの物が付いています。鑑定したところ、これは人の血であることが判明しました」
《写真を使いながら生々しい血液の痕が示された。さらに図を使って車両内部の説明が続く。女性裁判員の一人はこれまでかけていなかっためがねをかけ、画面をじっと見つめた》
《検察側は平田被告の運転していた乗用車についての説明や、仮谷さんの焼却などに使われた焼却炉の図や写真を示し、終了した》
《続いて弁護側の証拠調べに移る。女性弁護人が立ち上がり、張りのある声で話し出す》
弁護人「証拠の1〜3号は検察側と同じものなので、4号の報告書から説明します。オウム真理教に関する出来事の報告書ですが、メモをとったり覚えていただく必要はありません。イメージを持っていただくためのものだと思ってください」
《弁護人はオウム真理教が発展していく過程などをスライドに写し、時系列に沿って説明していく。元教祖、麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=がテレビ番組に出演したことや、海外でチベット仏教最高指導者のダライ・ラマ氏と対談したことも紹介された。平田被告はピンと背筋を伸ばして聞いている》
弁護人「平成7年2月28日には仮谷さんの事件が起こり、3月19日には爆発、火炎瓶事件、20日には地下鉄サリン事件が起こります。22日には強制捜査が入ります」
《ここでスライドは終了する。続いて始まったのは昭和63年にNHKで放送された番組の上映だ》
弁護人「(DVDは)なぜ若者が占いや宗教にひかれるのかをリポートする番組です。いくつかの宗教団体が紹介されていますが、その中で昭和63年のオウム真理教が紹介されています」
《弁護人は、DVDではオウム真理教の若者の共同生活が紹介されていること、終盤では元幹部の井上嘉浩死刑囚(44)や平田被告が食事している様子が映し出されていること、井上死刑囚が修行について語っていることを説明する》
《そしてDVDの上映が始まった。裁判長や裁判員らは手元のモニターで見ることができるが、傍聴人は音声だけで、映像を見ることができない。傍聴席から即座に「見えません」という不満の声が上がった》
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【オウム法廷再び 平田被告初公判(5)】「事件前夜、重大なことが…」被害者の長男が「恐怖」を証言
産経ニュース2014.1.16 19:09 (15:10〜16:10)
《平成7年の目黒公証役場事務長拉致事件などに関わったとして逮捕監禁などの罪に問われたオウム真理教元幹部、平田信被告(48)に対する裁判員裁判の初公判では引き続き、昭和63年に放送されたオウム真理教を特集したNHK番組のDVDが流されている》
《静寂に包まれた法廷内では、番組の音声だけが響く。裁判員は手元のモニターに映し出される映像を見つめる。映像は死後の世界を信じるかという内容》
番組音声「10〜20代で死後の世界を信じるという調査結果が出ています。神仏を信じる人は20〜24歳で、昭和58年は昭和48年の2倍近くになっています。占いやお守りだけでなく、宗教を信じる若者は増える傾向にあります」
《瞑想(めいそう)やヨガの修行をする宗教団体の映像が映し出される。男性がインタビューで「1DKで家賃は4万円。ステレオやテレビが付いていて、欲しい物はないです」と答えている》
《裁判員の一人がモニターをのぞき込む。法廷にはお経のような音が流れる》
弁護人「(映像の中の)右が平田さん、左が井上さん=元幹部の井上嘉浩死刑囚(44)=です」
《女性裁判員がめがねを上げてモニターをのぞき込み、平田被告の姿を確認する。別の裁判員は熱心にペンを走らせ、メモを取っている》
裁判長「あと、どれぐらいかかりますか。このへんでいいですか。(午後3時)45分から証人尋問を始めたいのでDVDは明日以降に」
《弁護人が了承し、休廷となった》
《被告は険しい表情で法廷に一礼して退廷した。午後3時45分に再開し、斉藤啓昭裁判長が証人尋問の準備を求める》
《目黒公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(68)=の長男、実さん(53)の尋問が始まるようだ》
《斉藤裁判長が証人の入場を求め、実さんが一礼して入廷してきた。裁判員も実さんに一礼する》
《裁判長が実さんの生年月日と住所を確認。実さんが証人尋問にあたり、真実を述べることを宣誓した》
裁判長「(証人の)前のマイクに向かって話してください」
《目黒公証役場事務長拉致事件では、平田被告は元教祖、麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=らと共謀し、平成7年2月に仮谷さんを東京都内の路上で車に押し込んで拉致したとして逮捕監禁罪に問われている》
検察官「事件の被害者の仮谷清志さんの長男ですね」
証人「はい」
検察官「お父さんは当時、どんな職業でしたか」 証人「目黒公証役場の事務長でした」
《証人は落ち着いた口調で質問に答える。検察官が仮谷さんの妹で当時オウム真理教に入信していたAさん(法廷では実名)の当時の住居について尋ねる》
証人「目黒公証役場の2階がAの自宅でした」
検察官「財産の貸し借りは」
証人「一切なかったです」
検察官「トラブルは」
証人「トラブルもなかったです」
《検察官が事件前夜の平成7年2月27日夜の状況について尋ねる》
証人「(私は)仕事で成田に行っていました。夕方に父から携帯電話に連絡がありました」
検察官「どんな内容でしたか」
証人「わが家にとってとても重要なことが起こったので、至急帰ってくるようにということでした」
検察官「詳しい説明はありましたか」
証人「詳しい内容については説明はありませんでした。大切なことというので、用事を断って自宅に戻りました」
検察官「自宅での話には誰が同席していましたか」
証人「父とおば(Aさん)、母、妻がいました」
検察官「どんな話をしましたか」
証人「おばがオウムに入信し、出家を求められ、全財産を布施するように言われているが、おばの意志とは違うということでした」
検察官「それまでにどのぐらい(の額)をお布施しているということでしたか」
証人「ゴルフの会員権を売却して6000万円ほどあるということでした」
検察官「Aさんがオウムに関わっていることはご存じでしたか」
証人「父は『Aはオウムに関わっている』と言っていたのを覚えています。なんらかの関係を持っていると思いました」
《被告はまっすぐに実さんを見つめる》
検察官「オウム真理教の印象はどうでしたか」
証人「テレホンカード1枚まで財産を奪われる凶暴な集団という印象でした。坂本堤弁護士の事件にも関わっている恐ろしい集団と認識していた」
《実さんはこの後、家族の安全を守るため、仮谷さんとともにホームセキュリティーサービスを契約し、実さんの子供のためにベビーシッターを雇おうとしたことを明かした。また、仮谷さんが弁護士を雇おうとしたが、依頼した弁護士が引き受けてくれなかったことも証言した》
証人「父は弁護士から『仮谷さんもオウムに関わらない方がいい』と言われたと聞きました」
《裁判官は証人の発言を熱心にメモしていた》
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【オウム法廷再び 平田被告初公判(6)完】19年前の便箋に浮かぶ被害者の焦り 長男「ただただ真実が知りたい」
産経ニュース2014.1.16 19:55 (16:10〜16:50)
《目黒公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(68)=の長男、実さん(53)への証人尋問が続いている。実さんは検察官の質問に、仮谷さんがオウム真理教を恐れ、万が一に備えていた様子を具体的に説明していく》
《仮谷さんの妹で、当時オウム真理教に入信していたAさん(法廷では実名)は、資産すべてを布施として教団に拠出させようとする教団から、執拗に出家を勧められていた。Aさんは仮谷さん宅や別の知人方に泊まりながら、オウム脱会への方策を探っていた。検察官は、Aさんの避難先について尋ねる》
検察官「Aさんがどこに行ったかは知っていましたか」
証人「父から『Aがどこに行ったのか、誰も行き先を聞いてはいけない。話してはいけない』と言われました」
検察官「(事件前日の平成7年)2月27日の夜の状況をうかがいます。仮谷さんと何か話をしましたか」
証人「父は、メモと名刺を持ってきて『話がある』と。居間のテーブルのところで、妹と妻も同席して話しました」
検察官「メモとはどのようなものでしたか」
証人「便箋2枚ほどに走り書きされたものでした」
検察官「何が書かれていましたか」
証人「万が一、何かあったら警察に連絡するように、と書かれていました。(2月)25日にAが助けを求めてきたこと、出家を強く迫られていることも書かれていて、万が一のときのことを強調していました」
検察官「万が一というのは、どういうことですか」
証人「公証役場に男性が訪ねてきて、『ゴルフの会員権のことで、Aさんはいますか』と聞いたといい、父はAが逃げていることを踏まえて『知りません』と答えたといいます。その後から、父に見張り役がつくようになり、異変を感じたようです」
検察官「この便箋で間違いありませんか」
《モニターに2枚の便箋が映し出される。19年が経過し、便箋は日焼けしたような薄茶色になっている》
検察官「これはお父さんの自筆ですか。文字はどうですか。何か気がつく点はありますか」
証人「間違いありません。きちょうめんな父でしたが、これはけい線をまたいで文字が書かれていたり、修正されていたり、焦って書いたことがわかります」
《傍聴人らは、首を伸ばしたり身体を左右に動かしたりして、傍聴席前方の両側に設置されたモニターに映し出された便箋の文字を読み取ろうとする》
検察官「この便箋を示して説明したのですか」
証人「はい。『見張られているのが分かった』とも話していました。昼食や喫茶店に行くとき、目黒駅までの道や、山手線に乗って目黒から秋葉原に向かう間も尾行されていると話していました」
《実さんの証言からは、当時、仮谷さんが感じたであろう恐怖や切迫した様子が伝わってくる》
証人「尾行をまこうとして、行きつけの喫茶店に入り、男たちがコーヒーを注文したのを見て店を出たとも話していました。また、(公証役場からの)帰り際、かっぷくのよいお客さんが来たので『一緒に帰ってもらえませんか』とお願いしたこともあったそうです」
検察官「名刺には何と書いてありましたか」
証人「(オウム真理教関連のパソコン販売会社の)マハーポーシャとありました」
検察官「マハーポーシャという会社を知っていましたか」
証人「知りません」
検察官「お父さんの話を聞いてどう思いましたか」
証人「神経質な人なので、『気のせいなのでは』と声をかけました」
検察官「お父さんはどんな反応をしましたか」
証人「激しい口調で『おまえたちは尾行されたことがないから分からないのだ』と激怒していました。初めて見る父の姿で、普段はそんな人ではなかったので驚きました」
検察官「2月28日のことをうかがいます」
証人「父は公証役場の電話は盗聴されている可能性があるとして、できる限り公証役場の電話を使うことを控えていました。自宅にいた妻のところに電話があり、『お父さんが連れていかれちゃった。警察に連絡しないと』と」
検察官「その時の気持ちは覚えていますか」
証人「一瞬頭の中が真っ白になりました。どうやって父を取り返したらよいのだろうという考えが頭の中をめぐり、(警視庁)大崎署に連絡しました」
検察官「犯人は誰だと思いましたか」
証人「オウムだと思いました。大崎署には25日からの経緯を話し、例のメモと名刺を持ってきてもらうよう自宅に連絡しました」
検察官「大崎署に来たときのAさんの様子を覚えていますか」
証人「午後8時ごろ、友人に付き添われてきましたが、ひどくおびえた感じでした。事情聴取は一緒に受けていたわけではありませんが、声は少し聞こえてきました。父を、Aから見たら兄ですが『探してください』と。施設の名前や、いわゆるホーリーネームもいくつか伝えていました」
検察官「Aさんは警察から別の場所に電話をしましたか」
証人「(当時の教団女性幹部に)電話しました。本人は出ませんでしたが、代わりの人に『オウムを脱退します。兄を帰してください』と伝えました。オウムの反応は『お兄さんは知りません』というものでした」
検察官「今回被害者参加制度を使って、審理に加わろうと思ったのはなぜですか」
証人「事実が知りたいからです。犯罪被害者の遺族は事件の当事者でありながら、傍聴することしかできませんでした。被告や証人に質問できる新しいシステムを使えば、心の傷が癒えるのではないかと思いました。私も父も、少し法律を学んだ者として、『罪を憎んで人を憎まず』という考えを持っていました。平田被告は17年の逃亡生活を送り、被害者家族の立場とはいえ、追われ続ける苦しみは、遺族の苦しみに通じるものがあるのではないかと思います。自ら出頭しなければ、逃げ切れたのではないでしょうか。あえて出頭したということは、それなりの覚悟があったのではないかと思います。平田被告から、速やかに事実が出てくることを願います。ただただ、事実が知りたいのです」
《裁判員らは実さんの発言を熱心にメモにとる。実さんは感情を抑え、穏やかに話す。平田被告は節目がちのまま、微動だにせず、その言葉を聞いている》
《実さんへの弁護側の質問が始まった》
弁護人「オウムのことを打ち明けられたのは、平成7年2月25日が初めてですか」
証人「はい」
弁護人「お布施の金額などは聞いていましたか」
証人「ゴルフ会員権の6000万円について聞きました。おば(Aさん)には子供がいないので財産をオウムにお布施することは問題なかったようですが、仮谷家の墓に入るための管理費や、複数人で温泉の権利をもっている箱根の別荘など、他人が関わる問題もあり、全てお布施に回せるわけではなかったようです」
弁護人「それまでにオウムのことを怪しいと思ったり、修行の内容などを聞いたことはありましたか」
証人「25日が初めてでした。その1年ほど前に、オウムに関連する本をもらったことはありました。おばは健康志向だったので、そうした施設が富士山周辺にあることは聞いていました。活動にのめり込んでいたかどうか、私には分かりません」
弁護人「最終的に、仮谷さんが脱会を説得したのでしょうか」
証人「全財産をお布施にすることは、おばの本意でもないので、あといくらかお布施をして脱会するという結論になりました。信仰自体は続けるようでした。脱会をめぐり弁護士も見つからず、私たち家族も関わらないほうが良いというアドバイスを受けたため、27日夕、おばには家を出てもらいました」
《証人尋問が終わり、証言台から自席に戻る実さんを、平田被告は顔をあげ、見つめる。午後4時50分に斉藤啓昭裁判長から閉廷が伝えられると、平田被告は検察側に一礼して退廷。その様子を、今度は実さんが静かに見つめた。約2カ月にわたる平田被告の裁判員裁判の初日が終わった》=完
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【オウム法廷再び】NHK番組を無断で証拠採用
産経ニュース2014.1.17 00:01
東京地裁で16日に開かれたオウム真理教元幹部平田信被告(48)の初公判で、弁護側が証拠申請した昭和63年に放送されたNHKの情報番組が採用され、法廷で上映された。NHKは事実認定の証拠としないよう地裁に求める方針。
法廷での弁護側の説明によると、採用されたのは、神秘的なものに引かれる若者たちについてまとめた約10分のリポートで、63年2月に放送された。映像は裁判員らの手元のモニターに映され、法廷には音声だけが流れた。平田被告や井上嘉浩死刑囚(44)らが共同で出家生活を送り、食事の準備などをしている様子が映っていたという。別の信者がインタビューに答える場面もあった。
NHK広報部によると、弁護側から事前の連絡はなく、許諾もしていない。広報部は「放送以外の目的で使用されると取材協力者の信頼を損ない、取材や報道の自由が確保されなくなる恐れがある。極めて遺憾だ」としている。
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オウム平田被告:親族に「合わせる顔がない」
毎日新聞 2014年01月16日 12時03分(最終更新 01月16日 13時10分)
1995年にオウム真理教が起こした3事件で起訴された元教団幹部、平田信(まこと)被告(48)の裁判員裁判の初公判が16日午前、東京地裁で始まった。
2012年の冬、平田被告の親族の男性は、東京拘置所で被告と向かい合った。「元気か」「申し訳ありません」。平田被告が古里の札幌市を離れてから二十数年ぶりの再会だった。途切れがちで、かみ合わない会話。平田被告は「合わせる顔がない」とうつむいたまま、15分の面会は終了した。
逮捕当時の伸びきった茶髪は短く刈っていた。顔つきから、別人のように見えた険しさが消え、「無口で優しかった」少年時代がダブって見えた。
母は一人っ子だった平田被告を大学卒業まで親元に置き、「猫かわいがりした」(男性)。だが、平田被告が特別手配された後は、ひっそりと暮らし、夫の死後は札幌を離れて道内の別の都市に一人で移り住んだ。近所には「子供はいない」と話していたという。
平田被告が出頭する約半年前の11年7月、急死した。喪主を務めるべき平田被告の姿のない葬儀だった。「(母は)大っぴらに街を歩けなかったし、息子への心配も尽きなかった。信が寿命を縮めたようなものだ」と男性は振り返る。
男性の元には「家族に嫌な思いをさせて、すみません」とつづる謝罪の手紙が数通届いた。「知っている全てを語って罪を償い、立ち直って、真面目に生きてほしい」と強く願っている。【川名壮志】
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◇ オウム法廷再び 「父は殺されたのではないのか」遺族 / 「法廷で真実語れるチャンスが来た」死刑囚 2014-01-16 | 死刑/重刑/生命犯 問題
◇ オウム平田信被告 仮谷清志さんの遺族に「示談」申し入れ、合意 2013-12-13 | 死刑/重刑/生命犯 問題
◇ 平田信容疑者「震災で、おれ何をやっているんだろうと逃亡生活が情けなくなった。でも踏ん切りがつかず」 2012-01-04 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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オウム法廷再び 平田被告初公判 詳報
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