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39人の死刑囚を見送った男/生きている死人「活死人」/死刑に反対しないのは、文明の進歩が足りないのでは?

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39人の死刑囚を見送った男の話 生きている死人「活死人」の苦しみ
福島 香織
日経ビジネス2011年8月17日(水)
 7月下旬から8月にかけて、ドイツ旅行に行ってきた。目的の1つに、ミュンヘンに訪問学者として滞在している友人の華人ジャーナリスト、周勍氏へのインタビューもあった。
 周氏は日本で『中国の危ない食品―中国食品安全現状調査』(草思社刊)を出版し日本を訪れたこともある。当時は民放テレビにも出演したので、ひょっとすると長髪の小太りの気のよさそうなこの男の顔を知っている人もいるかもしれない。
 この本の原本が中国で出版されて間もないころ、私も食品安全問題を集中的に調べていた時期があり、彼からアドバイスをいただいたことがある。それ以来のお付き合いだ。周氏は小説家養成機関の北京師範大学魯迅文学院を卒業し、当初は小説家として期待されていたものの、途中でジャーナリズムの道に進み、1989年の天安門事件では北京以上の規模だった陝西省西安市の学生運動を指導して、約2年間、反革命扇動罪で監獄に入った。
 彼の人生は曲折に満ちて、それはそれで非常に興味深く、物書きとしてはそそられるテーマだが、今回、ご紹介したいのは、彼が投獄中に目の当たりにした「中国の死刑」だ。
*執行の1週間前から手足を板に固定される
 中国は毎年、推計数千人の死刑が執行されている死刑大国である。90年代末までは公開処刑もあった。だが、実際に死刑囚が監獄の中でどう過ごしているのか、どのように死刑が執り行われているのかは、秘密のベールの向こうだ。それを実際に目の当たりにしてきたのだから、彼の体験は貴重である。
 「私は獄中にいたとき、死刑囚のお世話をしたことがあるんだよ」と、周勍氏はミュンヘンのルードヴィッヒ・マクシミリアン大学近くの自宅で手料理をご馳走してくれながら、話し始めた。ちょうど、福建省アモイ市の大汚職事件「遠華事件」の主犯の頼昌星氏が逃亡先のカナダから中国へ送還された後、本当に死刑は免れるかどうか、という話題から、死刑制度についてどう思うか、と私が尋ねた時だった。彼は「死刑制度には絶対反対である」と答えた後にこう語ったのだ。
 「中国では死刑囚は死刑執行の1週間前から手足を板に固定されて身動きが取れない。死刑の恐怖で自殺するのを防ぐためだ。だから自分でご飯も食べられないし、排泄もできない。私は食事を彼らの口元に持って行って食べさせたり、小便を催せば、それを盆に受けて取ってやったり、世話をしたりしたんだ。もちろん大便もな。板には尻のところに穴があって、その穴から盆に受ける。そのあと、尻を洗ってやるんだ。人としての尊厳もくそもないだろう」
 私は目を丸くした。「さすがに、今は違うでしょう。それ、20年前の話ですよね。今はそんなひどいことはないでしょう」。
 周氏は「今も変わらないよ。中国では今も、死刑囚は“活死人”(生きている死人)として扱われるんだ」と言った。そして、中国の“活死人”の味わわされる苦しみについて、考えてほしい、と言葉を継いだ。
*悲鳴を上げかけたので、縄で首を…
 周氏は西安市の監獄で「死刑囚のお世話係」の仕事を割り振られていた。それはどの服役囚も敬遠する嫌な汚れ仕事である。「お世話」したのは100人以上になるだろう。死刑が執行されるその瞬間まで見届けたのは39人だ。全員、銃殺刑だった。中には未成年もいた。刑務官に虐待された者もいた。
 「最初にお世話した死刑囚は18歳の湖北人さ。見たところ、まだ子供だった。でも、18歳以下は死刑にできないからね。2万元の盗みを働いて逃げる途中、人を殺してしまった。監獄の中には監獄ならではの経済社会があって、やはりカネがないと食べるものもない。その子供には、誰もカネや食べ物を差し入れてやる家族がいないから、いつも腹をへらし、のどの渇きも癒やせないでいた。誰か水を分けてくれ、と何度も哀れにせがむ声が監獄内に響いていた」
 「ある日、そいつに血液検査の日が来た。血液検査というのは、死刑執行の2週間前に行うもので、つまり死刑執行後に迅速に臓器移植を行うためにするんだ。運よく臓器移植のレシピエントにあう血液でなかったら、死刑は延期だ。だから血液検査のお呼びがかかると、死刑囚は苦悩し、自暴自棄になりやすい。そこで、自殺しないように手足を縛る必要が出てくる」
 「私はその子が哀れで、1度、カップ麺を食べさせてやったことがある。私が家族から差し入れにもらったものだ。彼の死刑執行に立ち会った。銃殺される前に、悲鳴を上げかけたので、縄で首をきつく締められたよ。鶏を絞め殺すような音がして、銃殺刑が行われる前にはもうぐったりしていた」
*姉の電話番号を私に託した死刑囚
 「『皮管王』という言葉がある。監獄用語で一種の典型的な変態刑務官を指す言葉だ。特殊な管を囚人の尻につっこみ虐待して興奮する変態だ。そういう虐待も行われていたのを私はこの目で30回以上見た。死刑囚の尻は熟して破裂したトマトのようになって、その夜、医者が脱脂綿を2缶使っても、血が止まらなかった。その『皮管王』は朝鮮戦争の帰還者だったよ。」
 「西安の京劇役者で、街を歩いているイタリアの女性を怪我させた罪で死刑となった武安民と言う男もお世話もしたよ。彼は麻薬常習者で、カネが欲しくてイタリア女性からカバンをひったくろうとしたら、抵抗されて、怪我を負わせた。そのイタリア女性の職業が警官だったので、死刑という重い罪になってしまった。性格の明るい愉快なやつで、彼が来たので監獄内は少し明るくなったよ。しかし、彼にもやはり『血液検査』の日がきた。板に張り付けられた格好の彼に、してほしいことはないか、と尋ねたら、たばこが吸いたい、という。それで、私はできるだけ、彼にたばこを与え、火をつけてやった」
 「死刑の前の晩、彼はふと、『周さん、あんたいいやつだなあ』と言ってくれたよ。『あんたはいつか、シャバに戻れるんだろ? だったら、ちょっと頼みがあるんだ。姉に、電話してほしいんだ。オレが一番、苦労かけたのは姉なんだ。オレの父親はオレが3歳の時に亡くなってね。死んだ理由ははっきりしないけれど、あんたと同じように政治運動やっていたせいだと思う。母親はオレと11歳の姉を置き去りにしてどっかいっちまったから、姉がオレを育ててくれたようなもんだ。それでも姉は医科大学に合格し、おれも省の芸術学校に入学した。オレがクスリなんかに手を出さなきゃ…。もう長いこと手紙すら書いていない…』。そう言って電話番号を私に託したんだ」
*今も執行を見届けた39人の顔を覚えている
 「私は今も、死刑執行を見届けた39人の顔を覚えている。どんなに振り払おうとしても、その顔が浮かんでくる。でも怖くてずっと人には言えなかった。この話を初めて公にしたのは、2010年2月のジュネーブで開かれた死刑廃止世界会議の席だよ。知人に招かれて参加してみたら、いきなり壇上に立たされて、演説しろって言われてさ。で、長い間、のどの軟骨に刺さって化膿していた魚の骨のように、その時突然、口から飛び出してしまった」
 こういう経験に立った上で、彼はこう締めくくった。
 「死刑って何のためにやるんだ? 結局、国家の権威を強化するためだよ。人の命を奪っていいのは国家だけだ、ということを大衆に知らしめるためだよ。それは犯罪被害者の家族のためでもなければ、正義のためでもない。日本はどうだい?」
 彼のこの経験については、私は初めて聞いたので、しばらくぼうぜんとしていた。
 私は死刑廃止論者ではない。かといって、死刑を支持するか、と問われれば誰が人の死を望むだろう。しかし、もし自分の愛する人が、理不尽な理由で残虐な方法で殺された場合、犯人の死を望むか、と言われれば望むかもしれない。遺族が「極刑を望みます」と言い、死刑判決が出た時に、遺影にそう報告できてよかったと、涙を流す気持ちを想像してみる。
 少なくとも周氏の話は、中国の死刑制度の残虐さであって、それを聞いて、だから日本も死刑制度を廃止すべきだ、という風には説得されない。唯一、死刑執行を待ってほしい、と思うとすれば、それは1%でも冤罪の可能性がある時だろう。しかし冤罪を無くすことと死刑の是非を同じ土俵で考えるべきなのか、分からない。
*「反対しないのは、文明の進歩が足りないのでは?」
 私はこう答えた。
 「日本の死刑囚はもっと人道的に扱われていると思うよ。最後に望む食事を与えられると聞いている。死刑が国家の権威の強化になるという言い方もあるが、日本の場合、国家の中枢を選ぶのは国民の選挙。もし国民の過半数が死刑の廃止を望めば、政治家はそれを争点にして選挙戦に挑めばいいのだから、比較的速やかにそれは実現できるだろう。中国の問題は、死刑を執行する国家が民の選んだ政府でないという点、そして死刑囚に対する虐待と、最低限の人としての尊厳が守られていないということだ」
 周氏は「日本国民が死刑に反対しないのは、それは文明の進歩が足りないのではないか。ドイツは大戦中は大量の死刑が行われたが、今では死刑は非文明的で野蛮だという結論に至った。もうヨーロッパではどこも死刑は行っていない」と言う。だが、私は日本の場合、もう少し根本的な違いがあるような気もする。一言でいえば「死」に対する観念の違いと言うべきか。
 良い悪いは別にして、「生き恥をさらす」という言葉があり、時に生きることより死の方が楽だ、美しいとする考えがある。病気や不慮の事故で「苦しまずに死ねた」ことは遺族にとって慰めだ。死者が覚悟の上で迎える死ならば、遺族はまだしも救われるだろう。遺体の損傷が少なく丁寧に葬儀を執り行えることも遺族にとっては大切なことだ。死そのものは悪でも懲罰でもない。重要なのはその迎え方と迎えた後だ。日本人が臓器移植にいまだ強い抵抗があるのは、死後の尊厳の問題もある。
 理不尽に残虐に他人の命を奪い、遺体に対する尊厳をも踏みにじった犯罪者に対し、かなり長い裁判のプロセスを踏み、それなりの配慮の上で厳粛に死刑が執行され、その後にきちんと清拭され、翌日、遺体を遺族に引き渡されるのだと聞けば、多くの日本人的感覚としてはさほど野蛮と感じないのではないか。
*日本人も中国の司法で裁かれる
 周氏と私のこの議論は平行線に終わった。私は死刑囚と面談したことも、死刑執行に立ち会ったこともないので、死刑というものを具体的に想像できないのかもしれない。彼が20年もの間、人に語れずにいたこの経験がどれほどの悪夢であったか。
 ただ、思うことは、中国の国際化に伴い、日本人を含む外国人が中国の司法で裁かれるケースも増え、実際に日本人死刑囚の死刑も執行されている。国情によって司法の裁く罪の重さが違うのは当然だとしても、守られるべき共通の人間の尊厳はある。たとえ、よその国のことであれ、自国のことであれ、そのことは無関心であってはならないだろう。
<筆者プロフィール>
福島 香織(ふくしま・かおり)
ジャーナリスト
 大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002〜08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。著書に『潜入ルポ 中国の女―エイズ売春婦から大富豪まで』(文藝春秋)、『中国のマスゴミ―ジャーナリズムの挫折と目覚め』(扶桑社新書)、『危ない中国 点撃!』(産経新聞出版刊)、『中国のマスゴミ』(扶桑社新書)など。
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〈来栖の独白〉
>「日本の死刑囚はもっと人道的に扱われていると思うよ。最後に望む食事を与えられると聞いている。
 日本の場合、国家の中枢を選ぶのは国民の選挙。もし国民の過半数が死刑の廃止を望めば、政治家はそれを争点にして選挙戦に挑めばいいのだから、比較的速やかにそれは実現できるだろう。
 良い悪いは別にして、「生き恥をさらす」という言葉があり、時に生きることより死の方が楽だ、美しいとする考えがある。
 かなり長い裁判のプロセスを踏み、それなりの配慮の上で厳粛に死刑が執行され、その後にきちんと清拭され、翌日、遺体を遺族に引き渡されるのだ
---この筆者は、何を見ているのだろう。何を確信しているのだろう。死刑の何であるか、人間の何であるか、美しさの何であるか、何も分かっておられない。私は絶望してしまう。
>「反対しないのは、文明の進歩が足りないのでは?」
---同感である。


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