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「谷繁元信が今だから語る」 谷繁元信×野村弘樹 対談

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谷繁元信が今だから語る「監督就任と組閣の舞台裏」
 Sportiva 2014.01.22
キビタキビオ●構成 text by Kibita Kibio 五十嵐和博
 谷繁元信×野村弘樹 対談(1)
 2014年のプロ野球で注目を集めるのが、落合博満ゼネラルマネージャー(GM)との新体制でスタートを切る中日ドラゴンズの谷繁元信選手兼監督だ。12年ぶりにBクラスに転落したチームをどう立て直すのか。横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)時代にバッテリーを組んだ野村弘樹氏との和やかな対談の中で、その意気込みについて語ってもらった。

──まずは、監督就任からこれまでの話を改めて振り返っていただきたいと思います。最初に打診が来たときはどのような心境でしたか?
谷繁 正直なところ、球団からは9月の終わりくらいに「もしかしたらあるかもしれない」という話がありました。最終的に正式な連絡が来たのはシーズン最終戦の前の晩でした。その時は、「マジで来たな」という感じでしたね。
野村 1年前のオフに一緒にゴルフをした時、「シゲ(谷繁)もいつかは(監督を)やらなきゃならないだろ。もう、名古屋人だもんね(笑)」という話をしたけど、まさかその翌年とはね。
谷繁 僕が思い描いていたのは、もう1年くらい現役をやって辞めるつもりだったんですよ。そして、何年後かにもし監督として声が掛かった時には、ちゃんとできるように準備しておきたいな、という考えでした。でも、昨年は色々なことが重なりましたから。
野村 発表のあとは、ドラフトやコーチの組閣などがあって大変だったんじゃない?
谷繁 いや、大変ということはなかったです。やらなくてはいけないことを、ひとつひとつこなしていくという感じで。今までは選手だけだったので、気になることがあっても「それは球団の仕事」と流していたのですが、それができなくなりました。あとは、ドラフトの前にスカウト会議に参加して、指名候補を決めるような仕事は初めてでしたし、こういうことを全部やらなきゃいけないんだな、と。
野村 今までチーム作りに携わるということがなかったしね。
谷繁 それより何が大変って、人前であいさつをするのがいちばん大変です。あらゆるところであいさつをしないといけないでしょ。そのときに権藤(博/1998〜2000年、横浜監督)さんが監督だった時のことを思い出したんですけど、あいさつは短かったじゃないですか? シンプルだけど、あれはちょっと短すぎるかなと(笑)。でも、ああいう場で2、3分しゃべろうとすると結構長いですね。まあ、数をこなしていけば、そのうち慣れるかな? とは思います。
野村 昨年の監督就任直後の秋季練習の時に、選手を集めて最初に話したことを、もう一度この場で話してよ。
谷繁 「2000本打った時にも言いましたが……」と切り出した時のですか?
野村 うん。
谷繁 あれは、僕が2000本安打を達成した試合(2013年5月6日)の後に神宮のクラブハウスで話したことなのですが、あの時は借金が7つもあって、その日も満塁ホームランを打たれて逆転負けしたんです。自分の2000本よりもチームの調子が悪いことがものすごく気になっていて、「このチームはこんなに弱いチームじゃない。もう1回強いドラゴンズを取り戻したい」と。秋季練習の時も同じことを言って、「そのためには個人個人が何をしなきゃいけないか? ということを考えてやって下さい」と言いました。やはり、自分が選手としてやっていますから弱いとは思いたくないですし、実際、弱くないですからね。
──落合GMとは、頻繁にお話をされているのですか?
谷繁 何か動きがある時には、必ず連絡を取り合うようにしています。話は僕より細かいですよ。普通、ひとつのことを1から伝えるとして、半分くらいまで聞けば大体内容がわかるじゃないですか。でも、落合さんは絶対に10まで説明します。妥協がないです。
野村 監督と選手という関係の時とは、関わり方が違ってくるよね?
谷繁 実は、落合さんが監督の時はほとんどしゃべってないんです(笑)。とはいっても、まったく会話がなかったわけじゃないですし、監督室や風呂などで、時々話はしていました。監督と選手というのは付かず離れずという距離感が大切だと思うんですよ。ただ、今の主力メンバーは一緒にプレイしている連中なので、その点は心配していません。
野村 オレの中の落合さん像も、「勝負事に対して妥協がない」というのがある。2007年の日本シリーズで、完全試合を継続していた山井大介を代えた場面があったでしょ。賛否両論あったけど……。
谷繁 あれは、選手の意見を取り入れてくれたんですよ。最初、僕と山井で話をして、森さん(繁和/今季からヘッドコーチ)が山井と話をして、そこから落合さんに話が行っているので。最終的に交代を告げたのは落合さんですけど、それまでにちゃんとしたコミュニケーションがあって代えていますからね。それを知らない人は、落合さんは冷たいとか思うのでしょうけど、中にいる僕らにとっては当たり前のことでした。
野村 あと、個人的に印象深かったのは、オレが2006年に解説者になってキャンプであいさつに行った時。それまでほとんど面識がなかったのに、30分くらい懇々と野球の話をしてくれたんだ。
谷繁 話、大好きですよ。以前、キャンプ中にロッカーに来て、僕とかベン(和田一浩)とか選手が揃っているところで、「オメーら”ズック”って知ってっか?」って言うんです。僕らは靴のことだってわかるけど、30歳前後の選手はわからない。「お前、ズックも知らねーのか!?」って。そんな話をするんですよ。それも1から10まで(笑)。
野村 ズックの話も1から10までなんだ(笑)。
谷繁 でも、僕がここまで長くやってこられたのは、あの人のおかげというのがあると思います。どうやったら効率よく勝てるのか? 横浜での経験にプラスして、選手や球場、球団の体質も違う中で、チームに合った野球の進め方を考えさせられました。
野村 落合さんが別のチームの監督だったら、中日とは違う采配になると思う?
谷繁 どうしたら勝つ確率が高くなるか、という根本的な部分は同じと思いますけど、野球は違うと思います。以前、「オレが4番なら、オレが打って勝つ野球をする」と言っていました(笑)。そういう選手がいないから、バッテリーを含めた「守り」の野球になったと思います。
野村 今後は落合さんとどんな接し方になっていくのかな?
谷繁 落合さんは現場にはほとんど口を出さないと思います。ただ、僕が下手を打っていたらアドバイスはするよ、と。それ以外はお前の好きなようにやれ、ということでした。
──コーチ人事についてはいかがでしょう。これも落合GMと決められたのですか?
谷繁 そうですね。僕が選手として動いているときに手を貸してくれるような人をGMが呼んできてくれて。「お前が呼びたい人がいたらお前が呼べよ」という形で決まりました。
野村 今回、ヘッドコーチに森さん、バッテリーコーチを達川(光男/元広島監督)さんにお願いした理由は?
谷繁 森さんは、落合さんが監督の時に僕も8年間一緒にやっていますから、考え方も含めよくわかっています。今回はピッチャーだけでなく、ヘッドコーチとして、僕がグラウンドにいる時も意志の疎通はできると思います。達川さんに関しては、最初、引き受けてくれるのかなと思ったのですが、電話してお願いしたら「ぜひ、力を貸したい」と言っていただいて。ドラゴンズにはいないタイプの人だし、監督もやられた方なので知識も経験も豊富ですから。僕が選手としてやっている限りは、若手のキャッチャーをそうは見られないので、達川さんにお願いしたいなと思っています。
野村 達川さんは、記憶力が抜群だよね。
谷繁 すいません。キャッチャーはみんな記憶力がいいんです(笑)。
野村 僕らピッチャーも記憶力は大切だけど、抑えたことよりも打たれた時の事の方が良く覚えているよ。北別府(学/元広島)さんなんかは今でも一球一球、鮮明に覚えているからね。
谷繁 昔の人ってそうなんですよね。杉下さん(茂/元中日)なんか今年89歳ですよ。そんな方が「19XX年のX月X日の試合で…」なんて話をしますから。昔の人って本当に記憶力がいいなと思います。60年くらい前の話ですよ。覚えてます? いや、まだそんな経ってないか(笑)。
野村 でも、まあ我々の15年、20年とは全然違うよね。
──昨年限りで引退した佐伯貴弘さんが二軍監督になり、友利結(デニー友利)さんや波留敏夫さんなど、横浜時代からご存知な面々をコーチとして呼んだ点についてはどうですか?
野村 過去に中日に在籍した方々がほとんどでしょ?
谷繁 はい。だから、“横浜色”というのはないですよ。僕が佐伯を二軍監督にしたいと申し出たのは、25年間のプロ生活でアイツより練習した者を見たことがなかったから。誰よりも練習した男が監督なら「あなた、練習してなかったじゃないですか」とは言えないですからね。説得力がありますよ。みんな素質があってプロに入ってきているので、あとはどれだけ練習して、強い体を作って、精神的にも強くなるかですから。それに、中日は厳しいとよく言われますけど、僕は当たり前だと思うんです。仕事なんでね。頑張ればいつか花開くと信じてやるしかないですから。
──将来的に野村投手コーチというのはないですか?
谷繁 僕の下でやるの、嫌でしょ?
野村 いやいや(笑)。ドラゴンズって地元の意識がものすごく強い印象なんですよ。ヨソ者になってしまうでしょう。
谷繁 僕もそうですよ。選手として何年もやっていますけど、今まではどこかしらそういう部分を感じたことがありました。でも、それは去年までです。新しい体制になった時点で、まったくないと思います。ただ、どうだろ? 言葉は悪いですけど、今までのドラゴンズは生え抜きにちょっと甘いところはあったかもしれませんね。
野村 それはどこの球団でもあることだよね?
谷繁 いや、横浜は厳しかったじゃないですか。生え抜きが誰も帰れないですから(笑)。プロの世界といえば、プロの世界ですけどね。
野村 まあ、先のことはわからないけど、名古屋ドームの一塁側から自分が出て行くというのはなかなか想像がつかない。
谷繁 僕だって、横浜スタジアムの三塁側のベンチから試合見るなんて、まったく思いませんでした。最初は変な気分でしたよ。それが今では監督になるんですからね。人生わからないものですよ。
 次回に続く
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谷繁元信「屈辱の時代のおかげで僕は16年連続Aクラスになれた」
 Sportiva 2014.01.25 キビタキビオ●構成 text by Kibita Kibio 五十嵐和博
 谷繁元信×野村弘樹 対談(2)
―― おふたりはかつて同じチームでプレイしていましたが、初めてバッテリーを組んだ時のことを覚えていますか?
谷繁 僕が大洋(現・横浜DeNA)に入団して、1年目(1989年)だったと思います。先発として何度か組んで、次の年、監督が須藤(豊)さんになってから、野村さんが先発の時は僕がマスクをかぶるようなったんです。
野村 1989年の僕の成績は3勝11敗だった。途中、1勝9敗までいった時は、「一休さん」って言われていた(笑)。
谷繁 確かあの年、野村さんは開幕前に交通事故を起こして、車のガラスに頭をぶつけて流血したんですよね。あれでおかしくなったんですよ(笑)。
野村 そうかもしれない(笑)。あの年は市川(和正)さんがマスクをかぶっていたね。でも、シゲ(谷繁)も1年目ながら80試合に出場しているよね。
谷繁 開幕直前に若菜(嘉晴)さんがトレードで日本ハムに移籍したこともあって、ずっとベンチには入っていました。でも、いま考えたら80試合も出ていたのかなという感じですね。
野村 オレが投げる時はシゲがマスクをかぶっていたけど、打たれてベンチに戻っては、いつもふたりで怒られていたよな。
谷繁 野村さんが投げる試合に勝たないと、他の試合で使ってもらえないと思っていたので本当に必死でしたよ。
野村 結局、1990年は11勝することができた。でも、試合前に打合せすることはほとんどなかったよな。初球の入りをどうするかぐらいで、あまり細かいことは決めなかった。
谷繁 野村さんのボールを受けた最初の頃は、「ああ、これがプロの球なんだ」と思いましたよ。真っすぐのキレというんですかね。スピードは140キロちょっとでそれほど速くないんですが、それが全部ファウルになる。だから思い切って攻めることができました。ただ、年齢を重ねるたびにキレが悪くなってきましたね。日本一になった1998年はギリギリ大丈夫でしたけど(笑)。
野村 その翌年からまったくダメだったよね。もう、キャンプの時からダメだった。
谷繁 やはり、キレで勝負するピッチャーには、そういうところがありますね。これまでいろんな人のボールを受けてきましたけど、長く続けている人はそのキレがなくならないからやれるのだと思います。それはスピードガンの数字じゃない。球の質ですね。
野村 ファウルを取れなくなるとキツイ。「もっといいボールを投げなきゃいけない!」となって、厳しいコースに投げようとするけど、ボールになって、カウントを悪くしてしまう。まさに悪循環。そうなるとバッターとまともに勝負できなくなる。
谷繁 キレがあった時は、少ない球種で勝負できていましたよね。真っすぐとスクリューが主体で、あとはカーブが「一応ある」という程度で。スライダーを投げ出したのは、野村さんが引退される少し前ぐらいですよね。最初は3つの球種だけだったんですが、それでも抑えていたんだからすごいですよ。
野村 カーブもあまり使っていなかったし、実質サインは2つだけ。ストレートとスクリューを左右に投げ分けていた感じだった。僕は1998年がピークだったなぁ。
谷繁 本人がそう言っているので、そういうことなんでしょう(笑)。
野村 シゲとバッテリーを組んでいて、今でも忘れられないシーンがあるんだ。それは、まだ広島にいた金本(知憲)と対戦した時。追い込んでからアウトコースのややボール気味のところにストレートを投げたんだけど、それを左中間にバチーンと打ち返された。その時に、しかめっ面でシゲのことをにらんだら、マウンドにトコトコ来て、「嫌だったら首振って下さいよ!」と言われたのを覚えている。
谷繁 覚えています(笑)。
野村 どう考えても、読まれたとしか思えなかった。それが悔しくて、ついシゲに当たってしまった。でも、ズバッと言いに来たのを見て、「コイツ、自信を持ち出したな」と思ったことを覚えている。
谷繁 僕が覚えているのは、横浜スタジアムの試合で、簡単に先頭バッターをフォアボールで出したことがあったんですよ。それでムカーっとなって、いつもより強く投げ返したら、まだ野村さんは下を向いていて、顔を上げた瞬間、顔面にバチーン(笑)。
野村 ああ、巨人戦で雨が降っていた時だね。先頭の簑田(浩二)にフォアボール出して、「アカ〜ン」って思ってスコアボードかなんかを見て下向いたあと、上向いたらそのままゴーンって来た(笑)。でも、目を腫らしながら投げて、5回ぐらいまで0点に抑えていたんだよね。
谷繁 うん、そうそう。
野村 でも、結局、あの試合は負けたんだよな。雨で一度試合が中断して、再開したあとに点を取られて……。あのとき、僕がチェンジになって戻るときにクロマティー(巨人)に「レイン、アフター、ダメね」って声かけられたのを覚えてるよ(笑)。
谷繁 野村さんも結構覚えていますね。
野村 あと1994年、東京ドームの巨人戦での3連発。
谷繁 元木(大介)、デーブ(大久保博元)さんと、あと誰でした?
野村 岡崎(郁)さん。
谷繁 はいはい。元木はポール際じゃないですか?
野村 そうそう。近藤(昭仁)さんが監督の時だったんだけど、「お前、3連発はないぞ」って2カ月ぐらい言われ続けた(笑)。他にも、広島戦で西山(秀二)さんに広島市民球場で3ランを打たれて逆転されたのを覚えている? 2−0で勝っていて、2アウト二、三塁で8番の西山さんという場面だったんだけど、ツーナッシングからインコースの真っすぐを打たれた。
谷繁 それは覚えてないですね。
野村 あの時も近藤さんに、「野村、ツーナッシングからインコースはないだろ」って2カ月ぐらい言われた(笑)。しかもその後、しばらく中継ぎに回されてしまって。
谷繁 そんなリードばかりしていたから、僕も近藤さんが監督の時に、試合に出してもらえない時期がありました。佐々木(主浩)さんがリリーフで投げる時は、秋元(宏作)さんに代えられていましたし……。
野村 ふたりでバッテリーを組んで投げていても、佐々木さんに代わるとバッテリーごと代えられたよね。
谷繁 それは僕がヘタだったからですよ。
野村 佐々木さんのフォークボールをちゃんと捕球するためにシゲが必死に練習して後に信頼を得たという話は、1998年に優勝したときに色々なところで紹介されて、すっかり有名になったよね。
―― 横浜時代、おふたりに共通するキャリアとしては、ちょっと失礼な言い方になりますけど、1998年の日本一が一番のピークになりますか?
谷繁 いや、ピークですよ。その1回しかなかったですから(笑)。でも、あの時って、野村さんもひとつ違いで同世代でしたし、優勝した年にはもういなかったけど、野村さんと同級生の盛田さん(幸妃)とも前の年まで一緒にやっていて、あと僕と同級生の石井琢朗や井上純でしょ。それに、波留(敏夫)が社会人から、佐伯(貴弘)も大学を経て入ってきた。最初は弱かったけど、同じ世代でちょっとずつ強くなって、やっと優勝できたというのがありました。だから、プロで25年間やってきた中で、一番うれしい優勝でしたね。弱いときから一緒にやってきたメンバーだったので。
野村 選手がそのまま力をつけて脂が乗ってきて優勝という形だったからね。こう言ってはなんだけど、入った頃の大洋は弱かったからなぁ。
谷繁 最初の頃、勝てると思いました(笑)?
野村 でも、誰かしらタイトルは獲っていたんだよね。あれは不思議だった。だけど、順位はビリ。それが、優勝した前の年の1997年に2位になって。新しく入ってきた人って、駒田さん(徳広)だけだったと思うんだけど。
谷繁 あと、中根(仁)さんと、阿波野(秀幸)さんくらいかな。主力メンバーはほとんど生え抜きでしたよね。
野村 その意味では、自分たちで勝ち上がったという印象だった。僕は優勝したのは、後にも先にもあの1回だけだけど、やはり嬉しかったよ。優勝した翌年以降は、シゲが横浜を去る2001年のシーズンまで3年連続で3位だったから、チームの順位としてはまずまずだったけど。
谷繁 そうなんですよ。だから僕、1997年以来、ずっとAクラスだったんですよ。それが昨年4位になって、17年ぶりのBクラスです。やっぱり勝たないとダメですね。今年はこの悔しさを何としても晴らしたいですね。
野村 期待しているよ。
 次回に続く
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谷繁元信が語る「選手を引退するときの基準」
 Sportiva 2014.01.29
谷繁元信×野村弘樹 対談(3)
── 谷繁さんに選手としてお話をうかがいたいと思います。監督との両立で選手としての練習時間が今までのようにとれない可能性があります。そのあたりはどうお考えですか?
谷繁 キャンプに入ってみないとわからないですけど、現時点では、すべての練習に参加するつもりです。チーム全体の練習が終わって、個人練習に入った時に監督としてチームを見るつもりでいます。
野村 これまでは、みっちり練習していた方だよね?
谷繁 やっていました。でも、僕らが大洋(ホエールズ/横浜DeNAベイスターズの前身)に入った頃は、30歳以上の選手は昼過ぎに上がっていましたよね。これがベテランかぁと思って。
野村 僕らがようやくピッチングを始めようかという時に、みんな帰っていたからね(笑)。当時は、「いいなぁ、オレも早くベテランになりたい」って思ったものだよ。
谷繁 僕も当時は思いましたけど……中日に来て、落合(博満)さんが監督になってから、まったくそんなことはなくなりました。フルですよ。やらなければ自分が落ちて、人に勝てなくなるだけだと思っていますから。とにかく練習しましたね。
野村 ただ、自分の練習をしていたら、他の選手を見るのが難しくならない?
谷繁 でも、普通に練習していれば、ある程度は見られますよ。アップや連携プレイは一緒にやるし、ブルペンに行けばピッチャーのボールを受けられる。投手、野手とも見られますよ。
野村 キャッチャーならではだよね。同じ時間帯に別の場所で行なわれるメニューは、日によって変えればいいだけだしね。
谷繁 そうなんです。投内連携とピッチング練習は時間帯が重なることが多いから、その時にどうするか考えなくてはいけないですけどね。
野村 選手としてのシゲ(谷繁)については、まず体が元気でなくてはいけないと思う。個人的には、144試合に出場して、監督としても1年間やりきった姿を見てみたい。
谷繁 それは厳しいですよ。120試合を目標に頑張ります。だって、25年間で全試合に出場したのは一度もないんですよ(笑)。
野村 でも、目標を持たんといかんよ。120試合って思ったら、100試合しか出られなくなるから。
谷繁 いや、120試合出るって言ったら、120試合に出ます(笑)。
野村 ところで、選手として「これができなくなったら引退だな」と思う基準みたいなものはある?
谷繁 フィジカル的にはまだまだできそうな感じがあるので、あるとしたらメンタルの方ですね。肩の方は、ピッチャーがクイックさえしてくれれば(盗塁を)刺せる自信はあります。
野村 キャッチングのうまさと捕ってからの早さは、まだ球界トップクラスだからね。
谷繁 これといって特別な練習をしているわけでなくて、身についているものをより早く動かそうとしているだけなんですけど、しっかりとしたポイントでボールを離せば、まだイメージ通りの送球ができます。ただ、盗塁を刺すのはピッチャーとの共同作業ですので、ピッチャーには今まで以上に指導しなくてはいけないと思っています。そこはピッチングコーチにもお願いして、昨年の秋季キャンプから徹底してやっています。
野村 クイックができると、ピッチャー自身も楽になるわけだからね。
谷繁 そうですよね。ランナーが二塁にいるか、一塁にいるかで、全然違うじゃないですか。
野村 でも、オレはけん制やクイックが大嫌いだったなぁ。あまり積極的にやっていなかったから、よくシゲに「クイックしてくださいよ!」って言われていたよね。
谷繁 言ってましたね(笑)。よく、エンドランやスチールがありそうなカウントで「けん制しろ」って言うじゃないですか。でも、いくら警戒してもピッチャーがモーションを盗まれれば決められるし、けん制をしたからって効果があるように思えない。それよりもクイックを覚えた方が絶対にいい。
野村 バッティングについてはどう? 昨年は5月くらいまで3割をマークしていたけど。「調子良すぎる」って、あの頃は言っていたじゃない?
谷繁 あの後、へばりました(笑)。ここ数年は、2割3〜4分。ホームラン5、6本、30打点ちょっとというのが僕の成績です。劇的に上昇するとはちょっと考えられませんので、最低でもこれらの数字は残したいです。通算打率が.241ですので、1試合に1本出ればいいという感じです。ただ、その1本をどういう場面で打つかですよね。チームにとって価値のある1本をいかに打つことができるかが大事だと思っています。
野村 ホームランも年間5、6本程度だけど、毎年確実に打っているよね。飛距離が落ちたと感じることはある?
谷繁 一時より落ちているかもしれませんが、自分のポイントでしっかりスイングできたら、まだ飛んでいく感覚はあります。元々、ホームランバッターじゃないので、スタンドインしなかったから力が落ちたと感じることはないです。
野村 選手として、オレがいちばん心配しているのがバッティングなんだ。この年齢になると視力の低下もあると思うけど……。
谷繁 昨年から試合中はコンタクトレンズをつけています。
野村 目は体の反応に影響するからね。キャッチャーとしては、体さえ動けば、受けて捕って投げて、リードも経験があるからできるけど、心配なのはバッティングと目だよ。
谷繁 僕、キャッチャーでバッティングがいい人ってすごいと思うんですよ。野村(克也)さん、古田(敦也)さん、阿部(慎之助)とかですね。よく集中力が持つなと思います。あと握力も。僕は3、4打席目になると、力が入りづらいんですよ。
野村 1日、150球ぐらいの球を受けて、返球しているわけだからね。
谷繁 体調が良くない時は、試合中盤から手がむくんできたりします。そうなると、1打席ごとに手の感覚が違ってくるから、バットの持つ位置を変えたりしています。常に万全というのは本当に少ないですね。
野村 今、野村さんや古田さんといった選手兼監督の経験者の名前が出たけど、何か聞いてみたいことってある?
谷繁 野村さんは、これまであいさつ程度しか話をしたことがなかったのですが、先日、テレビの収録で初めてゆっくり話をさせていただきました。その時に感じたのは、最終的に行き着くところは一緒なんですが、僕とはタイプ的に違うなと。何が違うのか、具体的に言われると説明するのが難しいんですが……。
野村 行き着くところというのは、最終的にチームが勝つためにはどうするかを考えるということ?
谷繁 そうです。チームによって、勝つ確率が高い戦い方はそれぞれだと思うのですが、たとえば野村さんがよく言われていたID野球は、ストライクゾーンを9分割にして、「こう攻めたら打ち取る確率が高い」というものじゃないですか。もちろん、それは絶対に必要なことではあるのですが、野球って常に動いているものだと僕は思っています。ノートの上で配球ができるほど簡単じゃものじゃない。当然、野村さんの理論もそれをわかってのことだとは思いますけど……。
野村 古田さんについては? 兼任で監督をする姿を対戦相手として見ていたわけだけど。
谷繁 ただ、古田さんの時とは状況が全然違うと思いますから、古田さんは古田さん。僕は僕です。古田さんはすごい人だと思っていますけど、真似しようということはないです。
野村 そもそも、シゲは目標にしてきたキャッチャーっていなかったの?
谷繁 いないです。いま考えたら、ただの生意気なヤツなんでしょうけどね。
野村 ところで、この春から長男が大学生、次男が高校生になるよね。ふたりとも野球をやっているけど、父親としてどういう姿を見せたい?
谷繁 どうですかね……。とにかく、一生懸命やっている姿を見せたいですね。
野村 オフの時は、野球についていろんな話をする?
谷繁 プロ野球選手や監督としてではなく、父親として普通に接しているだけで、特に野球の話をするようなことはないですね。もちろん、会話の中で野球の話題になればしますけど。
野村 僕も高校生の息子がいるけど、もうプレイを見せられる機会はない。でも、息子が野球をやっていてくれているだけでも嬉しいよね。何気なく話が出たときに会話ができるしね。
谷繁 昨年の夏も、息子の応援に神奈川県大会に行きましたよ。いつになっても高校野球はいいですね。
野村 もしシゲの息子が甲子園に出たら、オレが代わりに応援に行くよ(笑)。
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谷繁元信が思い描く「選手兼監督ならではの2014年の戦い方」
 Sportiva 2014.01.30 谷繁元信×野村弘樹 対談(4)
── 谷繁さんが抱く理想の監督像というのはありますか?
谷繁 一応あります。格好良く言うと、”すべての力を持っている人”です。コミュニケーション力とか決断力、判断力、周りを見る力……すべてですね。
野村 横浜にいた時も含めて、これまでたくさんの監督の下でプレイしてきたから、これまで感じてきたことがすごく参考になるよね。
谷繁 なりますね。僕、11人の監督とやっているんですよ。だから、こうしたら勝つ確率が高い、こうしたら負ける……というのは、選手としてですけど見てきましたから。やはり、負ける確率の高いことはしたくないですよね。
野村 長年、一緒にプレイしてきた選手は大丈夫だと思うけど、若い選手ともコミュニケーションをとりながらキチッと言いたいことを言えそう?
谷繁 言えると思います。昔は一方的に言っていた時もありましたが、歳をとるごとに若い選手の話も聞きながら話すようになりましたね。あと、強くは言うけれども、あとでしっかりフォローするとか、いろいろなことをやっています。
野村 選手兼任だと、やりやすい部分と、逆にやりづらい部分が出てくるんじゃないかな。キャッチャーだから、守っている時は一応全部見ることができる。たとえば、守備のシフトなどは自分で判断してサインを出せるからやりやすい。でも、ピッチャーの交代の準備などはなかなか難しいんじゃないかな。そのあたりはどう考えている?
谷繁 投手交代のタイミングについては、これまでも自分なりに感じるところはありました。「ここで代えたほうがいいんじゃないかな」とか、「まだまだいける」とか。だから、自分が試合で感じていた感覚を、何かの合図でベンチに伝えていかなきゃいけないと思います。あと、試合前にしっかりゲームプランは立てていきます。森(繁和)ヘッドコーチとは以前も一緒にやっていましたし、「オレはこう思っているけどどうする?」と聞かれたこともありましたから。前もって話をしておけば、慌てることはないと思います。
野村 攻撃面についてはどう? ランナーで出塁している時なんかは難しいよね。
谷繁 攻撃の方が難しいかもしれないですね。自分が打席の時に自分でサインを出すわけにはいかないですし。そのことについても、たとえば「ここでゲームが動いたら、セオリー通りバントのサインを出しておきましょう」とか、前もってある程度決めておくと思うんですけどね。もし、どうしても「ここは違う!」と思ったら、プレイを止めるかもしれないですけど……。そういうことも含めて、これから考えていきます。
野村 選手兼任ということで、どういうパワーバランスになっていくかな?
谷繁 今年に関しては、選手の方が割合的には高いかもしれません。ただ、選手に専念というのはどう考えても無理なので、”試合に出場する機会が今年は多い”という意味です。でも、選手としてダメな時は代えますよ。相手投手との分が悪いなと思えば、自分に代打を出すかもしれない。やはり、チームの勝利を最優先に考えて動かなくてはいけないですから。
野村 キャッチャーが兼任監督するいちばんの強みは、自分自身でボールを受けられることじゃないかな。選手兼任監督は、キャッチャーだからこそできるんだろうなと思うよ。ピッチャーには無理だし、外野手はさらに難しく、厳しいよ。
谷繁 昔はピッチャーの兼任監督(※)もいましたよね。
 ※1970〜71年に阪神・村山実が投手と監督を兼任。
野村 でも、ピッチャーは自分で投げていて「オレ、もう代わる」って言うことは絶対にないと思うよ。自分から「代わる」と言ってしまったら、ピッチャーとしてはもう終わりだからね。中には例外もいるかもしれないけど……。ピッチャーが監督を兼任するというのは、物理的にもメンタル的にも難しいと、僕は思うよ。
―― 現在、中日の野手陣にベテランが多いと指摘されていることについてはどう思いますか。
谷繁 よく言われますけど、ベテランを追い抜くほどの若手がいれば使うでしょう。力のある人が試合に出る。単純にそれだけです。将来をにらんで、若手を我慢して使うという考えはないですね。
野村 そのとおりだと思う。仮に、レベルが一緒なら、僕だったらベテランを使う。ベテランはある程度計算できるじゃない。たとえば、何試合出て、どれぐらいの成績を残すとか。でも若手は、力がついてきたとしても波が激しいし、落ち込んだ時に盛り返せるかどうかも未知数。そもそもベテランという言葉があまり良くない。現状でそのチームにいちばん必要な選手がたまたま年齢を重ねているということだから。
谷繁 そうですよね。だから、何でみんな無理やり世代交代させようとするんだろうって思うんです。たとえば、ベン(和田一浩)が2011年に打率.232というときがありました。それが続けば替えなきゃいけない。でも、アイツはちゃんと取り戻した。右バッターで通算打率が3割を超える選手はそうはいないですしね。守備にしても、たしかに肩は前よりは落ちてきましたけど、素早く正確に投げることができる。だから、無理に若い選手を起用する必要はないと思っています。
野村 井端(弘和)が抜けることについてはどう思っている?
谷繁 あれだけ経験のある選手が抜けるのは、たしかに痛いです。ただ井端の場合は、この4年間で1シーズンしかフルにやってないんです。昨年も井端の代わりに出場している選手もいるので、そう心配はしていません。
―― 逆にピッチャーについては、若い選手に頑張ってもらいたいところではないですか。
谷繁 そうですね。ピッチャーにかんしては、1チーム30人ちょっといますけど、それがある程度揃わないと厳しいということが、昨年、一昨年でわかりました。ウチでいうと、吉見(一起)が故障でいない時に、その代わりを任せられるピッチャーがいなかった。だから、ピッチャーは何人いてもいい。
野村 昨年は2ケタ勝利を記録したのは、左腕の大野雄大くらいだね。
谷繁 でも、10勝10敗でしょ。貯金を作れるピッチャーがいなかったですから。やはり貯金を作れるピッチャーを作っていかないと、チームは上にいけないです。
野村 力のあるピッチャーはたくさんいるんじゃないの?
谷繁 いますよ。ただ、先発、中継ぎとそれぞれタイプがあるじゃないですか。先発タイプに中継ぎをさせたり、中継ぎタイプなのに先発をやらせてもうまくいかないと思いますので、そのあたりの見極めをちゃんとしないといけないですね。たとえば、岩瀬(仁紀)が先発だったら、今のようになっていなかったかもしれない。よく、中継ぎでダメだったから先発をやらせようとか、その逆もあるじゃないですか。あれって、何ですかね?
野村 中継ぎで結果を残せなかったら先発というのは無理だよ。逆に、先発で結果を出せないピッチャーは、中継ぎでも抑えでも同じ。岩瀬は先発をやっていたとしてもある程度の成績は残したと思うけど、ここまで長い間プレイできていたかはわからない。山本昌さんにしても、抑えをやっていたらここまで続けられていたか……。
谷繁 とっくにいないでしょう(笑)。先発だから続けられたというのはあると思います。だから、その時の対処で配置を替えるというのは違うんじゃないかと思うんです。いずれにしても、適性をこっちがしっかり判断して、配置転換するならこちらで一方的に決めるのではなく、本人とコミュニケーションを取ることが必要だと思います。
野村 山本昌さんくらいまでいっちゃうとあまりにすご過ぎて、例えが良くないかもしれないけどシーラカンスみたいなものだよね(笑)。
谷繁 あの人は特別ですよ(笑)。
野村 現実問題として、岩瀬の後釜になれるような抑え候補は欲しいよね。
谷繁 これもですねぇ……そう簡単にできるポジションじゃないんですよね。誰かが力をつけてくれて、うまく切り替えられればいいんじゃないかと思います。でも、岩瀬もまだまだいいですし、今年も9回を任せるつもりです。
野村 昨年も36セーブ挙げているんだから立派だよね。
谷繁 一体、何年続けて50試合以上投げるんだという感じですよね。ロッカールームにいたらまったく存在感ないんだけどね。「あれ、岩瀬いるの?」みたいな感じで。でも、本当にすごいピッチャーです。
野村 僕はもっと頑張ってほしいというか、成長してほしいと思うのは、やはり大野かな。あと、右では岩田慎司。そこに一昨年10勝した山内壮馬が故障から完全復活して、吉見がドーンと中心にいたら強力な投手陣になると思う。
谷繁 おそらく吉見は開幕に間に合わないので、戻ってくるまでどうするかですね。大野は球だけ見れば、本当に抜群です。左ピッチャーであれだけ力のある球を投げられる投手はなかなかいないんですけど、ここぞという場面でコントロールミスをしてしまうんです。
野村 いいピッチャーも失投はするけど、絶対に投げてはいないところには投げない。それを投げてしまうこところが、まだ大野の足りないところなんだろうね。
── このオフ、大野投手がハワイで偶然谷繁さんに会って、谷繁さんがお好み焼をごちそうしたという話題が出ていました。
谷繁 僕は名球会のイベントがあり、アイツは新婚旅行で来ていたんです。そんなことしゃべる暇があったら、もっと練習しとけという話です(笑)。
野村 監督に声かけられたら選手はうれしいからねぇ。話は変わるけど、監督としてシゲの後を継ぐキャッチャーの育成はどうする?
谷繁 今のところ、まだ自分が試合に出る意識が強いので、後継者というか、次のキャッチャーはみんな同じように鍛えて、力がつけば試合に出す。単純にそれだけです。だから、無理やり作ろうとはしていません。
野村 力がついてきたと判断した選手は使うということだね。
谷繁 そうですね。たとえば、144試合のうち120試合程度出場して、結果も出るだろうと判断すれば使うと思います。あくまでも、勝つためにはどうすればいいのかが最優先になりますね。
野村 だけど、監督という立場で考えたら、何年後かはわからないけど、早かれ遅かれ自分自身は引退することになるよね。そうなったら誰かが正捕手として試合に出なければいけないわけだから、やはり育成も考えないといけないだろう。今はまだ、自分が144試合に出るつもりでいるだろうけど。
谷繁 いや、144試合は無理です。120試合ぐらいかな(笑)。
野村 さて、いよいよ2月1日からキャンプが始まるわけだけど、改めて兼任監督としての意気込みを聞かせてもらえるかな? 今までとは、また違う新たな気持ちだと思うんだけど。
谷繁 そうですね。でも、今までと同じように普通に入りたいです。そう思っています。普通に準備して同じように入りたい。ただその中で、昨年はやはり、選手の力だけで勝てるものではないということを再確認したというか、チームがちゃんとした方向へ行くには、上に立つ自分が間違えないようにしないといけない。そこはちょっと思っています。
野村 相手のことについては考えている? 今年も巨人は強いだろうけど。
谷繁 まだ、考えていません。ただ、言えるとしたら、巨人にだけ勝って優勝できるなら巨人にだけ勝ちにいきます。でも、そんな簡単な話ではないです。どこも力はありますから。
野村 確かに、まずは自分のチームをどうするかだと思う。それがしっかりできれば、おのずと結果は出るからね。
── 最後に、野村さんから谷繁さんにエールをお願いします。
野村 まずは、体をしっかり整えて頑張って欲しい。体がしっかりしていれば、どうにでも枝葉は広げられると思う。そのために、自主トレをしっかりやっているだろうから。でも、「普段どおり入りたい」と聞いた時点で安心したよ。監督として考えると、入り方が難しいと思っていたから。心配なのは、バッティングだけです。
谷繁 元々そんな打てないから大丈夫です。
野村 あとは、ぜひ日本一になってもらって、来年もまたこういった話をしよう。その時、「おめでとう!」と言えるように、頑張って!
谷繁 はい。ありがとうございました!
おわり
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