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僕の父は母を殺して、死刑囚となった 職を転々とし、風俗店にたどり着くまで 対談 大山寛人×開沼博 ?

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僕の父は母を殺して、死刑囚となった  職を転々とし、風俗店にたどり着くまで
 Diamond online 2014年1月14日 『漂白される社会』対談【大山寛人×社会学者・開沼博】
 売春島や歌舞伎町といった「見て見ぬふり」をされる現実に踏み込む、社会学者・開沼博。そして、母親を殺害した父親に死刑判決が下されるという衝撃的な体験をもとに、現在は、被害者遺族が望まない加害者の死刑があることを訴える大山寛人。『漂白される社会』(ダイヤモンド社)の出版を記念して、ニュースからはこぼれ落ちる、「漂白」される社会の現状を明らかにする異色対談。
 第1回では、父親に母親を殺されるという衝撃的な経験をした大山氏が、非行を繰り返し、職を転々としながらも、現在に至るまでの経緯に迫る。大山氏との対談は全4回。

*僕の父は母を殺した
開沼 お忙しいなか、今日はありがとうございます。大山さんのことを取り上げた、日本テレビやNHK・ETVのドキュメンタリーを拝見しました。『僕の父は母を殺した』(朝日新聞出版社)もとても読みやすかったです。
大山 ありがとうございます。経験したことそのまま書いたらそうなったという感じです。
開沼 不自然にならないようにしながら、感情移入できるように書くことは簡単な作業ではなかったのではないでしょうか。
大山 そこを評価していただけるのは、僕もうれしく思います。
開沼 何度も聞かれていると思いますが、まずは、これがどういう本なのかをご自身の言葉で簡単に説明してもらえますか。
大山 この本では、父親の死刑をなぜ望まなくなったのかという心境の変化を伝えるにあたって、自分の生い立ちや父親が語る事件の“真相”を書いていますが、保険金目的の殺人だったのかどうか、といった事件の真実を明らかにすることが目的ではありません。
 裁判員裁判制度が始まってから4年くらいが経ちました。でも、いつ誰が人を裁くかわからない状態で、死刑問題と真剣に向き合ってしっかりと考えてくれているのかなと思ったときに、たぶんそんなに考えてないと思うんですね。向き合う機会も少ないと思います。そうした問題と向き合ってもらえるきっかけになればと思い、この本を書きました。
開沼 実のお父さんがお母さんを殺し、さらに、お父さんは養父も殺害していた。それで、死刑判決が出ています。死刑が確定したのが2011年。そのときには、ご自身が作ったホームページで盛んに情報発信を続けていたわけですが、これは、裁判員裁判制度が始まるときに、死刑について考えてほしいということですね。
大山 はい。10代のときも、インタビューを受けて主張してきたことはあったんですね。でも、そのときは周囲の目を気にしていました。殺人犯の息子という差別を受けていたので、それが激化する、もっとひどいことになるんじゃないかという恐怖心があって、モザイクをかけたり、仮名を使ったりしていましたね。
開沼 そのときも裁判員裁判や死刑の具体的な問題について主張していたわけですか?
大山 そのときは、そこまでは踏み込んだ話はしていませんでした。「被害者遺族が望まない加害者の死刑というものが存在する」という訴えです。死刑制度自体、被害者遺族の処罰感情がかなり大きいと思っていましたけど、被害者の遺族が望まない加害者の死刑が存在するという訴えには反響を感じられなかったというか、あまり伝わってないんじゃないかなという不安のほうが大きくなってきて。
 人に物事を伝えるときは、目を見て話すのが一番です。メディアに出るのであれば、最低限、顔も名前も公にする。それができない以上、伝わるものも伝わらないと思い始めていたときでもあります。ちょうどそのとき、早稲田大学の講演のお話が入ってきて、それをきっかけに名前も顔も出すようになりました。
*殺人事件の50%以上が親族間で起こる現実
開沼 そもそも、最初にメディアからのインタビューを受けたのは、どういう経緯だったんですか?
大山 僕が拘置所に行ったとき、テレビ局の方が拘置所の前で待たれていて声をかけられました。民放の、昼間のローカルのニュース番組です。
開沼 それから様々な場での発言の機会を得ていくなかで、受け身ではなく、自分の意志を持って話そうと思うようになった、と。
大山 そうですね。
開沼 裁判員裁判制度や死刑については、たくさんの書物やドキュメンタリーがあります。そのなかで、大山さんの著書は親族間の殺人という点もテーマに組み込んでいらっしゃる。その3つ、あるいはさらに多くのテーマが重層的に存在する中心に立つ、当事者の視点から見えるものに教えられることは多かったです。
 著書に書かれていたことで、何よりも驚くべきことは、殺人事件のうち53.5%が親族間の殺人であるということです。そのため、おっしゃるように、加害者が、死刑判決をはじめとする重い刑罰を受けることで、被害者やその親族がスッキリするというレベルの話だけでは語れないことがあるというわけですね。
 ただ、大山さんはそれを率直にお話されているから理解できますが、多くの場合、その感情は闇に埋もれてしまう状況なのかもしれません。外で発言することに対して、ご自身の内面の問題として、あるいは周囲との関係の中でも、何らかの葛藤がありましたか?
大山 簡単ではなく、それなりの決意が必要でした。ただ、それはバッシングや差別がひどくなっていくのが怖くて、表に出られなかっただけだったと思います。やっぱり伝えたいという気持ちのほうが強かったので、こうして公の場に出るようになりました。
開沼 親族間殺人の加害者遺族は、あまり表で語らない?
大山 僕はあまり見たことはありません。こういう活動をするなかで、同じような境遇の人にお会いする機会は、少しずつですけど増えてはきました。
開沼 他の方の話を聞いて思うことはありますか?
大山 自分のことのようにと言えば大げさかもしれないですけど、似たような経験をしているからこそ、より深く聞き入ってしまうことはあります。
開沼 WEB上にある著書への感想には「壮絶な話だった」というものが多い。ただ、もちろん壮絶ではあるけれども、「親族同士の問題がこじれて悲劇になる」という観点で見れば、他の課題にも通じ得る、1つの普遍性を持ち得るご経験でもあるのかもしれませんね。
*精肉店、パチンコ、キャバクラ、風俗…転々とする仕事
開沼 大山さんは講演や執筆活動ばかりしてこられたわけではありません。学校を出た後、これまでどんな仕事に就いてきましたか?
大山 17歳のとき、父親との面会後には精肉店で働き始めていて、そのときは友だちの家に世話になっていたので、貯金させてもらっていました。それから、パチンコ屋でも働いていました。
開沼 本にも書かれていましたが、名古屋の風俗店で働いていたこともあるんですよね。それは今でもですか?
大山 今は、名古屋の風俗は休職しました。まだ正式に辞めているわけではないんですけど、社長さんが、「やりたいことをやってくれ、お前はずっと風俗で働くような人間ではない。まだ若いんだからから、ちゃんとしっかりできるから」と言ってくれて。
 風俗の仕事は、午前10時から翌日の午前3時くらいまで、拘束時間が15〜16時間と長いので、講演活動もうまくできない状態になりました。そこで、休職させてもらい、今はアルバイトで、バーというか、飲み屋さんの仕事を手伝っている状態です。
開沼 なるほど。風俗にはどれくらいの期間?
大山 風俗歴は、キャバクラを1年くらいと、風俗の店舗型もたぶん1年くらいじゃないですか。そんな長くないですね、両方とも。
開沼 キャバクラから風俗に仕事を切り替えているのは、どういうきっかけがあったんですか?
大山 キャバクラを辞めたのは、スカウトをしたくなかっただけです。あとは、内臓を壊して働けなくなりました。
開沼 それは飲み過ぎで?
大山 ボーイも飲まされるんですよ。たとえばテキーラのゴールドかな、50度か40度くらいのお酒です。原価は1200円ぐらいなんですけど、女の子がお客さんに出すときは7万円で出すんですよ。普通のシャンパンは1500円原価で入れたものを1万円くらいで出すんですけど、テキーラは比じゃないくらい高い。
 なぜかというと、店のリスクが高いから。テキーラを1本開ければ、女の子は次の仕事はできないので、お金を生み出すことができなくなってしまいます。だから、女の子が潰れても大丈夫なように、それだけの値段を付けてあるんです。でも、やっぱりお客さんと女の子だけじゃ飲みきれないで残っちゃうんですよ。
開沼 ボトルキープはできないんですか?
大山 次に来てもらったとき潰されないように、テキーラは基本的にキープできません。そうすると、余った酒を僕らが飲まされるんですよ。「もったいないから、おにいちゃん飲んでよ」って感じで。それが頻繁に続いて、1日でテキーラを2本開けたりしていたら内臓が壊れてすい臓炎になりました。今はもう大丈夫ですけど、キャバクラの仕事ができなくなって風俗に流れました。
*偏見を持たれない風俗の環境は居心地が良い
開沼 いずれもハードな仕事だったわけですが、それでもそれなりの期間働いていたわけですよね。風俗以外の仕事に就こうとは思わなかったんですか?あるいは、そうもできたが、あえて選んだのか。
大山 警備員の面接にも合格したんですけど、風俗の世界は、僕のことを知っても偏見がまったくなかったんですよね。まあ言うたら、風俗やっとる人間はやっぱり周囲から汚い仕事に思われるかもしれません。お客さんが汚した部屋を掃除する汚れ仕事かもしれんけど、働いて金をもらってる分にはほかの仕事と変わらないかなと思います。でも、ほかの人がやりたがるような仕事ではないし、その分、言葉わからないですけど“ゴミ溜め”のようなところだからこそ、偏見を持つやつが少なかったというか。
開沼 居心地が良かった?
大山 正直、風俗は一番居心地がいいですね。何も気にしなくていい。僕の場合、僕が殺人を犯したわけじゃなくても、僕に牙が向けられてしまう、差別を受けてしまうという状態でした。でも、風俗業には本当に指がない人もおるし、自分自身がもっと重大な犯罪をしとっても、何とか社会に出て働いとるような人が多いんです。僕の話を聞いても、「だから何?」程度で、「え、この子の父親は人を殺してるの……」とはならないんですよ。「ああ、そうなんだ。で?」って全然びっくりしません。居心地はよかったですね。
 いつまでもおってもいいかなとは思ったんですけど、活動を優先したいというのがありますし、何より僕を拾ってくれた社長さんがすごくいい人で、「おまえは仕事もできるし、ずっとおってほしいという気持ちはある。おまえがおりたいならいつまでもおってくれてもいいけど、おまえはこのまま風俗業でいいのか?」と言ってくれました。とりあえず今は、労働時間が短い、バーのアルバイトをしながら何とか生活しています。
 僕は夜の仕事だけでもいいと思ってますし、昼の仕事でも受け入れてくれるような会社があればとは思いますが、しっかり勉強して、いつかは記者の仕事をやれたらなと思っています。今まで誰にも話せなかったことを、僕だからこそ話せたというメールをいっぱいもらいます。伝えたい思いがあるけど、伝えられない人がたくさんいるんですよね。その思いを僕が聞いて、それを僕の手で発信できたらなと思うようになりました。
開沼 やはり、自分と同じような思いを持っている、あるいは同じではなくても、社会から偏見を持たれて悩みを抱えている人を取り上げて、考えてもらうきっかけを作りたいということですか?
大山 そうですね。僕の本を読んでそういうことを考えてもらえるのはうれしいんですけど、もうひと声ほしいとも思いますよね。そういう例が多ければ多いほど、もっと考えられるようにもなるだろうという思いもあります。
開沼 そう考えるようになったのは最近ですか?
大山 生活が落ち着いてきたから、ということはあります。ちょうど本を執筆している時期、職がなくて、電気も止まっていたことがありました。なんですぐにでも働かなかったかといったら、いま考えたらクソみたいなプライドなんですよ。
 講演をするようになって、自分自身で格好つける気持ちが生まれました。人前に出るような人間が汚れ仕事なんかしとったら恥ずかしいだろうっていう。今まで注目されることもなかったんで、調子乗っとった、気取っちゃったんですよ。そんなこともあって、このままじゃいかんなと気づかされて働き出してから、生活は落ち着きました。
*高校中退して試験観察の身に、田舎のガソリンスタンドへ
大山 10代のときに、自分から率先して就いた仕事は、精肉店とパチンコ屋さんくらいです。初めて職に就いたガソリンスタンドは施設から紹介されました。社長の家に住み込みで1年間。
開沼 1年間働きなさいと?
大山 1年間と決められていたわけではなかったんですけど、当時は保護観察ではなくて試験観察だったので、何かしてしまえばそれで……。
開沼 保護観察と試験観察は何が違うんですか?
大山 保護観察は、月に2回くらい、決められた日に保護司に会いに行って、そのときの状況を報告します。なんかあれば保護観察所に報告するという感じで、ちょっと目つけられているという程度のレベルです。
 試験観察は、なんかあったらすぐに少年院といった感じで、もっと厳しいルールがありました。言ってしまえば、大人しくせざるを得なかったので、その間はガソリンスタンドで働いて、1年の試験観察が解けた瞬間に逃げましたよ。そこからは、また結局悪さをしてという状態にはなってしまったんですけど。
開沼 そのガソリンスタンドは隔離された田舎にあったんですか?
大山 広島県豊田郡安芸津町というところで、広島市までだいたい電車で1時間半かかります。本当に何もないですね。一番近いコンビニが2キロ先、自動販売機もないようなところです。
開沼 友だちにも会えない状態ですね。
大山 まったくです。携帯も持たせてもらえなかったし、すべてを絶たれた状態でした。テレビを見たり、本当はダメですけど、タバコを吸うくらいの自由はありましたが。
開沼 それは何歳ぐらいのときでした?
大山 高校を出てすぐパクられて、15歳くらいですね。
開沼 中学を出てそこまでは早かったですね。高校在学期間は3日だった?
大山 3日です。退学の手続きは、1ヵ月、2ヵ月後くらいにされたみたいですが、3日で行かなくなりました。校長先生が父親のいる拘置所に接見しに行って、そこで退学手続きのはんこを押してもらったみたいです。その当時は、僕は父親の面会に行っていないんで、僕の知らないところで手続きをしていたみたいですね。
 ガソリンスタンドを辞めてからは、住む家がなくなったので、ホームレスも経験しました。ただ、まぁ、父親との面会がきっかけといえばきっかけとなって、それから真面目に働くようになりましたね。

 被害者遺族であると同時に、加害者の息子という立場にもある大山氏。数えきれない差別を受けるなかで、彼に芽生えたある決意とは。なぜ、憎んでいた父親の死刑を望まなくなったのか、その心境の変化にも迫る。次回更新は、1月20日(月)を予定。
<プロフィール>
* 大山寛人(おおやま・ひろと)
 1988年、広島県生まれ。小学6年生のときに母を亡くし、その2年後、父が自身の養父と妻(著者の母)を殺害していたことを知る。その事実を受け入れることができず、非行に走り、自殺未遂を繰り返す。2005年、父の死刑判決をきっかけに3年半ぶりの面会を果たし、少しずつ親子の絆を取り戻していく。2011年6月7日、最高裁にて父の死刑判決が確定。現在は自らの生い立ちや経験、死刑についての考え方を伝えるべく、活動を続けている。 著書に、『僕の父は母を殺した』(朝日新聞出版)がある。
* 開沼 博(かいぬま・ひろし)
 社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年〜)。
 主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。
 第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。

 ◎上記事の著作権は[Diamond online]に帰属します 
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僕の父は母を殺して、死刑囚となった 職を転々とし、風俗店にたどり着くまで 対談 大山寛人×開沼博 ? 2014-02-03 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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  NNNドキュメント(日テレ)『死刑囚の子 殺された母と、殺した父へ』 . . .
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  大山清隆死刑囚 広島拘置所在監
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「生きて償いを」=母殺した死刑囚の父へ 大山寛人さん 2012-11-10 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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