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「死刑で罪は償えない やつれて震える父親と会って生まれた感情の変化」 対談 開沼 博 ×大山寛人?

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 死刑で罪は償えない、生きて後悔し続けてほしい やつれて震える父親と会って生まれた感情の変化
  対談 漂白される社会 Diamond online【第18回】 2014年1月27日 開沼 博,大山寛人
 売春島や歌舞伎町といった「見て見ぬふり」をされる現実に踏み込む、社会学者・開沼博。そして、母親を殺害した父親に死刑判決が下されるという衝撃的な体験をもとに、現在は、被害者遺族が望まない加害者の死刑があることを訴える大山寛人。『漂白される社会』(ダイヤモンド社)の出版を記念して、ニュースからはこぼれ落ちる、「漂白」される社会の現状を明らかにする異色対談。
 最愛の母親を殺害した父親を激しく憎みつづけていた大山氏。しかし、父親との面会をきっかけにある気持ちの変化が生じる。やつれて、震えながら目の前に座る父親と対面した大山氏は、いったい何を思ったのか。大山氏との対談は全4回。

*メディアで描かれる青年の虚構と現実
開沼 大山さんのお話には、2つの要素があるようですね。つまり、一方には、お父さんの死刑を覆したいという思いや、自分の中の差別されてきた記憶、未来の家族が差別されるかもしれない懸念という個人の話があり、もう一方では、被害者が望まない死刑の問題や裁判員裁判の課題という社会の話があるように思います。個人の話と社会の話の2つは、最初はおそらくまったく別のところにあったはずですが、それが少しずつクロスしていくわけですよね。
大山 そうですね。
開沼 前回も少し触れましたが、大山さんのドキュメンタリー映像を見ていると、話をわかりやすくし過ぎじゃないのと思ってしまうところもありました。ご自身はどう思っていますか?
大山 正直、僕も思いましたね。僕の人生を30分のテレビ番組で語ろうとするのが無理な話だと思います。ホームページや著書にたどり着いてもらえるきっかけになったことはよかったと思いますけど、着地点がない番組だなと思いました。
開沼 悲劇の主人公になってしまった、と。
大山 なってしまっている部分もあると思います。ただ、テレビを見たと言って連絡をくれる人もいるので、ありがたいと思ってもいます。「かわいそうな男の子」という部分を強く出され過ぎとったかなというのはありますけどね、正直。
開沼 もちろん、共感を得られるような見せ方をして社会にアプローチし、多くの人に知ってもらうということのメリットもあるでしょうね。
大山 そうですね。「感動しました」というメッセージもたくさんいただきます。ただ、僕は、感動してほしいとも、共感してほしいともまったく思わない。共感することなんか絶対に不可能です。僕をきっかけにしっかり考えてもらいたいというのがゴールであり、着地点です。
*死刑囚も生身の人間だと気づいた父親との面会
開沼 なるほど。「情緒はいいから論理でわかれ」と。これは、それこそ「感動しました系」や「共感しました系」の人には響かないですよね。「そうですね、共感しました」と言われてしまう。「そうではなく、一緒に考えてくれ」といくら言っても「そうですね、感動しました」「いいね!」というリアクションしか返ってこない。
 これは、私も震災後の社会の研究をしているなかで痛感します。たとえば、「被災地の物語」はすぐに「子ども・年寄り・動物」に回収される。今年の3月11日にも、「被災地の子ども・年寄り・動物」で「感動・共感」パターンが溢れることでしょう。それはそれでいいと思いますが、問題は、その「感動・共感」がどれだけ持続するのかということです。
 同じパターンを何度も繰り返すと、はじめは集まってきてくれた人も次第に飽きていきます。論理は持続しても、情緒は飽きる。「うさぎを抱きしめて、子どものように涙する大山さん」への共感も大切ですが、共感した次に、あなたは具体的に何を考えたの、何をしてくれるの、どこへ進んでいくの、と問えることが重要だと思います。大山さんは、何について考えてもらいたいと思っていますか?
大山 具体的に言うと、死刑制度や加害者家族に対する差別ですけど、正直、僕自身も何が答え、どれが正解かはわからない。まったく答えは見つかってないし、常に考えている状態なんですけど、考えることが大切で、問題と向き合ってしっかりと考えたうえで、それぞれがそれぞれの答えにたどり着いてくれたらいいかなと思っています。
 昨日の今日まで何も考えていないのに、裁判員裁判制度に選ばれたから「じゃあ、ちょっと考えにゃいけんな」では遅い。こういう経験をした人もいるということも、僕のような思いを持っている人もいることも知ってほしい。
 僕自身、死刑制度には反対していません。僕のケースだからこの答えにたどり着いただけであって、人の数だけ答えはあると思います。目を背けずに向き合ってほしいという思いだけですね。
開沼 答えが難しいと承知のうえで聞いてしまいますが、死刑制度に反対ではないと考えているなかで、死刑制度はどうあるべきだと思いますか?いまの制度にはどんな問題があると思いますか?
大山 今回は、僕が被害者遺族という立場で出ていますが、すべての遺族を代弁しているわけではありません。お母さんの親戚はお父さんの死刑を心から望んでいるし、そうではないケースも絶対にあると思います。仮にですよ、もし遺族の誰もが父親の死刑を願っていないという状況でも、保険金目的で2人殺してしまった場合、死刑が確定することもあると思います。
 裁判員裁判制度が始まって、被害者遺族が望まない加害者の死刑も存在するということを知ってもらったうえで臨んでもらえたら、情状酌量ではありませんけど、もう少し結果が変わってくるんじゃないかなと思うんですよ。実際に、刑務所に入って弱々しい姿の父親と面会することがなければ、僕も死刑を望んでいましたし。
 愛知県に原田正治さんという方がいらっしゃいます。原田さんの弟さんは、会社の社長に保険金目的で殺害されています。最初は死刑を希望していましたが、接見を重ねるごとに、死刑でなくて生きて罪を償ってほしいと思いが変わったようです。本当にケースバイケースで、安易に死刑を廃止しほしいとも言えません。
 言ってしまえば逃げとるんですね、答えが出せないから。死刑反対とは言えないと。そこを突っ込まれたら、本当にいまも返答ができません。いくら考えても答えが見つからないので。ゴール地点は何なのかと聞かれたら着地点はないし、すごく難しいところですね、それは。
開沼 直接会った瞬間に思いが変わるというのは、とても興味深い点です。人が人を裁く過程で、もちろん検察官には会っているわけですが、裁判官も基本は法廷で会う形だろうし、裁判員もそうですよね。で、事前に資料を見ている段階では、とんでもない殺人鬼を想定しているところから始まるわけじゃないですか。
 一方で、そうした前提なく顔を見合わせて、「やつれているな」「精神的にまいっているな」という状態を見るのとでは判断が違ってくる可能性があるわけですよね。いかなる判決を出すにせよ、人が人を裁くときは、そちらの部分を見なくてはいけないはずなのに。
大山 悪い面しか見ないですからね。
開沼 大山さんがお父さんに会った瞬間に起きた気持ちの転換は、裁判官や裁判員が予断を持って臨んでしまっている瞬間と重なり、そうではない、生身の人間がそこにいるんだと思い返した瞬間でもあるわけですか?
大山 そうですね。接見する前は、父親が犯した罪しか見ていませんでした。つらい思いもしているので、憎しみしかありませんでした。ただ、実際に会ってみると、生身の人間を見たという気持ちです。
*やつれて震える父親を見て死刑への違和感を抱く
開沼 記憶に残っている中で、最も印象的だったことはありますか。そう考えるスイッチが入った瞬間は何でしょう?
大山 一番衝撃的だったのは、会ったときの姿ですね。何だろうな、疲れた顔というか、どんな言葉でも表現しがたい顔なんですよ。僕は母さんを殺されて、家も失って、友だちも失って、そいつのせいですべてを失っているわけですよ。殺したいほど憎しんどるわけですね。事件以来、親父の顔も見ていなかったですが、悪魔のような顔を想像していました。だけど、会ってみたらひょろひょろだったんですね。やつれているというレベルではありませんでした。
開沼 もともとぽっちゃりしていたわけでもない?
大山 そうですね。父親はガッチリした体格でしたし、そんな父親が今の僕よりも痩せていた。ほっぺも漫画で見るような痩け方をしていたし、目の下にはどす黒いくまがあって、逮捕以来まともに寝られてないんだろうなと。まったく生気を感じられませんでした。面会したのは3年半後でしたけど、その間、ほとんど寝られていないのだと思います。
 父親は常にプルプルプルプル震えていました。死刑に対する恐怖感ではなくて罪悪感、俺に対する罪悪感、お母さんに対する罪悪感だと思います。自分が犯してしまった罪の重さを理解したときに、罪を犯してしまった自分に対する憎悪や、すべての感情が入り交じったような表情をしとったんですよ。それが身体にも出ていました。言葉じゃ言い表せないし、文章でも表現できないんですけど、それを見た瞬間にスイッチが入りました。
開沼 それは実体験しないとわからないかもしれませんね。
大山 ニュースで「こういう事件がありました」となると、よく「2ちゃんねる」で、「こいつ、死ね」「さっさと死刑にしろ」とか、いろいろ書いてあります。テレビ画面の向こうでも「こういう事件があったんだ、ひどいことやるヤツがおるのう」と思うことはあります。
 やったことはやったこと、悪いことは悪いことです。でも、その人たちは、死刑判決を下された生身の人間を見る機会はそうないだろうし、見た者にしかわからないことがあると思います。
開沼 現状の制度として、死刑囚に一般の人が会う機会をつくることはできますか?
大山 できますよ。裁判で死刑が確定したら、血のつながりのある人間や拘置所が許可している弁護士の方などしか会うことはできませんが、それまでなら、赤の他人でも、行こうと思ったら面会はできます。向こうが拒否をしなければ、ですが。
*死刑で母親が戻るなら「死刑にしてください」と言う
開沼 とはいえ、ちゃぶ台返しのようになりますが、直接会うことによって「生身の人間を知る」ことができる一方で、利害関係者、それこそ裁判員などが会ってしまうと、感情移入してしまう、「情にほだされる」可能性もあるんでしょうね。「情にほだされてしまったので、合理的な理由はないけど、今回は判決を緩めちゃいました」では、司法制度全体の信頼性も揺らぐ。だからこそ、基本的には客観証拠だけで判断しろという制度になっている。
大山 それが情じゃないかといったら、情もやっぱりありますね。でも、すべてがすべて情ではない。同情で許されるようなことはしてませんよ、あいつは。世界に1人しかおらん母親を殺しとるわけやから。
 たしかに、赤の他人がその姿を見たとしたら情なのかもしれませんが、当事者の場合は情だけじゃない。弱々しくなってかわいそうだから許してあげようかな、というのとはちょっと違いますね。
開沼 死刑廃止論を語る際に「生きて償ってほしい」という言葉がありますが、償えるものでもないということですか。
大山 「償う」という言葉しかなかったので償うと書きましたけど、償うことはできないと思います。殺しに限っては絶対に。僕も今まで罪を犯してきて、バイクを盗んだこともあるし、相手にケガをさせたこともあります。それについて慰謝料を払ったり、盗んだものは新しいものに買い直して渡しました。そうしたことに関してはある程度罪を償えると思いますが、命に対する償いは絶対にできないと思います。戻ってこないんでね。
 書籍の最後のページに、母さんに対する手紙を載せましたが、そこに書いてある通りで父親が死刑執行されることで母さんが戻ってくるなら、俺は快く「死刑にしてください」と今でも言うと思うんですよ。でも、それは叶わない願いだし、父親が死刑になっても何も変わらないと思います。
 僕の中では、償いとういよりも、生きて反省し続けてほしいという感じなんです。刑務所の中の暮らしというのは、自分の犯した罪の大きさを十分に理解して、反省して、更生する場だと思います。
 人を殺した人間が更生するのは難しいことかもしれないけど、今後も生きて反省し続けてほしい。生き地獄を味わってほしい、苦しめたいから死刑にしないということではありません。いつか出てきたときには、咎めたり責めることもなく、一緒に暮らせたらなという思いはありますから。
開沼 殺してしまって、死刑にしてしまって終わりというよりは、反省し続けることは、誰にとっていいことだと思いますか?遺族にとってということですか?それとも、「社会」にとって?
大山 遺族にとっても、反省し続けてもらうことが一番いいと思います。ただ、これは僕の立場だから言えるだけであって、まったく違う立場だったら「とんでもない!」と思う人もいるかもしれません。
開沼 そうでしょうね。
大山 死んだらそれまでだし、「そいつが死刑になって何が変わるの?」と思うんですよね。自分の手で殺せるわけでもないので。たとえば、僕に嫁と子どもがいたとします。こういうのはひどい例にしたほうがいいのかな……娘が変なヤツに強姦されて殺されたと。そのときは、自分の手で殺してやりたいほど憎いだろうし、そいつの死刑判決が確定して、自分の手で殺せるならスッキリするかもしれません。
 それが知らぬ間に死刑にされて、身内だろうが、遺族だろうが、加害者の家族だろうが、死刑が今日執行されますという通知は来ません。テレビや新聞を見てそこで知るんでしょうけど、なんの実感も湧かないと思うんですね、死刑にされるところを見られるわけでもありませんから。それならば、アメリカでは懲役200年とかあるじゃないですか、そのほうが遺族のためにもなるんじゃないかなと思います。
*第三者団体には伝えられない真実の思いを伝えたい
開沼 他方で、死刑にしてもらわないと救われないという思いを持っている人もいると。
大山 そうですね、少なからずあるとは思います。むしろ、そういう人のほうが多いのかもしれません。でも、名古屋の原田さんとか、僕と同じような思いをしている人もいます。親族間の殺人ではなくても、死刑囚の顔を見て気持ちが変わったと言っている人がいるので、全員が全員そうは思っていないこともたしかです。そういうことを僕が伝えていけばいいのかなと。ただ、死刑廃止を訴える団体には入りたくありません。
開沼 入ってくれるように頼まれませんか?
大山 講演活動に呼ばれたことはあります。
開沼 当事者だけではなく、支援団体のような組織が死刑の周辺問題や裁判員制度の問題を扱っていますよね。そうした団体との距離感は、見極めながらやっている?
大山 呼ばれたら行くことはありますけど、いまの段階ではそれ以上のことはしません。ある弁護士会でパネルディスカッションをしたこともありましたが、死刑についての意見交換、いい経験ができたなと思いながら、茶番だったかなという気持ちが正直あります。
 なんだろうな、汚い言い方をしたらあれですけど、金のためにはしたくないというのがあるんですよね。そういう団体に行けば、どっかで金を儲けるヤツがいて、その金があるから活動できるわけですよね。僕も金持ちではありませんから交通費はいただきますけど、講演では基本的に謝礼をいただいていません。金の話が出てくるのがいやで、そういう団体には属さないというのはありますよね。
 うわべだけなんじゃないか、という気持ちもないことはないですけど、かといって、やっていることを否定はしません。本当に立派なことをされているなとも思います。ただ、僕は1人でやっていたほうが気が楽で、自分がやりたいことをできるかなと。
開沼 裁判員制度を変えるぞ、法律をこうするぞという動きと、当事者が抱える複雑な思いにズレがあるわけですね。
大山 死刑廃止の弁護士団体の話を聞いたこともありますが、言葉を難しくしすぎているので、第三者が聞いてもわからないと思います。勉強した人がそれに基づいてしっかりとした意見を述べているとは見えるんですけど、実際にふたを開けてみたら、難しい言葉が使ってあるだけです。あの話を聞いても身近な問題としては考えられないし、考えるきっかけいにしろというのが無理だと思いますよ。
開沼 死刑囚に会うことはその解消につながりますか?
大山 会えばいいという話にはならないと思いますが、経験したことを生々しく語ったほうがきっかけにはなると思います。
*葛藤に向き合えるまで送った自暴自棄の生活
開沼 大山さんの苦しみや葛藤はとても大きかったと思います。ただ、大きい小さいではなく、いろいろな人がそれぞれの葛藤を人生の中で持っているわけですよね。それとどう付き合っていくかが重要で、大山さんにとっては、例えば、その1つが入れ墨だったのかもしれません。
 一方では、これまでの憎しみや、荒れていた時代のことを、入れ墨と一緒に押さえながら生きていくと決めた瞬間があり、他方では、それを押さえずに、荒れながら暮らしている時期がある。
 この二面性は誰もが持っているものかもしれません。自分はこう生きると決めたんだ、とはならずに、自分の葛藤やモヤモヤしたものと付き合いきれない。かといって、捕まるぐらい悪いことをするわけでもない。中途半端に誰かを攻撃してしまう人はたくさんいますよね。2ちゃんねるで「こんなの死刑だ」とやっているのはなくならないでしょう。
 自分の弱い部分、目を背けたい部分から目を背け続けて、荒れていたときはモヤモヤがあったと思いますが、その気持ちをどうやってコントロールできたんですか?そのまま破綻していた可能性もあるのに。
大山 コントロールできないことでさらに荒れていました。それがはけ口になっていたこともあります。
開沼 悪いことするのにも、それなりにコミュニケーション能力が必要ですよね。人間関係から完全に排除された孤独な状態では、「悪いこと」の選択肢も狭くなる。
大山 僕の場合は、金魚の糞みたい周りについとっただけでした。モヤモヤが何かといったら、父親に対する憎しみや恨みだったり、風呂場で殺されたお母さんに対する、かわいそうだなという悲しみです。風船が体の中で膨らんでいって、ギチギチになっとる感じでした。当然、何度も爆発しているんですけど、それでも膨らみ続けて、爆発の衝撃波は永遠に走り続けるような、何て言ったらいいのかわかりませんが。
 そういうとき、仕事でも何でも、1つのことに没頭するのは好きですが、一時でも忘れるかといったらそうはいきませんでした。ただ、たとえばケンカをして、殴られたり殴ったりの痛みや、バイクで走り回ったりで、人と違うことをしとる自分に酔っているときだけは、ちょっとだけ自分を切り離せたかもしれません。
 でも、そういうことをしたあとは、結局むなしさだけしか残らん。何も利はないですよね、得るものもないですし。で、また爆発して、また忘れたいから繰り返してということをしていました。一通りやり尽くして行き場がなくなってからは自殺未遂もしたので、結局はバランスを取れなかったんでしょうね。よう生きとったなあと思います。
 ただ、死ぬのも怖かった。風邪薬を600錠飲んで自殺未遂はしたものの、病院で聞いたら「2000錠は飲まにゃ死ねん」って言われました。「そんなの無理だ」と思う時点で、死ぬ気がないんだ、死ぬのが怖いんだなって自分でも思いました。バランスは取れてなかったけど、運よく生きとっただけです。
開沼 その後はバランスを取れたわけですよね。
大山 そうですね、面会後からはバランスが取れるようになってきましたね。

 被害者遺族が望まない加害者の死刑がある。実名でそう訴える大山氏のもとには、嫌がらせが絶えない。インターネットでの誹謗中傷、あるときは、犬の死骸がドアノブにくくられていた。さまざまな葛藤と向き合いながら、それでも発信を続けたい思いが語られる。大山氏との対談最終回の更新は、2月3日(月)を予定。
 ◎上記事の著作権は[Diamond online]に帰属します
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僕の父は母を殺して、死刑囚となった 職を転々とし、風俗店にたどり着くまで 対談 大山寛人×開沼博 ? 2014-02-03 | 死刑/重刑/生命犯 問題
被害者遺族であると同時に、加害者の息子という立場 入れ墨に込めた決意 対談 大山寛人×開沼博 ? 2014-02-03 | 死刑/重刑/生命犯 問題
「死刑で罪は償えない やつれて震える父親と会って生まれた感情の変化」 対談 開沼 博 ×大山寛人? 2014-02-03 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
◇ 発信で激化する嫌がらせ…それでも、死刑制度を考えて貰うために伝え続ける 対談 開沼 博 ×大山寛人? 2014-02-03 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
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残された息子が語る「母を殺した死刑囚の父へ」 大山寛人さん 2013-08-20 | 死刑/重刑/生命犯 問題  
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「死刑囚の息子は仕事に就けない」殺人犯の息子が背負う罪と罰とは? 大山寛人さん 2013-07-01 | 死刑/重刑/生命犯 問題  
  NNNドキュメント(日テレ)『死刑囚の子 殺された母と、殺した父へ』 . . .
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【連載企画・極刑の断層?】<最終回> 許せぬが、生きて償いを 母殺した死刑囚の父へ 大山寛人さん 2013-05-14 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
  大山清隆死刑囚 広島拘置所在監
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「生きて償いを」=母殺した死刑囚の父へ 大山寛人さん 2012-11-10 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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漂白される社会(1) なぜ、女の子は飛田新地で働くのか? 元遊郭経営者が語る飛田の現在 2013-05-21 | 社会
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