【主張】武器輸出三原則 平和に資する見直し急げ
産経ニュース 18 03:12
政府は国連平和維持活動(PKO)の関連組織への供与や防衛装備品の国際共同開発・生産の推進に向け、武器輸出三原則を抜本的に見直し、来月にも新指針を決定する方針だ。国際貢献や防衛技術水準の向上に欠かせないものであり、評価できる。
安倍晋三首相は国会答弁で、国家安全保障戦略に基づき「積極的平和主義の観点から新たな安保環境に基づく明確な原則を定める」と、三原則見直しの必要性を強調している。日本の平和に資する見直しを急いでほしい。
民主党政権下の平成23年、三原則の緩和により、国際協力に伴う防衛装備品の他国への供与は容認された。だが、その際に対象外だった国連など国際機関への供与の問題はそのままにされ、それが今になって大きな問題として浮上している。
昨年12月、国連南スーダン派遣団(UNMISS)で活動中の韓国軍部隊が銃弾不足に陥り、政府は国連と韓国政府からの要請で、現地の陸上自衛隊から銃弾を国連経由で提供した。人道的観点から当然の措置だが、三原則は認めていないとの批判も出た。新指針で明確に容認しておくべきだ。
自衛隊の輸送車両や除染剤の国連への提供、化学兵器禁止機関(OPCW)など国際機関への装備品供与の道も開く必要がある。国際社会の平和と安定にこれまで以上に貢献しようという積極的平和主義の具体化につながる。
日本が生産した防衛装備品を輸出相手国から第三国へ移転する際に、日本政府は相手国から一律に事前同意を求めていた。これに例外を設けることも課題となる。
外国企業の防衛装備品を日本企業がライセンス生産しているケースでは、外国企業が生産を打ち切った部品について日本側が生産を求められても、事前同意の仕組みが障害で対応しにくかった。一国だけで防衛装備品生産が成り立たない時代に、同盟国などとの協力の観点から考える必要がある。
経団連は防衛装備品輸出を管理する専門部局を政府に置くよう提言した。検討に値しよう。
東南アジアには、日本の中古護衛艦の輸入を望む国もある。武器輸出はすべて「平和国家の理念を脅かす」といった固定観念を脱し、地域にとっての抑止力となるなど、国益に合致する政策は積極的に選択肢に入れるべきだ。
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◇ 武器輸出新原則 巡視艇などの輸出を想定 2013-12-09 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
◇ 安倍政権、武器輸出に新指針検討 禁輸三原則「撤廃」 2013-07-23 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
◇ 海上自衛隊飛行艇「US−2」インドに輸出 武器輸出三原則の緩和 2013-03-24 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
◇ 武器輸出三原則 F35部品の輸出は当然だ/インテリジェンス・ブリーフィング 2013-02-05 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
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『自立する国家へ!』田母神俊雄×天木直人 2013-04-29 | 本
(抜粋)
p101〜
■「専守防衛」は自主防衛とはいえない
日本人に反省と謝罪を促した日本国憲法のもう1つの弱点は、「軍を持たない」と宣言したことにあった。これによって日本は、自衛隊という外国から見れば紛れもない軍ができた後も、その言い訳のように自衛隊は武器の使用を極度に制限された。原則的に、相手から攻撃されるまでは武器を使用できないことになったのである。p102〜
しかも、そうした歪んだ自衛隊の形を、戦後の左翼教育によって日本の一定数の世論が良しとしていたこと、それから、長く続いた自民党政権時代でも、常に野党第1党の座にあった社会党などが自衛隊を違憲と断定していたこともあって、自衛隊をまともな形に正すことはできなかったのである。
その間の1970年代には、当時の中曽根防衛庁長官が防衛白書の中で「専守防衛」といったあたりからこの言葉が一人歩きを始める。そして、日本が攻撃のための武器を持つことさえいけないことであるかのような風潮さえ生まれた。
そして、アメリカはそうした風潮に乗って「攻撃はアメリカに任せておけ」とばかりに日本にもっぱら防御システムを莫大な金で買わせるようになり、攻撃面はすっかりアメリカ依存になってしまったのである。
評論家などの中にも、「それでいいではないか」という人がいるが、それは軍事力とは何かを知らないもの言いである。
軍事力というものは、攻撃と防御がバランスよくセットになってはじめて軍事力なのである。外国から見たら防御一辺倒の軍事力など怖さはない。いくら最新鋭の防御システム(ペトリオット・ミサイルなど)を備えていようとも、「あの国は守りは強いが攻めは弱い」と認識したら、その国に怖さを感じるだろうか。
p102〜
軍事的な怖さがないということは、抑止力が働かないということに等しい。つまりは危険性が増すわけだ。そういう意味で、「実際に戦ったら恐い」とどれほど相手に思わせることができるかが、その国の軍事力であり、安全保障力であるといえるのである。
p104〜
■自主防衛への道に日米共同開発が立ちはだかった
戦前の日本は世界が驚くようなゼロファイター=零戦や多くの戦艦をつくった国であったから、戦後になっても武器・兵器を自前で製造する技術は保持していた。しかし戦後はGHQの統制下に置かれ、軍事力を保有することはできず、当然、武器を自前で開発、製造することは禁じられた。
p105〜
しかし朝鮮戦争の勃発によりアメリカは日本の再軍備の必要性に迫られ、我が国は警察予備隊の発足により再軍備を始めることになった。そのとき武器の多くをアメリカから買わされることになった。
しかし当時は我国の政治家も官僚も一人前の独立国になることを目指していたから、日本は武器を自前で開発、製造しなければならないと考えていたのである。(略)
しかし、1980年代半ばの中曽根総理の時代になって、国産化への道が突如として塞がれる。私が航空幕僚監部の防衛課にいた時代である。
その頃、F1で培った日本の技術はかなりのレベルに達しており、F1の後継機としてF2の開発も国産体制でやろうとしていた。エンジンだけアメリカから買ってきて機体は日本でつくるという、F1同様の体制である。(p106〜)こうした日本の体制に対し、アメリカは横槍を入れてきたのだ。
「F2は日米共同開発でやろうじゃないか」
アメリカは日本政府に申し入れ、これを受け入れ、鶴の一声を発したのがロン・ヤス関係といわれ、アメリカべったりだった当時の中曽根総理であった。続く竹下総理がこれを引き継ぎ、1988年、日米共同開発が決まったのである。
アメリカの意図は、日本に自前の武器・兵器をつくらせないことが一点、そしてもう一点は、日本の軍事技術をいただくことであった。
当時の日本の技術力はかなり高いレベルにあった。
p107〜
■アメリカの戦略は「日本を自立させない」こと
湾岸戦争(1991年)のときに話題となったのが、レーダーに掛からない性能を持つという「ステルス戦闘機」であったのを覚えている人は多いだろう。
p108〜
実はあれにも日本の技術が使われていた。宇部興産がつくったチラノ繊維という合成繊維で、レーダーに映らないというステルス性能はこれがないと確保できない。日本はこんな優秀な技術も持っていたのだが、日米共同開発によって日本の優れた技術はアメリカに根こそぎもっていかれる、という事態が続くことになったのである。
p109〜
■ソフト支配が対米依存度を高める
その後、次第に世界はデジタル化し、武器・兵器に最先端のコンピューターシステムが導入されると、この日米共同開発は日本にとって余計に厄介な仕組みになっていく。つまり、戦闘機でもミサイルシステムでもすべてがソフトウェアによって動くわけだから、どのような工作でもできてしまうわけだ。
たとえば、莫大な金額を払って買ったミサイルであっても、それが5年後にきちんと作動するかどうか実はわからない。
アフガン戦争のとき、トマホークを装備していたイギリスの潜水艦が、撃とうとしたら撃てなかったという話がある。トマホークはGPSを使ったシステムでターゲットまで正確に誘導する巡航ミサイルだが、コンピューターが発射指令を出してもトマホークが反応しなかったという。システムソフトのバージョンが変わってしまっていたのだ。イギリスの陸軍少将に直に聞いた話だから間違いない。
それが意図的であったかどうかはともかく、ソフトが支配する世界では、そういうことは簡単に仕組むことができる。(p110〜)アメリカから買った武器・兵器は、アメリカの継続的支援がなければ使い続けることはできないのである。
つまり、アメリカの兵器を日本にどんどん買わせれば、アメリカの日本への支配力はどんどん強くなる。日本から見れば、対米依存がどんどん高まるわけである。
アメリカがイージス艦やミサイル防衛システムを売り込み、日本政府が莫大な予算をつけてそれを購入するというのがこのところの流れだが、これは武器が増えたことで、かえって対米依存を高めてしまうという、バカなことをくり返しているのである。そして、こうしたことを推し進めるためにアメリカと日本政府がやっていること、それが北朝鮮の脅威をことさら強調することなのだ。
「北朝鮮がまたミサイルを撃ちそうだから、日本は最新の防衛システムで防衛力を強化しておいたほうがいい」
こんな親切心を振りかざしながらアメリカは売り込んでくる。(略)
p111〜
ただし、だからといって、私は特別にアメリカが汚いとは思わない。自国の国益のために友好国と交渉するのも国際常識であり、どの国でもやっていることだからだ。本当は、日本の政治家や官僚がそうしたアメリカの意図を認識しながら、日本の国益のためにうまく立ち回るべきで、それができていないことのほうが問題なのである。
ところが歴代政府の多くは、アメリカに追随することが政権の延命につながるということを優先し、ほとんどまともな交渉をしてこなかった。アメリカと対等になることを目指したり、アメリカに頼らない道を探ろうとした政治家はいたが、彼らは皆、志半ばで挫折した。アメリカによる情報戦(場合によっては日本のマスコミも加担した情報戦)によって追い落とされたと思われるケースがほとんどで、日本の親米派が陰で足を引っ張ったと思われるようなケースもあった。
ともかく、対米自立への道を考える時、アメリカは基本的にそれを阻止しようという戦略をもって、先手先手で動いてくるのが戦後の歴史。その象徴といえるのが日米安全保障条約であり、非核三原則なのである。
p159〜
田母神 私が対米従属の情けなさを一番実感したのは、中曽根総理の時代です。当時、私は防衛庁航空幕僚監部にいましたが、当時はF1の後継機として三菱重工が中心になってF2戦闘機の開発にとりかかっていました。
(p160〜)戦後、我が国はアメリカから図面を買ってきて機体は日本でつくるというライセンス生産をくり返してきたのです。いずれ国産体制にもっていくつもりで着々と技術を磨いていた。そして戦後はじめてF1という戦闘機をつくり、その後継機としてF2の国産開発に着手しようとしていたのです。それをアメリカが日米共同開発の提案をしてきて、中曽根総理が鶴の一声でこれを受け入れることを決めてしまった。あれで日本の国産戦闘機への道は閉ざされたばかりか、日本の優位な技術ももっていかれるという悔しい思いをしたわけです。
それから、いま日本が買おうとしているF35でも、開発が遅れて、おまけにカネがなくなると、今度は日本にも国際共同開発に加わってほしいと要請があり、そのあげくにバカ高い戦闘機を買わされるわけです。
p161〜
■「自主防衛を目指す」と書かれた自民党結党時の政綱
田母神 やはり独立国家というのは、自主防衛の体制がきちんとしていることが基本だと思うんですね。自分の国を自分で守るということが基本で、それがあって初めてよその国といろんな対等な関係を築くことができていくわけですよね。
(p162〜)けれども戦後の日本の場合は、国の守りをアメリカに依存したというか、戦争に負けてアメリカの占領下にあったからしょうがないんですけれど、そこからスタートするしかなかった。
だからこそ昭和30年代に自民党ができた時、党の綱領とともに掲げられた「党の政綱」の中で、日本は独立したとはいっても、まだ自分の国を自分で守れない半人前の独立国家だから、いずれ占領下で仕方なく受け入れた憲法を正し、自衛隊もきちんと強化して自分の国は自分で守る体制をつくるんだと書いたわけですね。いわば、自主防衛を目指すんだ、としっかり書いたわけですよ。けれども、そういうことが全然改善されないまま70年近くたっていまったということですよね。 *強調(太字・着色)は来栖
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