またも茶番に終わったシリア和平会議 アサド政権による「虐殺」の放置を黙認しただけ
JBpress 2014.02.19(水) 黒井 文太郎
1月22日からスイスで断続的に行われていたシリア国際和平会議(通称「ジュネーブ2」)だが、2月15日、物別れのまま第2ラウンドが終了した。アサド政権側と反体制派側の反目は大きく、第3ラウンド開始の目処は立っていない。
この和平会議は国連のブラヒミ特使が仲介し、反体制派を支援するアメリカと、アサド政権を支援するロシアが合意したことで開催されたもので、今回、初めて紛争当事者であるアサド政権と反体制派が直接交渉を行なったことで注目されたが、実質的な進展はなかった。
*形式的なものに過ぎない和平会議
もっとも、今回の交渉について、当のシリア国民は、初めからほとんど期待していなかったようだ。ネット経由で、シリアに住む何人かの声を聞いた。
「スイスで国際会議が始まってから、政府軍による街への無差別砲爆撃がまた激しくなった。いつもと同じパターンさ」(ダマスカス郊外アルビンの非武装反体制派組織「アルビン革命調整委員会」の活動家、ハイサム) 「国際会議なんて、こちらとはまったく関係ない。アサドはいつもああやって外国の目をそらし、その間に攻勢をかけてくる。アメリカもフランスも、国際会議なんかどうでもいいから、とにかく武器と弾薬をくれと言いたい」(南部ホランの自由シリア軍兵士、アハマド)
「アサド大統領はこれだけ国民を殺してしまっているし、最初から政権を降りる気がないことはみんな知っている。なんのために会議が開催されたのか理解できない」(ダマスカス郊外から同市内に避難している自動車修理工、オマル)
今回のジュネーブ2は、停戦と暫定移行政府樹立を骨子とした2012年6月の「ジュネーブ1」(国連主導の関係国会議)合意の実現を模索して開催されたものだが、ジュネーブ1もジュネーブ2も、現地の事情をまったく無視して進められた形式的なものに過ぎず、最初から和平の進展など期待できるものではなかった。
*はなから和平など欲していないアサド政権
そもそも肝心のアサド政権側が交渉による和平など望んでいないことは明らかだ。彼らはこれまで一度も、アサド大統領退陣を受け入れるような発言をしていないし、反体制派と政治的に妥協するような素振りもまったく見せていない。
しかも政府軍は、2013年春に隣国レバノンの民兵組織「ヒズボラ」の加勢を得て攻勢に出た後は、特に北部・東部に新たに勢力を伸ばした親アルカイダ系イスラム過激派「イラクとシリアのイスラム国」(ISIS)と、自由シリア軍やイスラム戦線といった地元反体制派諸部隊との間で勃発した抗争を利用して戦局を有利に進めており、現時点では反体制派に妥協しなければならない理由がない。つまり、もともとアサド政権が、外国が勝手に決めたジュネーブ1合意を受諾する可能性は皆無だったのだ。
案の定、今回のジュネーブ2でも、アサド政権は停戦や暫定移行政府に関する話し合いを最初から拒否し、会議のテーマを「テロ排除」の一点に絞る戦術に終始した。アサド政権は反体制派の軍事行動をすべて「外国に支援された外国人テロリストによるシリア国民に対するテロ行為」と宣伝しており、話をそちらにすり替えようとしたわけである。
ちなみに、言うまでもないが、反体制派の主流は政府軍からの離反兵と地元住民の志願者であり、「外国人兵士ばかり」というのはアサド政権のプロパガンダである。反体制派の総兵力は諸派合わせて現在10万人前後と推定されるが、そのうち外国人は多く見積もっても1万人以下であろう。
むろん外国人主導のイスラム過激派組織に地元のシリア人が参画している例は多いが、逆に外国人兵士すべてが過激派組織に参加しているわけでもない。また、捕虜の斬首を常套手段としたり、支配地域で住民を強圧的に抑圧したりする過激派が、反体制派で多数を占めているわけでもない。
それでもアサド政権が反体制派の軍事行動全体を「テロ」と断定し、その排除を交渉の前提だと主張するのは、要するに「交渉するなら、反体制派の全面降伏しかあり得ない」と言っていることと同義である。それでは最初から交渉にもならない。
ましてや暫定移行政府の樹立などというものは、画に描いた餅にほかならない。結局、会議を成功に導けなかったブラヒミ特使は、こうしたアサド政権の頑なな姿勢を非難したが、むしろ、もともと決裂することが分かっていた会議を見切り発車で進めたブラヒミの当然の失敗にすぎない。
ブラヒミ特使は「和平の進展を期待していたシリア国民に謝罪する」と語っているが、前述したように、誰も期待などしていなかったのが現実だろう。
*交渉するふりをして弾圧を強めるのが常套手段
ただし、まったく成果がなかったわけではなかった。今回の唯一の成果は、中部の街ホムスで一時的な停戦が成立したことだ。
ホムスは2012年12月からもう1年以上にわたって政府軍によって封鎖されており、物流やライフラインが遮断され、飢餓が発生するという悲惨な状況に陥っていた。そこで今回、一時的に停戦し、その間に人道支援物資を運び込むとともに、孤立していた3000〜5000人の住民のうち千数百人の女性・子供を国連機関の支援で脱出させることができた。それ自体は喜ばしいことである。
しかし、アサド政権はなにも人道的観点から、こうした措置を認めたわけではない。アサド政権の狙いは、ジュネーブ2のような国際社会での交渉に正式に参加すること、それ自体にあると見ていいだろう。つまり国際的な舞台での「交渉」が続いているうちは、どんなに非道な弾圧を行っても、国際社会から直接的な軍事攻撃を受けることはないことを知っているのだ。
例えば2013年夏、政府軍による化学兵器使用をきっかけに、米軍が軍事介入する直前まで事態が緊迫したことがあった。そのときアサド政権は、化学兵器廃棄というカードを切ることで国際社会との交渉プロセスに持ち込み、米軍の軍事介入を回避できたが、それは実際にはアサド政権に通常兵器使用のフリーハンドを与えたことになり、政府軍による国民の「虐殺」に拍車をかける結果となった。
それだけではない。それ以前からアラブ連盟や国連などによる和平仲介のための現地調査と一時停戦の試みは幾度もあったが、アサド政権はそのたびにその機会を利用して、反体制派支配地域への無差別攻撃を強化してきた。前述したシリア反体制活動家のコメントにあるように、「交渉するふりをして弾圧を強める」のは、アサド政権にとっては常套手段=「いつものパターン」なのである。
実際、今回もジュネーブ2開始とほぼ同時に、政府軍は再び反体制派支配地域への無差別砲爆撃を強化しており、民間人の死者が内戦勃発以来最悪のペースで急増している。イギリスを拠点とする人権団体「シリア人権監視団」は「3週間で約5000人が死亡した」と発表しているが、そのうち3分の1は民間人であり、また死者全体の10分の1は女性・子供だという。
*今のシリアに必要なのは「交渉」ではない
ジュネーブ2に対しては、「あくまで話し合いによる解決しかない」との立場から、「交渉の席に着くことだけでも大きな第一歩だ」と評価する声もあるが、現実には、交渉はアサド政権に民間人を虐殺する機会を与えるだけに終わっている。
政府軍の兵糧攻めに遭っていたホムスの住民、千数百人を救い出すことはできたが、それは内戦のほんの一部の話にすぎない。その間もシリア全土で政府軍による無差別砲爆撃(特に航空機による市街地への樽爆弾の投下)は続けられているし、いくつもの反体制派支配地域が政府軍による封鎖で飢餓地獄に陥っている。要するに、和平交渉はなんの役にも立たないばかりか、むしろ逆効果でしかないわけだ。
もちろん交渉による和平が実現できれば、それに越したことはないが、シリアの現実は、残念ながらそのような理想で解決できるレベルを完全に超えてしまっている。交渉による和平への模索は、現在進行している虐殺を傍観するということにほかならない。
シリアはアサド大統領とその取り巻きのためだけに存在する独裁システムの国である。政権が優先するのはアサド大統領の独裁権力の維持のみであって、そのためには国民のどんな犠牲も無視される。独裁システムはその維持のため、反体制派という存在は必ず殲滅しようとするだろう。独裁を否定する声が存続すれば、独裁システムはいずれ崩壊するからである。
したがって、例えば「交渉によって停戦を実現し、その後に国連主導で公正な選挙を行うべきだ」との考えもあるだろうが、独裁が続く限り、それは絶対に実現されない。アサド政権が妥協するとすれば、国際社会が本格的な軍事介入に動くときだろう。それは独裁の崩壊に直結する問題だからだ。
しかし、現在、アメリカのオバマ政権は、明らかにシリアへの軍事介入には消極的である。あるいは、仮に米軍が動かなくとも、十分な武器・弾薬を世俗派の反体制派部隊に支給すれば戦況が激変する可能性もあるが、オバマ政権はそれにも消極的だ。
他方、ロシアのプーチン政権は、アサド政権をどこまでも擁護する姿勢を見せており、今後もロシアが拒否権を持つ国連安保理では、アサド政権への軍事的圧力になるような決議は採択されないだろう(現在、人道支援強化のための国連安保理決議をめぐって駆け引きが続いているが、違反に対する軍事的措置は含まれない模様)。
シリアでアサド政権による反体制派への弾圧が始まって、この3月半ばでちょうど3年になる。死者はついに14万人を超え、家を追われた避難民は全国民の半数の1000万人弱にまで達している。想像を絶する悲惨な状況が続いているが、国際社会がこれまでのような形式だけの「外交努力」にかまけていたら、これからさらに何万人もの住民が殺害されていくことになる。
独裁の維持のために今日も住民に対する無差別砲爆撃を続けているアサド独裁政権は、いわば「人質を殺害し続けている凶悪犯」のようなものだ。現状では武器レベルが圧倒的優位にあるアサド政権が内戦で打倒される可能性はほとんとないが、少なくともそんな「凶悪犯」に何らかの妥協を求めるなら、イスラム過激派以外の地元反体制派諸部隊の武装を強化するとともに、国際社会がそれなりの軍事的圧力をかけることが不可欠だ。
残念ながら、夢のような平和的解決を語るだけでは、人々は救われない。
◎上記事の著作権は[JBpress]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖
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◇ 【 もう誰も関心を示さなくなったシリア 】 黒井文太郎 2013-10-15 | 国際
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◇ アサド=プーチン連合の時間稼ぎにシリア人は落胆 黒井文太郎 2013-09-13 | 国際
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◇ シリアに行ったことがない方へ 黒井文太郎 2013-09-20 | 国際
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◇ 「どこの国でもいいから助けてくれ!」 シリア国民の悲痛な叫びを聞いてほしい 黒井 文太郎 2013-09-10 | 国際
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◇ 「シリア空爆のシナリオ アサド政権の化学兵器使用と恐怖政治」 黒井文太郎 2013-09-04 | 国際
アサド政権は独裁体制を守るためなら、どんな非道なことでも躊躇しない政権 . . .
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『知の武装 救国のインテリジェンス』手嶋龍一×佐藤優 [第1章 アジア安保としてのオリンピック] 2014-02-17 | 本
(抜粋)
超大国の終わりの始まり
p34〜
手嶋 そもそも安全保障分野の「抑止力」とは、その奥底に「力の行使」の覚悟を秘めていなければ効き目がありません。誤解のないように申し上げておきますが、アメリカにシリアで軍事力を行使しろと唆しているんじゃありません。当然ながら戦争などないほうがいいに決まっています。しかし、究極の場合に武力を行使するという可能性を残しておかなければ、安全保障そのものが機能しなくなります。そもそも、アメリカ大統領の座に座るような人物なら、こんなことは本能的に知っているはずなんです。いまのシリア情勢に真っ向から立ち向かうつもりなら、武力行使から目を逸らしてはいけない。超大国アメリカの歴史を振り返ってみると、ときには「力の行使」に踏み切ることには、リベラル派から保守派まで、知識人から草の根の人々まで、幅広いコンセンサスがありました。冷戦期も冷戦後も、抑止力として「力の行使」を最後のカードとしてその手に握りしめてきたのは、事実としてアメリカだけです。
p39〜
ソチ・オリンピックという人質
手嶋 アメリカのオバマ大統領は、国の内外の批判を向こうに回して、敢然と力の行使」に打って出る覚悟がない---。プーチン大統領はこう読んで、クセ球をワシントンに投げ込んだわけです。オバマ大統領はプーチン提案にやすやすとのり、「国際管理」という罠にかかってしまいました。
(p40〜)かくして、シリアのアサド政権は、化学兵器を国際管理に委ねるという計画を受け入れ、アメリカの軍事攻勢はひとまず回避された。まさしくプーチン大統領の思い描いた通りに事が進んだのです。
佐藤 私がモスクワから得た情報では、プーチン大統領は、今回の出来事を通じて、オバマ大統領を見下すようになったといいます。それに対して、安倍総理はなかなかにしたたかで、見どころのある保守政治家だと、その評価はうなぎ上りだそうです。
手嶋 東京オリンピックの招致で、ロシアのプーチン大統領の協力を取り付けた成果は認めますが、その反動が気がかりですね。
佐藤 私も今後の事態の推移を心配しているんですよ。たしかにロシア側からすると、オバマ大統領より安倍総理のほうがしっかりしているように見えるかもしれない。しかし、いつ日本外交の実態がバレてしまうか、わかりませんからね。
先ほども申し上げたように、2020年の東京オリンピックが、日本にとっての一種の制約要因になっている。同様に、プーチン大統領も、2014年のソチ・オリンピックという名の人質を取られているんです。ソチという場所は、チェチェン独立運動あるいはイスラム原理主義勢力のテロが起きる恐れがある場所だからです。
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【またも茶番に終わったシリア和平会議 アサド政権による「虐殺」の放置を黙認しただけ】 黒井 文太郎
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