【二月二十一日 ある死刑囚の記録】(33)もう少し…生きたい
中日新聞 2014年2月16日 Sun.
加納恵喜(けいき)は甘党だ。どちらかといえば大福など和菓子派だが、その日はアーモンド入りのチョコレートを味わいながら口に運んだ。
二〇〇九年二月十四日のバレンタインデー。交流する市原誉子(しょうこ)と一人娘のむうちゃんが四日前の面会のときにくれたものを我慢して取っておいた。お礼の手紙では味はさておき、こんなことをつづっている。「むうちゃんもそのうち本命チョコをあげる人ができるのかと思いましたら“そこでストップ!”もう大きくならんでも良いっ!です」
その年四月、むうちゃんは二歳に。恵喜は養子縁組した母、真智子(仮名)が生前に差し入れてくれたお金で「靴を買って」と誉子に頼む。誉子が選んだのは九百八十円のサンダル。面会でそれを履く、むうちゃんにまた目を細めた。
間もなく、恵喜は市原一家への手紙でこんなことを言う。「もう疲れた、早く真智子(原文は実名)さんのところに行きたいという気持ちと、むうちゃんの成長をもう少し見ていたいという気持ちがいつもケンカしています」
「死刑でいい」と言い続けた恵喜が揺れ始めていた。
折しも、その夏、日本が揺れる。
政治不信が高まる中、七月下旬、時の自民党、麻生太郎政権は衆院の解散、総選挙に追い込まれた。
自民、民主二大政党の激突となった選挙。重要争点とは言い難かったが、民主党は政策集で「終身刑を検討する」とうたい、死刑制度に関して「当面の執行停止や死刑の告知、執行方法なども含めて幅広く議論を継続する」と主張した。八月末の投票日。その民主党が圧勝し、歴史的と称された政権交代が実現する。
恵喜は、うれしい出来事があると、日記に赤字で書き、さらに四角い枠で囲むのがくせだ。九月十六日の欄にはひときわ大きく、ぎざぎざの波線で囲んで、こう記されている。
「鳩山内閣誕生」。翌日には少し小さく「千葉法相」とも。
第九十三代鳩山由紀夫首相の内閣で、法相に就任したのは「死刑廃止を推進する議員連盟」の一員でもあった千葉景子だった。 =続く (敬称略)
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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】(34)感謝していいのか
中日新聞 2014年2月18日
在任中の死刑執行はない−。世間はもとより、恐らく、加納恵喜(けいき)もそう思ったことだろう。二〇〇九年九月、民主党、鳩山由紀夫内閣で法相に就任した千葉景子。人権派の弁護士で「死刑制度を無くしたい」と公言していた千葉だが、実は大臣の職責として「サインも避けられない」と考えていた。
それでも引き受けた理由のひとつは、死刑をめぐる情報公開を進めたかったからだという。世論調査をすれば賛成派が多数を占める死刑。「だれだって実態を知らなければ是非を答えられないはずでしょう」
その年末、千葉は法務省刑事局の幹部から東京拘置所にいる二人の死刑囚の刑の執行を打診される。「よくよく勉強させてもらいます」。そう答え、二人に関する詳細な資料や、担当者による説明を求めた。
会見で千葉は「さまざまな要件、状況を検討した結果」とだけ説明している。就任から十カ月後の一〇年七月二十八日。千葉の命令下、二人の死刑が執行された。千葉は「責任者」としてその場に立ち会った。
一人目。刑場と立ち会い室はガラスを挟んで互いに見えるが、白っぽい布で目隠しされ、表情は分からない。「バタっていうか、なんというか…」。踏み板が開いた音を千葉は今も忘れられない、いや「忘れてはいけない」と思っている。
二人の執行から一カ月後、東京拘置所の刑場が初めてメディアに公開される。死刑の在り方に関する法務省内の勉強会も設置された。千葉の願いが一歩、進んだ。千葉はいわゆる「バーター」との見方を強く否定するが、サインしたことで「結果的に道が開けたかもしれない」と振り返る。
千葉が死刑執行にサインしたことについて、恵喜は交流する市原信太郎一家への手紙に「驚いた」と批判的に記している。死刑をめぐる情報公開は恵喜も望んでいたが、刑場公開の翌日、届いた新聞は関連する記事がすべて黒塗り。週末のテレビの視聴も許されなかった。「千葉法相には感謝していいのか何なのかよく分かりません」
千葉は一〇年九月に退任する。以来、死刑をめぐる議論がさして盛り上がることはなかった。あの勉強会も結論を出さぬまま一年半で解散している。 =続く (敬称略)
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関連; 死刑 悩み深き森/千葉景子さん「執行の署名は私なりの小石」 2010-11-25 | 死刑/重刑/生命犯 問題
千葉景子氏 法相在任中の記者会見
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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】執行へ「問題なし」
中日新聞 2014年2月19日
千葉景子が二〇一〇年七月に命じて以来、死刑執行はしばらく無かった。再開したのは一年八カ月後、民主党、野田佳彦内閣の法相、小川敏夫だ。千葉が設立した死刑制度をめぐる勉強会を廃止したのも小川である。
「生まれながらの差別ではなく、自分がやった行為があって死刑台に送られる」。小川は死刑を人権と絡めて語るのは「ちょっと違う」と考えていた。そもそも「法律があり、国民が支持している」。執行後、会う人は大抵、納得してくれたという。
刑事訴訟法では、検察庁の指揮で科す他の刑罰と違い、死刑は「法相の命令による」と定められている。それゆえ、検察庁は死刑が確定すると、すぐに、執行を求める法相宛ての上申書を法務省に送る。が、実際のところ、だれをどういう順番で執行するのか、決めるのは法相ではない。
小川によると、それは「役所」だ。小川が命令書にサインした東京、広島、福岡各拘置所の三人は自ら選んだわけではなく、一カ月ほど前、法務省の刑事局から打診された。なぜ、彼らだったのか。小川は言う。「大臣にも分からない世界。ブラックボックスだ」
では、その“箱”の中とは−。
法務省での執行へ向けた手続きは、検察庁からの確定死刑囚の資料を刑事局付検事が精査するところから始まる。局付とは刑事事件の現場を踏んだ経験もある若手の精鋭たち。
ある元局付は数年前、上司の参事官からその仕事を割り当てられた。どの事件を担当しているのか、同僚にも口外せず、一人で会議室にこもり、背丈を超えるキャビネットいっぱいの資料を読む。検察が裁判で提出していない証拠があればそれも調べる。「ゼロから徹底的にチェックした」
ただ、裁判で冤罪(えんざい)につながるような重大な見落としや事実誤認がない限り、確定判決の是非には踏み込まない。この元局付は一カ月かけて、担当した死刑囚についての見解を二十ページほどにまとめた。死刑の判断に「問題なし」と記した。
加納恵喜(けいき)の場合、前科の扱いなどをめぐり、一、二審で量刑判断が割れたが、人を殺(あや)めた事実に間違いはない。やはり局付の見解は「問題なし」だったはず。それは恵喜が死刑への階段を一段上ったことを意味する。=続く(敬称略)
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