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桜ばな いのちいっぱいに咲くからに いのちをかけて わが眺めたり / 『宣告』 / 『勝田清孝の真実』

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〈来栖の独白 2014/4/6 Sun. 〉
 桜の季節になった。どこにいても、桜が目に入る。この季節、必ずといって思い起こすシーンがある。加賀乙彦著『宣告』のなか、主人公の死刑囚楠本他家雄が刑の執行を宣告されるシーンである。先日、書架の整理をしたこともあり、『宣告』を読みかえした。
 この本は上下巻2冊からなり、私の書架には二組(4冊)ある。一組は、その昔、名古屋拘置所在監の長谷川(旧姓、竹内)敏彦死刑囚に差し入れたところ、なかなか戻ってこない。尋ねたところ、「人に宅下げして、読ませています」という返事。返ってこないと諦めて、新たに購入した。ずいぶん時を経て返されてきたが、そんな事情で二組(4冊)並んでいる。思い入れの深い作品だった。
 勝田清孝と交流が始まったとき、差し入れした。本を読むことが好きで、多くの本を読んでいる人だった。読後、この本について、丁寧な感想を手紙に書いてよこした。以下のようだった。(拙著『113号事件 勝田清孝の真実』より)

p69〜
 来栖宥子様
 たった今(13日夜6時に)、やっと『宣告』を読みおえました。連日小さな活字をじっと見つめていたので、目が痛くなり、何度も涙しながら終えたのでした。今も軽い頭痛に見舞われ、身体の節々も痛みます。でも、目標(13日までに読破)を達成できたというすがすがしい満足感に浸っております。
 さて、読書感想といっても、私は苦手なんですが、でも感じたことを正直にお話します。まずもって全般的に見ますと、時代の変遷といえども、現実の拘置所の有り様とは余りにも違いすぎるということです。死刑確定囚でありながら、刑務官・医官からは個人としての人格を尊重され、家庭的な温かみのある雰囲気のなかで、孤独と「お迎え」の恐怖に耐えさせすれば、のんびりと生活できるといった印象を読者に与えてしまう本ではないか、と感じました。
 例えば、死刑囚同士が一刑務官の計らいで雪合戦に戯れたり、独房でありながら隣房との閑談が黙許されているのか、意のままだったり、親族外の者との接見交流、房内での小鳥の飼育など、これらは現在一切許可されていず、現実とは余りにも掛け離れています。(略)
p71〜
 特にむねをつかれましたのは、長兄から他家雄宛の手紙です。私の両親は現在どこに住んでいるのか全く判りませんが、この文面を読めば、手紙を出せない今の心境でいたほうが、なんとなく救われているように思えました。
 下巻一五九ページには、拘禁ノイローゼについて書かれています。自分の体験とは少し症状が違いますが、それは、お迎えに怯える確定囚と上告中の立場にある者との、心理的な差異だと思うのです。
 この他にも教えられたことはいろいろとありますが、迎える将来に備えての心構えといったものを、教えられた気がするのです。制約された窮屈で居心地の悪い世界でも、心の持ちよう一つで、幾らでも充実した楽しい日々を過ごせる、という事をね。換言すれば、余命いくばくもない身だと、現実の矛盾に挫折した私は、「恵津子に代わる宥子という、おまえには過ぎた女性がいるではないか!」と。こうした一面を自分のこととして素直に感じ取れたという点からすれば、実にいい本でした。
 確定死刑囚を畏怖させるに足る言葉「お迎え」を宣告されたにもかかわらず、他家雄の冷静な立居振舞、この部分には、不覚にも涙を落としてしまいました。ゆっくり精読した甲斐があったといえる本です。

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加賀乙彦著『宣告』1979年2月20日発行 1981年4月30日25刷 新潮社
 下巻
p282〜
 第7章 裸の者
  1
 扉が開いた。いや、図らずも開いていた。足音にまるで気付かず、鍵音をすこしも聞かなかった。それほどに本に心を奪われていた。他家雄は活字に粘りついていた視線を捥ぎ離して、目をしばたたきながら面をあげた。
 教育課長と藤井区長と田柳看守部長が並んでいる。課長は丸く、区長はのっぽ、部長は分厚く、何だか漫才トリオのようだ。
「楠本、出房」と藤井区長が伝えた。さっき点検のおりにも見せた、お馴染みの作り笑いだ。
p283〜
「どこへ行くんでしょうか」
「ああ、所長がお呼びだ」
「はい」
 それ以上訊ねても答えてはくれない相手と知っている。教育課、管区、医務、所長と呼び出されることはしばしばで別に不審なことはない。しかし、所長には、先週の火曜日、呼ばれたばかりではないか。けさ発信した『あこがれ』の原稿に、所長が早くも目を通したとは考えにくい。すると・・・他家雄の胸を鋭くえぐるような疑惑が生まれてきた。もしかするとこれはお迎えではないか。日朝点検に、きのうも来た藤井区長がわざわざ来たというのもおかしいし、その区長が2時間も経たないうちに再び来るというのも異例の行為だ。
 ゼロ番区の端に来た。鉄格子の重い大きな扉を押し開き、広い廊下に出る。さらに先の扉を鍵で開けると所長室や管理部長室や教育課長室などの並ぶ拘置所の中枢部へ出る。扉の左右を監視していた看守たちが一斉に敬礼した。所長室へ来ると教育課長が先に入った。
「楠本他家雄をつれてまいりました」
 区長に押されて中に入った他家雄は、緋の絨毯の眼底を打つ鮮やかさと、その柔らかな感触に馴れず、すこしよろめいた。大きな机にむかって眼鏡をかけた所長が書類を読んでいる。それは見覚えのある彼の身分帳だ。(略)他家雄は確信した、これはお迎えだと。
p286〜
「何を考えているんだね」と所長が気遣わしげに言った。所長はつと立ちあがり、息を吹きつけるほどに顔を近付けて幾分あわてた様子で言った。声がすこしかすれている。
「あす、きみとお別れしなければならなくなりました」
「はい」他家雄は無表情のまま、じっと所長を見詰めた。
「いいですか」所長は焦り気味に、言葉全体に真実らしさを与えるべく、重々しく言った。「これは冗談ではないのです」
「わかっております」
「あ」所長はほっとしたように肩の力を抜いた。「きみなら別に取り乱さないとわかっていた。これで安心したよ。ね、諸君」机を取り巻いていた人々が輪をくずし、まるで非常な名誉を受けた人物を祝福するように微笑を向けた。人々は所長がその一言を言う瞬間まで、全身の筋肉に力瘤をつくって固くなっていたらしい。
「楠本、きみは度胸がありますね。大抵の者は明日を予告すると腰が抜けたり動揺したりするんだが、砂田なんか、ぺらぺらと喋りまくった。きみは違いますね」(略)
「それでは諸君、執行宣告をします。まあ、きみ、これは形式なんでね」と所長が照れて頷いた。人々はまた石化した彫像となった。庶務課長が一枚の美濃紙を差出す。所長の顔から微笑が消え、硝子を打つ風雨のみがひときわ激しさを増して聞こえてきた。
「楠本他家雄、昭和〇年4月19日生まれ。右の者、昭和四十〇年、2月12日より5日以内に死刑の執行を行うべし。法務大臣」所長は美濃紙を置き、やさしく言った。「わかるね。五日目というと17日、つまり明日だ。慣例により明日午前10時に刑が執行される」
「はい」他家雄は頷いた。
p288〜
「いいえ、とくに欲しいものはありません」
 所長は傍らの庶務課長を振り返った。庶務課長が酒焼けした善良そうな顔を他家雄に向けた。
「いいか、よく考えるんだ。何か食べたいものがあるだろう。鮨、天麩羅、豚カツ。そうだ。蕎麦や茶漬けなんかも欲しがる者がいるが」
「ほんとに、何もいりませんのです」
「そうかな。まあ、よく考えて欲しかったら言いなさい」
 庶務課長は心から失望した様子で、それが他家雄には気の毒に思え、何とか彼を喜ばす手はないかと考えたすえ、おどけた様子で言ってみた。
「でも、まさか、葡萄酒は駄目でしょう。赤葡萄酒ですけど」
「いやいや、アルコールはな。それは、お前、困る。わかっとるだろうが」
 庶務課長のあわてぶりに他家雄は吹き出した。
「いいんですよ。わざと言ってみただけです」
「こいつ。人をからかいおって」
p290〜
「よい心掛けだな」教育課長は庶務課長と頷きあい、ハンカチで額の汗を拭った。「それにしても、ばかに蒸すな、きょうは、妙な天気だ」
 ひとしきり雨が硝子窓を打ち、コンクリート塀越しに眺められる町並みがうろうろと動いた。
「春一番、これで暖かくなるんですよ。もうすぐ桜・・・」と言いかけ、庶務課長ははっと気付いて口を閉じた。明日死ぬ者を前にして残酷な一言だったと気付いたのだ。その朴訥なあわてようが気の毒で、他家雄はいそいで言った。
p291〜
「ほんとうに、もうすぐ桜ですね。せめて桜を見てからと思いましたが、これも運命です。むしろ十数年、毎年桜を見せていただいた幸運に感謝しています」
「はあ、そうかね。いや、どうも・・・」と庶務課長は赤ら顔を一層赤くした。
「とくに医務部の前の桜が見事ですね、ここでは。あれはほんとに毎年の楽しみでした。でも、よろしいのです。せんだっての雪で、桜に雪の花が咲くのが見られましたから」
 砂田と雪合戦をしたとき、桜は粉雪(こゆき)をかぶって満開の花のようであった。「おらだば、あした逝くがよ、楠本も先は長くねえんすよ。もういつ雪に触わられるかわかんねえ」そして砂田の血走った目、頬に一条割れ目のように走る創痕。砂田も死んだ。おれも死ぬ。桜のみは今年も変わらず、白く無表情に雪と見まごうばかりに咲き匂う。

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 〈来栖の独白〉追記
 上記『宣告』を読み返して、私の記憶違いに気附いた。「もうすぐ桜・・・」(p290)と言ったのを私は他家雄と思い込んでいた、毎年この季節になると思いだしていたが、そのように言ったのは他家雄ではなく、庶務課長であった。とんだ記憶違い。私の記憶なんて、所詮、そんなもの。
 それにしても、他家雄の処刑を桜を近くに感じさせる季節に持ってくるとは、優れて抒情的な演出ではないか。---現実には、正田昭死刑囚の執行は1969年12月9日である--- 私にとって、桜はいのちを思わせる、そのような木となった。
 岡本かの子の歌に

桜ばな いのちいっぱいに咲くからに 生命(いのち)をかけてわが眺めたり

  と、ある。この季節、私は幾度もこの歌を心に繰り返す。


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