Quantcast
Channel: 午後のアダージォ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 10100

「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない…は真っ赤なウソ!」自民の憲法対話集会はじまる

$
0
0

「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない…は真っ赤なウソ!」自民の憲法対話集会はじまる
 産経ニュース 2014.5.5 07:00
 「自主憲法制定」を結党の精神に掲げる自民党が、憲法改正に向けて国民の幅広い理解を求める憲法対話集会の第1弾を4月12日、宇都宮市で開催した。ここはひとつ、自民党の本気を見てみたいところだ。党員ら400人の聴衆が詰めかけた集会の詳報をお伝えしたい。(溝上健良)
*「蛍の光」と「信濃の国」
 これから全国各地で開かれる憲法対話集会の皮切りとあって、会場には報道陣も30人ほど集まる注目度の高さだった。どうやら東京から新幹線でやってきた新聞・テレビの政治部記者が多かったらしい。埼玉県KY市在住の筆者は、のんびりと東武線に乗って宇都宮を目指した。北KY駅からは片道千円で宇都宮まで行けてしまう。ちなみに東武宇都宮駅周辺にも餃子の専門店が複数あった。さすがは餃子日本一の街だ。
 宇都宮市の中心部、小高い丘の上に二荒山神社がある。ちょうど桜の花が散り始めで美しい。その樹の上に日の丸がひるがえっている。ちなみに自民党が一昨年に公表した日本国憲法改正草案では第3条で「国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする」「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」としている。産経新聞社の「国民の憲法」要綱でも同様の条文がある。憲法改正の際に、国旗国歌条項をまず追加するというのも、アリかもしれない。これなら「加憲」を掲げる政党を含め、幅広い勢力の賛成が得られるのではないか、という気もする。
 さてこの日の「憲法改正研修会 自民党とちぎ未来塾オープン講座」は主に党員が対象とのことで、会場には党旗とともに国旗が正面に据えられていた。もちろん開講一番、起立して国歌斉唱。筆者も当然ながら起立して歌う。座ったままの記者が多かったような気もするが、知ったことではない。これは記者以前の、個々人の生き方の問題である。
 余談ながら仕事柄、夜型生活のため、銭湯などで「蛍の光」のメロディーに接する機会が多い。あれを聴くとつい「筑紫の極み、みちの奥…」で始まり「ひとつに尽くせ国のため」で終わる3番を歌いたくなってしまう。「日本放送協会」では絶対に流れることのない歌詞である。さらに余談だが、私は魂の国歌「信濃の国」を歌うときは必ず6番まで歌い切る。歌詞を全部覚えていることは言うまでもない。ああ紅の血は燃ゆる。見よ信州人の愛国心!
 おっと脱線、ここは栃木県だった。研修会では自民党の中谷元(なかたに げん)・憲法改正推進本部長代理が「日本国憲法における自衛権の変遷について」と題して基調講演した後、船田元・憲法改正推進本部長と中谷氏とが対談して憲法改正への理解を深めるという流れだった。まずは中谷氏が登壇する。
 中谷氏は国民投票法改正案が成立することで「次の国会からは憲法改正が現実の問題になる」と訴え、日本の憲法が明治維新以来、1度も国民の審判を受けていない事実を指摘。現行憲法の問題点についても、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との文言を取り上げて「主権国家として考えられない内容。平和を愛する諸国民とは憲法制定当時、国際連合の国々を意識したものかと思われるが戦後、国連がまともに機能しただろうか」と問題提起した。
*凡人条項?
 ちなみに中谷氏は防衛大卒で、2等陸尉で退官しているため、防衛庁長官に就任した際には憲法66条2項の「文民条項」に抵触するかどうかが議論を呼んだ。変な話である。
 そもそも心ある中高生なら、日本国憲法を学んで、憲法9条があるのになぜ文民条項なるものが必要なのか、理解に苦しむのではないか。素直に考えるなら、軍隊がないのなら軍人も存在せず、文民条項などそもそも不要なはずである。なぜこんな条項が存在しているのだろうか。
 真相はこうだ。昭和21年、日本国憲法の制定過程で、いわゆる「芦田修正」なるものが行われた。憲法9条2項に「前項の目的を達するため」との一節を入れることで将来、自衛のためであれば戦力を持てることに道を開いたのである。
 しかし当時、日本の占領政策に関する最高の政策決定機関であった「極東委員会」が、芦田修正の意図に気づく。将来、日本の再軍備があり得ると踏んだわけだ。極東委員会でソ連の代表が、「すべての大臣は、シビリアンでなければならない」との文言を憲法に入れさせるよう要求。この提案が通って、憲法にこの文言を加えることになった。
 ところでシビリアンを日本語にどう訳すか。貴族院の小委員会でさまざまに検討され「文人」「凡人」「平和業務者」などの案が出たのだという。そして結局「文民」に落ち着いたという次第。もし「凡人」が採用されていたら珍妙なことになっていただろう。この経緯については、西修著『日本国憲法の誕生』(河出書房新社)に詳しい。
 それはそれとして、中谷氏の講演は政府による自衛権の解釈の移り変わりに入っていった。いかに政府の憲法解釈が変わってきたのかがていねいに示された。素直に考えれば、日本は憲法解釈を変更したからこそ自衛隊を持つことができたのだ。いまさら「憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めることは許されない」などと主張することの、なんとむなしいことか。中谷氏は集団的自衛権行使容認への反対論に対して、「戦争ができる国になるとか、戦前に戻るとかいう主張は現実と違う。そこで思考停止してはいけない」と訴えていた。
 いわゆる“左”の方々は、レッテルを貼るのが実に上手だ。そういえば今年に入っての朝日新聞で「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつある、との報道があった。これなども実態に即さないレッテル貼りの一種で、実際にやり玉にあげられた本を読んでみても、なんら“憎韓”ではなく拍子抜けさせられた。われわれは安易にレッテルを貼るのではなく、そのものの中身をきちんと理解し検討するよう努めねばなるまい。国民投票がいよいよ実現することで、国民にはそうした努力が求められることになりそうだ。
*世界に冠たる硬性憲法
 さて基調講演の後は、船田氏と中谷氏による対談が始まった。まずは憲法観について。
 船田氏「立憲主義、というと憲法をつくって、国家権力をしばって、そして国民の幸せをつくっていくという、王権時代の考え方があるのかもしれません。もちろんそのような側面もあると思います。ただ、それだけではどうかという気もします。国民としてどう生きるべきか、国民と国家の関係はどうあるべきか、も憲法にきちんと書いておく必要があるのではないか。国家権力をしばる憲法というだけではなく、国民としての規範もきちんと書いて、憲法をつくっていく必要があるのではないか、と私自身は思うのですが」
 中谷氏「たしかにその通りだと思います。立憲主義というのは憲法によってそれぞれの権力をしばるわけですが、では誰がしばるのかといえば国民が、なんです。しかし先述の通り1度たりとも、国民の発案によって憲法をつくったことはないんですね。立憲主義といいながら、国が憲法をつくったり(大日本帝国憲法)、諸外国が憲法を押し付けたり(日本国憲法)。本当に立憲主義というのならば、国民の審判を受けて、国民が憲法をつくってから立憲主義といいたいですね」
 とはいえ、現行憲法96条のもとでは改憲に向けたハードルが高く、なかなか国民投票までたどり着けないのが現実だ。その点について。
 船田氏「国会議員の3分の2の賛成と国民投票という両方を課している憲法改正の手続きというのは、世界広しといえども韓国と日本くらいなんですね。実はその韓国でも、数回の憲法改正が行われているという状況にあります(※注・韓国の国会は一院制)。日本の憲法は世界に冠たる硬性(改正しにくい)憲法といわれています。国会でいくら議論しても、両院で3分の2の賛成がなければ発議できません。つまり永久に国民の皆さんは憲法について判断する機会が持てないことになってしまいます。現在の3分の2(以上の賛成)という条件は非常に厳しい、というのが私の考えであります」
*軍隊のない国の運命は…
 船田氏は96条の改正問題について「皆さんにもぜひお考えいただきたい」と聴衆に呼びかけた上で、憲法のどこを・どこから変えるべきかを中谷氏に尋ねた。
 中谷氏「やはり日本国憲法は占領時代につくられていますので、国の防衛や危機管理は全部GHQがやってくれるということで、その部分が抜け落ちています。したがって憲法改正で必要なのは、日本の国を自分で守るという自衛権のくだりであります。今の憲法9条は素晴らしいのですが、自衛権については欠如しているので、9条1項と2項の間に『日本は自衛権を有する』ということを入れれば、非常にわかりやすくなると思います。ただ、現在の9条2項において『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』となっているのは、もう真っ赤なウソです。世界中に軍隊のない国なんてないんですね。スイスにしても永世中立国だからこそ徴兵制で、国民みんなで国を守るんだという規定を置いている。軍隊のない国というのは理想ではありますが、現実にはそのような国は消滅する運命にあります。したがって、名称は自衛軍でも国防軍でも構いません。自衛隊は世界では軍隊としてみられていますので、それにふさわしい役割を与えるべきではないかと考えます」
 …といった具合で、なかなか踏み込んだ議論が展開されていった。自民党としてはこうした憲法対話集会を今後2年間で、全国47都道府県で行うほか、小選挙区単位での集会も含めて計100回程度、開催する方針だという。
 研修会終了後の記者会見で、中谷氏は「憲法審査会で維新の幹事から『審査会でも憲法の中身の議論をしてはどうか』との提案があった。しかしそれには、各政党が『わが党はこう考える』という案を持って議論をしないと、(党でなく)個人的な意見を反映する場になってしまうので、各政党で独自の見解とか憲法案をまとめるよう、積極的にやっていただきたい」とも述べた。かつて日本共産党は、日本国憲法の制定に向けた議論が国会で行われていた昭和21年夏の段階で、100条からなる「日本人民共和国憲法草案」を世に問うた。それくらいのことは、やればできるのである。現行憲法を死守するという政党は別として、何らかの形で改憲(あるいは加憲)を唱えている各政党には奮起を期待したい。各政党がどんな憲法案をつくるか、あるいはつくれないかに、政党の力量が如実に表れることだろう。
 長々と書いてはみたものの、これでも当日の集会のほんの一部しか紹介できてはいない。憲法改正問題についてもっと詳しく知りたい向きには、ぜひとも各地で開かれる同様の集会に参加することをお勧めしておきたい。案外、面白いものですよ。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します *リンクは来栖
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
【検証・集団的自衛権】解釈変更の前例あり 「文民」だった自衛官 
 産経ニュース 2014.5.2 11:30
 実は、政府は過去に憲法解釈を変更した前例がある。「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(憲法66条2項)という「シビリアンコントロール(文民統制)」をめぐる自衛官の身分についてだ。
 66条の「文民統制」は、第二次大戦前に軍人が首相を務めるケースが相次いだことが背景にある。昭和25年には政令で警察予備隊が発足、27年には保安隊と改組されたが、当時は警察の延長線上の組織とされていた。平成16年6月の政府答弁書でも「国の武力組織には当たらず、当初は自衛官は文民にあたると解してきた」と説明する。
 これに対し、昭和40年5月31日の衆院予算委員会で、高辻正己内閣法制局長官は「自衛官が制服のまま国務大臣(閣僚)になるのは憲法の精神から好ましくない。自衛官は文民にあらずと解すべきだ」と答弁、現役の自衛官は「文民」ではなく「武官」にあたるとの考えを示した。
 平成13年の小泉純一郎内閣発足で元自衛官の中谷元氏が防衛庁長官に起用されると、同氏が文民なのかどうか話題になった。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
スイス国民の圧倒的多数が徴兵制存続を望んだ/人口800万人のスイス、15万人という大規模な軍隊を持つ 2013-10-09 | 国際

「九条守れば攻撃されず。攻撃すれば世界中から非難される」〜世界の動向に疎い福島瑞穂氏の錯誤と無責任 2012-09-13 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
 【金曜討論】「憲法9条」
 産経ニュース2012.8.31 07:40
 ≪福島瑞穂氏≫
■尖閣で自衛権行使は疑問
−−9条の意義とは
 「9条がなければ戦争ができる国になっていた。韓国の若者がベトナムに従軍したように日本も戦地に若者を送ったはずだ。韓国軍はベトナムで憎まれている。戦後の日本が戦争で人を殺さなかったことは誇ってよい。日本が今後、米国の利害に引っ張られて戦争への加担を強いられたときに、『NO』と断れるのが9条の効用だ」
●9条守れば攻撃されず
−−他国からの攻撃にはどう対応するか
 「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」
−−中国政府に尖閣諸島を侵略される可能性はないか
 「尖閣は民間人の所有だ。侵略は所有権侵害にあたり、領土侵犯に当たる。今(7月27日現在)のように経済的に両国の関係が密接ななか、中国政府は戦争という手段が取れるだろうか」
−−尖閣に自衛隊を常駐させる案が浮上している
 「問題をこれ以上緊迫させるべきではない。尖閣は日本の領土であることは間違いない。日本には海上保安庁もある。自衛隊を置く必要はない」
●海外派遣は違憲状態
−−尖閣が攻められたとき、自衛隊を派遣することは自衛権の行使に当たるか
 「刑法で正当防衛を認めているように日本にも個別的自衛権はある。四国や九州が攻撃されれば反撃は許される。しかし尖閣は人が住んでいない。個別的自衛権や9条の問題というより領土をめぐる問題として冷静に対処すべきだ」
−−具体的には
 「国際的な交渉の舞台で解決を図るべきだ。侵略を未然に防ぐ外交努力も必要だ」
−−閣僚時代に自衛隊の憲法上の位置付けについて「合憲」との認識を国会答弁で示した
 「社民党は自衛隊の存在について合憲か違憲か答えていない。外国にまで派遣できる状況は『違憲状態』と考えている。組織改編や規模の見直しは必要だ。ソ連崩壊後の北海道に今ほどの数の戦車を置く必要はあるのか。任務も災害救助などに比重を移すべきだ」
−−村山富市政権時に党は「合憲」と打ち出していた
 「自衛隊、安全保障に関する党の見解は平成18年にまとめた社会民主党宣言で整理した。今もその見解が維持されている」
−−平和への思いを
 「父は特攻隊の生き残りだった。子供の頃、終戦記念日に涙する父の姿を見た。戦争で傷つくのは父のような庶民だ。戦争に負けて手にした平和憲法や、戦争はしないという誓いは大切にしなければならない」
...............
〈来栖の独白2012/9/13 Thu.〉
>「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」
 なんという手前勝手な思い込み、無責任であることだろう。正気とは思えない。こんな人に政治は預けられない。石原慎太郎氏は次のように言う。
“尖閣諸島への中国の侵犯に見られる露骨な覇権主義が、チベットやモンゴルと同様、まぎれもなく、この国に及ぼうとしているのに最低限必要な措置としての自衛隊の現地駐留も行わずに”
 同様に藤原正彦氏は言う。
“「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と美しく飾ってみても、残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が、現実なのです。”
 憲法前文・9条が日本を守ってくれるなどと根拠のない楽観を決め込みたい人びとは、中国によるチベット侵略を思うとよい。チベットが果たして好戦的な国であったか。武器を蓄え、先制に出る国であったか。
 日高義樹氏はその著『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』のなかで、日本人特有の主観・思い込みについて、次のように言っている。
“ 日本が現在に至るも世界の動向には疎く、日本の外で起きていることに注意しないまま、自分勝手な行動を取ることが多いが、こうした国民性は第2次大戦以前から変わっていない。
 日米安保条約のもとで、アメリカがどう考えているかということに関わりなく、アジアの人々は、日本がアメリカの一部であり、日本の国土や船舶を攻撃することは、アメリカを攻撃することだと考えてきたのである。
 日本では国際主義がもてはやされ、国際社会では民主的で人道的な関わり合いが大切で、そうした関係が基本的に優先されると思ってきた。だがこうした考え方が通ってきたのは、アメリカの核兵器による抑止力が国際社会に存在していたからである。そのなかでは日本はアメリカの優等生として受け入れられてきた。
 日本は、国際社会における国家の関係は好き嫌いではなく、損か得かが基本になっていることを理解しなければならない。国際社会における国家は、国家における個人ではない。国際社会というのは、それぞれの国家が利益を守り、あるいは利益を求めて常に混乱しているのである。国家は、世界という利益競合体のなかにおける存在単位なのである。当然のことながら、好き嫌いといった感情が入る余地はない。 ”
===========================================
石原慎太郎著『新・堕落論』新潮選書2011/7/20発行
p81〜
 尖閣諸島への中国の侵犯に見られる露骨な覇権主義が、チベットやモンゴルと同様、まぎれもなく、この国に及ぼうとしているのに最低限必要な措置としての自衛隊の現地駐留も行わずに、ただアメリカ高官の「尖閣は守ってやる」という言葉だけを信じて無為のままにいるこんな国に、実は日米安保条約は適応されえないということは、安保条約の第5条を読めばわかることなのに。後述するが、アメリカが日米安保にのっとって日本を守る義務は、日本の行政権が及ぶ所に軍事紛争が起こった時に限られているのです。
 つまりあそこでいくら保安庁の船に中国の漁船と称してはいるが、あの衝突の(略)アメリカはそれを軍事衝突とはみないでしょう。ましてその後ろにいるのが中国としたら、アメリカの今後の利害得失を踏まえて本気のコミットメントは控えるに決まっている。
================================
『日本人の誇り』藤原正彦著(文春新書)
p58〜
 「明治・大正・昭和戦前は、帝国主義、軍国主義、植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと・・・」
 占領後、アメリカは米軍による日本国憲法制定を手始めに、言論統制、「罪意識扶植計画」等により、日本をアメリカに都合の好い属国に造り替えてゆく。
p63〜
 GHQすなわちアメリカはまず新憲法を作り上げました。GHQ民生局が集まり1週間の突貫工事で作ったのです。憲法の専門家はいませんでした。まず前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書きました。アメリカは他国の憲法を自分達が勝手に作るというハーグ条約違反、そしてそれ以上に恐るべき不遜、をひた隠しにしましたが、この文章を見ただけで英語からの翻訳であることは明らかです。「決意した」などという言葉が我が国の条文の末尾に来ることはまずありえないし、「われら」などという言葉が混入することもないからです。いかにも日本国民の自発的意志により作られたかのように見せるため、姑息な姑息な偽装を施したのですが、文体を見れば誰の文章かは明らかです。そのうえ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と美しく飾ってみても、残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が、現実なのです。
 ともあれこの前文により、日本国の生存は他国に委ねられたのです。
 第9条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は前文の具体的内容です。自国を自分で守らないのですから、どこかの国に安全保障を依頼する以外に国家が生き延びる術はありません。そして安全保障を依頼できる国としてアメリカ以外にないことは自明でした。すなわち、日本はこの前文と第9条の作られたこの時点でアメリカの属国となることがほぼ決定されたのです。この憲法が存在する限り真の独立国家ではありません。中国に「アメリカの妾国」と馬鹿にされても仕方ないのです。(〜p64)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著《ハドソン研究所首席研究員》 2012年07月25日1刷発行 PHP研究所
p1〜
  まえがき
 日本の人々が、半世紀以上にわたって広島と長崎で毎年、「二度と原爆の過ちは犯しません」と、祈りを捧げている間に世界では、核兵器を持つ国が増えつづけている。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に加えて、イスラエル、パキスタン、インドの3ヵ国がすでに核兵器を持ち、北朝鮮とイランが核兵器保有国家の仲間入りをしようとしている。
 日本周辺の国々では核兵器だけでなく、原子力発電所も大幅に増設されようとしている。中国は原子力発電所を100近く建設する計画をすでに作り上げた。韓国、台湾、ベトナムも原子力発電所を増設しようとしているが、「核兵器をつくることも考えている」とアメリカの専門家は見ている。
 このように核をめぐる世界情勢が大きく変わっているなかで日本だけは、平和憲法を維持し核兵器を持たないと決め、民主党政権は原子力発電もやめようとしている。
 核兵器を含めて武力を持たず平和主義を標榜する日本の姿勢は、第2次大戦後、アメリカの強大な力のもとでアジアが安定していた時代には、世界の国々から認められてきた。だがアメリカがこれまでの絶対的な力を失い、中国をはじめ各国が核兵器を保有し、独自の軍事力をもちはじめるや、日本だけが大きな流れのなかに取り残された孤島になっている。
 ハドソン研究所で日本の平和憲法9条が話題になったときに、ワシントン代表だったトーマス・デュースターバーグ博士が「日本の平和憲法はどういう規定になっているか」と私に尋ねた。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 私がこう憲法9条を読み上げると、全員が顔を見合わせて黙ってしまった。一息おいてデュースターバーグ博士が、こういった。
「おやおや、それでは日本は国家ではないということだ」
 これは非公式な場の会話だが、客観的に見ればこれこそ日本が、戦後の半世紀以上にわたって自らとってきた立場なのである。
 このところ日本に帰ると、若い人々が口々に「理由のはっきりしない閉塞感に苛立っている」と私に言う。私には彼らの苛立ちが、日本が他の国々とあまりに違っているので、日本が果たして国家なのか確信が持てないことから来ているように思われる。世界的な経済学者が集まる会議でも、日本が取り上げられることはめったにない。日本は世界の国々から無視されることが多くなっている。
 日本はなぜこのような国になってしまったのか。なぜ世界から孤立しているのか。このような状況から抜け出すためには、どうするべきか。
「初心に帰れ」とは、よく言われる言葉である。したがって、六十余年前、日本に落とされた原爆の問題から始めなければならないと私は思う。(略)
 日本はいまや原点に立ち戻り、国家と戦争、そして核について考えるべき時に来ている。日本が変わるには、考えたくないことでも考えなければならない。そうしなければ新しいことを始められない。
 私はこの本を書くにあたって、アメリカは何を考えて大量殺戮兵器である原爆を製造したのか、なぜ日本に原爆を投下したのか、歴史に前例のない無慈悲な仕打ちはどのように日本に加えられたのか、当時の記録に詳しく当たってみた。
 原点に戻って、日本の人々に「考えたくないこと」を考えてもらうためである。
p22〜
 核分裂は、フランスやイギリス、ドイツ、アメリカ、ソビエトでは普通に得られる情報になっていたため、そこから原子爆弾の製造という構想が出てくるのは当然だった。日本では、核分裂や放射能についての関心はあったものの、爆弾をつくる計画には至らなかった。したがってルーズベルト大統領が日本に対して原子爆弾を使ったとしても、報復爆撃を受ける懸念はなかった。
 1930年代の日本は、満州で戦いを続ける一方で、1941年12月8日、真珠湾を攻撃して乾坤一擲の勝負をアメリカに挑んだが、このころアメリカでルーズベルト大統領をはじめ専門家たちが原爆をつくるために全力を挙げていることには、考えも及ばなかった。日本が現在に至るも世界の動向には疎く、日本の外で起きていることに注意しないまま、自分勝手な行動を取ることが多いが、こうした国民性は第2次大戦以前から変わっていない。
 アメリカでは、核分裂の仮説が発表されるやいなや、軍事目的に使う動きが急速に高まっている。この恐るべき情報に気がつかなかったことが、真珠湾奇襲攻撃、そして原爆投下につながっていく。「真珠湾攻撃に対する報復として原爆を使った」というのがアメリカの嘘であるとすれば、アメリカの動きについてまったく情報がない、つまり無知であったことが日本側の犯した罪と言える。
 ここで、1939年1月に核分裂の仮説が証明されて以後、1941年12月に日本が真珠湾を攻撃するまでの経緯について少し詳しく述べたい。すでに述べたように、アメリカ政府や軍人たちの間に、核分裂によって生じる莫大なエネルギーを軍事目的に使おうという熱意が、急速に膨れ上がった。
 当時のアメリカには、ヒットラーの迫害を逃れてヨーロッパからやってきた多くの学者たちがいたことはすでに述べたが、1940年4月、全米物理学研究協議会の会合で、アメリカの科学雑誌に核分裂の記事を野放しに載せるべきではないという決定が行われた。(〜p24)
p88〜
 アメリカ陸軍の工兵隊というのは、エリートでアメリカ陸軍士官学校の卒業生のトップ5%のなかから選ばれる。その次の5%が騎兵隊で、第2次大戦のころには、戦車部隊や機甲科部隊の幹部になった。
 アメリカ陸軍士官学校の生徒たちは、かつての日本陸軍士官学校や海軍兵学校の生徒たちと同じで、本をよく読み、教師の話を記憶し、規律正しく行動する優秀な生徒たちなのである。グローブズ将軍は陸軍士官学校を4番で卒業し、工兵隊のエリートとして順調に出世してきた。
 そうした司令官に率いられたマンハッタン・プロジェクトの幹部たちが、トリニティーの成功後、兵器としての効果を試す実験を行うのは、当然の行為だった。プロジェクト・アルバータは世界の軍事史のなかでも例を見ない残虐な行為で、明らかに戦争犯罪である。だが「戦争を1日も早く終結させるために核兵器は必要だった」という主張によって、その犯罪は覆い隠されてきた。
 最近になって「原爆が戦争終結のために投下されたという主張は間違っている」という見方が強くなり、この主張が通りにくくなっているのは事実である。原爆の効果を測るための実験として、無防備な広島と長崎の市民を合わせて20万人も殺傷した行為は、なんらかのかたちで追及されるべきではないかと思う。
 真珠湾奇襲攻撃に対する復讐あるいは処罰という主張について私がいつも不思議に思うのは、日本の人々がなぜ、真珠湾攻撃は軍事基地に限定されていたこと、広島や長崎に対する原爆投下のように無防備な市民を殺傷したわけではないこと、をはっきり言わないのかということである。(〜p89)
p91〜
 それにしても、ワシントンの日本外交官は何と愚かだったのだろう。宣戦布告の全文をすべて翻訳したあとでアメリカ側と会い、宣戦布告を行ったとされているが、外交官が正常な判断力を持っていれば、「日本は宣戦を布告する」と一言伝えればよいと考えたはずである。喧嘩の理由はあとから告げれば済む、とは思わなかったのだろうか。
 宣戦布告の通告がアメリカに手渡されたのが真珠湾攻撃のあとだったため、ルーズベルトは「騙し討ち」だったと非難した。だが以前、アメリカの軍事専門家に聞いた話だが、アメリカが領土を拡大するために、メキシコやスペインに仕掛けた戦いのほとんどが奇襲攻撃で始まったという。
 日本はなぜ「軍事基地を攻撃しただけである」という主張を、東京裁判はじめ、アメリカや世界のマスコミに強く主張しなかったのだろうか。私は時折、ハーバード大学やハドソン研究所などの研究会の集まりで、この点を指摘することがあるが、アメリカの同僚たちは反論に困っている。
 戦争は狂気を伴う行為である。そして戦争には多くの理由がある。そういったあらゆる理由を勘案しても、広島と長崎に対する原爆投下は正当化されるものではない。原爆が投下されてから60年余り経つが、これまで原爆投下が人体実験であったことを非難し、戦争犯罪であることを厳しく追及する動きはまったくなかった。原爆については、ただ祈るだけしかないと日本の人々が考えた結果である。
 アメリカの人々は原爆を広島と長崎に落としたことについて謝罪していないと私は思う。アメリカのルース駐日大使が慰霊碑に献花したが、私が知るかぎりアメリカの人々は素直に日本に謝ろうという気はない。真珠湾の奇襲攻撃は罰せられなければならなかったと主張する人がほとんどである。
 原爆についてアメリカのマスコミや学者たちが口にする「謝罪」は、きわめて抽象的な意味の謝罪である。とてつもない破壊兵器をつくり、使ったことに対して、人類と歴史に謝罪しているのである。人体実験の対象にされた日本人に謝罪しているのではない。
 マンハッタン・プロジェクトで原爆が完成したころ、アメリカの良心的な学者たちが「原爆投下は必要ない」と主張したが、ルーズベルト、トルーマン、グローブス将軍らは、「奇襲攻撃を行った日本を罰し、同時に奇襲攻撃によって始まった戦争を1日も早くやめさせるためには原爆を投下しなければならない」と主張した。
 アメリカ国民の60%はいまも、その主張を信じて、原爆投下は必要だったと考えている。その理由は、原爆が引き起こした酸鼻きわまりない被害について詳しく知らないだけでなく、原爆投下が軍事行動ではなく原爆の開発を続けるために必要な実験だったことを知らないからである。
p93〜
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」
 原爆慰霊碑に刻まれたこの碑文の前で、日本人は60年あまり祈り続けてきた。被害者の霊を悼み祈るのは正しいことである。だが祈るのなら、この「過ち」とはいったい何だったのかを明確にし、祈ることによってそれが正されたかどうかを確かめるべきではないだろうか。
p116〜
 カーチス・ルメイ将軍は、太平洋の戦略爆撃部隊の司令官として原爆投下指揮し、東京大空襲では原爆に匹敵するほど大勢の日本人を殺傷しているが、1964年、日本政府は何を考えたのか、勲一等旭日大綬章を授与している。当時の佐藤栄作首相は、ルメイ将軍が日本の航空自衛隊の育成に尽力したとして勲章を授与したが、同じように真珠湾奇襲攻撃に加わった源田稔空将がアメリ政府から表彰されたりしている。
p132〜
 ルメイ将軍はインタビューの前に一つの条件をつけた。佐藤総理からもらった勲章を映さないでほしいというものだった。客間を過ぎると廊下の脇にガラス張りの大きな棚があり、真ん中に確かに勲章があった。その隣には他の勲章もあったが、とにかく日本からの勲章については写真を撮ることも話をすることもしないという約束で、奥の大きな居間に通された。
p137〜
 日本政府がルメイ将軍に勲章を与えたことは、あまり一般には知られていないが、ルメイ将軍が原爆に賛成しなかったことを差し引いたとしても、殺戮作戦の指揮官に勲章を授与するなど、正気の沙汰とは思えない。「テレビに映さないでくれ」と言ったルメイ将軍のほうが正常である。
p147〜
 1945年の日本は、一方的な爆撃を次々に受けて壊滅状態になった。ルメイが「攻撃目標がなくなる」と思ったほど、日本の都市は焼き尽くされ、毎日、大勢の市民が死んでいった。日本の降伏は目前だった。だがアメリカは、兵器としての原爆の効果を実験するためもあって、原爆投下を実施した。
p228〜
 キッシンジャー博士ですら、アメリカのやり方で幸福になりたくはないと考えている人が世界に大勢いることに気がついていない。(略)
 北朝鮮は世にも貧しい暮らしをしながら、核兵器を持ち、強力な軍事力を維持している。これは「アメリカの世界」に対する挑戦にほかならない。アメリカの核の抑止力による世界体制がほころびはじめたのである。
p240〜
 北朝鮮のクルージングミサイルは、沖縄や横須賀の基地だけでなく、アメリカの軍艦を攻撃する能力を十分に持っている。海兵隊を乗せて乗せて上陸作戦を行おうとするアメリカ第7艦隊の輸送部隊が沈められてしまうことになる。
 中国と北朝鮮がミサイル戦力を強化したことによって、朝鮮半島と台湾をめぐるアメリカの戦略は大きく変わらざるを得なくなっている。アジア太平洋の他の地域についても同様である。中国が尖閣諸島を占領した場合、あるいは攻撃してきた場合、日本はアメリカ軍が応援してくれると期待している。日米安保条約がある以上、アメリカが日本を助けるのは当たり前だとほとんどの日本人が考えている。 (p241〜)しかもアメリカは、決定的な抑止力である核兵器を持っている。限定された戦いにアメリカが介入すれば、勝つのは当たり前だと日本人は考えてきた。だが日本人は、この考え方が通用しなくなっていることを理解しなければならない。
 朝鮮半島や台湾と同じように、尖閣諸島でも、あるいは南シナ海の島々でも、アメリカ軍は簡単に中国と戦うことができない。北朝鮮と戦うこともできない。アメリカの軍事力がアジア極東を覆い、日本の安全保障の問題はすべてアメリカが日本のために処理してくれる時代は終わってしまった。
 アメリカ軍は世界のあちらこちらで、自国の利害に関わる問題に手を焼いている。自らの犠牲を顧みず、日本のために北朝鮮や中国と戦うことは出来ない。日本は自分の力で自分の利益を守らなくてはならない。
 尖閣諸島の問題が起きたときに、アメリカが日本の利益を守ろうとすれば、アメリカ本土を狙う長距離攻撃能力を手にした中国と話し合いをつけなければアメリカ自身の国益を守ることができなくなるのである。簡単に言えば、日本に供与されてきたアメリカの「核の傘」がなくなりつうあるのだ。
 台湾はすでに、この状況を理解している。自らの利益を守るため、アメリカの力を借りる代わりに、ミサイルを開発して三峡ダムや北京を攻撃する能力を持ちつつある。
p242〜
 韓国はすでにアメリカから中距離ミサイルの購入を始め、最新鋭の戦闘機F15Eを買い入れた。F15Eは日本の航空自衛隊が持つF15Jよりも優れた電子兵器を装備していることで知られている。
 2012年3月に出版した拙著『帝国の終焉』でも述べたことであるが、アメリカの核抑止力がなくなり、アメリカが核の力で日本を助ける体制は、急速に消えつつある。アメリカの「核の傘」がなくなることは、戦後の半世紀にわたる日本の基本的な立場がなくなることを意味している。
 日本人はこのところ、「世界で最も好かれている国は日本」などといった世論調査のデータをありがたがっているが、国際社会で好かれたり嫌われたりといったことは、あまり意味がない。
 第2次大戦以来、日米同盟が存在し、日本がアメリカの核の抑止力のもとにあったことは、日本が紛れもなくアメリカの一部であることを示していた。世界の人々、とくに中国や韓国、東南アジアの人々が、好き嫌いとは関わりなく、アメリカの一部として日本に対応してきたことは、紛れもない事実である。
p243〜
 日米安保条約のもとで、アメリカがどう考えているかということに関わりなく、アジアの人々は、日本がアメリカの一部であり、日本の国土や船舶を攻撃することは、アメリカを攻撃することだと考えてきたのである。
 日本では国際主義がもてはやされ、国際社会では民主的で人道的な関わり合いが大切で、そうした関係が基本的に優先されると思ってきた。だがこうした考え方が通ってきたのは、アメリカの核兵器による抑止力が国際社会に存在していたからである。そのなかでは日本はアメリカの優等生として受け入れられてきた。
 日本は、国際社会における国家の関係は好き嫌いではなく、損か得かが基本になっていることを理解しなければならない。国際社会における国家は、国家における個人ではない。国際社会というのは、それぞれの国家が利益を守り、あるいは利益を求めて常に混乱しているのである。国家は、世界という利益競合体のなかにおける存在単位なのである。当然のことながら、好き嫌いといった感情が入る余地はない。
 日本人は感情的であるとよく言われるが、世界を感情的に捉えて、国家を理解しようとするのは間違っている。日本人が世界で最も好かれているという思い込みは、世界という実質的な利害共同体のなかで、日本がアメリカのもとで特別な存在だったからに過ぎないことを忘れているからだと私は思う。
p244〜
 いずれにしてもアメリカの力が大きく後退し、アメリカの抑止力がなくなれば、日本は世界の国々と対等な立場で向き合わなければならなくなる。対立し、殴り合ってでも、自らの利益を守らなくてはならなくなる。そうしたときに、好きか嫌いかという感情論は入る余地がないはずだ。 (略)
 アメリカの核兵器に打ちのめされ、そのあとアメリカの力に頼り、国の安全のすべてを任せてきた日本人は、これから国際社会における地位を、自らの力で守ることを真剣に考えなければならない。
p260〜
 中東の国々は、19世紀の初め、民族国家への歩みを始めるとともに、経済的な発展の道をたどろうとした。それを遮ったのが、ヨーロッパ諸国である。植民地主義によって中東の国々を収奪し、近代化を大きく阻害してしまった。
 中東諸国は、ヨーロッパに対する報復としてエジプトのナセル中佐など若い軍人を中心にソビエトに頼ったが、結局はアメリカの力に押しつぶされてしまった。
 2011年から「アラブの春」と呼ばれる民主主義運動が中東や北アフリカ諸国に広がっているが、その根元にあるのは反米主義である。近代化を西欧諸国の植民地主義に妨害された国々が報復を始めたのである。そのために核兵器を持って、アメリカに対抗しようとしている。
 アジア極東で、核兵器とミサイルを開発してアメリカを追い出そうとしている中国、北朝鮮と歩調を合わせ、中東やアフリカでも旧植民地勢力に対する反発としての新しい動きが始まっているのである。
 中東やアジアに広がっている反米主義の動きについて、アメリカの指導者たちは楽観的な見方をしているが、アメリカの看板である核に対抗する力をアラブの人々が持ち始めれば、アメリカは軍事力とともに、国際的な政治力の基本になってきた、石油を支配する力も失うことになる。アメリカの核の抑止力がなくなることは、歴史的な大転換が始まることを意味する。新しい世界が始まろうとしているのである。
P261〜
 私がこの本で提示しようとしたのは、核爆弾という兵器を日本に落としたアメリカの指導者が、日本を滅ぼし、日本に勝つという明確な意図を持って行動したことである。無慈悲で冷酷な行動であったが、日米の戦争がなければ起きないことであった。
 原爆を投下された日本は、そうした現実をすべて置き去りにして、惨劇を忘れるために現実離れした「二度と原爆の過ちは犯しません」という祈りに集中するすることによって、生きつづけようとした。国民が一つになって祈ることによって、歴史に前例のない悲惨な状態から立ち上がったのは、日本民族の英知であった。
 だがいまわれわれにとって必要なのは、原爆投下という行為を祈りによってやめさせることはできない、という国際社会の現実を見つめることである。すでに見てきたように、世界では同じことが繰り返されようとしている。
 我々に必要なのは、祈りではない。知恵を出し合って、日本と日本民族を守るために何をしなければならないかを考えることである。それにはまず、現実と向かい合う必要がある。「原爆を日本に投下する」という過ちを、二度と繰り返させないために、日本の人々は知恵を出し合う時に来ている。
p263〜
あとがきに代えて--日本は何をすべきか
 アメリカは核兵器で日本帝国を滅ぼし、そのあと日本を助けたが、いまやアメリカ帝国自身が衰退しつつある。歴史と世界は常に変わる。日本では、昨日の敵は今日の友と言うが、その逆もありうる。いま日本の人々が行うべきは、国を自分の力で守るという、当たり前のことである。そのためには、まず日本周辺の中国や北朝鮮をはじめとする非人道的な国家や、日本に恨みを持つ韓国などを含めて、常に日本という国家が狙われていることを自覚し、日本を守る力を持たなければならない。(略)
p264〜
 軍事同盟というのは、対等な力を持った国同士が協力して脅威に当たらねばならない。これまでの日米関係を見ると、アメリカは原爆で日本を破壊したあと、善意の協力者、悪く言えば善意の支配者として存在してきた。具体的に言えば、日本の円高や外交政策は紛れもなくアメリカの力によって動かされている。日本の政治力のなさが、円高という危機を日本にもたらしている。その背後にあるのは、同盟国とは言いながら、アメリカが軍事的に日本を支配しているという事実である。
 いまこの本のまとめとして私が言いたいのは、日本は敵性国家だけでなく、同盟国に対しても同じような兵器体系を持たねばならないということである。アメリカの衛星システムやミサイル体制を攻撃できる能力を持って、初めてアメリカと対等な軍事同盟を結ぶことができる。もっとも、これには複雑な問題が絡み合ってくるが、くにをまもるということは、同盟国に保護されることではない。自らの力と努力で身を守ることなのである。そのために、日本が被った原爆という歴史上類のない惨事について、あらためて考えてみる必要がある。
.........................


Viewing all articles
Browse latest Browse all 10100

Trending Articles