クローズアップ2014:逃亡17年・菊地被告、8日初公判 オウム裁判迅速化、賛否
毎日新聞 2014年05月06日 東京朝刊
17年の逃亡を経て逮捕・起訴されたオウム真理教元信者、菊地直子被告(42)の裁判員裁判が8日から約2カ月間の日程で、東京地裁で始まる。逃亡の間に、刑事裁判は動機や背景まで徹底解明する「精密司法」から、短期間で有罪か無罪かを判断する「核心司法」へと様変わりした。裁判員裁判で実施されるオウム裁判は2件目だが、今回は被告が初めて全面無罪を主張する見通しだ。制度創設から間もなく5年。市民の視点が加わった新たな裁判で、教団による組織犯罪の真相にどこまで迫れるのか。【山本将克、島田信幸】
*「審理急ぎ、内心迫れず」 「重大事件こそ裁判員に」
「裁判員裁判は審理を急ぎ、効率を重視していると感じた」。オウム事件初の裁判員裁判で、東京地裁が元教団幹部、平田信被告(49)に懲役9年の実刑判決=控訴中=を言い渡した後、教団を追及してきたジャーナリストの江川紹子さんは、こう指摘した。「教団が犯罪に手を染めていると知りながら、多くの信者が抜けられなかった。再開されたオウム裁判で、もっと時間をかけて信者の内面に迫り、社会全体が事件の恐ろしさを再び考えるきっかけにしてほしかった」
だが、司法制度改革で刑事裁判の審理迅速化を進めるきっかけを作ったのは、他でもないオウム裁判だったという側面がある。
一連の事件では、菊地、平田両被告のように長期間逃亡した3人を除いて計189人が起訴された。当初のオウム裁判では、一部信者が元教団代表、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(59)への帰依から抜けられず、一方的に弁護人を解任したり、黙秘を続けたりした。このため、殺人の指示に応じてしまった信者の内心を明らかにしようと、多数の精神鑑定や証人尋問が実施された。オウム裁判には、空前のテロを起こした事件の背景を解明するとともに、信者を呪縛から解放する役割も求められていた。
一方で、こうした裁判には弊害もあった。松本死刑囚の裁判は1審だけで7年10カ月。中川智正死刑囚(51)は、初公判から最高裁での死刑確定まで16年余を要した。被告の内面にまで迫ろうとする精密司法が長期化を招いた反省から、刑事裁判の在り方を抜本的に見直す「核心司法」への改革が加速した。裁判員裁判とともに公判前整理手続きや集中審理方式が導入され、簡潔さや分かりやすさが求められるようになった。
「その質問は無駄だからやめてください」。平田被告の裁判では、証人として出廷した元信者らに争点から外れた質問を繰り返す検察官や弁護人を、裁判長が度々注意した。争点を絞り込んだ結果、初公判から約2カ月で予定通り判決に至った。
制度導入前は、組織犯罪やテロを裁判員裁判の対象から除外すべきだという議論もあった。だが、制度設計に関わった四宮啓弁護士は「刑事裁判で人間の内面を解明するには限界がある」と指摘した上で、「裁判所、検察側、弁護側の三者が充実した審理計画を組めば迅速で適正な審理は可能だ」と説明。「裁判員裁判の対象を重大事件としたのは、関心の高さに加え、重い刑罰を科す裁判が適正に行われるよう国民が監視する必要があるからだった。社会的影響が大きかったオウムのような事件こそ、裁判員裁判で審理されるべきだ」と強調した。
*19年前の認識、焦点
菊地被告は地下鉄サリン事件や猛毒の神経剤VXを使った3件の殺人・殺人未遂事件と、東京都庁爆発物事件で逮捕された。だが、起訴されたのは都庁爆発物事件のみ。小包爆弾の原料となる薬品類を山梨県の教団施設から東京都のアジトに運び、製造・使用を手助けしたとして殺人未遂と爆発物取締罰則違反のほう助罪に問われている。被告は「爆薬に使われるとは知らなかった」と無罪を主張するとみられ、19年前の認識を巡って検察、弁護側が激しく対決する公算が大きい。
爆発物事件が起きたのは、地下鉄サリン事件から約2カ月後の1995年5月16日。松本死刑囚から「捜査をかく乱しろ」というメッセージが逃走中の教団幹部らに伝わっていたとされる。確定記録によると、主導したのは教団「諜報省」トップだった井上嘉浩(44)と、「法皇内庁」トップだった中川智正の両死刑囚。井上死刑囚はターゲットを当時の青島幸男都知事と決め、中川死刑囚は小包爆弾を製造した。爆弾は都庁に郵送され、開封した職員が左手に大けがをした。
菊地被告は教団でサリン製造などを担った「化学班」キャップ、土谷正実死刑囚(49)の補助役だった。爆発物事件では中川死刑囚の依頼で薬品を実験棟からアジトに運んだ。菊地被告は事件の打ち合わせに加わっておらず、検察側は犯罪を手助けしたほう助罪にしか問えないと判断した。
公判では3人の死刑囚に加え、菊地被告と接点のあった元信者らの尋問が予定されている。被告に「薬品が爆発物に使われる」という認識がなければ無罪となるが、検察側は証言などの間接的な証拠を積み上げ、認識を立証する方針だ。ベテラン裁判官は「弁護側は検察の立証にマイナスとなる証言を引き出そうとするだろう。19年前の記憶を巡る話で、裁判員が何が真実か判断するのは簡単ではない」と見る。
再開されたオウム裁判では、地下鉄サリン事件に関与したとして殺人罪などに問われている高橋克也被告(56)も、裁判員裁判で審理されるとみられる。
*オウム真理教事件と菊地直子被告を巡る主な出来事
1995年
3月20日 地下鉄サリン事件
22日 警察が強制捜査開始
5月16日 都庁爆発物事件
松本智津夫死刑囚を逮捕
22日 警察庁が菊地被告を特別手配
1996年
4月24日 東京地裁で松本死刑囚の初公判
2004年
2月27日 東京地裁が松本死刑囚に死刑判決(06年9月確定)
2009年
5月21日 裁判員制度が施行される
2011年
11月21日 最高裁が遠藤誠一死刑囚の上告棄却。オウム裁判がいったん終結
12月31日 平田信被告が警視庁丸の内署に出頭。翌日逮捕
2012年
6月 3日 菊地被告を警視庁が逮捕
15日 高橋克也被告を警視庁が逮捕
2014年
1月16日 東京地裁で平田被告の初公判
3月 7日 東京地裁が平田被告に懲役9年の判決
5月 8日 東京地裁で菊地被告の初公判
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「菊地被告、なぜ逃げた」…指失った男性出廷へ
讀賣新聞 2014年04月30日 14時49分
17年の逃亡の末に逮捕されたオウム真理教元信者・菊地直子被告(42)の裁判員裁判が、5月8日から東京地裁で始まる。
審理されるのは、1995年5月に起きた東京都庁郵便爆弾事件。菊地被告は無罪主張の方針だが、爆発で左手の指をすべて失った元職員の内海正彰さん(63)は「事件に関与していないのなら、なぜ逃亡を続けたのか」と話している。
都庁7階の知事秘書室で爆発が起きたのは、95年5月16日夜。知事室副参事だった内海さんが電話の受話器を右手で持ちながら、左手で青島幸男知事(当時)宛てに郵便で届いた本の表紙をめくると、「パーン」と乾いた音が鳴り響いた。止めどなく出血する左手から、指がなくなっていた。
爆発の威力はすさまじく、スチール製の机はへこみ、天井には爆弾の破片がめり込んでいた。のぞき込んで開封していたら、命を落とした可能性もあった。
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◇ オウム菊池直子被告 裁判員裁判 初公判期日 5月8日に指定 2014-02-26 | 死刑/重刑/生命犯 問題
オウム菊地被告 5月初公判に
NHK NEWS WEB 1月31日 6時06分
17年に及ぶ逃亡の末に逮捕・起訴されたオウム真理教の菊地直子被告に対する裁判員裁判は、ことし5月に初公判が開かれる見通しになりました。
審理期間は1か月前後とみられ、菊地被告は「事件の計画は知らなかった」と起訴内容を全面的に争う方針です。
オウム真理教の菊地直子被告(42)は、17年に及ぶ逃亡の末に逮捕され、平成7年に東京都庁で都知事宛の郵便物が爆発し職員が大けがをした事件で、爆薬の原料を運んだとして殺人未遂のほう助の罪などで起訴されています。
東京地方裁判所で事前に争点を整理する手続きが行われていますが、菊地被告の裁判員裁判の初公判は、ことし5月に開かれる見通しになったことが関係者への取材で分かりました。
審理期間は現段階で1か月前後とみられていて、裁判所は平田信被告の裁判でも証言した中川智正死刑囚(51)ら教団元幹部の死刑囚2人に対する証人尋問の実施を決めたほか、被告本人への質問も予定されています。
菊地被告は「自分が運んだ荷物が爆薬の原料とは思わなかった。事件の計画も知らなかった」などと主張し、起訴内容を全面的に争う方針です。
検察は、ほかにも地下鉄サリン事件に関与した死刑囚の尋問を求めていて、裁判で被告や証人がどのような証言を行うか注目されます。
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◇ オウム菊地直子被告 初公判5月に 中川智正死刑囚ら教団元幹部死刑囚2人に対する証人尋問決定 2014-01-31 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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