〈来栖の独白〉
先ごろ、秋葉原事件被告加藤智大氏の弟さんが亡くなった(自裁)と、ニュースで読んだ。重大事件の加害者家族としての重圧に潰されたのだろうと胸が痛んだ。お気の毒でならない。ご冥福をお祈りするばかりである。
ところで弟さんの生前の手記等に「兄に会いたい」という気持ちが記されていた。さまざまな思いから、兄(加藤智大氏)に会ってみたい、話したい、言いたい、と思われたのだろう。苦慮、哀しみの末に辿り着いた思いだっただろう。一方、加藤智大氏は『誰にも会わない。何もいらない』と語っているという。
こういった姿を見聞すると、私は、古い迷い、決着のつけられなかった迷いの日々が思い起こされて、情緒不安定になる。
加藤被告の『誰にも会わない。何もいらない』との態度につき、聖学院大大学院の作田明客員教授は「本人は既に死刑を覚悟し、未来への展望を持っていない。『今さら何を言っても同じ。どうせ誰も分からない』と世の中へのこだわりを捨て去ったのでは」との見解だが、私にはそのようには考えられない。そのように考えられない理由の1つは、加藤被告は「どうせ誰も分からない」などと世間(の人)を見下した考え方はしないだろう、と考えるからである。あれだけの大きな事件を起した人間は、自分を最低の人間と位置付けており、いかなる場合でも人を見下さない(「どうせ誰も分からない」とは、言わない)。
ところで、先日FORUM90からリーフレット(Vol.135)が届いた。袴田事件再審決定(地裁)に殆んどの紙幅を割いているが、8ページ目に「死刑に直面する人たちとの交流を考えている皆さんへ 面会・文通を希望されている方(未決囚)を紹介します」との連絡が載っている。
社会には死刑囚に会いたいと望む親族やボランティアがおり、一方、「会わない」と考える加藤被告のような死刑囚がいる。“私の古い迷い、決着のつけられなかった迷い”と私は上述したが、私にも、勝田清孝に会ってよいのか、会うべきではないのか、と逡巡した時期があった。
逡巡した理由は、「被害者とその家族はこの世で二度と会うことはできない」という冷厳な事実であった。そしてそのようにさせたのは他ならぬ勝田であった。勝田が殺害したために、被害者とその家族は会えなくなった。そうさせた張本人が、会いたい人と自由に会ってよいのか。そのような情景が許されるのか。そんな情景を被害者家族はどんな思いで見るだろうか、といった単純な思いだった。死刑廃止とか生きる権利とかではなく、単純な心情的な問題だった。
以下、拙著から、私の迷いに対する勝田からの返信部分を抜き出して写してみたい。
『113号事件 勝田清孝の真実』
p196〜 面会の件ですが、本心から喜んで会いに来て下さっていたと知りまして、嬉しく思いました。「会えなくなることが予想できたから、言えなかった」と書いて下さいまして、来栖さんのお心がよく判りました。本当に申し訳ありません。許して下さい。でも、そんなに喜んできて下さっていたのかと思いますと、なんか嬉しいような恥ずかしいような、変な気持ちです。 しかし、そんなにまで喜んで下さった面会を、被害者への済まなさを思って断念して下さるのですから、やはり私も、楽しみな手紙を断念すべきだと考えます。 来栖さんへの手紙を断念しますと、私にはもう書く相手は誰もいません。面会もなくなり手紙も書けなくなることは、今の私には本当に辛く寂しいことです。 が、来栖さんもおっしゃるように、私などは尚のこと、快楽を絶たねばならないのです。過去五か月間のブランクを後悔しつつ、自ら新たに科すブランクに、多少矛盾を感じなくもないのですが、被害者への詫びの前には、やはり一つの苦痛にも耐えるべきだと思います。
「面会」についての結論が出せない(面会を断念できなかった)私たちは、結局、以下のような虫のよい決断をした。当時、勝田は贖罪の片鱗にでも、と点字を通信教育で学んでいた。が、所持品に厳しい制限のある拘置所処遇下で、点訳技術習得後に点字器所持が許可されるか、保障はなかった。また、最高裁で刑が確定すれば、外部との交通は遮断される。以下は、そういった事情を書いている。
p196〜 点字(用具使用)許可を頂き、OKとなりましたときは、私の方から手紙を書かせて頂きますので、どうか来栖さん、それまでは来栖さんもお手紙はお出しにならないで頂きたいのです。お手紙を頂戴いたしますと、どうしても心を鬼にする負担が伴いますので勝手なお願いですが、私もそれまで「確定」しないことを祈りながら頑張りますので、よろしくお願いします。
加藤被告が弟さんとの面会を断っていると知ったとき、私は往時の私の気持(被害者とご遺族はお会いになれない。そうさせたのは加害者)を咄嗟に重ねたのだが、弊ブログに加藤被告の気持を掲載したニュース・ファイルはないかと探してみた。あった。東京地裁、3回目の被告人質問で、次のように述べている。
友人や同級生から「また会いたい」と言われても、被害者の人間関係をぶち壊した自分が友人関係を再開することは許されないので遠慮したい。
ところで、いわゆる死刑廃止運動の人たちには、死刑囚との交流を運動の手段として行うケースがある。アクセス権訴訟などもあった。が、私は、死刑廃止運動なるものをしなかった。そのため、死刑廃止運動団体からの受けは悪かった。人権意識の低い奴、と思われたろう。が、私には、気持ちの寄り添わない動きはできなかった。人の哀しみの方が、私に先に訴えてくるのだった。「権利」の闘争は、やりにくかった。
被害者のことを思えば死刑囚との交通は申し訳ない、と私どもは考えたわけだが、しかし、自身の気持とは別に、私には考えないではいられないこともあった。それは、人間とは、どういう生きものだろう、という疑問だった。
己が罪科の故とはいえ、死刑になるその日まで人との交通が一切ない生活、それを果たして人間らしい生活と呼べるのだろうか、という疑問である。人は、人の中にいてこそ、人間なのではないか。人の中にいてこそ、信頼とか愛するとか、人間らしい感情が生まれたり持続できたりするのではないだろうか。
勝田清孝は「真人間になりたい」と思い、刑事から(捜査段階で)問罪される前に自ら7人殺害を供述した。自首に相当する。私が交流した勝田は大罪を犯したとはいえ、人間であった。人間らしい感情を湛えていた。母も(勝田には養母)、面会の後、私に「人間らしい顔をしていた」と安堵の表情で語った。
このような死刑囚だが、もし完全に孤絶させられた生活であったなら、どうだろう。人間性を持続できるか。私には疑問であり、不安である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
◇ 秋葉原無差別殺傷事件 帰る場所--「相談相手がいて」と、いうのである 2010-07-31 | 秋葉原無差別殺傷事件
(抜粋)
【謝罪】
被害者や遺族の方は、そんなくだらないことで事件を起こしたのかと、怒りが再燃していると思う。人生これからという大学生の命を理不尽に奪った。
トラックで川口隆裕さんをはねた時に目が合ったことは脳裏に焼きつき忘れられない。
拘置所のラジオでカメラのコマーシャルが流れると、カメラを買いに来ていたという中村勝彦さんを思い出し、心臓が縮むような思いになる。
「反省したから何なの」という遺族の方もいる。警察からの連絡を拒否するほど精神的に傷ついた被害者や下半身まひが一生残る被害者もいると聞いている。
料理人として将来、自分のお店を持ちたいと考えていたと思う松井満さんの命も奪った。松井さんの料理を楽しみにしていた多くの方に本当に申し訳ないと思っている。
重傷を負わせた湯浅洋さんは真相解明のために活動されていると聞き、申し訳なく、頭が下がる思いです。
友人や同級生から「また会いたい」と言われても、被害者の人間関係をぶち壊した自分が友人関係を再開することは許されないので遠慮したい。
責任はすべて自分にある。もっと自分のことをきちんと見つめ、正しい方向に進んでいくべきだった。
わたしがやったことに相応の刑が言い渡されるだろうと思う。残された時間で被害者、遺族の方に少しでも償いをしていきたい。2010/07/30 20:07【共同通信】
*強調(太字・着色)は来栖
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
◇ 秋葉原殺傷事件 加藤智大被告の供述(2010/7/27Tue.〜8/3)「被害者の人間関係をぶち壊した自分が…」 2010-08-06 | 秋葉原無差別殺傷事件
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
◇ 秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大被告=記憶つづる日々 「誰にも会わない 何もいらない」 2009-06-08 | 秋葉原無差別殺傷事件
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
◇ 秋葉原殺傷事件 弟の告白 『週刊現代』 平成20年6月28日号(前編) 7月5日号(後編) 2010-01-28 | 秋葉原無差別殺傷事件
----------------
◇ 「秋葉原通り魔事件」そして犯人(加藤智大被告)の弟は自殺した 『週刊現代』2014年4月26日号 齋藤剛記者 2014-04-29 | 秋葉原無差別殺傷事件
---------------
◇ 『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」 2014-04-11 | 秋葉原無差別殺傷事件
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
◇ 勝田清孝の手記
---------------------------