記者の目:袴田事件と代用監獄=嶋谷泰典(大阪総合事業局<元大阪社会部>)
毎日新聞 2014年06月04日 東京朝刊
*虚偽自白の温床なくせ
死刑確定を覆す再審開始決定が静岡地裁から出された「袴田事件」。袴田巌さん(78)が47年ぶりに釈放され、関係者に大きな安堵(あんど)を与えている。23年前、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で、袴田事件を含む冤罪(えんざい)3事件の無実を訴えた団体に同行取材した私にも感慨深い。
太平洋戦争末期の言論弾圧「横浜事件」、兵庫県西宮市の知的障害児施設・甲山(かぶとやま)学園で園児の遺体が見つかった「甲山事件」と合わせ、これら3事件に共通するのは、代用監獄制度を背景に、虚偽自白を強いられた点だ。拘置所に移管されるべき容疑者が、警察の留置場に留め置かれる代用監獄制度。「他国にはない日本独特の非人権的なシステム」として、日本弁護士連合会などが廃止を求め、国連の委員会などから長年にわたって勧告を受けてきているが、今も改善されていない。袴田事件に注目が集まる今、「誰でもいつでも犯人にされるかもしれない」制度が現存することを、改めて自分の問題として捉えていきたい。
*冤罪事件の被告、国連で実情訴え
1991年8月、3事件の被告や支援者たち約25人で結成した「日本の代用監獄とえん罪を訴える会」(団長・五十嵐二葉弁護士)が国連欧州本部を訪れた。代用監獄で長期間コントロール下に置かれることにより、容疑者が拷問的な取り調べを受け、虚偽の自白を強いられている実情を国連の差別防止小委員会でアピールするためだった。
横浜事件の被告だった木村亨さん(98年に82歳で死去)=再審裁判で2008年に「免訴」判決確定=は、他国のNGOメンバーを前に、特高警察から「生かしちゃ帰さぬ。小林多喜二の二の舞いを覚悟しろ」と言われて竹刀、こん棒などで殴られ、意識を失えば水をかけられるという自らが受けた拷問を、下着姿になって再現した。
物的証拠が脆弱(ぜいじゃく)だった袴田事件では、死刑の確定判決でさえ、自白調書45通のうち44通もが「任意性なし」として不採用になっている。それほどに、無理な取り調べがあったことが推察される。ジュネーブでアピール行動した際、袴田事件の支援者が外国機関に訴えたリポートには、次のような場面が記されていた。
「1日5時間足らずの睡眠時間」「小便は取調室に持ち込んだ便器にすることを許したが、大便を許さず、苦しんでいる間にハカマダの手にペンを押し込み、取調官が勝手に書いた自白調書にサインをさせ……」(一部略)。袴田さんは持病の薬も飲ませてもらえなかったという。
私にも体験がある。駆け出し記者の頃、暴力団員から集団暴行を受けた。県警は「行き過ぎた取材をしたからだ」と、私の非を強調したかったように感じた。取調室で暴力団担当の刑事2人と丸1日。一人称形式の調書は、口頭でやりとりした内容を取調官が文書にする。こちらはサインするだけだ。その表現は恣意(しい)的で、私は何度も抵抗した。その度に取調官は、調書案を丸めてごみ箱へ。その応酬が続いた後、「自分で書けるんか」と私の顔の前で調書案を破り捨てた。夜も更ける頃にはヘトヘトになって、ある程度迎合した調書にサインしてしまった。被害者の参考人聴取ですら、この有り様だ。容疑者とされたら、どれほど恐ろしいか。私も虚偽自白をするかもしれない。
国連に同行した甲山事件の元被告、山田悦子さんは事件発生から無罪確定までに25年の歳月を要した。一度、自白調書を取られているが、これも代用監獄で心理的に追い込まれ、信頼していた父からも疑われていると虚偽の情報を伝えられたのが引き金だったという。山田さんは袴田事件の再審決定を喜びながらも、「代用監獄がある限り冤罪はなくならない。それを防ぐための取り調べ可視化ですら、検察は全過程ではなく都合のいい部分だけの可視化にしようとしている」と憂う。
*人権意識の薄さ、象徴するもの
五十嵐弁護士は3事件の経過を振り返り「歓迎すべきことだが、いずれもDNA鑑定のやり直し、新証拠などから導かれた。自白強要の不当性が真正面から認定されたわけではない」と語り、「司法制度そのものはむしろ後退している」と危惧。2人は「代用監獄が存続していることが、日本人の人権意識の薄さを象徴する」と口をそろえる。
「『次は家族を逮捕する』と脅されたから」「『目撃者が何人もいる』といううその情報で」……。冤罪で自白した人の証言をいろいろ取材してきた。殺人や強盗といった凶悪事件に限らず、痴漢事件などでも虚偽自白したと訴えるケースは少なくない。そうした状況をもたらす司法制度の中に置かれていることを、もっと広く伝えていかなければならない。
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◇ 小林多喜二(蟹工船)=特高による拷問で体を「墨とべにがら」色に変えられ、なぶり殺された 2008-10-30 | 人権
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◇ 『蟹工船』の下層にもっと劣悪非道な収奪 2008-11-06 | 人権
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◇ 「横浜事件 戦時下最大の言論弾圧」
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◇ 【袴田事件再審】 開始に静岡地検が即時抗告 / 虚偽自白、生まれる背景〜県警の内部報告書 2014-03-31 | 死刑/重刑/生命犯 問題
【袴田巌さんの再審請求】 苛烈極めた取り調べ 虚偽自白、生まれる背景
(共同通信)2014/03/29 17:04
静岡県清水市(現静岡市清水区)で起きた一家4人殺害事件で、強盗殺人などの疑いで 袴田巌 (はかまだ・いわお) さん(78)が逮捕されてから12日目の1966年8月29日、静岡市内の県警の保養施設に本部長、刑事部長、捜査1課長、清水署長らが集まり、捜査会議が開かれた。
弁護団が入手した県警の内部報告書によると、議題は容疑を否認し続ける袴田さんの取り調べをどうするか。情理に訴えて自供に追い込むのは困難として、次のような方針が打ち出された。
「捜査員は確固たる信念を持って、犯人は袴田以外にない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることに努める」
取り調べはさらに過酷になった。1日に13時間18分、14時間40分、16時間20分…。袴田さんが後に家族に送った手紙によると、2人一組、ときには3人一組の刑事に 罵詈 (ばり) 雑言を浴びせられ、小突かれた。耳の近くで鼓膜が破れるかと思うぐらいの大声で怒鳴られた。「病気で死んだと報告すれば、それまでだ」と言われ、こん棒で殴られた。刑事は際限なく調書を書き換え、認めるよう迫った。
同年9月6日午前10時10分。「わたしがやりました。お手数かけてすみません」。袴田さんは泣きながら「自白」した。
「心も体も限界だったのだろう」。死刑囚として34年間過ごし、再審無罪となった 免田栄 (めんだ・さかえ) さん(88)が代弁する。
免田さんも調べ室で数人の刑事に囲まれ、暴力を振るわれた。睡眠を許されず、食事も抜かれ、意識が徐々に遠のいていく。「ばかなやつだ。白状すれば、楽になれるんだぞ」。そして、心が折れる瞬間がやってくる。
一家4人が殺された 幸浦 (さちうら) 事件、同じく一家4人が殺された 二俣 (ふたまた) 事件、そして6歳女児が殺害された島田事件…。40〜50年代、静岡県内では 冤罪 (えんざい) 事件 が相次いだ。幸浦事件と二俣事件では一、二審の死刑判決が破棄され、無罪となった。島田事件では、殺人などの疑いで逮捕、起訴された 赤堀政夫 (あかぼり・まさお) さん(84)の死刑が61年に確定。しかし、赤堀さんは一貫して「自白を強要された」と主張し、89年に再審無罪となった。県警の強引な捜査手法がまかり通り、検察、裁判所がチェック機能を果たしていなかった様子がうかがえる。
どうして冤罪 につながる虚偽の自白が生まれるのか。 浜田寿美男・奈良女子大学名誉教授(心理学)は「人は目の前の苦痛から逃れるために、将来予想される大きな不利益から目を背けてしまう」と解説する。
起訴後、ようやく自分を取り戻した袴田さん。66年11月15日に静岡地裁で開かれた初公判で「わたしはやっていません。全然やっておりません」と言い切り、起訴内容を全面否認した。長い法廷闘争が始まった。
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