Quantcast
Channel: 午後のアダージォ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 10100

防衛装備移転三原則(武器輸出)変更で積極輸出へ 武器国際展示会「ユーロサトリ」に日本企業13社

$
0
0

三原則変更で積極輸出へ 武器国際展示会に13社
 東京新聞 2014年6月12日 朝刊
 十六日からパリで開かれる世界最大規模の武器の国際展示会に参加する日本企業の詳細が本紙の調べで明らかになった。日本からは十三社が参加し、三菱重工業は開発中の装輪装甲車の模型を初披露。気象レーダーなど民間技術を紹介し、軍事転用の可能性を探る企業もある。武器の国際展示会参加は各社初めて。政府が防衛装備移転三原則で武器輸出を原則認めたことを受け、日本企業は紛争を助長する恐れのある武器輸出への一歩を踏み出すことになる。
 従来の武器輸出三原則による禁輸政策の下、国際展示会への出品も控えてきた日本企業だが、政府が武器輸出を原則認めたことで参加を決めた。これまでは輸出が認められていなかった製品なども出品し、世界展開への足がかりにしていく方針だ。
 国際展示会は「ユーロサトリ」と呼ばれ、十六日から二十日まで開催される。二年に一度開かれる世界最大規模の武器の見本市には、これまで欧米の防衛産業などが主に出展してきたが、今回は三菱重工のほか、川崎重工業、日立製作所、東芝、富士通、NECなども参加する。
 新型の装輪装甲車の模型を出す三菱重工は、戦車用エンジンもパネルで展示。川崎重工や日立は、陸上自衛隊で使用されている車両や地雷探知機などを出品する。また東芝やNECは民間向けに開発した気象レーダーや無線機などをパネルや模型などで紹介。このほか、超高感度の監視カメラや自衛隊に納めている落下傘、東日本大震災後に防衛省からの要請で開発された高輝度のポータブルサーチライトなども出品される。
 展示会参加について各社は「世界の防衛産業の需要動向を探りたい」(川崎重工)、「軍事転用がどの程度可能か、市場の反応をみたい」(東芝)などとしている。
 参加各社によると、新三原則決定後に行われた政府の企業向け説明会で、経済産業・防衛両省が、展示会参加を大手企業に呼び掛け、これに応じた企業が参加を決めた。政府は武器輸出を積極推進しようとしており、経産、防衛両省の担当者も展示会を初視察する。 

      

 ※表以外の参加企業 藤倉航装▽クインライト電子精工▽VSテクノロジー▽フロントライン▽池上通信機▽ジャパンセル▽クライシスインテリジェンス
 <防衛装備移転三原則> 安倍政権が、4月に決定した防衛装備品の新たな輸出ルール。従来の武器輸出三原則は武器輸出を原則禁止し、例外を個別に認めていたが、新三原則では一定の条件下で輸出を認める積極策に転換。安全保障環境の変化に合わせる必要があるとして(1)紛争当事国や国連決議に違反する場合は輸出しない(2)輸出を認める場合を限定し、厳格審査する(3)輸出は目的外使用や第三国移転について適正管理が確保される場合に限る−などと規定した。
 ◎上記事の著作権は[東京新聞]に帰属します
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
“平和に寄与する”武器輸出認める新原則決定 2014-04-02 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 『自立する国家へ!』田母神俊雄×天木直人 2013-04-29 |  
 (抜粋)
第二部
p101〜
■「専守防衛」は自主防衛とはいえない
 日本人に反省と謝罪を促した日本国憲法のもう1つの弱点は、「軍を持たない」と宣言したことにあった。これによって日本は、自衛隊という外国から見れば紛れもない軍ができた後も、その言い訳のように自衛隊は武器の使用を極度に制限された。原則的に、相手から攻撃されるまでは武器を使用できないことになったのである。p102〜
 しかも、そうした歪んだ自衛隊の形を、戦後の左翼教育によって日本の一定数の世論が良しとしていたこと、それから、長く続いた自民党政権時代でも、常に野党第1党の座にあった社会党などが自衛隊を違憲と断定していたこともあって、自衛隊をまともな形に正すことはできなかったのである。
 その間の1970年代には、当時の中曽根防衛庁長官が防衛白書の中で「専守防衛」といったあたりからこの言葉が一人歩きを始める。そして、日本が攻撃のための武器を持つことさえいけないことであるかのような風潮さえ生まれた。
 そして、アメリカはそうした風潮に乗って「攻撃はアメリカに任せておけ」とばかりに日本にもっぱら防御システムを莫大な金で買わせるようになり、攻撃面はすっかりアメリカ依存になってしまったのである。
 評論家などの中にも、「それでいいではないか」という人がいるが、それは軍事力とは何かを知らないもの言いである。
 軍事力というものは、攻撃と防御がバランスよくセットになってはじめて軍事力なのである。外国から見たら防御一辺倒の軍事力など怖さはない。いくら最新鋭の防御システム(ペトリオット・ミサイルなど)を備えていようとも、「あの国は守りは強いが攻めは弱い」と認識したら、その国に怖さを感じるだろうか。
p102〜
 軍事的な怖さがないということは、抑止力が働かないということに等しい。つまりは危険性が増すわけだ。そういう意味で、「実際に戦ったら恐い」とどれほど相手に思わせることができるかが、その国の軍事力であり、安全保障力であるといえるのである。
p104〜
■自主防衛への道に日米共同開発が立ちはだかった
 戦前の日本は世界が驚くようなゼロファイター=零戦や多くの戦艦をつくった国であったから、戦後になっても武器・兵器を自前で製造する技術は保持していた。しかし戦後はGHQの統制下に置かれ、軍事力を保有することはできず、当然、武器を自前で開発、製造することは禁じられた。
p105〜
  しかし朝鮮戦争の勃発によりアメリカは日本の再軍備の必要性に迫られ、我が国は警察予備隊の発足により再軍備を始めることになった。そのとき武器の多くをアメリカから買わされることになった。
  しかし当時は我国の政治家も官僚も一人前の独立国になることを目指していたから、日本は武器を自前で開発、製造しなければならないと考えていたのである。(略)
 しかし、1980年代半ばの中曽根総理の時代になって、国産化への道が突如として塞がれる。私が航空幕僚監部の防衛課にいた時代である。
 その頃、F1で培った日本の技術はかなりのレベルに達しており、F1の後継機としてF2の開発も国産体制でやろうとしていた。エンジンだけアメリカから買ってきて機体は日本でつくるという、F1同様の体制である。(p106〜)こうした日本の体制に対し、アメリカは横槍を入れてきたのだ。
  「F2は日米共同開発でやろうじゃないか」
  アメリカは日本政府に申し入れ、これを受け入れ、鶴の一声を発したのがロン・ヤス関係といわれ、アメリカべったりだった当時の中曽根総理であった。続く竹下総理がこれを引き継ぎ、1988年、日米共同開発が決まったのである。
  アメリカの意図は、日本に自前の武器・兵器をつくらせないことが一点、そしてもう一点は、日本の軍事技術をいただくことであった。
  当時の日本の技術力はかなり高いレベルにあった。
p107〜
■アメリカの戦略は「日本を自立させない」こと
 湾岸戦争(1991年)のときに話題となったのが、レーダーに掛からない性能を持つという「ステルス戦闘機」であったのを覚えている人は多いだろう。
p108〜
  実はあれにも日本の技術が使われていた。宇部興産がつくったチラノ繊維という合成繊維で、レーダーに映らないというステルス性能はこれがないと確保できない。日本はこんな優秀な技術も持っていたのだが、日米共同開発によって日本の優れた技術はアメリカに根こそぎもっていかれる、という事態が続くことになったのである。
p109〜
■ソフト支配が対米依存度を高める
 その後、次第に世界はデジタル化し、武器・兵器に最先端のコンピューターシステムが導入されると、この日米共同開発は日本にとって余計に厄介な仕組みになっていく。つまり、戦闘機でもミサイルシステムでもすべてがソフトウェアによって動くわけだから、どのような工作でもできてしまうわけだ。
 たとえば、莫大な金額を払って買ったミサイルであっても、それが5年後にきちんと作動するかどうか実はわからない。
 アフガン戦争のとき、トマホークを装備していたイギリスの潜水艦が、撃とうとしたら撃てなかったという話がある。トマホークはGPSを使ったシステムでターゲットまで正確に誘導する巡航ミサイルだが、コンピューターが発射指令を出してもトマホークが反応しなかったという。システムソフトのバージョンが変わってしまっていたのだ。イギリスの陸軍少将に直に聞いた話だから間違いない。
 それが意図的であったかどうかはともかく、ソフトが支配する世界では、そういうことは簡単に仕組むことができる。(p110〜)アメリカから買った武器・兵器は、アメリカの継続的支援がなければ使い続けることはできないのである。
 つまり、アメリカの兵器を日本にどんどん買わせれば、アメリカの日本への支配力はどんどん強くなる。日本から見れば、対米依存がどんどん高まるわけである。
 アメリカがイージス艦やミサイル防衛システムを売り込み、日本政府が莫大な予算をつけてそれを購入するというのがこのところの流れだが、これは武器が増えたことで、かえって対米依存を高めてしまうという、バカなことをくり返しているのである。そして、こうしたことを推し進めるためにアメリカと日本政府がやっていること、それが北朝鮮の脅威をことさら強調することなのだ。
 「北朝鮮がまたミサイルを撃ちそうだから、日本は最新の防衛システムで防衛力を強化しておいたほうがいい」
 こんな親切心を振りかざしながらアメリカは売り込んでくる。(略)
p111〜
  ただし、だからといって、私は特別にアメリカが汚いとは思わない。自国の国益のために友好国と交渉するのも国際常識であり、どの国でもやっていることだからだ。本当は、日本の政治家や官僚がそうしたアメリカの意図を認識しながら、日本の国益のためにうまく立ち回るべきで、それができていないことのほうが問題なのである。
  ところが歴代政府の多くは、アメリカに追随することが政権の延命につながるということを優先し、ほとんどまともな交渉をしてこなかった。アメリカと対等になることを目指したり、アメリカに頼らない道を探ろうとした政治家はいたが、彼らは皆、志半ばで挫折した。アメリカによる情報戦(場合によっては日本のマスコミも加担した情報戦)によって追い落とされたと思われるケースがほとんどで、日本の親米派が陰で足を引っ張ったと思われるようなケースもあった。
  ともかく、対米自立への道を考える時、アメリカは基本的にそれを阻止しようという戦略をもって、先手先手で動いてくるのが戦後の歴史。その象徴といえるのが日米安全保障条約であり、非核三原則なのである。
p116〜
■核武装論者が受け入れた「非核三原則」
  最近では私のように公然と日本の核武装を提言する人も増え、「きちんと議論しよう」という人も増えたが、ひと昔前までは、核武装論をタブー化するような風潮があったものである。
  それは日本が被爆国であったからではなく、「非核三原則」なるものが存在していたことが大きい。
  「広島・長崎が被爆し、多くの犠牲者を出したから、戦後の日本人は核アレルギーが強くなった」という人がいるが、それは違う。戦後になって東西冷戦が始まり、米ソの核戦争が過熱し、中国も核実験に成功する流れの中で、1960年代前半頃までの日本国民には核武装を支持する声はかなりあった。
  そんな中、1964年に総理となった佐藤栄作氏は元々、核武装論者であったが、総理になる直前に中国の核実験成功を聞いてその思いをなお強くし、アメリカに「日本も核武装をさせてほしい」と打診したといわれる。
p117〜
  しかし、アメリカはこれに強く抵抗した。結局、佐藤総理は、日本が核武装をしない代わりに「日本がアメリカの核抑止力を必要とする時、アメリカはそれを提供する」ことを約束したことで核武装論を引っ込めた。
  1967年の国会答弁の中で初めて「非核三原則」を口にした佐藤総理は、72年には「核の脅威に対してはアメリカの核抑止力に依存する」として、沖縄を含めた非核三原則を閣議決定してしまったのである。
  核武装論がタブー視されるようになったのはそれ以降のことだ。佐藤総理が非核三原則を口にした当時の日本の世論に、これを良しとする声はさほどなかったが、それ以降の日本では次第に、核武装論を口にする者は危険人物の扱いをされるようになっていった。
  つまり、核武装論者であった佐藤総理自身が、日本の核武装論を封じてしまったようなものだ。
p118〜
  日本では、「専守防衛で核武装もしない平和憲法がある平和主義の日本だから世界で価値を認められている」といった根拠のない論調がいまだにあるが、それはまるで違う。むしろ逆で、核武装国になれば嫌でも存在感が増すのである。
  核兵器を持っている核武装国こそが、戦後の国際世界を牛耳ってきた。「核武装国になれば国際社会での発言力と安全度が増す」ことは、国際社会では常識中の常識である。だからこそ世界の多くの国が、あわよくば核武装国になれないものかと狙っているのだ。
  国連の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国。核武装国でない国は1つもない。他にインド、パキスタン、そしてイスラエル、北朝鮮も核武装国だが、彼らがなぜ核武装国を目指したのかは、逆を考えてみればわかる。つまり、彼らが核武装国でなかったらどうなっていたかと。
p119〜
  どの国も核武装をすることで抑止力を手に入れ、国を潰されないようにしたまでのこと。いま核武装に突き進んでいるイランにしても事情は同じだ。決して気が狂ったわけでも何でもなく、自国の安全のためにもっとも合理的で効果的な方法をとっただけのことである。
  日本では、「核を持たないから平和でいられる」という論調がいまだに幅を利かせているが、世界の常識は180度違う。「核武装すれば国はより安全になる」というのが国際常識なのである。
  なぜなら、核兵器は決して使われることのない兵器で、同じ兵器でも通常兵器とは存在意義が違うものだからだ。(略)
 なぜなら、核戦争には勝者はいないからである。一発の核ミサイルは耐えることのできない被害を及ぼす。
p120〜
  お互いに甚大な被害を覚悟しなければならないから、核武装国同士はお互いに手出しができなくなる。つまり核による抑止力は、パワーバランス(数の均衡)をさほど必要としないのである。核兵器出現以降、核武装国同士の戦争は一度も起きていない。
  核兵器は2度と使われることはない。しかし核兵器を持つか持たないかでは大違い。国際政治を動かしているのは核武装国なのである。このことをよくわかっているからこそ、非核武装国は何とか核武装国になれないものかと考え、逆に、既に核武装国になっている国々は、自分たちの価値を下げないために、これ以上、核武装国を増やしたくないと考えるのである。
p140〜
  核兵器を所有する大国は、話し合いの末の多数決を拒否するカードを持ち、自国が不利と見るや、すぐさまこのカードを切る。オバマ大統領も本気で核兵器を廃絶させるのなら、アメリカが音頭を取って「せーの」で核廃絶を決議すればいいのだが、そんなことを本気で考えてもいないし、重要な話し合いになればなるほど、どこかの国が国が拒否権カードを切るのがわかっているから、議題にも上らないのが現実だ。
p141〜
  ただ、第2次大戦、そして冷戦以後の国際社会がそれまでと変わったのは、腕力の強い者が腕力にものを言わせる、すなわち戦争を仕掛けるのではなく(そういうことも時には起こるが)、大声でものを言い、発言力で相手をねじ伏せるようになったことだろう。それは国連が機能した結果というより、核抑止の効果といえる面が大きい。
 もっとも、ただ大声を出しただけでは、誰も聞いてはくれない。世界の国々の耳を傾かせ、従わせるのに必要なものこそが腕力、すなわち軍事力で、そのために大国は核武装をしているのである。
...................


Viewing all articles
Browse latest Browse all 10100

Trending Articles