ヘイトスピーチ危惧 松本サリン20年 中傷に耐えた河野さん
中日〈東京〉新聞 2014年6月19日 朝刊
オウム真理教が起こした松本サリン事件から二十年を迎えるのを前に、夫婦で毒ガス被害を受けながら容疑者扱いされた河野義行さん(64)、乾高弘撮影=がインタビューに応じた。中傷に耐え続けた経験は「根拠のない批判は怖い」との教訓となって生き、真相を確かめることの大切さをかみしめる。偏見に基づいて差別的な言葉を叫ぶ「ヘイトスピーチ」が広まる最近の世相に危機感を抱く。 (勝股大輝)
「私にとっての事件は六年前に妻が亡くなった時に終わっている」。二十年の節目を淡々と受け止める。
河野さん夫婦は、サリン発生現場近くの自宅にいた。妻の澄子さんは十四年間意識を回復することなく死亡。河野さんも重症で入院したが、自宅の写真現像用薬品から容疑がかかり、警察の家宅捜索を受けた。
翌年三月、東京で地下鉄サリン事件が起き、真犯人としてオウム真理教が浮上するまで警察、マスコミから容疑者扱いされた。看病と闘病に加え、見知らぬ人の誹謗(ひぼう)中傷に耐える日々が続いた。
「世間という漠然として訳のわからないものが、歴然たる力を持っている」と思い知らされた。「人殺し」「町から出て行け」。ののしりの電話が午前二時、三時にも普通にかかってきた。
そんな日々の中でも澄子さんの回復を第一に考え続けた。「妻が元通りに戻ったとき。あるいは、亡くなってしまって努力のしようがなくなるときが、自分にとって事件の終わるとき」と思って生きてきた。
妻の死から六年。「事件以前と同じスタンスで、自分の好きなように生きている」。四年前には鹿児島市に移り住み、「恨みは、人生をつまらなくする」と穏やかに暮らす。
教団元幹部の上祐(じょうゆう)史浩氏が設立した団体「ひかりの輪」の依頼を受け、二〇一一年に活動を監視する外部監査人となった。「周辺住民は中身を知らずに不安がっている部分がある。知らないから怖いのなら、知ってもらえばいい。不安をなくすための橋渡しになると思った」
教団の犯行であることが判明してからは、教祖の子女、信者への人権侵害的な行政の対応、世間の中傷があからさまだった。「(オウムに対してなら)明らかに法の筋に外れたことまで許されて。世の中は怖い」
最近気になるのは、韓国人や中国人への偏見に満ちた一部世論の高まりだ。「根拠のない排除は許されない。このような主張がはびこってきたのは理不尽だし、怖いなと思う」。ヘイトスピーチに反対する団体の共同代表にも名を連ねた。
請われれば、体験を基に講演することにしている。「当たり前のことが、当たり前に通る世の中になってほしい」と願うからだ。
<松本サリン事件> 1994年6月27日深夜にオウム真理教信者が長野県松本市内の住宅街でサリンをまき、8人が死亡、586人が中毒症状を訴えた。警察は第一通報者の河野義行さんを容疑者扱いし、報道各社も犯人視報道を続けた。翌年3月20日に東京都心で地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教の犯行であることが判明。報道各社は河野さんに謝罪した。
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◇ <松本サリン15年>河野義行さんの長男、15歳で事件直面 裁判員制度には疑問 2009-06-25 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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◇ 「死刑で遺族 変わらぬ」松本サリン事件河野義行さん「麻原さんの死刑には反対」妻の死にも なお「反対」
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<松本サリン事件から20年> 被害を受けながら容疑者扱いされた河野義行さん ヘイトスピーチ危惧
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