『親鸞』完結編 362 [作・五木寛之][画・山口 晃]
中日新聞朝刊 2014/7/6 Mon.
自然(じねん)に還る(6)
越後から恵信の文をたずさえて益方(ますかた)の有房(ありふさ)が善法院(ぜんぽういん)へ姿をみせたのは、十一月下旬のことだった。有房は覚信の兄にあたる親鸞の三男で、出家して越後の益方に住んでいる。
恵信の文は覚信宛てのものだった。八十一歳という年齢(とし)となり、上京する力も余裕もなく、ただひたすら親鸞のことを案ずるばかりである、としたためてあった。
有房の話では、たび重なる凶作で、越後の暮らしも苦労が絶えないらしかった。
親鸞が食事をとらなくなってから、すでに二十日以上たっている。越後からやってきた有房が声をかけても、ほとんど反応がなかった。ときおり口を小さく動かしては、かすかにまばたきをする。念仏をとなえているようでもあり、ただ、うわごとをいっているようでもあった。
越後から有房がやってきて数日後に、遠江から専信(せんしん)が上京してきた。専信は高田の真仏(しんぶつ)の弟子で、親鸞面受の念仏者である。顕智(けんち)からの知らせで急ぎ駆けつけてきたのだ。
前法院の院主である尋有(じんう)は、言葉ずくなの老僧だったが、なにくれとこまやかに皆を支えていた。
「子供のころ、兄者がわれら弟たちをおきざりにして比叡山にはいられたことを、怨んでいたときもあったのだよ」
と、ある日、尋有が覚信に笑いながらいったことがあった。
「しかし、いまはこうしておそばにいられることが、しみじみありがたく、うれしいのだ。兄者ではなく、親鸞さまとして深い御縁を感じてな。覚信どのもそうであろう」
覚信は尋有のいいたいことがよくわかるような気がした。そして、ずっとこの数年来、考えつづけていたことを口にした。
「親鸞さまが往生なさるときは、きっと驚くような奇瑞がおこるはずです。わたしたちは、それをしっかりとみとどけて、世の人びとに伝えなければなりません」
尋有は首をかしげて何もいわなかった。
十一月二十八日、朝方、つよい風が吹いて庭木が折れた。
親鸞はその日、朝から呼吸がとぎれたり、また大きくあえいだりしながら、すこしずつ静かになり、やがて昼過ぎに口をかすかに開いたまま息絶えた。自然な死だった。
そばにつきそっていたのは、覚信と蓮位、有房、顕智、専信、そして尋有の六人だけだった。
(完)
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◇ 五木寛之著『親鸞』〔激動編〕 開始(2011年元旦) 牛頭王丸 彦山房玄海 外道院金剛 伏見平四郎 2011-02-08 | 仏教・・・/親鸞/五木寛之
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『親鸞』 作・五木寛之 / 画・山口 晃 完結編 362 自然(じねん)に還る(6) 最終回 2104.7.6 Mon.
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