北方領土問題に関し玄葉新外相がロシアに送った危険なシグナル
2011年09月07日13時00分 佐藤優の眼光紙背:第112回
9月2日、玄葉光一郎新外相が就任記者会見を行った。北方領土に関する記者と玄葉外相の応答を外務省HPから正確に引用しておく。
【北海道新聞 相内記者】北方領土問題です。ロシア要人が次々と訪れ、社会基盤整備も急速に進んでいる北方領土ですけれども、北方領土問題をどのように取り組み、対処されていかれようと思っていらっしゃるか。
それと、前原元大臣が四島で日露共同経済活動は何かできないか双方議論していくということを提唱され、ロシア側も同意されましたけれども、大臣はどのようにお考えになられるか、教えてください。
【大臣】これは言うまでもなく、日露間の最大の懸案だというように思います。これはこれまでの歴史的なそれぞれの諸文書が、あるいは諸合意がございますけれども、北方四島の問題の帰属、その帰属の問題をしっかり解決しながら、いわゆる平和条約を締結すると。1956年に日ソ共同宣言があって、そのときに、残念ながら領土の問題があり、平和条約にしなかったという経緯があるわけでありますので、それをどういうように進めていくかというのは、前原元大臣がいわば仕掛けをされたその点についてもよく検討して、基本的にはその考え方を継承したいなと現時点では考えております。
この玄葉外相の発言を東京のロシア大使館、SVR(露対外諜報庁)ステーションは、正確に翻訳し、モスクワのクレムリン(大統領府)、首相府、外務省、ヤーセネボ(SVR本部)に送っているはずだ。露外務省とSVRの日本専門家は、玄葉外相から政治的シグナルが送られてきたと受け止め、鋭意分析していることと思う。
外交は言葉の芸術である。特に就任記者会見の場は、新外相が政治的メッセージを発出する重要な機会だ。外交やインテリジェンスの常識的文脈で読み解くと、玄葉外相は3つの重要なシグナルを送っている。
第1は、「平和条約を締結する」ではなく「いわゆる平和条約を締結する」ということである。外交の世界で「いわゆる」がつくとつかないでは、まったく意味が異なる。「いわゆる平和条約を締結する」ということは、平和条約以外の条約締結の可能性について玄葉外相が水を向けたものとロシアの日本専門家は受け止める。「北方四島の問題の帰属、その帰属の問題をしっかり解決(する)」ということと、北方四島の日本への返還を実現する(あるいは日本の主権を確認する)ということは、外交的に位相を異にする概念だ。
北方四島の帰属の問題の解決ということならば5通り(日4露0、日3露1、日2露2、日1露3、日0露4)の可能性がある。仮に北方四島のすべてがロシアに帰属するということで、両国が合意すれば、それでも領土問題の解決になる。平和条約を締結することは、北方領土問題の最終解決になるという合意が日露間に存在する。日本の原則的な立場は、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島からなる北方領土に対する日本の主権(もしくは潜在主権)を確認し、平和条約を締結するということだ。今回、玄葉外相が「いわゆる平和条約」と「いわゆる」をつけ、その記録を日本外務省HPに掲載したことにより、ロシア側は日本側が平和条約に至らない中間条約の検討を始めたと受け止める可能性がある。
第2は、「これまでの歴史的なそれぞれの諸文書が、あるいは諸合意」の中で、玄葉外相があえて1956年の日ソ共同宣言のみについて言及したことだ。これまでの外相は、1956年の日ソ共同宣言について言及する際は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することに合意した1993年の東京宣言、あるいは日ソ共同宣言と東京宣言の双方について言及した2001年のイルクーツク声明についても明示的に言及した。今回、就任記者会見という重要な場で、玄葉外相が歯舞群島と色丹島の引き渡しについてのみ記した日ソ共同宣言だけに言及したことを、第1の「いわゆる平和条約」発言とあわせて、ロシアの日本専門家は、玄葉新外相が二島返還で中間条約を締結するというシグナルを出したと受け止める。
第3は、今年2月、モスクワで行われた日露外相会談で前原外相がラブロフ外相に対して行った北方領土における日露の共同経済活動に関する提案を念頭に置いて「前原元大臣がいわば仕掛けをされた」と述べたことだ。ロシアの日本専門家は、「仕掛け」という外交的に自国の行為を指すときに用いられることが滅多にない単語の翻訳に苦慮したことと思う。ロシアの日本専門家が用いる標準的な大辞典であるN・コンラド監修『和露大辞典』で「仕掛け」を引くと、「ヒートロスチ(хитрость)」、「トリュク(трюк)」という訳語が記されている。「ヒートロスチ」という言葉は「ずるさ」、「トリュック」という言葉は「トリック、策略」を意味する。現職外相が、元外相の重要提案について、このような否定的評価をしたことについて、ロシアの日本専門家は当惑していることと思う。
いずれにせよ、玄葉外相の発言をどう読み解くか、露外務省とSVRの日本専門家は頭を悩ましているはずだ。ロシア側は眼光紙背に掲載された筆者のロシア関連の論考には目を通しているらしい。そこで筆者の見立てを率直に述べたい。玄葉光一郎氏は、外相に就任したのが嬉しくて、舞い上がり、思いついたことをよく考えずに口にしているだけだ。こういう不規則発言を分析しても判断を誤るだけである。
外務省のロシア・スクール(ロシア語を研修し、対露交渉に従事することが多い外交官のグループ)の諸君にお願いがある。北方領土問題について、人前に出しても恥ずかしくない基本知識を玄葉外相にたたき込む努力を全力で、可及的速やかに行って欲しい。このままだと玄葉外相がイカレた発言を続け、北方領土交渉において日本が窮地に追い込まれる状況が近未来に生じる。それを防ぐのが、国民の税金から給与を得ている国家公務員であるロシア・スクールの諸君の仕事だ。(2011年9月7日脱稿) *強調(太字・着色)は来栖
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佐藤優(さとう まさる)
1960年生まれ。作家。1985年に外務省に入省後、在ロシア日本大使館勤務などを経て、1998年、国際情報局分析第一課主任分析官に就任。2002年、鈴木宗男衆議院議員を巡る事件に絡む背任容疑で逮捕・起訴。捜査の過程や拘留中の模様を記録した著書「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社、第59回毎日出版文化賞特別賞受賞)、「獄中記」(岩波書店)が話題を呼んだ。2009年、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決が確定し外務省を失職。現在は作家として、日本の政治・外交問題について講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。近著に「予兆とインテリジェンス」(扶桑社)がある。
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