海外で地雷除去に励む元自衛官たち 「われわれにしかできない仕事」との想い──培った技術で国際貢献
《『Voice』2014年8月号[総力特集]日中冷戦、変わる自衛隊より》 2014年07月22日 公開
荒川龍一郎(日本地雷処理を支援する会〈JMAS〉理事長/元陸将)
2002年5月、陸上自衛隊で不発弾処理の専門家として活躍し、定年で退官した人物たちが、ある組織を立ち上げた。「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」。世界に約1億発は埋まっているといわれる地雷や不発弾を処理するため、現地の人たちに専門知識を伝えつつ、共に作業をするNPO法人だ。本来であれば孫に囲まれ平和な日々を楽しむべき彼らは、なぜ現地へ向かうのか。実際の作業は? その胸中は? 肉声を聞いた。
<取材・構成:夏目幸明(ジャーナリスト)>
*命懸けの悲壮感で動くのではない
夏目 具体的に、地雷や不発弾はどのように除去していくのですか?
荒川 カンボジアであれば旧ポル・ポト派やヘン・サムリン政権時代の軍人に会って「あの辺りに埋めたかも」などと聞き出すことから始めます。国際法上は、対人・対戦車など、どんな種類の地雷をどこに埋めたか記録を残さなければならないんですが、実際にはほとんど記録が残っていません。
そして「埋めたかも」といわれた辺りを、まさに1mずつ進んでいくようなかたちで探していくと、本当に地雷が埋まっているんです。ちなみに遭遇した感覚は、専門家によると「じつに嫌な気分」だそうです。不安と恐怖心、さらには「処理しなければならない!」という義務感が複雑に交差し、何度処理をしても同じ感覚をもつそうです。
その後の処理は、不発弾も同じです。刺激を与えないように、どのような種類か識別し、どうすれば信管が外せるかを調べ、手順どおりに信管を外し、爆破処理を行ないます。
夏目 対人地雷除去機などを使って機械的に処理していけるわけではないのですね。
荒川 地雷原の地形や、対戦車地雷が埋まっている可能性などを考慮して、最も効率的に処理できる方法を考え、処理の方法を決めていくのですが、やはり人の手による部分が多い。しかも、地雷原は原野に戻り、藪や灌木で覆われている場合が多いので、これらを伐採する手間もかかります。さらには、乾期になれば土は乾いてひび割れ、雨期になれば土をならしただけの道路がぬかるんで寸断されるなど、大変な手間と時間がかかる作業です。
夏目 しかも命懸け……。
荒川 そこはそうでもありません。じつをいうと「命懸け」ではいけないのです。
夏目 どういうことですか?
荒川 現地にいる元自衛官は専門家です。適切な計画を立て、手順を守り、万一にも事故が起きないように処理していきます。処理の手順などが不明な場合は「多分、こうだろう」では処理せず、世界中のさまざまな地雷処理に関わる組織と情報を交換し合い、100%安全な処理方法が見つかるまでは、周囲に誰も入れないようにして、そのままそっとしておきます。
カンボジアで活動をしている今井洋平専門家は「地雷処理において最も求められるものは100%の安全であり、処理に任ずる処理作業間の隊員の安全も100%、処理跡地を活用する人たちの安全も100%でなければならない。地雷処理の100%の品質確保こそが、地雷処理の技術である。その品質をつくり出すのは、愚直なまでに基本を繰り返し実行する隊員である」といっています。万一にも間違いは起きない方法をとるのです。
夏目 なるほど、交通事故もそうですが、一度信号無視をして無事通過できたとしても、それを100回、1000回繰り返すうちに事故が起きてしまう。そのためには、車が来なくても信号が赤ければ渡らない、といった愚直さが大切というわけですね。
荒川 そのとおりです。命懸けの悲壮感で動くのでなく、与えられた任務を安全に遂行するよう、基本に忠実に動くのです。自衛隊の伝統かもしれません。たとえばPKO(国連平和維持活動)でイラクに行ったときも、陸上自衛隊の部隊は、車列もテントも、きちんと水平・直角・平行に並べていました。このような部隊は、敵対する武装組織からも「軍規が厳しい」と警戒され「手を出すのはやめておこう」となるものです。
夏目 私の友人の自衛官が、靴箱に靴を入れるとき、かかとの部分をピッタリと靴箱の端の部分に揃え、靴を平行に置いていたことを思い出しました。
荒川 靴やテントなどよいではないかと思うかもしれませんが、基本をおろそかにすると、メンタルが緩み行動にも隙ができてしまうものなのです。われわれの地雷処理の現場も同じです。たとえばアフリカのアンゴラ共和国では、地雷処理機材や建設機材を使って作業をする現地の人たちをJMASの職員として雇用しています。そして現地の元自衛官は、毎朝、陸上自衛隊の基本教練をやったあと、アンゴラの国旗を掲揚し、掛け声をかけながら走り、仕事を始めます。だから、命懸けではいけないのです。まあ、訓練をしているのは一種の「癖」かもしれませんが(笑)。
*元自衛官の汗が国を動かした
夏目 JMASが設立された経緯をお教えください。
荒川 陸上自衛隊は、全国に5個方面隊があり、それぞれに「不発弾処理隊」という専門的な部隊をもっています。加えて沖縄にも規模が大きい不発弾処理隊があり、この6つの組織が戦後の不発弾処理などを一手に引き受けてきました。非常に専門性の高い部隊です。この仕事に携わっていた専門家たちが「自分たちが定年で退官したあとも何か役に立つことはできないか」と声を上げたのです。
しかし彼らは不発弾の処理は専門でも、NGOの立ち上げ方などはわからない。そこで「誰か組織をつくってほしい」となり、陸上自衛隊の幹部に依頼をした。初代の理事長は土井(義尚)さんといい、スウェーデンの防衛駐在官のほか、補給統制本部長といって、陸自の補給、整備を統制する機関の長を務めた方です。彼が中心となり、隊員たちの声を聞き「なら手伝いましょう」と、2002年にJMASを設立しました。
夏目 なるほど。やはり皆さんの元の職場では「国際貢献しよう」「平和に貢献したい」という雰囲気があるのですか?
荒川 そうですね。JMASは自衛隊を退職した一般の隊員など、いわば「下からの声」でつくった組織です。政治色もありません。むしろ、設立当初は資金もなく、元自衛隊員たちは自分たちでお金を出し合い、さまざまな活動を行ない、現場に行っていました。
「下からの声」により生まれた組織だからこそ、活動にも特色があります。われわれは自分自身が手を動かしつつ現地で教官を務め、地雷や不発弾処理の方法を伝えています。専門家は定年で退官した方たちが多いので、自分たちでやるのは身体も大変だから(苦笑)――などという冗談はさておき、外国の組織が来て地雷を処理するより、現地で専門家を育成し、正しい処理の方法を普及していくほうが処理のスピードは上がりますよね。このように、自分たちの組織のなかで完結させず、現地に寄り添っていることが私たちの組織の際立った特徴でしょう。
夏目 現地の人たちのニーズも聞くんですか?
荒川 はい。たんに地雷処理をしても、そのあとには荒れ地ができるだけで裨益効果が少ない。そこでわれわれは、地雷を処理したあとどんな施設があったらいいかなどの要望を現地の村長さんなどにお伺いし、たとえば道路と耕作地をつくるとか、学校や寺院を建てるなどし、社会全体の復興をめざします。
地雷処理のあとのことについては、小松製作所さんが資金をご提供くださっているので、われわれは地雷原がたとえば青々とした大豆畑などになるまで活動することができます。
夏目 資金集めにご苦労はありませんでしたか?
荒川 最初は国の機関の理解がなかなか得られず、設立後1年を過ぎたら資金もなくなってしまい、みんなからあらためてお金を集めた、という凄まじい立ち上がりでした。しかし、初代会長である西元さん(西元徹也・元統幕議長)などが尽力され、読売国際協力賞をいただき、外務省なども関心を寄せてくれるようになったため、次第に国の無償援助資金などがいただけるようになったのです。
ほか、自衛隊OBが駆け回ってさまざまな企業に打診し、徐々に支援の輪が広がっていきました。
夏目 最初、皆さんが手弁当で汗を流されていたことが支援を呼んだ、というわけですね。
荒川 そういえます。あと、われわれは現地にコンテナのような簡素なものですが、活動拠点をもち、日本国旗を掲げているんですね。すると、現地に職員を派遣している企業の皆さんと交流が生まれます。同時に企業の方たちも、元自衛官がいれば心強いと思うんです。そんなつながりもあって、資金をご提供いただけています。もちろん、お金を出してくれなくても帰ったりはしませんが(笑)。
夏目 その結果、活動も大規模になっていったわけですね。
荒川 はい。設立時は十数名だったのですが、いまは約400名にまでなりました。そして2013年度までに、カンボジア、ラオス、アフガニスタン、アンゴラの4カ国において37万7234発の不発弾と地雷を処理することができました。
*「教えること」に注力
夏目 現地の専門家の方たちは、どのような点でご苦労をされているのですか?
荒川 酷暑など気候の違いも大変ではあるのですが、たとえばアンゴラでは安全な水がなかなかなく、もちろん生ものも食べられません。マブバスの拠点には台所もつくり、みんなで交代で料理をしているのですが、衛生状態が悪いため、そうとう殺菌などにも気を使わなければ病気になってしまいます。カンボジアやラオスも同様です。マラリア、デング熱……。しかも、交通事情が悪く、事故に遭う危険もあります。ところが、医療機関は十分な水準には程遠い。
夏目 本当はお孫さんと楽しく遊んでいられる時期なのに……。どのくらいの期間で日本へ帰れるのですか?
荒川 国のODAを使っている関係で、やはり年度単位で動きます。1年で帰ってこられる方もいらっしゃいますし、数年行っておられ、ちょっと休まれ、われわれが「再びどうですか?」と声をかけると「いいよ」といってくださる方もいます。正直にいうと「代わりがいないのでもう少し!」と声をかける場合もあります。
夏目 現地の習慣などに戸惑われることは?
荒川 現地の方たちに基本的な知識からお教えすることに時間がかかりますね。たとえば地雷原を測量するためには、長方形の面積を出すなど基礎的な数学の知識が必要になりますが、現地の皆さんはおもちでない場合がある。とくにカンボジアは、ポル・ポト政権の大虐殺により50歳以上の方がほとんどいない国で、教育に断絶があります。いまは高校教育を受け、卒業したばかりの女の子などに地雷を探す適切な方法を教え、主力になって活躍してもらっていますが、初期のころは、文字や数学から教えていました。
夏目 言葉もあまり通じませんよね。
荒川 ええ。そんな状況だから、外国のNGOなどは自分たちで地雷を処理し、帰ってしまうことが多いんです。ただ、それだと国道のほんの一部などしか処理ができず、あまり裨益効果がない。だから、われわれは「教えること」に注力しているのです。
たとえばラオスでは、現地の地雷処理組織の方たちから「訓練センターをつくってほしい」というご要望をいただき、来年度から専門家が教えることになっています。ここで高度な専門的知識をお伝えし、教育を受けたラオス人が地方で教官を務め、多くの人に処理の方法を伝える、というシステムにしていくつもりです。
夏目 時間がかかるけれど、みんなで平和をつくるのですね。
荒川 そうですね。しかもそれが、正しい方法だと思うのです。
たとえばアンゴラは最近石油が出た関係で、じつをいうとお金はあるのです。そして、現地にも不発弾処理組織はあり、対人地雷除去機なども購入しています。ところが現実は、せっかくの地雷除去機が野原に放り出してあるだけなのです。なぜなら、動かすことができない、整備もできない。特殊合金でできた部品を溶接し、補修しながら使うのですが、その技術がない。
また、爆発物の種類もさまざまです。同じ不発弾でも、たとえば米軍がホーチミンルートを断とうとラオスを爆撃したときの不発弾のなかには「長延期信管」といって、爆弾が落ちて1カ月後くらいに爆発するように設定されたものがあります。それが爆発せず、眠っているんですね。これらは処理が非常に難しい。やはり、専門的な知識が必要なのです。
これに加え「不発弾を見つけたら触らない」という教育も必要です。たとえばクラスター爆弾(容器となる大型の弾体の中に複数の子弾を搭載した爆弾。不発弾が散乱するため使用禁止に向けた動きがある)の子弾は、場所によってはもう、そこらじゅうに散らばっているんです。これを子供がボールのようにおもちゃにして遊んでいて、非常に硬いところにぶつかると爆発してしまうことがある。だからわれわれは、現地と寄り添いながら進んでいるんです。
*淡々とした力強さ
夏目 爆発物の種類が多いといえば、最近は、パラオ共和国で海の中の爆雷の処理もされていますね。
荒川 これは、第二次大戦中に日本が現地に持って行った爆雷ですね。もし司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』をお読みになった方であれば、日本軍が「下瀬火薬」を使っていたことをご存じかもしれません。この火薬には「ピクリン酸」という物質が入っています。ピクリン酸が海中に漏れ出し、ダイバーや地元の方などが触れると、火傷や頭痛などの障害を与えてしまうのです。
なかでもパラオの港の近くには、鉄兜がいっぱい積んであったため、「ヘルメットレック」と呼ばれる日本の輸送船が沈んでおり、爆雷が165個、積んだままになっています。戦後70年経ち、この船の爆雷の鉄が腐食し、中のピクリン酸が漏れ出しているのです。そこで、ここでは海上自衛隊の「水中処分隊」OBの専門家が、汚染地域でも潜ることができる特殊な潜水服を着て、特殊なコーティング剤で周囲を覆う処理をしてもらっています。いまは約165個のうち、14個の補修作業を完了しました。
夏目 気が遠くなるほどの作業ですね――。では最後に、少し難しい質問をさせてください。皆さんのモチベーションのありかを知りたいのです。なぜJMASの元自衛官の方たちは、厳しい気候、環境に身を置き、活動をなさっているのか。その志の源をお教えください。
荒川 「人生の仕上げの段階で悔いを残したくなかった」とおっしゃった方がいます。カンボジアで活躍されている高山良二専門家です。彼は奥さまに「ひどいカンボジア病にかかった。カンボジアに行かないと治せない」と話して説得し、定年の3日後には飛行機に乗られた。きっかけは、PKOにより数百万発の地雷が残るカンボジアに派遣されながら、国の方針もあって橋や道路の修復しかできず、不発弾や地雷に倒れる住民を見ているだけしかできなかった、という体験にあるそうです。彼は「戦争の後始末は戦争を知っている者がやるのが常識だ」ともおっしゃっていました。
また、団体の創始者である土井さんは「日本人専門家1名、ピックアップトラック1両、カンボジア人3名による不発弾処理1個チーム、年間活動経費約500万円という活動規模であれば、何とか自己責任で2〜3年は実行可能」と考え、動いています。のちには「われわれにしかできない仕事はわれわれの責任であろう」とも語っています。
同時に私は「それほど難しい意義があるのかな?」とも思います。やっぱり自分の特技が何歳になっても活かせる、というのは幸福なことだと思うのです。もちろん、専門家や理事の皆さんは使命感をもっています。世界平和に貢献したい、という気持ちも根底にあるでしょう。でも、みんなもう年も年、われわれが発行している冊子のタイトルも「オヤジたちの国際貢献」なんです(笑)。だから、落ち着いているっちゃあ、落ち着いています。そんな心持ちで、淡々と仕事をしている人が多いですね。
夏目幸明(なつめ・ゆきあき)
ジャーナリスト
1972年、愛知県生まれ。早稲田大学卒業後、広告代理店に入社。その後、雑誌記者に。小学館『DIME』の「ヒット商品開発秘話 UN.DON.COM」や講談社『週刊現代』の「社長の風景」などを連載。
著書に『ニッポン「もの物語」』(講談社)『大停電(ブラックアウト)を回避せよ!』(PHP研究所)などがある。
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