『謝るなら、いつでもおいで』
<著者プロフィール>
川名壮志(かわなそうじ)
1975年長野県生まれ。新聞記者。2001年、早稲田大学卒業後、毎日新聞社入社。佐世保小6同級生殺害事件の取材を約10年にわたり続ける。警察回りや証券取引等監視委員会なども担当、現在は東京地裁や東京高裁を足場に司法取材にも取り組む。
集英社 1500円+税 発売日:2014年03月26日
佐世保小6同級生殺害事件、10年目にたどり着いた真実 『謝るなら、いつでもおいで』(川名壮志 著)
週刊文春WEB 2014.05.26 07:00 評者 小俣 一平
三度読み、三度涙した。地下鉄の車中では涙が止まらず、顔を上げることが出来なかった。「むげねぇのう」(とっても可哀想という大分方言)と思わず口をついて出たあの日のことが甦った。
本書は、長崎県佐世保市の小学校で、毎日新聞佐世保支局長のひとり娘で、当時六年生だった御手洗怜美(さとみ)さんが、同級生の女の子にカッターナイフで首を斬られ殺害された事件の十年目の報告書である。著者は、当時佐世保支局に勤めて四年目の記者。わずか四人の支局は、二階が職場、三階が支局長の居宅になっていて、著者は怜美さんとほとんど毎日顔を合わせるばかりか、三年前に亡くなった妻に代わって支局長が作る夕飯を共にする身内のような存在だった。それだけに遺族とマスコミに身を置く者の本音と建前にまで踏み込んで描写している。
「いままで怜美をかわいがってくれて、ありがとな」。事件発生から十数日たって線香を手向けに来た支局員たちを前に、「涙であえぎ、子どものようにどもりながら、御手洗さんは何度も何度も同じ言葉を繰り返した」光景は、読む者までもその場に居合わせているかのように胸を締めつける。と同時に家族には書けない距離感を持った印象や感情も余すところなくさらけ出し、いまだに謝罪の言葉を口に出来ない加害少女に対しても、意外なほど穏やかな視線で捉えている。著者は、事件後も少年犯罪や犯罪被害者に焦点を当てて取材を続け、十四歳未満の「触法少年」には、少年法が適用されず、児童福祉法が優先される実態と問題点を的確に照射する。
本書は二部構成になっているため第一部を読んだ時点では、加害者側の登場場面が少なく、どういう家庭環境の子どもの犯行かが見えづらく、強い欲求不満にかられた。それを、支局長に隠れて父親のもとに何度も通い、片言隻句をつなぎ合わせた第二部のインタビューで補完している。そこには、「加害女児に虐待を加えたことが度々ある」とウィキペディアに一方的に書き込まれた記述を否定する、新聞記者ならではの足で書いた真実がある。とはいえ、被害者家族と加害者家族の慟哭とには、雲泥の差がある。永遠に戻らぬ娘を想う父の姿に、十三歳の娘を持つ私は「もしも」、との思いを重ねる。
本書は、「新聞記者は、ジャーナリズムなんてお高くとまれる稼業ではない」と著者が唾棄するところの、実は優れた“ジャーナリズム”の書でもある。『謝るなら、いつでもおいで』の書名は、怜美さんと最も近いところにいた、すぐ上の「お兄ちゃん」の言葉である。
◎上記事の著作権は[週刊文春WEB]に帰属します
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『謝るなら、いつでもおいで』佐世保小6同級生殺害事件から10年…(川名壮志・著 集英社)
HONZ 6月6日(金)12時10分配信
学校の中の事件は、なぜかいつも心が痛くなる。小学生のころ、今のイジメのようなものではなかったが、つまはじきにされた記憶が蘇るからだろう。原因はわからず、誰にも相談できず、私は悩んだ末、親玉になっている子に直談判に出かけた。私が何かしたのか、という問いの答えがあまりにも的外れで、簡単に誤解が解けたことでこの事件は集結した。半世紀近い昔のことなのに、心臓が破裂しそうだったことはよく覚えている。
「神戸連続児童殺傷事件」(酒鬼薔薇事件)にしても「山形マット死事件」にしても、なにが引き金になったのか大人たちは皆目わからず、現実を目の前に突き付けられて右往左往するしかなかった。
「佐世保小6同級生殺害事件」もまた、同級生の少女が、友人の少女の首をカッターナイフで切り裂くという、前代未聞の事件に世間は驚愕し原因解明を求めた。
その事件は2004年6月1日に起こる。佐世保市立大久保小学校で6年生の少女がが同級生を別室に呼び出しカッターナイフで殺害した。被害者の名は御手洗怜美。父親は毎日新聞佐世保支局長、御手洗恭二。3年前に妻を癌で亡くし、大学で家を出ている長男を除いて、中学3年の次男と末っ子の怜美との3人暮らしだった。
佐世保支局は小さく、3階建の小さな社屋で、1階は支局員4人の駐車場、2階の職場は事務デスク6つ並べば一杯のワンルーム、階段を上がった3階が支局長の住まいになっていた。御手洗にすれば仕事場であり自宅。子供たちは帰宅すれば、仕事場に顔を出して言葉を交わし、ときには3階に上がって一緒に食卓を囲むこともある。怜美は、支局員にとっても極めて身近な存在だったのだ。
小学生少女が同級生の首を掻き切るという、極めて残忍で猟奇的な事件は、当然のことながら世間の注目を浴び、こののどかで小さな佐世保支局は嵐の中に放り込まれたような状態になった。
新聞記者という立場から、事件直後に記者会見した御手洗は、その後現場から離れ身を隠した。
著者の川名壮志は大学を卒業して4年目の駆け出し記者。家族のように付き合っていた少女の死は、川名自身の精神もおかしくしていく。事件の背景を追い、助っ人の先輩たちとこの事件の謎に迫ることに没頭した川名は、他人事のように報道されていく記事を、ただ機械的に書いていった。
今、思い返すと、あの事件の報道はかなり正確だったようだ。仲間の身内が殺されたという弔い合戦のような気分もあったかもしれないし、11歳という少年法にも問われない児童の事件だったということもあるだろう。ちょうどインターネットが普及し始め、小学生でもメールやブログなどすることが当たり前になり、大人の見えないところでのイジメやハブ、仲間割れが起こり、この事件につながったものだと思われた。
加害少女はパソコンが得意で、ホラー小説が好き。その頃、流行っていた『バトル・ロワイヤル』をモチーフに自分でも小説を書いていたという。怜美を殺した手口も、まさに『バトル・ロワイアル』そのままだ。
加害少女は被害者に対して最後まで謝罪の言葉を持たなかった。結論として発達障害と診断され、施設に収容された。そこで専門の精神科医によって、更生の道をたどり始めた。
本書の読みどころはここからである。
川名は、それから10年をかけて、関係者の胸の内を取材していく。父親の御手洗恭二、加害者の父親、そして何よりも重要だったのは怜美の兄の証言だった。
母を亡くした二人の兄妹は、とても仲良しだった。仕事で忙しい父の代わりに、妹の悩みの相談に乗っていたのも兄だ。可愛がっていた妹が殺されたとき、その兄も一度壊れてしまった。本当なら、事件直後に彼からいろいろなことを聞くべきだったのだろうが、大人たちは腫れ物に触るように彼に対した。
川名に初めて語ったことで、その兄もまた新しい一歩が踏み出せるのだろう。
加害少女は20歳を超えた。施設を出て、今はどこかでひっそり暮らしているはずだ。
どこかの書店でこの本を見つけて手に取ってはいないだろうか。よく生きるために、開いて読んではくれないだろうか。
東 えりか
◎上記事の著作権は[Yahoo!JAPAN ニュース]に帰属します
『謝るなら、いつでもおいで』 著者:川名壮志
世間を震撼させた「佐世保小六同級生殺害事件」から10年 〜新聞には書けなかった実話〜
判型 : 四六判
頁数 : 328ページ
ISBN : 978-4-08-781550-4
価格 : 本体1,500円+税
発売日 : 2014年03月26日
2004年6月、長崎県佐世保市の小さな小学校で、11歳の女の子がクラスメイトの友だちをカッターナイフで殺害した。教師や同級生のいる、白昼の教室で…。世間を震撼させたあの「佐世保小六同級生殺害事件」。
被害者の父親は毎日新聞佐世保支局長。僕の直属の上司だった。惨劇を前に遺族の隣人として、新米記者として、わけもわからないまま取材に走る。胸の奥で渦巻く思い。やがて、事件は風化していくが、遺族の苦しみが消えるはずもない。終わりなき事件を追いかけ続けて見えてきたものとはーー。
償いとは?許しとは?
著者・川名壮志氏スペシャルインタビュー
――『謝るなら、いつでもおいで』に込めたもの、テーマなどを教えていただけますか
本書では、遺族と加害者とマスコミという、いわば水と油といってもいい関係にある三者のそれぞれの思いがリアルタイムで交錯します。加害者、遺族、マスコミの生の声が同居している本は、僕が調べた限り、類がないようです。ひとりの人間がそれぞれの一次情報にあたることが難しいからでしょうね。僕は、被害者家族の部下という、たまたま稀有な立場にいたので、それができました。また、自分自身の義務というか、こういう本を書かなければいけないという思いもありました。
この三者(被害者・加害者・マスコミ)の関係って、本来は対立して相容れないはずなんですよ。まさに三つ巴で、お互いがお互いを憎んだり、邪魔っけに感じたりする関係性ですよね。大変な状況におかれている被害者、加害者にとって、マスコミの存在というのも正直言って鬱陶しいものだろうなと思うんです。それは僕がふだん仕事していても感じます、申し訳ないなぁと。けれども、自分でも不思議なんですが、物語が進むにつれて、三者それぞれがいがみ合っている構造ではなくなってくるんです。それぞれの立場も視点もゆらぎ、不安定さが増していきます。その先に見えるのは何なのか。僕が書きたいテーマはそこにありました。
それともうひとつ、この話って、特異な話というだけではないんですね。子供が親の知らないところで誰かに殺される、あるいは誰かに手をかける。そして、親の知らないところで親を超えている。こうしたことは、どの家庭でも、誰にでも起こりうる話です。読者は被害者の父親の苦しみに共感し、加害少女の親にも同情し、ひっそりと成長する被害者の兄の姿に目をみはるはずです。最後にはきっと、晴れやかな読後感があると信じています。
事件を巡るさまざまな人々の思いを、本書を通じて知ってもらえれば、とてもうれしいです。
――『謝るなら、いつでもおいで』を出版することに至った経緯と心境を聞かせてください。
この事件の加害者は11歳の幼い女の子でした。まだ小学6年生。そして殺された女の子のお父さんは僕の上司で、ベテランの新聞記者でした。僕はまだ入社2年目ぐらいの新米記者だったんですけど、佐世保という田舎の小さな支局だったので、わりとのんびりと仕事させてもらってたんです。上司ひとりに、若手記者が僕を含めて2人だけ。本当に小さい支局なので、お互い密な関係だったんです、男3人が一日中顔付き合わせてますから。そんなところに事件が起きたので、もうパニックでした。
僕は亡くなった女の子とも日常的に顔を合わせていたんです。その子が殺されたなんて、なかなか現実味がわかなくて、完全に頭の中が真っ白でした。頭が追いつかなかった。受け止めるのにすごく時間がかかったように思います。
事件の渦中でも、僕は記者としての業務があるので、目の前のことだけで一日一日が精一杯、取材や記事の執筆なんかに必死だったんです。でも仕事で突っ走りながら、ちょっと消化不良というか、“やり残してる感”があるというか、まだ自分は事件の核心に立ち会っていないのかもしれないなという思いが頭をよぎるんですね。そんなもどかしさがあって、この事件のその後をずっと追っていたんです。それは別に会社から求められて、じゃなくて、「記者」として、「隣人」として、なんですけど。
痛ましい事件というのは世の中にいろいろありますが、その被害者像っていうのは、悲しみに明け暮れて、立ち直れなくて、加害者を恨んで…っていうイメージがけっこうあると思うんです。でも、実際に僕が事件の「その後」をずーっと追いかけていったら、こちらの想像をはるかに超えるような人間の豊かさが出てきた。ハッとさせられました。
ただ、そういった後日譚というのは新聞記事には、なかなか向かないんですよね。新聞ってやっぱり、その日その日のフレッシュな情報を提供してナンボという面がありますから。このたび1冊の本にとして世に出させていただく機会をいただいて、本当にありがたいことだと思っています。
イラスト/津田貴嗣(Beeworks)
■川名 壮志 (かわな そうじ)
1975年長野県生まれ。新聞記者。
2001年、早稲田大学卒業後、毎日新聞社入社。初任地の長崎県佐世保支局で「佐世保小6同級生殺害事件」に遭遇する。 被害少女の父は支局の直属の上司、毎日新聞佐世保支局長だった。事件から約10年にわたり、取材を継続。佐世保支局を離任後も、少年事件や犯罪被害者の取材を続ける。警察回りや証券取引等監視委員会なども担当し、現在は東京地方裁判所・東京高等裁判所を足場とした司法取材に取り組んでいる。本作は、第11回開高健ノンフィクション賞最終候補作品を大幅に加筆修正したものです。
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