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【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】作り話が日本の国際イメージを損ない、隣国との関係を悪化させた

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吉田証言の嘘、朝日どう伝えたか
【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】朝日新聞はどう報じたか 初登場昭和55年3月7日付横浜版、女性強制連行の言及なし
 産経ニュース 2014.9.8 07:58

    

 慰安婦問題を取り上げた朝日新聞の記事(手前が昭和58年10月19日付、奥が同年12月24日付)
 かつて1人の男の作り話が、これほど日本の国際イメージを損ない、隣国との関係を悪化させたことがあっただろうか。朝鮮半島で女性を強制連行したと偽証した自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治のことだ。吉田の虚言を朝日新聞などメディアが無批判に内外で拡散し、国際社会で「性奴隷の国、日本」という誤った認識が定着していった。「吉田証言」とは何かを考える。(原川貴郎、是永桂一)
 朝日新聞は8月5日付朝刊に掲載した特集記事「慰安婦問題を考える 上」で吉田清治について、「確認できただけで16回、記事にした」と説明し、初掲載は昭和57年9月2日付の大阪本社版朝刊社会面とした。
 だが、さらに2年半さかのぼる55年3月7日付朝日新聞横浜版などに掲載された連載「韓国・朝鮮人II」に、横浜市内在住の著述業として、吉田清治が登場している。
 執筆した元朝日新聞ソウル特派員(現在はジャーナリスト)の前川惠司は、吉田に会ったときの印象について今年5月、産経新聞の取材にこう語っていた。
 「吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。3、4時間ぐらい話を聞いたが、(女性を強制連行したはずの)済州島の話は全く出なかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」
 この55年3月の記事に慰安婦という言葉や女性の強制連行に関する言及はみられない。出てくるのは、労務者として吉田が狩り集めた「農作業中の男」「20歳代前半の若者」「15、16歳の少年」「50歳近くの男」らだ。
 それから2年半後の57年9月2日付で朝日は、吉田が証言する女性の「強制連行」の“実態”を報じた。記事は「朝鮮の女性 私も連行」「暴行加え無理やり」の見出しで、18年の初夏に、済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』とする吉田の講演内容を伝えたものだった。
 吉田は、その1カ月後の57年10月1日付朝日新聞朝刊にも登場する。「朝鮮人こうして連行」「壮年男子根こそぎ 集落包囲、殴りつけ」の見出しが付けられた記事は、ロシアのサハリン残留韓国人・朝鮮人の帰還訴訟で、証人として吉田が語った朝鮮人強制連行の模様を報じた。
 さらに58年の秋から冬にかけ、朝日は立て続けに3回、吉田を登場させた。
 「韓国の丘に謝罪の碑」の見出しの10月19日付夕刊記事は、「『徴用の鬼』と呼ばれた」と自称する吉田が韓国に謝罪の旅に出かけ、謝罪碑を建立することを紹介。11月10日付朝刊の「ひと」欄は、「強制連行、初めて知りました」との声を吉田に寄せた中学三年生がいたとし、「朝鮮人を強制連行した謝罪碑を韓国に建てる」人物として、吉田を取り上げた。
 そして12月24日付朝刊の記事「たった一人の謝罪」では、謝罪碑を建てた韓国・天安市で「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人です」との吉田のざんげの言葉とあわせて、土下座する吉田の姿を写真で伝えた。
 次に吉田に関する記事が頻繁に載るようになるのは、平成に入ってからだ。
 「名簿を私は焼いた 知事の命令で証拠隠滅 元動員部長証言」(平成2年6月19日付大阪本社版朝刊)、「木剣ふるい無理やり動員」(3年5月22日付同)、「従軍慰安婦 加害者側から再び証言」「乳飲み子から母引き裂いた」「日本は今こそ謝罪を」(3年10月10日付同)に続き、夕刊1面コラム「窓 論説委員室から」も4年1月23日付、3月3日付と短期間のうちに吉田を2度、取り上げた。
 産経新聞は4年4月30日付朝刊で、吉田証言に疑問を突きつけたが、それから1カ月もたたない5月24日付の朝日新聞朝刊記事は、「今こそ 自ら謝りたい」の見出しで、再び韓国に謝罪の旅に出かける吉田を紹介している。
 産経新聞は、この記事を含め4年5月以降、吉田を扱った朝日の記事が少なくとも6本あることをマイクロフィルムや縮刷版などで確認した。

 【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】強制連行の嘘はいかに海外に拡散されたか
 産経ニュース 2014.9.8 10:30
 朝日新聞が少なくとも16回、吉田清治を記事で取り上げたこともあり、朝鮮半島で女性を強制連行したとする吉田の嘘は、海外にも拡散していった。
 米紙ニューヨーク・タイムズは1992年8月、吉田の写真とともに長文記事を掲載。43年から44年にかけて朝鮮半島で約2千人の女性を強制連行したとする告白を、「アジアにおける今世紀最悪の人権侵害だったかもしれません」との吉田のコメントとともに伝えた。
 AP通信も92年6月、「吉田は韓国の村から日本兵に繰り返し強姦(ごうかん)されることになる女性を強制連行したことを告白した唯一の日本人」として取り上げ、証言内容を世界に向けて配信した。
 これら海外メディアの報道と前後して韓国政府は92年7月、「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表。そこでは、吉田の済州島での「奴隷狩り」が、強制連行の証拠として採用された。
 その後、吉田証言は国連の場にも進出する。
 慰安婦への国家補償などを勧告した96年2月の国連人権委員会のクマラスワミ報告書は、吉田の著作から「千人もの女性を『慰安婦』として連行した奴隷狩りに加わっていた」との内容を引き、慰安婦を「性奴隷」だと認定した。
 この報告書は、慰安婦問題をめぐり国際社会が対日批判をするときの根拠にされていく。98年には国連人権小委員会で、慰安所を「強姦所」とするなど、クマラスワミ報告書を下敷きとしながら、表現をさらにエスカレートさせたマクドゥーガル報告書が採択された。
 2007年7月、米下院本会議は慰安婦問題での対日非難決議を採択した。採択に至る過程で議員が審議の参考資料とした米議会調査局報告書は一時、「日本軍の慰安婦とするため、韓国で女性千人を狩り集めた」との吉田証言を明記していた(06年4月)。07年4月の調査局報告書で吉田に関する記載は削除されたものの、決議内容には吉田証言が反映したとされる。
 最近では韓国紙、朝鮮日報が12年8月、吉田証言を「事実」として社説で取り上げた。
 吉田の「強制連行」証言には1992年4月の段階で重大な疑義が生じていた。その時点で朝日新聞が記事の誤りを認めていれば、事実誤認に基づく対日批判がこれほどまでに広がることはなかっただろう。(敬称略)

【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】 「強制連行」を広めた吉田清治とは何者なのか 「真実を書いても何の利益もない」
 産経ニュース 2014.9.8 12:36
 そもそも吉田清治とは何者なのか。韓国・済州島で奴隷狩りのように女性を強制連行したというその証言について、現地調査で虚偽だと暴いた現代史家の秦郁彦は、吉田氏を「職業的詐話師」と呼ぶ。実際、証言内容が虚構に満ちているだけでなく、吉田の経歴もまた謎に包まれている。
 吉田清治の名はペンネームで、本名は吉田雄兎(ゆうと)。他に別名として東司、栄司を名乗っている。吉田の著書で山口県と記されている本籍地も、実は福岡県だった。門司市立商業学校(当時)の卒業生名簿には「吉田雄兎」の名があるが、卒業生名簿には「死亡」と記されている。
 吉田の著書の記述では昭和12年、満州国地籍整理局に務め、14年から中華航空上海支店に勤務したことになっている。しかし、歴史学者の上杉千年の調査では中華航空社員会で吉田を記憶する者はいなかった。
 吉田によれば、15年に朝鮮の民族主義者で日本の民間人を殺害した金九を輸送した罪で逮捕され懲役2年の刑を受けたという。ただ、吉田は秦に対し、罪名はアヘン密輸にからむ「軍事物資横領罪」であることを告白している。
 17年に山口県労務報国会下関支部動員部長に就いたとする吉田。済州島での慰安婦狩りも、著書で「(強制連行の)実態は私が家内にしゃべったか見せたかしたので、家内の日記の中にありました」と書くが、吉田が実際に妻と結婚したのは「慰安婦狩り」を行ったという時期の1年後のことだとされる。
 著書には戦後の吉田の足跡は一切触れられていないが、秦によると22年に下関市議に共産党から出馬し落選。45年ごろには福岡県の日ソ協会役員に就いた。
 これら吉田自身の虚構は秦や上杉、戦史研究家の板倉由明らの丹念な研究によって明らかになった。
 強制連行の唯一の日本側証言とされてきた済州島での慰安婦狩りに関しては、地元紙「済州新聞」記者、許栄善が取材すると全くのデタラメだと判明した。慰安婦問題で日本政府の責任を追及する立場の中央大教授、吉見義明も「吉田さんの回想は証言として使えない」と判断している。
 朝日新聞が自社の吉田証言を取り上げた記事を取り消したのは今年8月のことだが、吉田自身はすでに平成8年の週刊新潮(5月2・9日合併号)のインタビューで「本に真実を書いても何の利益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造を認めていた。
 吉田は朝日新聞が昭和57年9月2日付朝刊(大阪本社版)で、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と大きく報じたことなどを皮切りに、新聞や雑誌、講演に登場するようになった。
 サハリン残留韓国・朝鮮人の帰還訴訟を行った弁護士の高木健一の著書によると、吉田は57年9月30日と11月30日の2回、「強制連行の証言者」として出廷。「慰安婦狩りの実態」が法廷で披露されたことに対し、高木は「証言は歴史的にも非常に大きな意義がある」と評価している。
 吉田は58年7月に『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』を著し、58年12月に韓国・天安市の国立墓地に謝罪碑を建てるために訪韓。以降も現地で謝罪を繰り返した。平成12年7月に死去していたことが判明している。(敬称略)

【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】 吉田清治の嘘が国内に与えた影響 国会、中学歴史教科書、指導書に
 産経ニュース 2014.9.8 14:48
 吉田清治の朝鮮半島における「強制連行」証言が、政治や教育の現場に与えた影響は計り知れない。朝日新聞が昭和57年9月に吉田証言を取り上げてから、ほどなく吉田の名前は国会にも登場する。
 昭和60年2月14日の衆院予算委員会。質問に立った社会党の佐藤観樹は、戦時中に泣き叫ぶ若い朝鮮人男女を連行した元山口県労務報国会動員部長として吉田を紹介した。吉田が韓国で「謝罪の碑」を建てたことに言及し、こう続けた。
 「新聞では『たった一人の謝罪』というふうに報道され、ここに吉田さんが地べたに手をついて謝っている写真があるわけでありますけれども…」
 佐藤が紹介した報道とは、吉田が私費を投じて韓国・天安市に「謝罪の碑」を建てたことを、現地で土下座する吉田の写真とともに伝えた昭和58年12月24日付の朝日新聞の記事を指す。
 当時の首相、中曽根康弘は、佐藤が示した吉田の言動を“真実”と受け止め、次のように答弁している。
 「…それから、吉田清治さんがおやりになっていることは非常に尊いことであると思います。今初めてお聞きいたしましたので、よく調べてみたい」
 吉田が国会質疑に登場したのはこれにとどまらない。国会議事録によると、佐藤の質問の後、平成4年4月までの間に吉田清治の名前を挙げて質問した衆参の議員は計4人いた。平成4年2月19日の衆院予算委員会では社会党の伊東秀子が「彼自身が約千人近くの女性を下関から、朝鮮人の女性を従軍慰安婦に強制連行した」と指摘し、吉田の参考人招致を求めた。
 国会の議論の対象となった慰安婦問題は、義務教育の現場でも扱われるに至った。平成7年度検定の中学校の歴史教科書に一斉に「慰安婦」「従軍慰安婦」が登場したのも、吉田証言が影響している。
 「多くの朝鮮人女性なども、従軍慰安婦として戦地に送り出された」
 教育出版発行の『中学社会 歴史』の慰安婦に関する記述だ。教科書に限れば慰安婦に関する記述はこれだけだが、この教科書を使って授業を行う教師に向けて同社が作成した「教師用指導書」は、「従軍慰安婦に関する書籍」として6冊を列挙した。そのうちの一冊、『朝鮮人従軍慰安婦』(鈴木裕子、岩波ブックレット)は、吉田証言を紹介している。
 この教科書と指導書は平成9年度から5年間使用された。指導書に忠実に従った教師の授業を受けて、吉田証言を信じた生徒は数多くいたことだろう。(敬称略)

【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】 「強制連行」広めた吉田清治、2冊の著書 「あれは小説ですよ」出版社
 産経ニュース 2014.9.8 16:30
 吉田清治は2冊の本を著している。1つは昭和52年3月刊行の『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)。2作目は58年7月に発行された『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)だ。
 『私の戦争犯罪』で吉田は「山口県労務報国会の動員部長」として、「朝鮮人にたいして、『ドレイ狩り』を『愛国心』をもって行った」と告白。「四十年近い過去の事実を、日本人が『文明人』となるための反省の資料にしてもらいたい」と強調している。
 問題の慰安婦をめぐっては、「済州島の『慰安婦狩り』」と章を割き、吉田が18年5月に部下9人を伴い済州島に「慰安婦狩り」に出た際、「陸軍省は極秘通牒(つうちょう)を発して、朝鮮人女子を慰安婦に動員するようになった」と証言する。
 また、「木剣を持った(徴用)隊員と銃を持った兵隊が戸をあけて踏み込んで女を捜しはじめた。(中略)女の悲鳴があがり、隊員と兵隊のどなり声が聞こえはじめると男たちが朝鮮語で騒ぎ立てた」などと、「慰安婦狩り」の様子を克明に描いている。
 貝ボタンの製造工場などで吉田らは、工員や海女らに対して「陸軍の命令で慰安婦を徴用している」と声を高め、朝鮮人女性を「木剣を使い、背中や尻を打ちすえ」連行していく。「徴用慰安婦のために、『女子挺身隊』用の衣服が送られてきた。従軍慰安婦を公式には、『女子挺身隊』と称することになっていた」と書く吉田は「二百五名の済州島の女を収容して出港した」と結んでいる。
 数々の「創作」を書いた吉田は自伝的な装いを施した作品『朝鮮人慰安婦と日本人』のあとがきにこうつづっている。
 「日本人の青少年よ、願わくは、私のように老後になって、民族的慙愧(ざんき)の涙にむせぶなかれ」
 現代史家の秦郁彦は、吉田の著書を出した出版社の担当者に「あれは小説ですよ」と言われたという。(敬称略)

【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】 「強制連行」を広めた男 産経はどう報道したか
 産経ニュース 2014.9.8 17:30
 産経新聞は平成4年4月30日付朝刊社会面記事で、吉田清治の証言に疑問を投げかけた現代史家、秦郁彦の検証を紹介した。
 記事は「朝鮮人従軍慰安婦強制連行証言に疑問 加害者側の“告白”被害者側が否定」「済州島民『でたらめだ』 地元新聞『なぜ作り話』」との見出しを取り、秦による吉田の2冊の著書に関する検証や済州島での現地調査を紹介。秦の「済州島での“慰安婦狩り”については、信ぴょう性が極めて疑わしい」とのコメントを掲載した。
 産経新聞は5年9月1日付の大阪版夕刊社会面『人権考』では、吉田の証言と行動を取り上げるとともに「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と書いた。一方で、記事では「吉田さんの証言が明らかになるにつれて、その信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」とも指摘している。
 秦はその後も継続的に吉田証言に関する調査や研究を重ね、吉田本人にもインタビューして吉田の虚言を暴いていった。吉田証言が朝日新聞をはじめとする国内外のマスコミ・市民団体に与えた影響も踏まえ、「吉田という1人の老人が内外に流した害毒は有形、無形をふくめ計り知れぬものがある」と、著書の『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)で嘆息している。
 産経新聞も秦の検証記事を皮切りに取材を積み重ね、吉田証言が「作り話」であることを繰り返し、報じてきた。根拠なく慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話をめぐり、その作成過程で吉田がヒアリング(聞き取り)の対象となっていたことも今年4月に報じた。(敬称略)
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
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〈来栖の独白〉
 本年も、あと4か月を切った。上記事を読んで、本年の「字」が頭をよぎった。「嘘」とか「偽」「捏造」といった言葉が選ばれるのかも。小保方さん、佐村河内さん、そして朝日新聞・・・。片山祐輔さん(PC遠隔操作事件)は、もう古いか。
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◇ 【歴史戦 第5部 「朝日検証」の波紋】 2014-08-25 | メディア/ジャーナリズム/インターネット 
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