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日本人おとしめた朝日「罪悪感でゆがめられ続けた日本人」 百田尚樹氏 講演

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【九州「正論」懇話会・百田尚樹氏講演詳報】「罪悪感でゆがめられ続けた日本人」
 産経ニュース 2014.9.20 22:03
 みなさんこんにちは。最近めちゃくちゃ忙しいです。忙しさの半分は朝日新聞たたき(笑い)。昨日も「そこまで言って委員会」(よみうりテレビ)の収録があり、朝日新聞の悪口を言いまくりました。
 2週間前、読売新聞の幹部とお会いしたところ、「今、読売は朝日たたきに総力をあげている」と。朝日の慰安婦報道をただすチラシを作り、配ったらしい。私は「偉そうなこと言うなよ。あんたら、ずっと黙っとったやないか」と言いました。産経新聞が言うなら分かるけど。朝日が弱なったら、猫もしゃくしも朝日たたきです。
 (「吉田調書」をめぐる誤報を謝罪した朝日新聞木村伊量社長の)記者会見は、ひどいですね。『所長の命令に反して(原発の所員が)撤退した』という記事が、検証した結果、誤っていましたという説明は大嘘です。あの日、なぜ朝日が謝ったか。政府が調書公開に踏み切ったからです。全部嘘がばれてしまうので「もうアカン、謝ってまえ」ていうことなんです。
 ついでに慰安婦の吉田(清治氏)証言をめぐる誤報も謝った。(評論家の)宮崎哲弥さんらは「チェック機能がおろそかだ」というんですけど、そういう問題ではない。朝日は日本人をおとしめたいだけ。「日本は悪い国、日本人はなっていない」と言うことが第1の目的です。その目的のためにはどんな嘘もつくんです。
 吉田証言も、歴史学者らが現地の済州島の人に聞いたら嘘やとわかった。それなのに、何年間もほっかむりしていた。
 私は今58歳ですが、小説家になったのは50歳です。それまで大阪で、バラエティ番組専門の放送作家として生活していました。
 49歳の暮れ、「年が明けたらもう50やな。このままやったら、さびしいな」と思った。同時に「何かにチャレンジするには遅いわ…」とも思ったんです。
 そのとき、私が担当していた番組「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送)で、20年近く前の「世界最高齢マジシャン」を取り上げた回を見たんです。
 福岡の方で年齢は94歳。本職は整体師で、こちらは88歳のときに始めたというんです。49歳なんか、88歳からみたら、はなたれ坊主じゃないですか。そこで小説でも書いてみようかと思ったんです。
 最初に書いた作品が「永遠の0(ゼロ)」です。ですから永遠のゼロの生みの親は94歳のじいさんだったわけです(笑い)。
 私が生まれた昭和31年当時、大阪には戦争の跡がそこらへんにあったんです。だが、戦地に行った親戚も、(作家への転身を決意した時には)亡くなっていた。私の親父も末期ガンで余命半年といわれていた。あの大東亜戦争を戦った人が歴史の舞台から消えようとしているんだなと感じ、「次の世代に残さないといけない」と思ったんです。
 日本は70年の間、思想的にゆがめられてきました。
 来年がちょうど戦後70年。日本の占領期、米軍は徹底して日本人に贖罪(しょくざい)意識を植え付けた。「戦争で300万人が死に、都市が破壊されたのは、お前達が悪いことをしたんだ」と。これを「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争への罪悪感を植え付けるプロパガンダ戦略)と言います。
 今の日本人は、自分たちが悪かったと心の底から思い込んでいる。こういう贖罪意識が常にあったからでしょう。南京大虐殺や靖国参拝、慰安婦問題など、朝日新聞の捏造を日本人は素直に受け入れてしまいました。
 吉田清治という人が大嘘をつき、朝日が記事を書きました。善良な日本人は「私たちのおじいちゃんはこんな恥ずかしいことをした」と思ってしまいました。
 韓国は朝日の記事を利用し、日本人は20万人を慰安婦にしたうえ強姦した、とむちゃくちゃなことを言っています。
 3年前にスランプに陥りました。理由は東日本大震災です。「こんな状況で、小説を書いていても誰が読みたいのか」と思うと、半年くらい書けない状態が続きました。
 この気持ちが変わったのは、「日章丸事件」を知ったからです。放送作家仲間が教えてくれました。
 昭和28年、中東のイランで起きた事件です。
 イランの石油を支配していた英国の国営会社「アングロ・イラニアン」に対し、イランの首相が石油を国営化しました。すると、英国はイランを海上封鎖し、タンカーを撃沈すると脅しました。
 福岡出身で出光興産創業者の出光佐三は28年4月、反対を押し切り、自社のタンカー「日章丸」をイランに差し向けた。船長は英海軍の包囲網を突破してイランに入り、たんまりと石油を積み込み、遠く離れた日本に、丸腰のまま戻ったんです。
 この事件の資料を読んで体が震えた。全身汗びっしょりになった。
 人間ドラマがすごかった。何よりすごいのが、計画を立案し実行した出光佐三です。これほどの男がいたのかと思った。銭儲けだけではない。日本のために戦ってきた男です。
 出光佐三は終戦時は60歳だった。30年以上かけて築いた財産は敗戦ですべて没収され、失った。でも、そこから立ち直ったんです。
 敗戦から2日後の昭和20年8月17日、社員を集めてこう言いました。
 「日本は戦争に負けたが、3千年の歴史と誇りを失ったわけではない。日本は再び立ち上がる。世界は再び日本に驚くだろう」
 そして、海外から帰ってくる社員の1人もクビを切らなかった。社員は「もう一度出光のおっさんとやってみよう」と会社に残り、8年後、日章丸事件で世界を驚かせたんです。
 東日本大震災が起き、不況も重なった。でも69年前、日本はもっとひどい状況だったが、立ち直ったじゃないか。そんな思いで、「海賊とよばれた男」を書きました。
 「永遠のゼロ」と「海賊」を書いて気付いたことがあります。戦争を戦った男たちと、戦後経済を築いた出光興産の社員たち。彼らは同じ世代、大正生まれです。彼らは20歳前後の人生で最も素晴らしい時期を戦場で過ごしたんです。
 そして故郷は丸焼けでした。雨露をしのぐ住む家さえなかった。(昭和20年)当時の日本は地球上で世界最貧国だったんですよ。
 それがたったの約20年で、米国や英国が「不可能な技術」と言っていた高速鉄道(新幹線)を開通し、東京五輪を開催した。そして、GNP(国民総生産)で米国に次ぐ世界2位の経済大国になった。
 これは奇跡や。日本人全員が働いたのですが、もっとも働いたのは、戦争から帰ってきた大正生まれの男です。戦場で身も心もボロボロになったのに、丸焼けの祖国を一から建て直したのです。
 大正生まれ世代には本当に頭が下がる思いがします。大正世代は、ひと言でいうと「人のために生きた世代」。私は本当に素晴らしい国に育ちました。
 「永遠のゼロ」は、ゼロ戦のパイロット・宮部久蔵という架空の人物が主人公です。宮部の孫が、「自分のおじいちゃんはどんな男だったんや」と全国の戦友を訪ね歩く物語です。
 現在の豊かさの上にあぐらをかいたままあの世に行ったのでは、父親や親戚に顔向けできません。私があと何年生きるかわからないけれど、世のため人のために尽くして死にたいなと思います。今日はありがとうございました。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
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水木 楊 著『出光佐三 反骨の言魂』 / 百田尚樹著『海賊とよばれた男』 2013-05-10 | 本/演劇…など 
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2014/2/3 Mon. 『永遠の0』を見た。二度目だ。 2014-02-03 | 日録 
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