ハンセン病特別法廷:菊池事件再審に期待 無罪主張し死刑
毎日新聞 2014年10月19日 10時30分
ハンセン病患者の裁判を裁判所外の隔離施設などで開いた「特別法廷」に正当な根拠がなかった可能性があるとして、最高裁が検証を始めていることが明らかになった。1996年の「らい予防法」廃止から18年、同法の隔離規定の違憲性を認めた2001年の熊本地裁判決から13年。ようやく重い腰を上げた最高裁に、熊本県合志(こうし)市の国立ハンセン病療養所「菊池恵楓(けいふう)園」入所者自治会長の志村康さん(81)は「遅いけれども、ひとつの前進」と評価し、特別法廷で死刑判決が下された「菊池事件」の再審に期待を寄せた。
志村さんは1951年ごろ、園内の多目的ホールで開かれた菊池事件の特別法廷の様子について、当時の自治会長から聞いたことを今も覚えている。裁判官や検察官は白衣に身を包んで手袋をはめ、証拠物をトングで挟んで扱っていた。被告の男性は証人として出廷した警察官に「なんば言いよっとか」と怒鳴り声を上げた。その堂々とした態度を見た自治会長は「無実ではないか」と話したという。
殺人罪などに問われた男性は一貫して無罪を主張したが、53年に死刑判決を受けた。志村さんは自治会の渉外部長として男性と面会を重ねた。男性はいつか裁判官が理解してくれると信じていたという。一人娘の進路が決まって喜ぶ男性と握手して別れた翌日、死刑が執行された。
「人権を抑圧する『暗黒裁判』だった」。志村さんは、ハンセン病への差別や偏見を背景に公開や公平の原則に反した特別法廷の設置判断に正当性はないと断じる。自治会などは2012年11月、菊池事件について検察官が再審請求するよう検事総長に求める要望書を提出した。最高裁の検証開始に志村さんは「検証結果次第で再審運動にプラスになるだろう。最高裁の判断に期待したい」と語った。
一方、男性が62年に死刑執行されるまでの1年余、教誨(きょうかい)師として面会を重ねた熊本市の牧師、坂本克明さん(82)は「特別法廷が不当だったと認められればいいが、もう遅すぎる。死刑執行から既に52年がたっているんですよ」とやりきれない表情で語った。
男性は坂本さんに「まったくやっていない」と無実を訴え続けていた。教誨師は通常、刑場に呼ばれて死刑囚の最期に立ち会うが、62年9月14日の男性の死刑執行を知ったのは翌日だった。「前日にも面会したのに何も言わず執行した。あまりにおかしい」。疑念は今も胸にうずく。
「不当な裁判だったと認められても、関係者はほとんど亡くなっている」。坂本さんは遅すぎた司法の対応に繰り返し無念さをかみ締めた。【井川加菜美、柿崎誠、取違剛】
【ことば】菊池事件
1951年、熊本県内の村役場の元職員宅にダイナマイトが投げ込まれて2人が負傷し、近くに住む男性(当時29歳)が殺人未遂容疑で逮捕された。無罪を主張したが、元職員が男性はハンセン病患者だと県に報告したことを逆恨みしたとされ、52年に懲役10年の判決を受けた。男性は直後に療養所内の拘置所から脱走した。3週間後、元職員が刺殺され、男性は殺人容疑で再び逮捕された。無実を訴えたが、53年に死刑判決を受け、57年に最高裁で確定。62年、3度目の再審請求が退けられた翌日に死刑が執行された。
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◇ 再審へ! ~菊池事件の再審をめざして~
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ハンセン病特別法廷:菊池事件再審に期待 無罪主張し死刑 / 62年、3度目の再審請求棄却の翌日に死刑執行
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