『獄中で見た麻原彰晃』 麻原控訴審弁護人編 インパクト出版会 2006年2月5日 第1刷発行
元受刑者が見た精神の均衡を完全に失った麻原被告。彼にはすでに訴訟能力はない。
(抜粋)
P8~
いないことになっている麻原被告
当然初めて北三舎の担当になったばかりのときは、麻原がそこにいるなんていうことは知りませんでした。(p9~)というのも、基本的には彼はあそこには「いないこと」になっているんです。房の入り口はクリーム色のペンキを塗った鉄扉です。その中央に縦50センチ、横15センチくらいの観察窓が設けられており、その中にガラスがはめ込まれていますが、麻原のいる44号は常にその窓の扉が閉ざされています。普通は中の様子を観察する意味で開けられているのですがね。また、その鉄扉の右側上部には「名札(めいさつ)」といって、被告の番号を記したプレートが据え付けられるようになっており、例えば「運動中」などと、その房の人間の状態がわかるようになっているのですが、麻原の場合は「空房」と記されているのです。私がそこに麻原がいることがわかったのは、まとめ役(ボーイと呼んでいます)が「おまえがいるところには麻原がいる」と言われ、担当からも同じように言われたからです。
我々は麻原のことを松本智津夫にちなんで「マツ」と呼んでいました。私は受刑者仲間に「この間マツ見たら部屋で浮いていたぜ!」とか「今日は便所に顔突っ込んでたよ。水中クンバカっつうの? あれ、またやってたぜ」とか冗談で言っていたものです。
p15~
起床
被告は皆7時起床。この時間になると、房内に明かりがつき、備え付けられたスピーカーから、「朝の音楽」が流れ始めます。どんな音楽だったか、曲名は(p16~)わかりませんが、すがすがしい「朝」を感じさせるようなもので、毎日同じ曲でした。我々衛生夫は6時半くらいに起床し、食事を済ませてからそれぞれの持ち場に集合します。そこで先生(刑務官のこと)が点検と称して、きちんと被告が房の中にいるかどうか、確認して回るのを待ちます。点呼というか、被告に自分の番号を言わせるのです。その際被告は自分が使った布団をきちんと畳み、箒とちりとりで清掃して、先生が来るのを待ちます。
p16~
排便と洗濯
しかし麻原の場合は大分異なります。まず彼は朝、自分では起きません。それゆえ先生がドアを開けて布団を引っ剥がすのです。その剥がした布団を先生はそのまま廊下に出します。おむつをつけていても、取り替えるのは1日のうち、入浴前の1回のみ。入浴がないときには、運動の日に外に連れ出すときに替えるか、入浴もなく運動もないときには朝1回替えます。要するに、毎日1回しか替えないのです。当然布団は大小便で汚れることになる。それを干すのが我々の役目です。歌舞伎の幕にそっくりな、(p17~)緑とオレンジの2色の縞模様の敷布団、掛け布団、それから冬には茶色毛布2枚が支給されますが、その全てを中庭にある物干し竿まで持って行き、そこで夕方まで干すのです。何故かわかりませんが、彼の布団は基本的に全く洗濯されていません。ただ干すだけです。雨の日もそのまま干し、洗濯の代わりにしているんです。
一番ひどいのは毛布の状態でしたね。小便に濡れたものを陽にあてて干すので、ガビガビに固まっている上、当然ひどい臭気を放っています。洗いはしないものの、さすがに冬や雨の日など、干しても乾かないこともあるので、予備の布団も後になって2組くらい用意されました。これは42房においてありました。39房までは埋まっていましたが、そこから43房までは誰も入っていなかったのです。
p17~
特製の布団
麻原の布団は畳と同様特別製です。普通の布団は中に綿が(p19~)詰められていますが、彼はその中でも用を足してしまうため、汚物だらけになって腐ってしまう。これを防ぐため、よく枕の中身に使われているような、パイプというかスプリングのようなものが中に入った布団を特注して、それを使っています。掛け布団も敷布団も同様です。彼の場合、シーツはないのです。彼の布団や服、それから部屋も、とにかく物凄い臭いです。あれを嗅いで、私は「ああ、人間も動物なんだな」と思いましたよ。つまり排泄物で汚れた動物園の檻のような臭い(p19~)なのです。部屋に便器があるのですが、それは絶対に使わず、垂れ流しです。いくらオムツをしているとはいえ、毎度毎度食事のたびに直径5センチ強、高さ20センチくらいのプラスチックの筒に入ったお茶を飲んでいるから、当然小便は出ますよね。先生は「あんまり飲ませると小便するから少なくしろ」と言ってましたよ。布団にしても、服にしても、大便より小便の臭いが染みついてますね。上下とも、とにかくびしょびしょなんです。なぜ上も濡れてしまうのか、おそらく寝ている間に小便をして、それで濡れてしまうんだと思います。
p20~
食事
点検が終わって7時10分くらいから朝食の時間になります。(略)
p21~
先生が麻原の点検をしている間、私は奴の食事の用意をします。普通は刑務官が食膳口から出された被告の食器を取り、それを私に渡す。私が食事を盛り付けして先生に再び返し、それを先生が仲に入れます。おかずは本来皿に盛られるのですが、麻原の場合はそうではありません。皿は使わせず、汁物以外の全てのおかずをご飯の上に盛り付けます。エビフライだろうが、煮物だろうが梅干しだろうが、全てご飯の上です。時々プリンなどのデザートが出ることがありますが、甘いものだろうがお構いなしで全てご飯の上に盛り付けます。(略)
で、盆に置いたそれを先生が中に入れるのです。麻原はいつも食事を完食します。メニューに「山海漬」といって、(p22~)わさび漬けみたいなものがあります。一口で涙がポロポロ出てしまうような激辛メニューです。いつもいつも麻原が全部食べるので、悪戯心を起して、一度ご飯にこの「山海漬」を敷き詰めたことがあったのです。麻原はそれでも全て平らげました。刑務官はわかっていたのでしょうが、止めませんでしたね。薄暗いから気づかなかったのかもしれません。
これは私の想像の域を出ないのですが、彼はもはや五感が麻痺しているのかもしれません。だから味すらもわからないのでしょうか。ただ、彼は盲目のように思われますが、全盲ではありません。というのもご飯があって、味噌汁があって、お茶がある。このお盆から一人で選んで自分で食べられるわけですからね。おそらく強度の弱視のようなものでしょう。目が全く見えないということはないと思いますね。(略)
p23~
何度か、風邪薬のような、白い粉末状のものを、彼のお茶に混ぜるよう、先生に指示されたことがあります。先生は睡眠薬だとか言っていたようにも思います。
夜は私も自分の部屋に戻るわけですから、彼がどうしているのかはわかりません。もしかしたら、夜のうちに発狂し、それを安定させるためのものかもしれませんね。私がいた2年間のうち、10数回薬を入れたように記憶していますが、それは定期的に投与していたわけでなく、ある一定の期間に集中的に入れていましたから、その頃特に不安定だったのかもしれません。
P24~
その他彼は何かの注射を打たれているという噂もありました。彼がたまにどこかに連れていかれることがあるので、その時に打たれているのでは、という話です。以前、新潮や文春に喋った○○という人は、そのように取材に対して話していたようですが、そんなことまでは私たちにはわかりませんから、おそらく想像で言っているのだと思いますね。
ただ私の目の前で発狂したり、大騒ぎしたり、ということはただの一度もありませんでしたよ。以前は朝起きるなり「ショーコーショーコー!」などと叫んでいたこともあったそうですが、今や廃人のように動かず、何も言わず、といった状態で毎日ひっそりと暮らしています。食事や着替え、入浴の世話以外には全く大人しいので、先生や衛生夫も「手の掛からない奴だ」などとも言っています。
p28~
運動
麻原の運動は誰よりも早く行われます。彼は全く体を動かしませんし、運動といっても外の空気を吸わせるのが主な目的です。運動の際は北三舎の刑務官ではなく、我々が「運動の先生」と呼ぶ警備隊の先生方が4,5人付き添います。運動場とは別の中庭の近くのトタン屋根がある場所に連れて行かれるのです。衛生夫はいつも麻原の近いところにいるとはいえ、外にいる彼を見る機会は皆無です。というのも先に言ったように、彼が房の外に出るときは例外なく待機させられ、姿を見せないようにするからです。しかし私は偶然忘れ物を取りにいくか何かのとき、運動のために外に出た麻原の姿をみたことがあるのです。
私が見た麻原はテレビなどでよく見たような、でっぷりと太り、長髪で髭もじゃもじゃというあの姿とは似ても似つかない姿でした。髪はスポーツ刈りを(p29~)そのまま5センチくらいまで伸ばしたようなボサボサの髪。髭は伸ばしておらず、4,5日伸ばしたくらいの長さの無精髭を生やしています。裁判のときに報じられる法廷内を描いた絵はよくできています。ちょうどあんな髪型をしていますよ。何よりも驚いたのは彼があまりに痩せていたこと。あの肥満体はどこにいったのか、ガリガリとまでは言わないまでも、げっそりと痩せ、頬もこけている。顔色は灰色がかった青白さといいましょうか、重病ではないにせよ、病気を患った表情をしていました。覇気も何もなく、完全に病人の表情をしていましたよ。(略)
p30~
ある時から法廷でも喋らなくなりましたが、おそらく喋らないのではなく、喋れないのではないでしょうか。いくら自分のものとは言っても、汚物まみれで、あんなに臭くなった布団と服、それから部屋で、普通の感覚で眠れるわけがありません。この様子を見れば、精神鑑定が必要だという判断も頷けますよ。新聞はもちろんなく、何を読むでもなく、音も聞こえない世界ですからね。布団を剥がさなければならないことを考えてもわかるように、自分では動くことすらままならなくなりつつあるのです。面会に行くときは必ず車椅子ですからね。刑務官と喋っていることも聞いたことがありませんね。先生は「よう!」なんて言うのですが、全く無反応。一方的に言葉を発するだけで、リアクションは全くないのです。
P32~
あらゆる権利をはく奪された麻原被告
とにかく彼は被告が本来持つべき権利をほとんど有していないのです。午後、衛生夫は、それぞれの被告に持ち込まれたお菓子や本などの差し入れが集められたところに行き、そこから房に配りに行きます。その際、麻原には一切の差し入れは入りません。それは差し入れる人が全くいないのではなく、拘置所が止めているからです。
ただ、1回間違えて我々が差し入れを集めに行く場所まで彼への差し入れが来てしまったことがありました。確か甘いものか何か、お菓子でした。誰から来たのか、おそらくどこかの篤志家か誰かではないでしょうか。差し入れには被告の名前が記されているのですが、「松本智津夫」と書かれていたのです。私もどうすればいいのかわからないので、先生に「これはどうしますか?」と尋ねたのです。(p33~)すると先生は「これはいいよ」と言い、彼の手元には渡りませんでした。書籍にしても、お菓子にしても同様です。
麻原は、まさに病舎に移ってもおかしくない状況です。しかし拘置所はそれでは裁判に影響があるということで、無理やりに普通の房の中に2年間押し込めているんです。
p34~
私も刑務官に「やっぱりいかれているんですかねえ? どうなんすか、本当のところは」なんて聞いたことがあります。
先生は「もう、いかれてんだろ。人間諦めるとああなっちゃうんだよな」と言っていました。
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